9-21 太陽の消失
「では、参りましょうか」
外で宣言した通り先頭に立とうとするフォッカー・ハギワラを、ゼニアは手で制した。
「考えを変えました。ここは私とジュンで前に出た方がよいでしょう」
「――は、しかし……少々危険かと。我々の侵入は既に知れ渡っておりましょうから、敵の抵抗も外の比ではありますまい」
「だからこそ、ここでは皆の盾として立ち回ってもらいたいのです、ハギワラ殿。出たところを狙い撃ちにされますから……。上の足場を掃除する間、被害をなるべく減らすためにはそちらの方が良い」
「ふうむ……」
ハギワラは悩むような仕草を見せたが、すぐに、
「わかり申した。そのようにいたしましょう」
「いい? ジュン」
「了解しました!」
姿勢を低くしたまま、床に手をつく。
「同時に出るわよ。一、二の――三!」
穴ぐらを抜け出すと、待っていたとばかりにエルフが矢を放つ。昂揚はない。水を踏みしめる。迫りくる脅威は、全て把握できている。二百十七本。うち二十一本がゼニアを、十七本がジュンに当たる軌道となっている。多少重なるように動けば凌ぎやすくなるだろう。残りのほとんどはやはり出入口と、階段の一段目付近を狙ったようだ。拍子をずらすため、さらに三百四十九匹が矢を番えたまま待機している。
確かに、ゼニアとて全身に刺さる予定のものを防ぎ切ることはできない。剣で叩き落とすにも限界がある。だが――どの矢も、肌に届くことはない。ゼニアは視界を魔力で塗り潰す。その膜を通り抜けようとする全ての矢に燐光が染み込み、戻っていく。エルフ達が驚愕しているのがわかる。ゼニアとジュンはゆっくりと空中に留まっている矢の間をすり抜けて、さらに歩を進める。指す。
「あっちの足場に繋いで!」
「はい!」
半端に出ていたままだった階段の残りが完成する。五段飛ばしで行く。予想より深く踏み込まれたせいか、エルフ達は慌てて次の矢に手をかけるが、その時にはもうゼニアはバルコニーに侵入している。三十七匹。ここでなら有効ということで短めの槍を装備した兵士が十二、しかし漏れなくそれを投げてきた。その中の一本を手繰り寄せ、手前にいたまだ矢を握ったままの弓手を刺して、手放す。
ゼニアは隕鉄の剣を抜いた。
その場にいるエルフ達は全員が白兵戦に切り変えようとしている。三匹の肘から先を落とす。とどめはジュンに任せる。最奥の指揮官らしき個体へ向けてほぼ一直線に進むが、思っていたより斬りかかってくる者が少ない。特に刃同士がぶつかり合うようなこともなく、傷だけ与えて突き飛ばす……を繰り返すうち、辿り着いた。
跳躍してすれ違う。
戦場で本来あってはならないはずだが、間があった。その光景を受け止めるためか、はたまた乱されてしまった呼吸を整えるためか。エルフの首は転げ落ち、それを目で追った者から順にゼニアは同じ末路を辿らせることにした。さらにそれを見た何匹かは逃げ出そうとしていたが、そのための道をもうゼニアが塞いでしまっているし、彼らの背後にはジュンもいた。さらに上の方には、同じ素材の坂や階段でそれぞれが繋がっているバルコニーもあったが、ここは孤立していた。二人しかいないが、挟み撃ちの形になった。
魔法使いがいなければ、こんなものである。
ゼニアとジュンはエルフを血祭りに上げ、その間に、隊が少しづつあの狭い通路から這い出ていった。それを見守りつつ、次へ、次へと高度を上げていく。
最初こそ両方への対応を心がけるような素振りを見せていたエルフ達だったが、ゼニアとジュンを迎撃するか、隊を消耗させるかのどちらかに的を絞らなければ、望むような成果は挙げられないということに気付いた。しかし、皮肉にも侵入者に四方八方から矢を浴びせるための構造が、それを妨げていた。
ゼニアとジュンは遠距離からの攻撃がほとんど通らず、強引に白兵戦へ持ち込んでしまうため、細かく設定された持ち場が、却って各個撃破を容易にしていた。
また、エルフ達にできる激しい攻撃の上限が、世界樹を著しく傷つけてしまわない程度のものであるということも追い風だった。途中から立ちはだかる魔法使いは、実力で言えばせいぜい殺生級で、それも歩兵同士の戦いに特化したような者ばかりであった。
正味のところ、これを相手するのに、苦は感じない。かなり束になってやっと厄介な存在になるが、ジュンと連携すればすぐに解決の糸口が見つかる。あれらの魔法家が騎士としてもそれなりの実力を兼ね備えているのなら話は別だが、目下のところ何匹かが一太刀なら受けられた程度で、勝負からは、遠い。
所謂精鋭と呼ばれるような兵士達は、全て外で本隊として戦っていると考えた方が自然だろう。そもそも大した戦力がこの要塞には用意されていないというわけだ。侵入を想定していなかった敵の裏をかくことには成功したようだが、逆に考えれば、敵はこの砦さえも重要なものとして捉えていない可能性がある。
少なくとも、今はもう、既に。
やはり時間を稼ぐためだけの、まやかしの要塞だったのではないかとゼニアは思う。であれば、それを攻めている意味とは何か。こうして同胞を、巻き込んだ異界の人々を、危険に曝すだけの価値が、甲斐が、この編成された隊と与えられた任務にあるというのか? ゼニア・ルミノアの戦いに、これは必要な行動なのか?
殺しているだけで楽しそうなジュンを、少し、羨ましく眺める。ナイフは温存しておくよう、出発の前によく言い聞かせたはずだが、どうでもよさそうな相手の目に刺して喜んでいる。もがくそのエルフを蹴倒して、胸に剣を突き立てた。そしてナイフを回収しないまま、興味を移してしまう。次の犠牲者は小柄な女で、下顎を吹き飛ばされた後、首根っこを掴まれたまま、下へ捨てられた。体格で勝っていれば、ヒューマン対エルフでもこのようなことが起こる。
ゼニアもエルフを殺す時、喜びは感じる。しかしそれは自分の内から湧き上がってくるものとは違う。ゼニアはエルフの死を捧げている。奪われた家族、家臣、国民、そして、そして――ともあれ、報告のような儀式だ。エルフの死を通じた交信。先に逝った人々との繋がりを保つのに、一番いい手段。そのような、喜びである。快楽とは違う。ジュンの表情に現れるような、気分の良さはほとんどない。
復讐のためだ。
フブキもまた、恨みがあって風を起こす。あの男は今、心にどのような形を抱えながら戦っているのだろう。恨みというのも、一面を言葉にしただけだ。衝動を数量で計算することはできないが、彼が持つそれは最も巨大であるように思える。それも、気が狂わないまま――感性も思考も常人のまま、魔法だけが、災いとなっている。
フブキなら、この仕事でも徒労だと思わずにこなすのだろうか。
近道も遠回りもなく、全てのエルフをこの地上から消し去るために、どれも必要なことであると述べながら。ゼニアを戒めるだろうか。エルフヘイムをぶっつぶすなら、当然やるべきことだと。
それしか救いはないのだと。
「姫様、あれ……」
もう何度目になるかわからない屍体の山から、ゼニアは目を上げた。
耳の長い生き物の中にあって、ゼニア達と同じヒューマンの耳を持った生き物が、風魔法家の加護を受けながら、上層より舞い降りてくる。短髪の少女。顔つきに、客人の特徴がよく出ていた。
直感だが、あれが太陽を制御している使い手のはずだ。
ゼニアは隊を確認した。全員が通路から出て、確保したバルコニーまで辿り着き、各々の判断で応戦、あるいは防御している。後はここから展開していくだけだ。
急に、空間が暗くなった。
太陽が消えた。
完全に闇に包まれるわけではなく、やはり世界樹の表面が淡く発光している。
声が届くのかわからなかったが、ゼニアは叫んだ。
「総員、最優先で今の足場から離れろ!」
再び明るくなる。炎に照らされる明るさだ。見上げると、先程まで輝いていた太陽を十分の一ほどに縮めた物体が、二つ、少女の手のひらの上で踊っていた。その両方共が投げ落とされる。
わけがわかっている隊員の多くは、許容量を遥かに超えてはみ出そうになっても構わず水の階段に殺到した。だが状況を察するまでに至らず、行動も最後まで起こせなかった数人が、取り残された。
彼らは呑み込まれた。圧倒的な炎の渦が控えめに弾けて、しかし猛烈な燃焼をバルコニーにもたらした。悲鳴さえなかった。その足場が焼け落ちるのに、さほど時間もかからない。ゼニアは急激に発生した熱が自分のいるここまで上がってくるのがわかった。
既に制圧されたバルコニーなら、破壊してもいいということか。確かに、それでこちらを一気に全滅させられるなら、有効な手段だ。そこまで調節できるのかはわからないが、延焼も心配するような規模ではない。
すぐに次の火球が辺りを照らす。
「させない!」
ジュンが精度の高い水を何発か撃った。
少女はそれを炎で払いのけると、今度はこちらへ向けて、火球を落とした。今度はジュンが大量の水でそれを打ち消すことになった。蒸気で視界が埋まる。
「あれは私達で処理しましょう。もっと上へ」
「はい!」
ジュンが新たに作った階段を上がると、さらに別の風魔法家に率いられた、ヒューマンの集団が現れた。隣界隊よりも随分少ない。そして皆、年若かった。
「おろして!」
短髪の少女が言う通りに、風魔法家は着陸させる。
「ふふ……ようこそ! と言った方がいいかな、一応……」
不敵な笑みを浮かべ、少女は蛇のような細い炎を従えた。
これまで散々邪魔をしてきた炎の使い手が、ジュンよりも若い見た目をしているとは、驚く反面、妙に腑に落ちる部分もある。
これがエルフお抱えの客人部隊ということか。
「あんた、もしかして例のお姫様?」
こちらのことも知っている。どこまで?
「だんまりか。まあいいや。コノハのところへは行かせないよ。ここから逃がしもしない。あそこで帰ってればよかったのに、なんで苦労してまで来ちゃうかなあ……」
「この世界樹の主は?」
「え?」
「あなたではないはずよ。この木を育てた魔法家は、どこにいるのかしら」
コノハというのがおそらく目的の魔法家だが、確認しておくに越したことはない。
「……だから行かせないって言ってんじゃん。どうせ殺すんでしょ?」
「そうね。取引の余地は、きっとないわ」
「あっそ。じゃ、そっちに死んでもらいましょーか」
そう言って、少女はゼニアへ向けて炎の蛇を飛ばした。恐るべき速さであった。ジュンが魔法で割って入ろうとしていたが、とても間に合わない。ゼニアは仕方なく、自前の防御手段でもってこれに対処した。おそらく本作戦最大の障害が現れたこの際である、一瞬戻して隙を作るようなけちくさいことはやめて、魔力の払いどころへ素直に注ぎ込むべきであろう。
ゼニアは再び、魔力の膜を作った。炎を捕まえる。勢いは萎え、炎そのものも萎み、やがて消える。長い時間をかけて起こした火なら少々厄介だが、あのようにごく短時間で出てきたようなものなら、むしろゼニアには好都合である。戻す時間が短くて済む。
「時間が勿体ないから、降参するならなるべく早くして頂戴」
少女は、あからさまに不機嫌な顔となった。




