9-15 おびきよせ
ムソルグスキーの気分だ。
まだ昼だが、眼下に広がる荒野にちなんで、『禿山の一夜』といこうじゃないか。
俺がいることを知らせよう。敵にも味方にも、今見えている奴にも見えていない奴にも、俺が、動いていることを知らせよう。パフォーマンスだ。
周りに風を充実させる。
通ってきたルートをなぞると、長い間孤立したため今まさに消え去らんとする騎兵隊の名残が目に入った。わかっていたことだが、明らかに、応戦している数よりもやられている数の方が多い……敵も屍を踏みながら押し込んでいる。
溜め息のような何かが出た。
一直線に飛ぶ。
遅すぎということはあるまい。どうであれ、助けを求めているならば――。
口笛が急に近付いてくるのがわかったのか、何匹かは獲物から目を離してこちらを見ている。その並んだ頭の中の一つを、蹴り飛ばす。ねじ切れた首が放物線を描き、そして転がっていく。残された身体が崩れるように落馬して、俺はその空いた席で胡坐をかいた。呆気に取られた馬鹿面を、さらに一つ選んで指を向け、そのまま風穴を空ける。
あとは恐慌である。俺の噂が、エルフの末端にまで伝わっているのかどうかは知らないが、どちらにせよ自己紹介としては十分だった。奴らは攻撃どころではなくなり、すぐに退避を始めようとしたが、させるわけがない。俺はごく単純に、風を使って素早く動き、風を使って斬る、という基本戦術を繰り返した。誰もが、信じられない、という目をしていた。もしくは、何をされたのかわからない――そういう目をしていた。本来なら、たかが空気の移動がこれほど都合のいい働きをすることはない。
今の俺になら出来る。
「助かりました。我らことごとくここで果てるものかと」
「他の部隊長は……」
寄ってきたその男は静かに首を振った。
誰も、彼らを捨て駒に使うと明言してはいなかったが、作戦内容的には暗黙の了解があった。俺がこうしてやってきたのも、お義理の域は出ない。
「あなたが参られたということは、ゼニア殿下は――」
「辿り着きました。しかも無事で」
「そうか、実ったか……我らの働きは……」
「じきに入り込むでしょう。それより、反転したデニー・シュート隊がもうすぐ来ますから――」
「あいわかった。この状態では、合流しなければどうにもなりますまい」
「私もしばらくは空から援護しますので、よろしく」
「かたじけない。それにしても、」
男はつい先程まで刃を交えていた生き物の成れの果てを眺めた。
「噂には聞いていたが、これほどとは……」
俺は宙に浮いた。口笛を再開。
上から見ると、デニー隊が追加で動かされた騎兵に横合いから殴られようとしているのがよくわかった。
俺は大急ぎでその間に立つ。
敵には勢いがあるので――一旦、吹き飛ばし。特に馬の足元を掬うようにやる。走り続けさせない。総崩れになったところでまた空を飛び、丁寧にエルフ共の眉間を、撃つ、撃つ、撃つ! まだ撃つ。けしかけた奴を後悔させてやる。全員頓死だ。
仕事に満足し、その場を離脱して、デニーに併走する。
「……いいーねえ」
「これで行けるか?」
「なんとかなりそうだ。向こうはどうだった」
「いかんね。再編成だな……もう走り出してるから、上手いことまとまってくれ」
「了解! で、おまえは」
「潰して回る」
「まあ、それが一番か。魔法には魔法でやってもらわないとしんどくていけねえ」
「そういうこった。じゃな」
結構、経っている。
遠距離での撃ち合いは尚も続くが、兵隊の塊がそこかしこで衝突を起こし始めており、そろそろ、どこも手一杯になる頃だろう。
ふと振り返ると、世界樹に貼り付いた水の螺旋階段が既に一周してきているのが見えた。胡麻の粒のような、二足歩行の物体が、目を凝らしてようやくわかる速さの移動をしていた――そこへ、炎の筒が何本か降り注ぐ。しかしどれも、胡麻を焼くには至らない。障壁、水、そして逆行する時に阻まれているのだ。簡単に防がれている――いや、簡単に防がれるような炎でしかない。地べたを這って進んでいた時に比べると、格段に弱々しいものだ。おそらく、慎重に取り扱わないと木を燃やしてしまうのだろう。
不意に、変な空気の流れを感じ取る。
反射的に両側面を固くして身を守ったが、空中で弾き飛ばされるのは、実は初めてのことだった。天地がくるくる入れ替わり、耳の奥を揺さぶられながら、俺は自分のつまらないミスを知った。ブレーキ。地面が下にあるまま、同じように空を疾走してくる間抜け共を眺める。飛行隊が仕掛けてきた。きれいに隊列を組んだ、十三機。
邪魔くさい。
「散!」
何が、散、だ。
剣を持った奴が二、槍が四、残り弓で七。一匹の風魔法に依存するのではなく、全員が独立して飛べるようだ。きっちりミサイル十三本出してやってもいいが、この先も絡まれるようであればやはり高級な手段は控えたいところ。
それにどの顔つきもまあ真っ向勝負をお望みのようなので、短い時間ではあるが付き合ってやることにした。軽く手招きをする。ドッグファイトだ。――とはいっても、エンジンのデキが違うもんで、勝負になるかというと――あまりならない。
エルフが、手に入れた情報をどう分析しているかは知らないが、このオーリンでの戦いは、三百年戦争の歴史の中でも重要な部類に入るはずだ。当然、連れて来られたのはマーレタリアの中でも主力と言っていい部隊だろうから、どんなもんかと、ガラにもなく少し期待なんかしてもいたんだが――拍子抜けというより、ヒューマンより魔法の扱いに長けていると言われるエルフの上層が、(もちろん頂点に近いところを集めたらまた別だろうとはいえ)この程度の天井にぶつかってしまうものなのだろうかと、困惑するような気持ちだ。
風魔法の専門家達だ、自分を浮かせるのなんて当たり前で、わざわざ得物を担いでくるからには、飛ばす矢にも、振る刃にも、風の恩恵が乗っている。データ収集のためにも色々試そうと、その威力がどんなもんか、受けてみた。しかし何度誘おうと、最初に不意を打たれた時以上の攻撃はなかった。全て余裕を持って止まる。口笛を途切れさせるまでには至らない。どういう角度、どういう方向からやられてみても、危険を感じない。第一、奴らは有利な位置を取り続ける能力が圧倒的に足りなかった。俺がちょっとひねった軌道を示すと、途端についてこれなくなる。同じ空を飛んでいるのに、触れる部分が少なすぎる。
得られる部分が少ないので、ケリをつけることにした。
空中戦で楽なのは、十分な高度さえあれば、わざわざその場で致命傷を与えなくても、航空不能にしてやることで自動的に生存不能にもなるという……実際にやってみよう。危険がないとはいえあちらからこちらから豆鉄砲を射られるのは厄介なので、そこから処理するのがよい。手順は簡潔である。ステップ1接近する。敵は俺に寄られたくないので、離れようとするか、風で抵抗力を作るかするが、構わずに接近する。風は風で中和できる。ステップ2首筋に触れる。ごく小規模の薄く圧縮した空気を伴って触れるのがポイントである。それにより、頸動脈まで達する裂傷が発生するので、著しく集中を欠いた魔法の使い手は当然の帰結として飛行状態を維持できなくなる。首筋を狙うのが難しい場合は、若干のタイムラグが発生する可能性は高いが、太い血管の通っている場所ならどこでも目標足りえる。他の武器を持った相手にも同様の手順で臨むが、近接武器は風に関係ない抵抗力となるので注意すること、特に剣は空中でも取り回しやすい。
以上である。
空から味方が降ってきて驚くエルフを見るのは面白い。
そうこうしているうちに、当面のターゲットにも接近できた。とかく向こうにあってこちらの陣営にないものは、砲台じみた植物系の兵器が一番。また実に想像通りの、ダンシングフラワー(まあこの世界には玩具じゃないソレもあるけど)にでかくて突き出た口をつけたようなやつがそこに生えている。何本も。とても元気に種子の弾を吐いている。自然との親和力もまたエルフの方が得意な分野だと言われているが、実態を見るとそれもまた本当のことだと認めざるを得ない。
狩りの時間だ。
宙に浮いていると目立つ。それでなくてもさっきからお騒がせなので――地上の戦力は対空攻撃の重要性を思い出したようだ。花という花、そして一部の土人形が、射撃管制装置も無いのに砲撃を開始する。数撃ちゃ当たるの精神――と思いきや、存外に自機狙いの弾が多い。花がきちんと逃げ回る俺の方を向いている気がする。いや――本当に、ある程度は狙えているのだろう。花が俺を見ている時は、皆一斉に見るので、おそらく偏差射撃を可能にするための感覚器が備わっているものと思われる。言っちゃ悪いが航空隊よりよほど脅威だ。
これは是非とも無力化しておかねばならない。ゴーレムは風で壊すのは大変なので他の戦力に任せるが、花は、どれだけ茎が太く見えようが所詮は細胞組織にすぎない。やはり切断しようと思えば切れる。呆れるほどいる射手のちょっかいも、今は自動的に風が身の回りを巡っているので気にならない。
ただ、ちょっとやそっと傷つけただけでは、すぐにマスターが植物にもう一度生命力を吹き込み、多少乱暴にでも動かしてしまうので、念入りに潰す必要があった。そしてそれは時間がかかる。さすがの俺でも全部は無理だ。そもそも、口実のためのこの襲撃に、それほど魔力を割く気もない。
花を枯らすことで多くのヒューマンが寿命を延ばすのは事実だと思うが、そのうち面倒に――どうでもよくなって、俺はエルフの軍団へ落ちていった。着地と同時に(腕は二本しかないので)二匹の頭をもぎ取り、手近な集団へ投げつけてみると、片方は咄嗟のことで反応できず、もう片方は波が引いていくような動きを見せた、そちらの方がより俺を嫌がっていると思えたので、そちらに行くことにした。
もうあまり急ごうとは思わなかった。口笛を続けながら、俺は奴らの間を練り歩いた。大体は逃げ惑っている。その背中を風で撃ち抜く作業だ。俺のピストルはすごい性能だから反動も軽けりゃリロードもいらないし、どの方向に撃っても殺したい対象がいるのでほとんど絶え間なく幸福感を味わうことができる。
しかし中には勇者がいて、絶対に勝てるわけないのに武器を構えて向かってくる。客観的に見ればアッパレと言えるだろうが主観的に見ればむしろ興醒めなところがあって、それでも特別扱いしないのは変だから、グレードの高い死に方をさせる――例えばしばらく落ちてくることができないほど遠くまで垂直に打ち上げるなど――そしてまたシューティングゲームに戻るのだが、単調さは否めない。
「はは……」
飽きて浮き上がると、おかわりで空のエルフがやってくる。単機だ。
一目見て、普通にやっても間がもたないとわかったので、俺の飛行に付き合わせるなどということはせず、逆に俺の飛行を体験してもらうことにした。風のコントロールを奪うのも簡単だった。最後は墜落させた。
案外我慢するな、と俺は思った。
「どうした、エルフが死んでるぞ。やられちまってるぞ――」
とうとう、呼びかけてしまった。
「少年! 見ているんだろう! 隠れてないで出て来いよ」
なんてつれない男だろうか。いけずである。
「聞こえないのかナルミ・シン! なあ、せっかく同じ場所にいるんだ。顔を合わせずに帰るなんて寂しいと思わないか。俺は楽しみにしていたんだぜ。君は違う?」
こうやってわざわざ風に乗せ、大音量で聞かせなければ、俺の想いは伝わらないというのか。
「君が現れないのなら、俺はここにいるエルフを殺し尽くすだけだよ……」
それが俺の正直な気持ちだ。
邪魔が入らないというのなら、マイエルも後でゆっくり探せばいい。
返答はなかった。
仕方がない。理由は思いつかないが、ここに来ていないということも、まあ……ありえないとは言い切れないことだし、
「じゃあそろそろ竜巻出しちゃおっかな」
「やめろ」
「――そうこなくっちゃあ」
振り返れば、そこにお目当ての人物がいる。
俺が道化服で目立っているように、その人間もまた、律儀に学校の制服を着ていた。当たり前のように俺と同じ高さで飛び、当たり前のように、
「一体どこから現れたかな?」
跳んで来たのだろう。
「会えて嬉しいよ」
「オレは嬉しくなんてない」
と、その少年は言った。




