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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第9章 世界樹の要塞
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9-25 脱出行

 これは妙だと気付くのに、少しかかった。

 何かが起こったのだとわかっても、上手くそれを想像することができない。


 一体どのような外的要因が働けば、要塞の崩壊が止まるというのか。


 いや、炎の勢いが収まったわけでも、木の肌が焼ける音が消えたわけでもない。

 崩壊は続いている。


 傾きだけが、停止している。


 何か巨大な力が、横になろうとする幹を支えているとでもいうのだろうか。

 そのようなことが可能なのだろうか。


 俄かに、空気の流れが変わったようにも思えた。


 最早、煙ばかりが渦巻く中で、辛うじて呼吸できるのも不思議な状態だったが、そこに新鮮な……吸うに値する空気が紛れ込んで来たような不可解さにゼニアは戸惑った。


 そこからまたしばらく、痛みに耐える時間が続いた。

 時の流れも既に定かではなかったが、少なくともしばらくのように感じた。


 何て()()の悪い死に方になってしまったのだろう、とゼニアは思った。

 逝けそうで逝けない。

 ただ辛いだけの意識を保ちながら、網に残る海藻のように最期を待っている。


 いっそのこと、自分から落ちていこうか。

 (かえ)って、楽なのではあるまいか。


 身じろぎをしたその時だった。


 無数にあった穴のうちの一つから、何かが炎を突き破って飛び出して来た。

 生き物の形をしていた。

 逃げ遅れて尚且(なおか)つ生き残ってもいたエルフが、不幸にも出口とは反対の方向に辿り着いてしまったのだと思った。だがそれはヒューマンだった。風魔法で浮いていた。


 その影が、フブキに見えた。


 ふらふらとした飛び方をしているのに、魔力は今までに見た中で最も強い輝きを放っている。何かを探すように空中でくるくると(ひるがえ)り、やがて、ゼニアと目が合った。周囲の炎を刺激しないようゆっくり飛行し、影はすぐそばに降り立つ。


「情けねえ。あんたらしくもない」


 くっきりした幻覚だった。


「おいなんだこの怪我……」


 と言ったものの、すぐにフブキは魔力切れを察したようだった。あるいは予想していたのかもしれない。どちらとも取れる反応だった。


「ったく、ひでえ有様」


 脇の下に手を差し込まれて、ようやく現実感を得る。


「……好き勝手……言わないで……」

「おお、元気でよかったよ」


 立たせて肩を貸すつもりだったのだろうが、ゼニアにそれだけの力も無いことがわかると、フブキは背負うために色々と試行錯誤し始めた。あちこち動かされ、かなり痛みを伴う。もう殺してくれと言いたかったが、そのための気力を捻出できない。


「どうして……来たの……」


 ゼニアの問いを、フブキは無視する。さらに続けた。


「あなたも、死ぬ……このままだと……、やめなさい……」

「――嫌だね――」


 狭い肩だった。身体(からだ)を預けるというよりは、必死にそこへしがみつかなければいけないような、そんな背中だ。フブキはやはりふらつきながら、ゼニアをなんとか担ぎ上げた。


「クソ、重いな……」


 失礼なことを言って、離陸する。

 これまた弱々しい風である。本当にヒューマン二人分を乗せていいのだろうか。


「頼むから落ちないでくれよ」


 不吉な雰囲気を漂わせたまま、元来た通路への降下を始める。


 自分も魔力を消耗した上で駆けつけたのだろうから、頼りない魔法の行使になっているのはわかるが、それにしては輝きの眩しさがおかしい。目に見える魔力と、引き起こされている事象が釣り合っていないように思えた。


 まるで、飛ぶのとはまったく別のことに力を割いているような感じがあった。


 何に?

 決して厳つくはない体躯の強張りに触れながら、ゼニアは考えた。


 ――もしあるとすれば。

 それこそ、世界樹を――。


「どうして……」


 訊かずにはいられなかった。


「どうして……止まったの? どうして、まだ……この樹は地面にぶつかっていないの……? 何が……どうなって、いるの……」


 フブキはまたも無視した。

 答えを示されない方が良いのかもしれなかった。


 ただ、そこには逡巡の気配があり、ゼニアはそれが終わるのを待った。


「――下から風を当ててる……はずだ……」


 絶句する。


 なんという――。


 フブキの自信なさげな態度もそうだが、そんなことを起こしうるのかという驚嘆があった。しかし、立ち昇る魔力の輝きはその言葉に説明を付けている。


 そもそも、例の精神魔法を司る少年との交戦を経ているのではないのか? いや、ゼニアはその現場を見ておらず、また確約された出来事でもないが、激突の可能性は非常に高かったはずだ。もしそうなっていなかったとしても、他の目標が山ほど見つけられる。こんな事態のために魔力を残しておけるほど余裕のある(いくさ)ではない。


 力尽きていてもおかしくはないのだ。

 なのに、竜巻でさえ不可能な芸当をやっているとこの男は言う。


 一体、心のどこから、これだけの魔力を取り出しているのか――。

 そんなゼニアの疑問に対し、フブキは先手を打つように、


「もう訊くな。俺にもよくわからない」


 炎が全てを焼いてしまう前に、ここから脱出する。

 だが、フブキが通ってきた穴は、風で突き破られた時よりも、さらに激しく燃え上がっていた。火が点いているというよりも、そこから無限に紅蓮の魔力が噴出しているかのようであった。


 フブキは、その遥か手前で滞空した。


「……悪い。もう一度あそこを通れる気がしねえ……別ルートで行く」


 原則として、魔力は消耗されるものだ。

 刻一刻と、燐光が弱まっていることにはゼニアも気付いていた。ここへ辿り着くまでにも相当に魔力を支払っているはずだ。ほとんどを外へ切り離した魔法のために捧げているというのなら、移動さえも最低限の性能で済ませてきたに違いない。


「もう少し簡単そうなところを……探そう」


 来た時と同じことが出来ないというのは、ありえる話だ。


「一番近い入口を選んだから偶々(たまたま)あそこに出たが、何も、必ず飛んで動くことはない。歩けるならそれでいいんだ。()へ向かっていくんじゃなくて、()に行こう」


 不安な浮遊が続き、ほどなくして、そのための穴も見つかる。

 比較的、炎の勢いが弱い地帯だった。


「ほら……」


 着陸したフブキは、曲面になっている坂を駆け足で少し登り、穴を塞いでいる炎を加勢しないよう、優しく風で払ってから、先へ進んだ。


「よし!」


 その通路は、今度は下り坂になっていた。

 フブキはゼニアを背負ったまま走り始める。男にしては体力がない方だ、訓練を積んでもそれはあまり変わらない……この調子が外まで続くのか気がかりだが、身を委ねる他ない。


 駆け下りていく間にも、フブキの煌めきはどんどんと薄れていった。元々荒かった呼吸もその度合いを強め、足こそ止めはしないものの、肩でする息が慢性化し、ついには絶え絶えと悲しい。


 ゼニアの内から、何か声をかけなければという衝動が湧き上がってきたが、堪えた。頑張ってというのも、無理をしないでというのも、謝るのも急かすのも、言葉は何もかも適切ではないように思えた。そもそも、切羽詰まったフブキに返事を強いてしまう。


 再び、世界樹の傾きも微かにだが増えてきた。

 支えているという風の勢いが負けているのだろう。フブキの焦りをゼニアも感じた。


 複雑で、平坦でもない、蟻の巣のような通路を、しがみつき、よじ登り、炎を宥めて、時には跳ねてまでして、一歩一歩、力強くなく――そう、この男は力強くないのだ。全て他のことに使っていて魔法の助けがない、素の状態の道化師の、この覚束(おぼつか)なさたるや――それでもなお踏み出していくフブキの小さな背で、ゼニアはただ、目頭の熱さを感じていた。


 どうして。

 どうして、こんなにも――。


 忠誠か? それともゼニアが死ぬと自分の立場も危ういからか? それにしたって、共倒れになってしまっては、何にもならないというのに。どういう情念が作用して、このような行動に結び付く?


 まるで、そう本当にまるで、この男は――。


 不意に、フブキから感じていた僅かな膂力(りょりょく)が、どこかへ抜け落ちていくのを感じる。


 辛うじて、顔からは避けていた。だが豪快に、二人は倒れ込んだ。


「……フブ、キ……?」


 返事はない。静かだ。

 なんとか少し揺さぶっても、反応しない。


 ついに、力尽きてしまったか。

 限界を超えて――まさか――命果てるまで、活動してしまったのか。


 だが、そんなゼニアの予想に反し、フブキはすぐに息を吹き返した。


「……ぐあーっ、いってえ! クソっ!」


 顔を上げ、やり場のない怒りを前方へ発散するかのように、叫んだ。


「――この馬鹿! こんないいところで気絶するか!? フツーさあ!」


 ゼニアを担ぎ上げ直しながら、怪我がないか具合を確かめている。


「最後までちゃんとやれよな……おい、大丈夫かあんた」

「ええ……」


 突然のことが続いて少し混乱したが、もうゼニアにはわかっていた。

 前にディーンで遭遇した、もう一人のフブキだ。


 あの時は酒に呑まれて出てきたが、今回は力尽きた結果、()()()()()()のだろうか。


「いやー、まったく、こんな、」


 今度は一気に、がくん、と――世界樹が傾いた。

 フブキはゼニアを庇いながら屈む。


「うわ、うわ、うわ! だから俺はそんな風得意じゃねんだって、維持できるかよ!」


 脱出が再開される。


 身体の主導権が変わったことで元気も戻ってきたように思えたが、それはゼニアの気のせいだった。フブキはみるみるうちに極限状態へと逆戻りしていた。


「何なんだよマジでえ! 自分のためとはいえ、この尻拭いはハードすぎるぜ……!」


 だが、ほんの少しだけ、足の回転が良くはあった。


「ああくそあんた重いよいいカラダしてっから!」

「……無礼者……」


 外の光が、見えてきた。


 世界樹が最終的にどのような状態となったのかゼニアにはわからなかったが、とにかく、あとは直線の道を走り切れば出られる。


「遠い……、遠すぎる……」


 歯の間から絞り出すような声で、フブキは言った。

 背負われて見えないけれども、険しい表情をしているのが手に取るようにわかる。

 こちらの彼とは非常に短い付き合いだが、らしからぬ様子だった。


 それでも、男はやり遂げた。


「オラァ!」


 最後にしっかり助走をつけて、要塞の外へと飛び出していった。


 途端に天地がわからなくなった。

 フブキからは、魔力の輝きがまだ出ている。

 だが飛んでいるというより、きりもみしながら落ちているだけだ。


「疲れた……あとは自分でやんな」


 またフブキの身体から(りき)みが抜けた。そしてすぐに戻った。


「あ? ああ!? なん……何だ!? うあ――!」

「フブキ制御を早く!」


 反応は早かった。


「ぐ――」


 ゼニアはそれを見た。

 目に見える暴風を見た。


 世界樹は完全に折れている。

 それを持ち上げるように、フブキの魔力で彩色された空気の乱れが踊っていた。

 この世のものとは思えない光景だった。魔法の輝きと炎の(あけ)が混ざって、荘厳な雰囲気を演出しているかのようですらあった。


 続いて、飛行が安定した。

 戦いは何がどう推移したのか、完全に交戦が無くなって、両陣営は意図も不明な移動に集中しているかと最初は思えたが、風に煽られてこの(のち)どう転ぶとも限らぬ世界樹の残骸から、出来る限り遠ざかろうとしていることはすぐに見て取れた。


「――こいつで仕上げだ」


 風向きが変わった。


 そのままでは蛮族の村とヒューマン同盟軍に倒れ込みそうな世界樹は、これで決定的に方向を変えられた。風がすぐに消えるということはなかった。急にあれだけの物体を地面に叩きつけることになれば、計り知れない衝撃が周辺地域を襲うということがフブキにもわかっているからだろう。


 二人は高度を下げていった。

 それと比例して、暴風も徐々にその勢いを弱めていった――というより、フブキの魔力が、緩慢にではありながらも、底をつこうとしていた。


 着陸は荒っぽくなった。


 ゼニアはフブキの背中から投げ出され、転がるに任せた。

 痛みに目を瞑りながら起き上がったその時に丁度、要塞が――両軍を隔てるように、しかしふわりと、崩れ落ちた。


 それでも、衝撃が伝わってきた時には強い地震と同等の揺れがあった。

 土と砂が空高くまで、(めく)れて伸びるように舞い上がった。


 それも風のおかげかわからなかったが、倒れた世界樹はそこで止まらず、奥の方へ約半回転だけ進んだ。ゼニアはそれで少しでもエルフが潰されていることを願った。


 片腕と片足で、フブキのところまで這っていく。着地してから身動きをしていない。

 手を当て、胸が上下していることに安堵する。

 ゼニアはその胸の上に倒れ込んだ。もう指先の一つも動かしたくなかった。


 遠くから、涙と鼻水に(まみ)れたジュンが駆け寄ってくるのが見えた。

 そこでようやく、ゼニアは命を拾われた実感を得た。

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