9-5 セーラー服と日本刀
意外といえば意外だった。
そういう戦闘スタイルの人間だとは思っていなかったのだ。もっとこう、出鱈目な剣法を繰り出してくるものかと早合点してしまっていたようだ。
あまつさえ摺り足でこちらとの距離を詰めてくる様は、どう見ても経験者のそれである。それが剣道の心得であるならばまだ、所詮はスポーツと侮ることもできるが――そうでないとすれば厄介なことになってくる、かもしれない。
対するジュンはじっとしたまま動こうとはしない。
得物がナイフである以上、屋外では不利だ。ただ、相手の魔法が(ワタナベさんの推理が間違っていなければ)割れているのと、俺達の魔法を知られていないので、
「そうか、考えてみればその格好――セーラムの風使いと水使いか?」
撤回。さすがにその程度の情報共有はしているようだ。
まだ一応、数の利があるにも関わらず、妙に自信ありげなあの態度――俺がいる分の有利が不利を打ち消していると、向こうさんも思っちゃいないということか。
「しかし評判と違うな。そちらの……メイドさんはともかく、ピエロの方はもっと凶悪な人相をしているかと思っていたが。それに覇気もない。天変地異の領域に至るとはとても思えない……」
やっぱり。
「内に何か隠しているのか、それとも興が乗らないのか――どちらにせよ、引き出さなければならない、か」
ジュンが長物を持って来ていれば――と思う。
状況を確認するため姫様と共に真っ先に外へ出ただろうし、その足で俺を呼びに走ったから仕方がないのだが、口を動かしている間も着々と、近付いてくるだけで威圧感を増すあの少女を見ていると、相応の準備ができなかったのは不運だと嘆きたくなる。
間合いを掴ませないために少しでも動いておくべきであるはずのジュンがぴたりと止まったままでいるのも、そういった小手先のテクニックを潰してくる相手であると、本能的に感じ取っているからではあるまいか。
あんな性格のジュンを警戒させているという事実が俺は恐い。
向こう側が仕掛けてくるのを待つ、この構図も既に痛い。傷だけならば致命的ではなかったはずのワタナベさんを無力化してしまったあの魔法、極端な仮定をすれば、一太刀浅く斬り込んで、あとは逃げに徹する作戦が成立する。かなりやったもん勝ちの色が濃く、受けに回りたくはないのだが――初手の攻めを許さないと思わせるだけの説得力を、小娘のくせに持っている。そこが困る。
フィジカルで言えば、ジュンは下手な男よりも恵まれている。ちょっとびっくりする背丈だ。手足も長い。姫様やアデナ先生にはまだまだ未熟と評価されているものの、この世界特有の不思議な成長曲線と成長限界点も相まって、トータルで考えればはっきり実力者と言っても差し支えないほどの能力が備わっていると俺は思う。今が全盛期と見られるフォッカー氏の二段くらい下のランクにはついているはずだ。
一方で、敵の少女がこの世界に来てからの月日は隣界隊とそう変わらないはず……それなのにもうジュンを上回ると感じさせるだけの力を手に入れたのだろうか? 予め剣術を修めていたとしても、ここまでの差となって現れるのだろうか?
ふと、少女は足を止めた。
「さっきから、入っているが」
――間合いに?
しかし、刀でも届かない位置にいるようにしか見えない。
その刃先がぴくりと動いた時、我慢できなかったのか、ジュンが跳ねるように前へ出た。正面から突入しないよう一旦方向を変えて側面へ回り込み、少女がその向きに合わせようとしている間に右手のナイフを左手に持ち替え、腰を落として懐へ飛び込むと、振り抜く途中で軌跡を変えて、最後に本命の水で作ったもう一振りの短剣を空いた右手の二刀流、と実に五重のフェイントをかけて、読まれた。
天を衝くかのように右腕を伸ばしたジュンだったが、少女は狙われていた両手の握りを片方解いて自由にすることで難を逃れた。そのまま刀の柄で未だ沈んだままのジュンの頭を強かに打つと、さらに空いた方の手で掌底を放った。顎に! 完全にバランスを崩したジュンの腹へ少女はさらに蹴りを叩き込み、その勢いで少し離した。
斬りかかるには申し分のない間隔だった。
そのやりとりにはついていけない俺だったが、遅ればせながら、刀を振り下ろす少女の横合いから風をぶち当てた。穴を穿つどころか、吹き飛ばせもしない代物だったが、アルミサッシくらいなら余裕でガタつかせるはずの強さはある。動きを止めるには十分。その隙に一旦ジュンは体勢を立て直して、少女が入ったと言った間合いよりもさらに遠ざかり、結局、俺の隣に戻ってきた。始まった今ならあれはこちらを誘い出そうとする罠だったようにも思えるが、地球にいる時と比べて人間の身体能力でもかなりの動きが実現できるので、それこそ一歩で詰めてきてもおかしくはない。
「大丈夫……じゃないですよね」
俺が横目で確認すると、ジュンはもう一つ大きくゲホ、と咳き込んだが、
「いえ、問題ないです」
確かに、あの少女の魔法を流し込まれていない分、まだマシか。
「……今夜は骨のある奴には会えないかと思っていたが、なかなかどうして……」
あれほど華麗に対応しておいてよく言う。
「では、今度はこちらから」
少女は刀を立てたかと思うと、消えた。
そう見えていたのは俺だけで――気付いたらジュンが短剣一本でどうにか太刀を受け止めていた。避けられなかったようだ。
また離れないとまずい。
今度は風を絞って、少なくとも対象を押せるように放った。
だがその一瞬前に、少女はこちらを見て微笑んだ。
すう、と後退してしまい、風はただ通り抜けていった。
「そう広くはできないか?」
そして今度は俺の方に――速!
でも自らに降りかかってきた明らかな危機として認識すると、アドレナリンか何かが世界にゆっくりとした補正をかけて、いくらかは見えやすくなった。
こちらは徒手空拳。防ぐとなれば、やはり風。
強度に期待できるものではないが、それでも壁を次々と展開していけば逃げることは難しくないはずだ。
「――くっ」
「ほう?」
魔力の光に濡れた刃が、一瞬だけ空気の抵抗を受けて止まる。そのタイムラグで俺はさらに二枚の壁で自分と相手を隔てることができる。
少女がこの壁に手間取れば、ジュンが動ける。
「なるほど」
背後から襲いかかってくる水を見事に掻い潜り、少女は再びジュンに斬りかかる。ジュンはやはり短剣で受けたが、今度は弾かれるほどの勢いがあった。
「厄介だな」
二の太刀、三の太刀と浴びせていき、
「ペースを上げるか」
ジュンが押される。押されまくっている。どれだけのパワーが込められているのか、受けることはできても、止めることができない。苦し紛れに水の刃を作ってみても、少女は易々とそれを避けてから流れるように攻撃を続ける。
「なあ、メイドさん!」
ようやく振り下ろしを受け止めたジュンだったが、
「素晴らしい世界にいると思わないか」
なんと、そのまま潰されるかの如く膝を曲げる。鍔迫り合いにならない。
「いつも疑問だった。既に何もかもが決まっているということが」
「う、あ……」
「ここにいればいくらでも強くなれる! わかるんだ、あなたもそうなんだろう?」
そこでジュンが、出し抜けに、
「あなた、結構――おしゃべり、なんですね」
俺から見えていたのは少女の背中だったが、纏っていた気配に変化があった。
「素晴らしい、のは、私も同じ……で、も、あなたの、言っていることは、わからない」
少女が背中を丸めるほどに、ジュンは圧されていた。
刃が首に喰い込んでいてもおかしくない深さだ。
「わかる、のは、あなたの、コンプレックス」
ジュンは魔力の輝きを強くした。
水が発生する。形振り構わない、ただ大量に出てきた水が、下から少女に向かって注がれていく――間欠泉のように。次から次へと溢れ、飲み込んでいく。二人はくっついてなどいられなくなった。いや、ジュンのテリトリーに叩き込まれてしまった少女が、あの流れの中で捕まった。動いて逆らうことなどできない。意思を持った水が、口の中へ入り込もうとさえしてくる。
同じく水の中に沈んだジュンが何かを言った。
少女にも内容はわからなかったと思うが、しかし彼女は顔色を変えた。
何か失望のようなものが、覆った。
ずっと魔力でコーティングされていた刀だが、その魔力の色が変わった。
赤くなった。半透明の紅色だ。
そしてそれと同時に、止めどなく湧き続けていた水の勢いが弱まった。
だがすぐにそうではないとわかった。ジュンの魔法のペースは変わっていなかった。それでも空間を満たさんとしていた水の塊はみるみるうちにその体積を減らしていく。何かがおかしく、その原因は明らか――。
やがて、少女は水の中から逃れた。
刀が水を吸った。そうとしか思えなかった。
ワタナベさんの魔力を抑えていたのは、魔法が引き起こす作用の一部分に過ぎなかったのだ。その気になれば、無効化まで出来る。そういう魔法なのだろう。
少女が俺の方を見た。
構えぬまま――刀を引き摺るようにしてやってくる。
空気の壁を出しても消される、また風をぶつけようとしても消される。ならば、風で自分を動かすしかない。だが壁と違って、一瞬でも動きを止めることができない。エルフを相手している時と違って、思うがままにどこへでも自分を運べるわけでもない――少女の脚力は例によって常軌を逸していた。いつか追いつかれる。
ジュンが水鉄砲を撃った。最初は散らすようにして少女の動きを制限し、それから、一気にまた大量の水で包もうとした。通用するわけもなく、少女はジュンの方に切先を向けて、刀へと魔法を誘導した。
「気の済むまでそうするといい。魔力が切れるまで……」
その時は予想よりも遥かに早く訪れた。その場に留まっている少女へ、俺が攻撃を仕掛けようとする間もなかった。ジュンをよく見ると、首に一筋の線が浮かび上がっていた。やはり斬られていたのだ。死ななかっただけで、魔法は送り込まれてしまった。そこへあの大盤振る舞いでは――。
「さて」
もしかしたら、少女のキャパシティを超えて吸わせることでオーバーフローもありえるのかもしれないが、平常時の俺の魔力ではたかが知れている。試してみる勇気はなかった。さりとて、有効打を持ち合わせているわけでもなし。
「ディザスター・クラスの魔法とやら、見せてもらおう」
悪いが、そうはならない。これは詰んだ。
――申し訳ないが、代打ちに頼もう。
「このゼニア・ルミノアの道化に芸をさせたければ、」
そう、低めのあの声。
姫様の声。
「相応の対価を支払うことね」
「まさか――お姫様に会えるとは」
少女に喜びが戻った。くっくっと笑って、
「それなりに魔力は持っていかれたつもりだが」
「足りるとでも?」
「これは手厳しい。ではこの上、何を払えばよろしいのですか」
また別の誰かに指揮を任せてきたのか、それとも事態が収束しつつあるのか、どちらにせよ、無事らしい。
「そうね――値段を下げてあげることはできないけれど、代わりを用意することはできるわ」
「というと?」
「私と戯れるのはどうかしら」
「ほう」
少女は構えを――上段!
「それは願ってもない!」
「交渉成立ね」
姫様はゆっくりと剣を抜き、少女を斬った。
既に、斬っていた。
その場から少女は一歩も動いていない。刀を振り下ろしてもいない。だが姫様は駆け抜けていた。出血さえ遅れてやってくるようだった。セーラー服が朱に染まった。左肩、心臓、腹を通る鋭い傾斜の傷だった。
少女は刀を取り落とし、自身も崩れ落ちた。
手に血液を付けてそれを確認すると、そのまま、何も言わず果てた。
死相は驚異で塗りたくられていた。




