9-2 異邦髭
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三日あれば持ち直せると思ったが、実際には丸々一週間かかった。
その間は本当に部屋から出る気にならなかったし、何もしていなかったので腹もあまり減らず結果として食欲も減退していた。皆は気を遣ってくれたのか、それとも面倒だと思ったのか、放っておいてくれた。
別に俺がいなくても作業が滞ったりはしないだろうし、俺が凹んでいるからといって今更妙な企てをレギウスがするとも思えなかった。ようやく離れから出て行って、村の子供達に兎と亀の話をした後にアキレスと亀の話をして混乱させるようになった頃、ようやく、レギウスの言っていた制御陣なるものが見つかったという報告を受け取った。
しかし、やはり――すぐには動かせず、まずそれが壊れているのかどうか調べるところから始めなければならない。古文書によれば召喚へ至るまでには複雑な手順を踏む必要もあり、それらの一つ一つを試しながら、不具合のある箇所を見つければそれを直し、解釈の間違っていたあるいは不十分な部分は修正していくという作業を繰り返していくことになるという。
「それで、保存状態は悪くないんですか?」
「見た感じではそうでもなかったですよ」
「はあ。というか、そもそも、制御陣ってどういうものなんでしょうか。門の近くにあったんですか?」
ナガセさんは少し雑炊を啜ってから、
「部屋っすね」
と言った。
「部屋」
「こう、壁と床に溝が彫ってあって、」
一旦椀を置いてから、身振り手振りを交えて説明してくれる。
「あちこちにスイッチとかレバーがついてんですよね。ほら、門の北側ってちょっと坂になってたでしょう」
「ええ」
「あそこの倒木とか全部とっぱらったら、麓に入口があったんですよ。洞穴みたいになってて」
ちなみに、俺が作業していたエリアはまったく逆の方向である。
「ということは、部屋は門の真下に?」
「そうそう、そうです。それでレギウスおじさんが言うには、その部屋は要するに魔力を変換する機能を持っているらしいんですね」
「ほう……」
「普通、オレらは魔力練ったら自分の魔法に使っちゃうもんですけど、あの部屋は魔法になる前の魔力を吸収しちまうみたいなんです。そうやって一定量の魔力が貯まると、門に送り込んで召喚を始める――ただ、魔力ってのはその魔法ごとに別の種類なんで、そのへんを調整していくために、色々くっついていると」
「それじゃあ、極端な話、魔力を変換する人が変わる度に調整しなきゃならないんじゃ……」
「そうなんだと思いますよ。あの本も調整の手引きに結構なページ割いてるって話ですから。占い本みたいな内容らしいですけど」
「もう試したんですか?」
「とりあえず四大魔法が簡単そうだっていうんで、ジュンさんから魔力取ってみようとしてるみたいですけど、うまくいってませんね」
「調整が、ですか?」
「いや、変換機能そのものに不具合って感じですね。最初だけ吸ってるっぽいんですけど、途中でヘタるっていうか。でもどこが壊れてるのかわからないから、結局そこを突き止めないことには進まないんじゃないかな。まあまだ魔力貯めてる場所も見つけ出さなきゃならないんで、発掘、続きますよ」
「そうですか……さすがに一筋縄ではいきませんね」
「それでも出発前と比べたら現実味を帯びてきたじゃないですか」
彼は再び雑炊を口に運び始めた。
ナガセさんは未だ厳密には隣界隊に参加していないが、今回の訪問に同行している。もちろん俺が誘った。普段活動している場所は違えど、客人同士の横の繋がりは構築されてきたので、関係がギクシャクしているということもない。その日の彼は非番で、暇している俺の昼食に付き合ってくれていた。
「ところでフブキさん」
「はい」
「もう少ししたら休暇終わるでしょ。復帰おめでとうパーティーします?」
「え?」
「カラサワさんも何か作ってくれると思いますけど」
「――やめましょう。そんなことで彼の負担を増やしたくない。ついてきてもらえただけで奇跡なんですから」
「うーん、あの人なら負担とは思わないだろうけど、ま、ノリ気じゃないんなら……」
「お気持ちだけ、受け取らせてください」
休暇。
表向きはそうなっている。だが俺が命じられたのは蟄居だ。
想い人の突然死による心労を緩和するための特別な処置だと、事情を知らない人々は思っている。ルーシアのスタッフにも少し休みが与えられている。実際には抜け殻状態で使い物にならない俺を遠ざけておくための、姫様の計らいだ。
「実際どうすか。立ち直れそうですか?」
それは俺にもよくわからなかった。結局、ルブナ・ジュランという女性が何のために俺に近づき、命を狙ったのか――詳しいところは判明していない。当然のことながら、俺は与えられた時間のほとんどを、彼女の死を考えることに費やした。
命令だと言っていたので、どこかに黒幕がいるわけだが、正直、それを重要なことだと感じるのは難しかった。所詮、いつか明らかにすることになるだろう問いかけだ。それよりも俺の気を引いたのは、彼女が本当は俺のことをどう思っていたのだろうかということだった。おそらく、俺は裏切られた立場にあるが、ルブナ・ジュランに対する憎悪は沸いてこなかった。それだけ好いていたのもあるだろうが、記憶の中にある彼女のイメージの、一体どの部分が演技だったのか、未だにわからないせいでもあった。
アデナ学校のスタッフとして知り合い、ディナーに誘ってくれた。初々しかった反応の、何もかもが嘘だったのか――そこにほんの少しでも真実は混じっていなかったのだろうか。一緒に仕事ができて嬉しいと言ってくれた。俺が話す物語によく笑ってくれた。共にありたいという申し出を拒絶され、涙を零した。
あれらが虚構であるということが、俺にはどうしても呑み込めない。受け入れられない、というのではなく、その実感がない。俺はずっと、一人の女性と仲を深めていると思い込んでいた。そして、それは俺にとっては限りなく真実に近いものだった。今でもかなりの強度でそうだ。そのせいで、どう切り離していいのかわからないのだと思う。
悲しくないわけがなかった。
騙されて、損をしたことが悲しいのではなかった。ただ、彼女を失ったことが悲しいのだった。死んで失い、そして、真実で失った。その二重の喪失が問題をややこしくしていた。何だよ嘘つかれてたのかよ最悪な女だった――と簡単に捨ててしまえない何かがあった。姫様に首を折られ、何を思いながら死んでいったのか。様々な想像が浮かんでは消え――そして、いくら考えてもわかるわけがないのだということに気付いた。
俺には今回のことをきれいに片付けられるだけの材料が与えられていない、というのが結論だった。情報量で言ってもそうだし、ここへ至るまでの過程、タイミングもよくなかった。絶対に消化できないと思わされるほどの複雑さを、ルブナ・ジュランとの関係は獲得してしまった。
それで、そういうものを抱えてしまったら、なんとか付き合っていくしかないのだ。
短い間だったからこれだけで済んだが、もっと長い時間を共有した相手だったら、いつまでも気付くことができずに、牢獄のように構築された想像の中へ囚われたままだったかもしれない。それは事実上のリタイアだ。そうならなくてよかったと思うべきなのだろう。
俺が取れる最良の態度は、おそらく、忘れられることはないが引きずりもしない、といったものになる。それが(俺にとっても姫様にとっても)納得のできる落としどころだ。立ち直れるかはわからないが、俺はもう大丈夫――ということで一つ。
しれっと現場に戻った。
学校をズル休みした後のような気分だったが、身構えていたほどの距離感ではなかった。つくづく有難いことだった。
さて、相変わらず召喚装置の復旧は難航しているようだが、不具合の原因の特定にまではなんとか辿り着けたようであった。作業員達の尽力によって魔力の貯蓄槽も発掘され、制御陣との繋がりを調べたところ、魔力を伝えるための回路に摩耗などの損傷が見られた。回路は制御陣室を構成する石板と同じ溝の彫られた素材に埋め込まれた大理石の帯で、出入り口から伸びており、複数列あるため完全に途絶しているわけではないが、これにより魔力を効率よく通せないのがまず一点。そしてもう一点が、貯蓄槽側の問題で、変換された魔力を圧縮するための部分が完全に破損していた。貯蓄槽もやはり石材によって構成されており、円筒状に加工された本体の内部に詰められた花崗岩が魔力を保持すると記録されている。大理石の回路と花崗岩の間には本来、成形された金剛石が魔力を収束させるレンズのようなものとして挟まれていなければならないが、確認された金剛石は砕けていると言っていいほど大きな亀裂が入っており、その体積を減らした結果、与えられた空間を満たしていなかった。
「ここでもダイヤモンドが必要なのか」
「そのようで……」
そう言って、レギウスは少し目を伏せた。
「偶然の一致か、それともお前の魔法と関係があるのか」
「不明でございます」
「……まあいい。それで――どうします、姫様」
「そうね……」
姫様は回路の抉れた部分に注目している。
「金剛石は至急届けさせるとしても、そこへ嵌め込めるように形を整えなければならないでしょうし、こちらの線も直そうと思うなら、隙間を埋めるよりは新しい石を詰め直した方がいいでしょうね。ここを実際に見て、それから修復できる専門家が必要よ」
早速両方を手配しようということになり、一旦村へ戻って相談したところ、とりあえずオーリンでは金剛石は手に入らないことがわかった。それはヒューマン圏から運ばせるとして、肝心の職人は、
「そういうことであれば、アグラ先生に助力を願っては如何でしょう?」
意外にもモール・セティオンから提案があった。
「うむ、それがよかろう」
ギン・エン翁の語るところによれば、ゴブリニアには事実上帰化したドワーフが暮らしているという。
思わぬ役者の登場に、ナガセさんが食い付いた。かねてよりドワーフの国、グランドレン帝国への留学を希望していた彼である。
「会いに行きましょうよ! 是非!」
「ええ、大変腕の立つ石細工師ですから、きっとお力になってくれるでしょう」
「――石細工師ですか。鍛冶なんかは……」
「いえ、鍛冶には関わっておりませんね」
「……そですか」
しかしそのドワーフが土魔法家であるとわかると、ナガセさんの機嫌も少し直った。それに、専門が違っても、鎖国状態のグランドレンに同族として口利きをしてもらえる可能性はある。それぞれの思惑を胸に、俺達は村と首都の丁度中間辺りにあるアグラ氏の邸宅(小屋だ)を大人数で訪問した。
「わたしでよければ、お引き受けいたしましょう」
何も苦労しなかった。
その男は見た目こそ我々の想像する髭ダルマであったが、この地に暮らす蛮族と同じく、温厚そのものと言える物腰で俺達に応対した。モールとギン・エンが挨拶をし、姫様と俺で事情を話して報酬を提示すると、いつも世話になっているオークとゴブリンのためならと、快諾したのである。
何となくこの世界のドワーフという種族も頑固で気難しい性格をしているというイメージがあったが、これまた見事にかわされた。こう続くと驚くこともできず、俺はもうただただ、そういうものかと頷くしかなかった。
村へ戻る道すがら、色々と訊き出してみたが、まずアグラというのは偽名らしい。年齢は秘密で、何故故郷を離れてこの国に住んでいるのかも秘密にしている。ただ、困った事情があって逃げてきたとは言っていた。戻る気もないそうだ。亡命だ。
ナガセさんには気の毒だが、それ以上何も教えてはもらえないだろうし、知らない方がいいケースだと思われた。グランドレンとのパイプ役は望めない。事情があるなら仕方ない。オークとゴブリンに受け入れられていて、そしてこれから俺達を助けてくれる。それで十分だった。
花崗岩の方は、商い屋のネットワークを駆使してもらって、戻ってくる頃には既に調達が完了していた。その後アグラ氏に現場を確認してもらうと、やはりジャングルの奥にこんな遺跡があることには驚いていたが、とりあえず回路の損傷に関しては時間さえもらえればなんとか修復できるとの約束を頂いた。
心配なのは、彼の能力を思う存分発揮できる環境を用意できないのではないかということだったが、これは彼の持つ土魔法が解決した。今回の件に関しては、彼は攻防も大した道具も必要としなかったのである。
アグラ氏の魔法は、ズバリ石の形を変化させたり、石同士をくっつけたりするものだった。劇的な効果を出せるものではなく、一日一日、長い時間をかけて削ったり研磨していくものだったが、それでも普通の石細工師が道具を操って加工するよりは遥かに効率がいいようだった。広さが広さなので、彼の手だけでは仕事量に限界があるというだけだ。それに、金剛石が届くまではどうせ時間がかかる。向こうでもまた動きがあって、金剛石だけを早馬に届けさせるというわけにはいかなくなった。
マーレタリア軍の動きを本国が察知した。
各部隊を移動し、集結させているとのこと。
「私達がやろうとしていることに、エルフが気付いたと考えるべきね」
目標はまだ不明だが――姫様は、ここ、蛮族領である可能性が高いと知らされた。
こうなると、迎撃のための戦力を、ヒューマン同盟も編成せざるをえない。
金剛石は、軍団と共に届けられる。
俺は言った。
「こうなるんじゃないかという気がしていたよ」




