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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第9章 世界樹の要塞
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9-19 炎上

「――何だ――!?」


 無視できるようなものではなかった。

 ここからがいいところだったのに、何故だかその音は俺の動きを止めさせるだけの力があった――胸騒ぎがしてどうしようもなかった。


 世界樹が燃えている。

 まだ一部分だけだが、それは異様な光景として俺の目に映った。

 何かがおかしい。これはおそらく想定外の事態だ。


 世界樹が損傷している、それはいい。しかしこちらの立てた作戦は、あれを支えているであろう術者を狙う、というものだ。素早く侵入し、素早く仕留めて、素早く脱出する。後々のために機能を喪失させておくことが目的であって、今この場での打ち壊しを達成しようとするものじゃないし、限られた戦力でそんなことはできない。あれは強襲部隊が引き起こしたことではない。世界樹へ辿り着くまでに、俺達は炎の使い手から散々攻撃を受けている。あのレベルの火事――容易に結びつく。


 俺はふと、自分が本格的に戦い始めてから、どれほどの時間が経ったのか正確には把握していないことに気付いた。姫様達と別れてから、デニー隊をサポートし、シンを誘き出し、それから一体どれだけ長くこの少年と戯れていたのか、自信を持てるだけの感覚がない。意識的にカウントするだけの余裕がなかったのも確かだが、しかし、あまりに夢中だった。要塞の中でどれだけ事態が推移したのか見当をつけられない。既にこちらの目的は達成されたのか、それとも――首尾よく事を運べず、まずい状況に陥った末の、あの炎なのか。不吉な予感が、俺を呼び止めたものの正体ということか?


「ハナビ、か……?」


 突然言い出した上に、似つかわしくない形容だった。

 恐怖でシンの頭がおかしくなったのだと俺は思った。実際どうか調べる気はないが、言動が支離滅裂になるのは典型的な症状として説得力があった。


「どうして……焼くんだ……」


 燃え始めた世界樹に一番気を取られたのは俺なのかもしれなかった。

 爆音が轟いていたその瞬間は、戦場の喧騒も一瞬静まり、特にエルフは仮とはいえ()(どころ)に異変が起きたせいで嫌でも注意を惹きつけられていたような気がしたが、今はもう目の前の敵で精一杯という雰囲気に戻っていた。俺の近くにいたエルフはとにかく危険ということで蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、全体としてはあまり目立っていないのではないだろうか。


「行かなきゃ……」


 シンが立ち上がった。


「案内してくれるかい、アーデベス卿のところへ」


 水を差されてしまったように感じながら、よろめく少年を眺める。傷口に魔法の光を当て、骨をぎしぎしと鳴らしながら再生しているようだが、あの調子では一日仕事になるだろう。


「考えてみれば不思議だな。治癒魔法はいいものを持ってないのか? それこそマイエルに()()()もらえるだろうに。あれはすごかったな。一瞬で治しやがる」


 シンは俺を睨みつけながら言った。


「あの人の心は読んでない。読まない」

「あのヒト、ね……」

「あんたを連れて行くことはない。そんなに会いたかったら、自分で探せ」

「じゃあどうする、次のラウンドに行くか? ちょっと無謀じゃないか?」

「腕一本くらいで、勝ったと思うな」

「止血に魔力を使い、治癒に魔力を使い、また移動に風を使い、心を読みながら、その上さらに俺と戦えるだけの余裕が、今の君にあるとは思えないな。片腕なくなって痛いだろ? 集中力を保とうとするだけで気が遠くなるような状態じゃないのか? 痛みをカットする魔法も覚えてるってんなら話は別だが、どのみち複数の魔法を同時に扱うのはしんどいと思うがね。これまでの君の戦いぶりを思い返してみると、四つや五つを並べて出すってことはやってこなかったような気がするな。少なくとも十個使ってこないのには理由がある。とても難しいか、できないかだ」


 これだけ説明すると、さすがに少年も黙った。


「二つ選択肢があって、一つは、既に言ったように、マイエルのいるところまで俺を案内することだ。君は観念しておとなしくやってもいいし、追いかけっこという形で勝負してみてもいい。それは自由だ。もう一つは、例えば運搬魔法で姿をくらますといったやり方になる。そういうことをされると、俺としては手の打ちようがない。視界の範囲で出たり消えたりしてくれるならまだ対応できるが、地平線の彼方へ逃げ去られたらそれまでだ。この選択肢を採用した場合、自動的に俺の残り魔力の使い道が決まる」


 朦朧とした頭でも、俺が言っていることの意味はわかるだろう。

 邪魔が入らないのなら、遠慮なく支払えるという話だ。


「前者が賢明だと思うが」


 すぐには殺されないという予測が、いくらか少年の恐怖を和らげているようにも見えた。俺はどちらの返事に関してもあまり期待していない。所詮これは奴の選択肢を狭めるために提示した選択肢で、ただの誘導だ。またしてもマイエルを取り逃しそうなのは非常に悔しいが、それでも、最優先でやるべきことだとは思えなくなっていた。


 魔力以上に、時間が残されていない気がしていた。

 物足りないし、名残惜しくもあるが、千載一遇の機を逃すというわけでもあるまい。

 今、それほどの不安があった。

 そろそろ状況を畳んだ方が賢明だと、勘が囁いている。


「おいそんなに悩むことじゃないだろ」

「――どちらを選んでも、あんたの目指すところは変わらないんだろ。オレが死んでも、マイエルさんが死んでも、それがどの時点だったかという違いだけ……最後には全て壊そうとする人間の言うことに意味なんてない。願い下げだ」


 シンは腕の治療をやめた。


「あんたの言葉通りにはさせない」


 俺は俯き、足元の乾いた土を少し靴で(こす)って、溜め息をついた。


「わかった。じゃあ後悔しろ」


 力なく、片腕を上げてみる。


 この怒りによって噴出する魔力も、決して無尽蔵ではないことがわかる。それだけこの魔法は消耗する。俺はゆっくりと浮かび上がると、風を集めることと生み出すことの両方を始めた。とにかく上へ向けた昇る風を軸に据える。そこに集めた風を遊ばせておき、渦になってくれるよう、ちょっとした手助けをする。


 風によるスピーカーも作って、誰にでも聞こえるように、俺は叫んだ。


颶風(ぐふう)来たれり! 繰り返す、颶風が来たれり! これはエルフにのみ迫る災い(なり)、さりとて寄る者を区別する能無き也、心あるヒューマンは全て(いや)しきエルフより離れるべき也これ警告也最も肝要也。重ねて平易に言うがこれよりエルフに近づく者これ全て竜巻の餌也! 直ちに動くべし、待つことはない!」


 ヒューマン軍の動きは早かった。

 歩兵が向きを変えたり後退するのは大変なのだが、最前列で血を流す兵士から後列の方で待ちたくもない出番を待っていた兵士まで全員が揃って逃げようということになると、詰まったり玉突きにならず動けるようだった。俺の意図が一度に伝わったからなのかもしれない。もちろん追撃は受けるが、少しでも身軽になろうと武器を捨てる者続出で、目の前の敵に拘泥する兵士は少数派だった。騎兵はもっと一目散に逃げた。拾えれば三人乗りや四人乗りまでやってのけ、巨石を投じていたゴーレムもそれに倣い何人も手や肩に乗せて運んだ。各々、現場の都合があったと思うが、いきなり捨てさせることになって申し訳なく思う。


 エルフ側ももちろん俺の宣言を聞いたが、こちらは不思議と足並みが揃わなかった。それこそヒューマンは総崩れとそう変わらない振る舞いをしており、ここで一丸となって蹂躙すれば鏖殺(おうさつ)も夢ではない状況となった。しかし現実は深追いしてしまった部隊が思い出したように各個撃破されているような有様で、被害は確実に与えているものの、全体として見れば決定打からは程遠い。意外なほど消極的な姿だ。


 正直、全軍を挙げて付き纏い続ける、という戦術を取られたら、友軍に手は出せぬと宣言を撤回して自重するか、犠牲を覚悟してでもマーレタリア軍を薙ぎ払って強引にこの戦闘を終わらせるくらいしかなかった。


 これはもう想像するしかないが、自分の行動が有意義かどうかで明暗が分かれたのではないだろうか。ヒューマンは、逃げ切りさえすればきっと助かる。エルフは、必死こいてそれを追ったとしても、きっと死ぬ。ヒューマンを無視して逃げようにも、逃げ場所が無い。頑丈そうな頼みの世界樹は燃えている。逃げれば助かるのと、逃げても助からないのでは雲泥の差である。元々戦いというものは非生産的だが、巻き添えにするためだけの前進などさらに非生産的、奮い立てと言って行動に移れるものではないということだろうか。エルフ民族の一般的な意識が、それはそれで有意義とするような発狂ぶりであれば、また違った展開を見せたかもしれない。


 ヒューマン同盟の避難がスムーズだったおかげで、こちらも自然に魔法を解き放つことができそうだ。風は順調に発達し、巻き上げた土の色が付いてその実体を現した。


 大口を叩いた割には、シンは今のところ俺の邪魔をするような気配は見せず、ただ気流が育つままにしている。その代わり、魔力の練りだけを分厚く続けているようだ。何を企んでいるのか知らないが――防げるものなら防いでみるがいい。


 俺はもう一度声を響かせた。


「――始めるぞ」


 竜巻は雪だるまと似ている。みんなが共感するかは別として、俺の持っている感覚はそんなところだ。送り出す時は、坂へ転げ落とすようなつもりでやる。動きは制御できる。でも、勝手に育つのだ。


「さあ、いけ、いけ、いけっ」


 誰もが俺のいる空を見上げているような気がした。天と繋がる塔を見上げているような気がした。世界樹の大きさにはまだ劣るが、それでも見上げるに値するはずだ。


 それは引き寄せられるように進んでいく。エルフが招いている。


 魔法ありの戦はこれが恐ろしい。

 魔法同士がぶつかり合っているうちは、どんなに激しかろうと、まだまともだ。

 戦力のバランスが崩れ、一方がもう一方の魔法を抑える手段がなくなった時、惨劇が始まる。咎められずに残った魔法の力は、魔法を持たぬ者達へぶつけられることになる。

 それが今。


 出し抜けに、シンが俺と同じくらいの高さまで飛び上がった――手負いとは思えない輝きを見せながら。


 目には見えないが、俺は奴が纏っている風を感じた。飛ぶための風以外に、もう一つ別の種類を伴って。それが何かわからかった。自動で飛来物を逸らすための、俺もよく使うアレじゃないとは思う。攻撃でもない。もっと別の――厄介そうな。


 奴は速度を増し、一直線に竜巻へと、突っ込もうとしていた。


「……そういうことか……」


 その動きで大体何がしたいのかわかったが、打てそうな手を思いつけなかった。


「まあ、いいか」


 俺は予定通りに竜巻へ命令を下した。


 九つに分裂させた。


 この期に及んで小さく割るなんて、ケチくさいことはしない。同じ大きさのまま数を増やす。一本の塔だけでマーレタリア軍の全部を追いかけるなんて非効率極まりない。


 シンは増えた竜巻を見て少し速度を落としたが、再び加速する。

 奴が最初の一本を通過すると、それは霧散した。


「おあ……?」


 続いて二つ目に突入し、全く同じ結果が繰り返された。


「んだそりゃあ!」


 だが、そこで勢いに(かげ)りが出た。


 三本目は問題なく消したが、四本目は、通過してもすぐには消えなかった。奴は弾き出されるような形で、速度もかなり殺され、五本目に入ろうとしなかった。四本目の竜巻は力を徐々に弱めていき、目標の群れに触れる直前で消えた。


 シンはへろへろとした飛び方のまま落ちて、失くした腕の傷口を(かば)うように着陸した。二度、バウンドがあった。魔力が尽きたか。俺もほぼ同じようなもんだが。


「焦らせやがって!」


 残る五本の塔は、それ自体はゆっくりと、しかしちっぽけな二足歩行生物としては相対的に逃れられない速さでエルフの軍勢を飲み込んでいった。馬も花もゴーレムも共に、上へと吸われる。だが天に辿り着けるわけではない。運悪く(どうかそう言わせて欲しい)エルフから離れることができなかったヒューマンの部隊もまた、同じ回廊を辿った。


 世界樹から爆音が轟いた。


「おい、」


 今度は着火の瞬間を目の端で捉えることができた。そして完全に注意をそちらへ向けた時、次の炎がまたすぐ上の部分から漏れ出した。間を置かずさらに炎が上から――それが続いていく。


「おいおい、おい……」


 まるで連鎖しているかのような呑み込まれ方だった。


 最早、世界樹は上から下まで全て、火の回っていない階層はなかった。枝や葉にさえそれは燃え移り、無数の火の粉が降り注ぎ始めた。


 花火。

 俺は唐突に、その単語が人名であるという可能性に思い至った。

 変わってはいるが、ありえなくはない。


 シンを見た。

 そこにいるのはシンだけではなかった。少し目を離した隙に、何者か――エルフの女が屈み込んでいて、もう魔力も練っていて……シンごと消えた。


 俺は竜巻を全て消した。


 本当なら奴らを根こそぎにしてやるつもりだったが――しかし、半数以上は殺った、ここまでだ。強襲部隊の安否を確認しにいく。全速力で飛ぶ。


 ヒューマンの軍勢の中に、見知った顔が無いか探す。

 今度こそ、誰もが止まっているように思えた。戦いの中にあって、戦いどころではない光景を目の当たりにしていた。


 こちらに大きく両手を振る奴がいて、よくみたらデニーだった。俺はそこに降りた。


「やべぇことになったな!」

「デニーどれぐらい時間が経った、姫様と皆はどこだ、戻ってきたか!?」

「――見ていない。おれ達は相当あちこち駆けずり回ってたから、見つけてもおかしくないんだが……」


 何も言えず、俺は要塞に向かった。正面からはヒューマンの姿は認められなかった。遥か手前に、傷ついたエルフの軍団が散らばっているだけだ。助けを求めて誰かが窓から顔を覗かせているということもない。


 裏手に回ったところで、ようやく、地上に降りてきたジュンと部隊が固まって火の手から逃れようと走っているのを見つけた。彼女はフリフリの服だからよく目立つ。


「脱出できたのか!」


 安全と思われる距離まで来たところでジュンに声をかけ、着陸する。


 皆の顔をみた。さすがに元気そうではなかった。当たり前だが疲労の色が濃い。しかし、それ以上に、何か、引っかかっているような雰囲気が漂っていた。


 何人かは欠けている。――残念だ。何人かで済んでいることが奇跡だとしてもだ。両手の指を埋めはしないだろう。


 ともあれ、まずは生きて戻ってきてくれたことを喜ばないと。


「やったな、間一髪ってところか……?」


 ジュンは黙ったままでいる。


 もう一度皆の顔を確認し、俺は姫様がいないことに気付いた。

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