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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第9章 世界樹の要塞
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9-6 二人欠けて

「敵は完全に退()いたようです」


 合流したフォッカー氏は、土魔法の鎧を解きながらそう言った。砂粒のように地面へと(かえ)っていく材料は、彼の装束にも肌にも頭髪にも、纏わりついて残るというようなことはない。


「結局、どうなったんです? こちらの被害は?」

「通常戦力は随分やられたようです。全体に影響するほどではないようですが。それを追っていくうちに、我々の隊では二人仕留めました。二人――ふたり、なんですよね……フブキ殿、あなたが言っていた通りだ」


 向こうの客人(まれびと)と戦う可能性は十分ありうる、ということは、彼にもまた説明していた。


「――代わりに出た殉職者は」


 フォッカーさんは俺の方を見ずに、右手の親指だけを折り曲げて示した。


「……そうですか……。早めに対応できたということでしょうか」

「わかりません。ただ、向こうの損害が大きかったために撤退したのは確かなようです」「そちらで二、ワタナベさんが一、お嬢様が一、姫様が一、他には?」

「いえ、確認できたのはそれで全てになりますね」

「五、か。合同の魔法隊でも被害は出たでしょうし、そうなると――」


 考えたくはないが、隣界隊の方でも死人が出ている可能性は高い。


「それはご自分で確かめた方がよろしいでしょう。行ってください。あなたが無事なのを知れば、少しは隣界隊も安心するはずです」


 と、言われはしたものの――あの気の弱い少年の亡骸に覆い被さって泣き崩れる三十代女性の姿を見ると、自分など何の慰めにもならないことはすぐにわかった。


「どうしてよォ!」


 そこには隣界隊の面々も集まっていたが、誰も女性に声をかけようとはしない。


「嘘つきィ! 結婚してくれるって言ったじゃないの……!」


 かけられるものか。

 一体、今の彼女に、言葉という伝達方法がふさわしいのかすら――。


 ワタナベさんなどは心底気の毒そうにしているが、ここで俺は同じ顔をすることができない。曲がりなりにも客人(まれびと)の集団を監督する立場の者として、動揺を表へと出すようなことは許されないだろう。それに、当然のことだが、このような事態は付きものだ。殺し合いをやろうという目的の下で、命が失われない道理はない。


 わかった上で、みんな来ているはずだ。百も承知で、織り込み済みで――魔法を開発してきたし、定期的に意思の確認も重ねてきた。


 それでも、初の犠牲者に何も感じないということはありえない。


 綺麗な死体だった。姫様が戻したそうだ。

 少年は村とテント群の間に座って夜を過ごしていた。味方のものとは思えない方向からの魔力を感知し、まずは仲間の隊に知らせようとした。それ自体は成功して、伝令が走って姫様とジュンを起こしたのだが、彼女達が駆けつける間の戦闘で早くも、まるで狙い撃ちされたかのように、少年はその生涯を閉じたという。


 女性はそれを見守る全員の代わりにわんわんわんわん泣いて、泣いて、泣いて、疲れたのか、動かなくなった。俺とワタナベさんで目配せしてそろそろ移動させようかと検討し始めた頃、ふらりと、姫様が戻ってきた。()()()()のであろう眼鏡の少女を抱いているジュンも一緒だ。

 彼女達は他の負傷者や死体にも魔法を施すため、陣を回っていたのだった。


「もう、よろしいので?」

「あとは残った治癒魔法家で間に合うはずよ」


 姫様はツカツカと輪の中に進み出て、


「遺体を移動するわ」


 あっさりと、そう言った。

 そこには暗に、どけ、というメッセージが込められていた。


 無体な――と思わなくはなかったが、永遠にこうしているわけにもいかない。

 全体として見ると、少年一人の死に(こだわ)ることはできない。


 姫様の言う通り、何の設備もないここでは死体は速やかに処理する必要があるし、襲撃で荒らされた陣を片付けてまた整える必要があるし、何より眠る必要がある。寝ようと思って寝られる精神状態ではないかもしれないが――。


 それに、できれば偵察も出した方がいいだろう。

 この襲撃自体が不思議なことだらけだし、逃げていった敵兵には追いつけないにせよ、足跡(そくせき)くらいは明らかにしておかないと不安すぎる。辿って既に敵陣が存在するのなら距離感を掴んでおかなければ話にならないし、無いなら無いで、じゃあゲリラはどこから来たのか、という謎を解く必要がある。


 女性は姫様の言葉に反応しなかった。何か考えているのかと思ったが、ただ無視しているだけのようだった。姫様は、この状況下の彼女にしてはかなりたっぷりと時間を使って待ったが、とうとう、直接三十代女性を少年の遺体から引き剥がそうとした。


 触れられた瞬間、女性は姫様の手を払いのけた。

 そればかりか、突如立ち上がって突き飛ばした挙句――倒れなかった姫様の胸倉を掴んだ(急いでいたせいか姫様は鎧を着けていなかった)。


「あんたのせいよッ!」


 筋違い、ではあるのだが。


「あの子は、あの人は、かわいそうな人生送ってきたのよ! 親に抑圧されて、教師にも庇ってもらえなくて、寄ってくるのはクソガキばかりでさァ……それでも立ち直ろうとしてた! もう一度もらえたチャンスなんだって……戦うのには向いてないけど、それでも絶対役に立つ魔法だからって、二人で頑張っていこうって、あたしみたいなの綺麗だって、愛してくれるって言ってくれたのよ! どうしてさ? どうしてあの人が死ななきゃならないのよゥ……」


 手前勝手と言えなくもないメモリーの吐露は、それでもあまりに真剣で、感情移入出来なくとも、果てのない痛みを想像することは可能だった。簡単に捨ててしまえない重量感が、魔力とはまた違ったエネルギーのようにある種の熱を持って渦巻いていた。


「あんたが――あんたたちがこんなことをしてるから、無駄に人が死ぬんじゃないの……!」


 渦は、一面の真実を突いていた。


「その通りよ」


 と姫様は言った。


「申し訳ないけれど、その通りなのよ。私達がどれほどの建前を用意したところで、戦争にあなた達を付き合わせているということは紛れもない事実。私達の都合で()びつけて、私達の都合で生き死にを左右される――取り繕わないわ。私達の利己主義の中に、あなた達はいる」


 淡々と――心の内を隠そうと、抑えようとしているときの、表情がなく、平坦な声色で、姫様は喋った。


 女性の歯ぎしりが、こちらまで聞こえてくるかのような錯覚があった。


「そんな――そんなこと……そんなこと言われたら、どうしようも、ないじゃない……もう、あの人も、死んじゃったなら……ここにいる理由なんて、あたしには残らないじゃない……」

「それも一つの答えだということを認めます。私達に去ろうとするあなたを引き留める権利はないわ。追う権利も。()()()()()もない。大切な人の死、自らの命の危険、凄惨な現場、終わりのない作業の反復、疲労、精神の負担――どれ一つ取っても、この活動をやめるには十分すぎる理由。それに勝るだけの動機を持てないのであれば、続けられないことは承知しています。私達は非難しない。誰も文句は言わないし、誰にも言わせない。何故なら理解ができるから。何故なら共感できるから。ここにいられないと心の底から思うなら、その声に従うべきよ。それは恥ずかしいことではないし、不思議なことでもない。悪いことでも、低く評価されることでもない。ただ、当然の帰結として、そこに存在するだけ」


 この手応えのなさを、女性は予想していただろうか。

 ――そうだろう。普段の姫様を見ていれば、こうしたいざという時にどういう態度を取るのかは、誰しも、無意識にでも、わかったつもりになってしまう。


「なんなのよ、その言い方。あんた、感情がないの……? これを見て、何も思わないの……? 彼に触んなっつってんのよ……まだ焼くにも埋めるにも早すぎるでしょうが……!」

「私も彼の死に心を痛めています」


 どこまでもドライに、姫様はそう言った。


「正直な私の気持ちよ」


 女性から、目も逸らさずに――ぴったりと合わせて。


 嘘じゃない。姫様の本質が冷淡ではないことを俺は知っている。

 彼女も悲しんでいる。それは間違いない。人が死んだ。当たり前だ。


 心の内にあるものを、前面に出していくというのも一つの手ではあるだろう。涙も見せるし大声も出すが、ぐらつかないで味方を鼓舞する。そういう人情派なやり方で上に立つということもできるはずだ。


「いつまでもこんなところに寝かせていてはいけないわ」


 姫様は、それを絶対しないだけだ。あるいはできないのかもしれない。


 俺は静かに進み出て、彼女達の間に優しく割って入った。抵抗はなかった。


「今夜のうちに弔ってあげましょう。状況が変わってしまったんです。明日、余裕があるとは限らない」


 俺がそう言うと、ワタナベさんとナガセさん、そしてカラサワさんが動いて、上手く分担して少年の身体を担ぎ上げた。


 女性の目に再び涙が宿って、


「ふっ、う……ふぐ、うゥ――」


 今度は嗚咽を漏らした。

 止めようと思っても、次から次へと、喉の詰まりがやってくる。


 姫様が静かに歩き出して、ジュンがその後に付いた。皆がそれを追い、女性も少年の遺体を運ぶのに参加した。俺は一番後ろで、『別れの曲』を吹いた。


 最終的に、ナガセさんとカラサワさんが協力して少年を焼いた。

 経を唱える人も、鎮魂歌を口ずさむ人もいなかった。多くは手を合わせていたものの、神仏の力は、おそらくここまでは及ばないように思われた。あるとすれば形を持った元素の精霊だが、その姿も炎の中には見られなかった。土の中にも、風の中にも。


 残った骨の欠片を、女性が一つだけ拾い、あとは全て所定の位置に、他の遺骨とまとめて埋めてしまうことになった。あまり、墓という感じではなかった。




 泣き疲れた女性の体力が戻るまでの間、ひとまず俺が臨時で周辺を警戒することにした。状況が状況なので、同盟の魔法隊から虎の子の探知魔法家を借りてくることもできただろうが、どうせ眠ることなどできそうになかった。


 偵察も朝一番で出すことに決まった。夜の間に大した効果は望めない。日が昇ってから、ゆっくりと探索をした方が安全性も確実性も(それが本当にあるとすればだが)増す。こちらの目を潰してきた敵の動きは的確だった。


 少年を焼いている間、客人達を前にして、姫様は改めてこう語った。


「私達はただ、異界からの訪問者に()()()をしているだけ。共に戦って欲しいと――本当に、それだけ」


 彼らは俺や姫様とは違う。エルフに思うところはほとんどない。

 ましてや、事前に予告されていたこととはいえ、実際に人間も相手にしてみた。


 意図せず分水嶺になった気がする。

 まだ本格的ではないが、おおよそこういうものである、という領域を彼らも体験した。

 何人残るか――。


 第二波はなく、俺の風も不穏な音は何一つ運ばないまま、空の果てが白んできた。

 そして気付いた。

 その空の白を、遮る何かがある。

 最初は暗黒の雷雲のように見えた。しかし、それは動こうとはしなかった。さらに時間が経つにつれて、その雲のような部分から繋がる、滝のような――地面へと向かって垂直に伸びる、筒状と思われる構造が明らかになった。


 巨大であることだけわかった。

 この距離から見ているために辛うじて全貌を把握できる、そんな大きさ。

 具体的に――例えば、あれと自分を比べたら大体どれくらいの差があるだろうかということが、よくわからない。なんとなく、この世界にはあれより大きなものや、近いものが無いんじゃないかという気がした。あれを測れるだけの尺度が存在しないので、遠近感も狂うし何を目の前にしているのか見当もつけられない。


 間違いなく、昨日まではあそこに無かったものだ。


 同じく夜番の見張りをしていた兵士も異変に気付いたのか、こちらにやって来て一緒に謎の物体を見上げた。俺は訊ねた。


「あれは、一体何でしょうか?」


 その男は、わからない、と言った。

 本当はわかっているが、それを自分の知っている言葉で指すのが正しいのか確信が持てない、といったふうだった。


 とにかく報告しなくてはならなかった。偵察員など用意するまでもなかった。

 エルフの軍勢がやってくると予想される方向にある。それが問題だ。


 姫様とジュンを起こし、戻ってくる頃には、太陽が全てを照らし出していた。


 そろそろ、木だということを認めなければならなかった。


「姫様、私はあの種類の木は見たことがありません。あれは何という名前のものですか……?」

「――世界樹?」


 頼りの彼女も、また疑問形だった。

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