9-1 寝かしつけた師を
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「では――結局のところ、向こうはこちらの要求を拒んだということですか?」
「はい……このような結果になってしまうとは……。完全に私の力不足です、申し訳ありません」
外務代表はそう言うと、深々と頭を下げる。
「いえ、そんな……」
マイエルとギルダは顔を見合わせた。
魔導院に設けられた、召喚代表の執務室兼応接間の中である。
雪解けを待たずして都へ帰り、召喚装置なるものの存在が明らかになると、十三賢者は驚きに沸き立った。ギルダの召喚魔法では実現できなかった、ヒューマン以外の魔法家を確保できる可能性が生まれたのである。現状は制御下に置いているものの、いつ面倒を起こすとも知れない客人の集団を抱え込んでしまったマーレタリアにとって、より信頼性のある魔法戦力の供給源は朗報と言えた。
――とはいえ、装置の現存を確認したわけではない。情報源も古い文献一つであり、ギルダがある程度まで読み解きはしたものの、信憑性は決して高くなかった。まずは調査隊を送り込まねば何も始められないということで、早速、外務代表が蛮族領へ入国の許可を求めた。
返答は、否、であった。
そのため、外務代表は召喚代表であるギルダにわざわざ頭を下げに来たのだった。
「しかし、外務代表――こう言ってはなんですが、交渉を始める前は自信がおありでしたよね。やはり、先の戦いで魔力溜まりを無断借用したことが尾を引いているのでしょうか?」
「おそらくそれもあるでしょう。これまでの傾向から言いますと、我々エルフがどれだけ強行的な態度を取っても、彼らは最後には認めてきました。それが対蛮族関係というもので、歴代の賢者達は強い要求と弱い要求を交互に呑ませることで決裂を避けてきたのですが――セーラムの首都へ攻め込もうとした際の軍の通行と、魔力溜まりの件と続けて負担を強いたために、彼らも腹に据えかねたのかもしれません」
「なるほど……。まあ、そういう事情があるなら、残念ではありますが、仕方のないことだったのでは……」
誰が話をしても駄目だったのではないか、マイエルは思った。外務代表の落ち度というよりは、長年蛮族領に都合を押し付けてきたエルフという種族の問題だ。
「いいえ、そこを見極められなかった私の不徳の致すところです。本当に、申し訳ありませんでした」
ギルダは困ったように、外務代表を見つめた。
「頭を上げてください。それより、もう一度お願いに行くということはできないのでしょうか」
「会議でまた改めて報告しますが、はっきり言いますと、今回の要求自体は決して無茶なものではありません。彼らにとってもあまり重要でない地域を探索するだけのことならば、了承を得ることはそう難しくなかったはず。それを拒否してきたということになりますと、今後も……。彼らが我々と接触する時は選ばれた代理を複数立てるのが通例ですが、その顔ぶれが変わっていましたし、明らかに態度も硬くなっています。オークの代表が変わったことが影響したのかまではわかりませんが、こちらとの国交を閉じようとしていてもおかしくないような状態でした」
「随分急な話だ」
「私も驚きました。彼らが激怒していることは理解しましたが、まさかここまでとは」
「これまでなら圧力を恐れた……実際、マーレタリアにはそれができる。なのに反抗的な態度を取れるということは、それだけの理由があると考えるべきでしょうか?」
「調べさせていますが、どうやら……オーリンとヒューマンで手を組もうとする動きがあるようなのです」
「――それじゃあ、向こうとこっちの目的が同じ?」
こちらの方を見ずに、シンがそう言った。
相対するミンジャナは、彼の魔力で覆われることを受け入れている。
この黒エルフの存在もまた、十三賢者を驚かせていた。生き残りはいないと本気で信じていた者にとっては衝撃的な報告であった。さらにその実物を見るとなると、最早、若い世代にとっては形を得た精霊に遭遇するのとそう変わらないほど貴重な体験である。
その処遇に関して、最終的な決定は未だなされていない。予想外の方向から持ち込まれた、あまりに扱いの難しい問題。戦局の傾きだけでも頭が痛いというのに、これ以上余計な問題に取り組みたくない――それが賢者達の本音だろう。それに、長い時の間で、随分首もすげ替わってしまった彼らである。この太古の遺物を誰が受け持つべきなのか、誰にも決めることができない。
これでミンジャナが完全な状態であれば、話は違っていたのかもしれないが。
「まさか偶然ということはあるまい。奴らも見つけたに違いない」
「そうか……」
彼女を発見してしまった責任もあり、今のところミンジャナの身柄は魔導院預かりで、ほぼ監禁である。押し付けられたとも言えるが、世話のことを考えると、大勢のエルフの目に晒すよりは、この問題に関しては関わりのない客人達にさせておいた方が騒ぎにならないで済む。
「まずいかな?」
「いいや。これであの書物の信憑性がかなり高まったし、君は忘れているかもしれないが、私達の本来の目的を思えばこんなに好都合なことはないよ。レギウスの手を借りなければ、奴らがあんなものを動かせるわけがない。必ず連れていく」
「あ、そうか! ……でもマイエルさん、レギウスさんを探す手間が省けたのはいいけど、蛮族、じゃなかった、オークとゴブリンの人達は、オレ達に入ってくるなと言っているわけでしょう?」
「そうらしいな」
「らしいな、って……どうするんですか」
「ふむ。他の代表達とも話し合うが、私が思うにおそらくは、どうもしないことになるだろう」
「どうもしない? どうもしなかったら、また遺跡を取られるんじゃ……」
「ああ。取らせる」
「取らせる……」
シンはミンジャナに魔法をかけていた魔法を止めた。
「――もうよいのか?」
とミンジャナが訊き、
「少し待って」
とシンは答えた。マイエルは先を続ける。
「例の構造物がある土地の住民が我々の立ち入りを拒んでいる以上、そこへ行くには隠密行動を取るか、押し通るか、立場をわからせるかしかない。押し通るためと、立場をわからせるためには腕力と魔力が必要だが、現在、マーレタリアにはその方面で不安がある。オーリンはヒューマンと手を組んだ。これがどういうことかわかるか?」
「――揉めたら、あの人が出てくるのか」
「そうだ。94番が出てくるならば、そのための用意が必要だ。今度こそ奴を倒さなければならない」
「……わかってる」
「だがそう簡単にはいかん。こちらが隣界隊を創設したのと同じように、ヒューマン共も、召喚した者達で構成した魔法隊を作っていることだろう。それだけの金剛石が出回った。極端な話、94番と同程度の力を持った魔法使いが何十人と揃えられている可能性もある」
「いや、それはどうかな……」
「何故そう思う」
「――あまりこういうことは言いたくないけど、オレ達の中で、天災級と呼べるのはハナビとコノハだけだ。それだけ珍しいなら、向こうも実力にはムラがあると思うよ」
「あまり論理的とは言えんな」
「わかった。じゃあ、仮に、あの人が自分と同じ天災級を何十人も集めたとしよう。オレがあの人だったら、次の日にはもう攻め込んでる。これで納得してもらえますか?」
「まあいいだろう。とにかくだ、前回より君を94番にぶつけるまでが難しくなっていることはほぼ確かだと思う。それに、こう敗北が重なってくると、国としても94番をただの魔法に長けたヒューマンとは見られなくなってくる。次の戦いでは、我々だけではなく、本隊も投入されることになるだろう。流石の奴でも鮮明単位の魔法家を相手にしていればいつかは息切れする。数で押し潰すわけだ。それで、そちらとの連携を考えると、どうしても移動に時間がかかる――満足な結果を得ようとしても間に合うまい。ならば無理に蛮族領を荒らして遺跡を探し回るより、奴らに目的の遺跡を見つけさせ、その直後に叩いた方が確実だと上は考えている」
「なるほど」
「レギウスがその現場にいる公算も大きい。だから取らせるんだ」
「結局、攻め込むってことですか。オークとゴブリンには気の毒だけど……」
「仕方があるまい。傍観者に徹していればよかったものを、一方に付いて良い思いをしようとするからこうなる」
「そういうのとは違うような気もしますけど、まあ、新しい召喚の手段を持たせるわけにはいきませんからね」
「そうだとも。まだ利用できると決まったわけではないが、動かせるなら戦争が長引くのは確実だ。魔法戦力の差が埋められたら、泥沼になるぞ」
「作戦までにオレはどうしておけばいい?」
「そうだな――正直に言って、私は囲んだだけで94番に勝てるとは思っていない。奴は既にそういった話の届かない位置にいておかしくないんだ。必ず最後の、詰めの一手が必要だ。そのために君がいる。魔法を仕上げておいてくれ」
シンはミンジャナを見て、言った。
「自信がない。師匠はずっとこのままなのかもしれない」
「まだ、駄目なのか。これほど通っているのに?」
「まるで手がかりが掴めないんです」
「ふむ……」
マイエルも黒エルフを見た。
外見だけでその変化を知ることはできない。元々が表情に乏しかったのもあるが、顔つきが変わったようには見えず、目の焦点もはっきりしている。だが、今の彼女は、ミンジャナであって、ミンジャナでない。
シンがミンジャナの魔法に打ち勝った時、その精神に従順さを植え付けたのだという。だが、それはシンが望むような形ではなかった。
あくまでも訓練の一環で、一時的に相手の精神を支配下に置くということを、彼は何度もされてきた――同じようにするつもりだったと、シンは言った。魔法の暴走が全てを台無しにしたのだ、と。ミンジャナの精神を作り変えた上で、そこに鍵をかけた。白熱した攻防と過程の複雑化の果てに、魔法を解除しようとする者に対する、強固な迷路を構築してしまったのだった。
「……退屈だぞ」
と、拗ねたようにミンジャナが言った。
「ああ。そろそろ再開しようか」
シンはそっとミンジャナの額に指で触れた。
「ごめんなさい。本当は、こんなところに閉じこめていたくはないんだ。でも、あなたは色々なことを忘れてしまったし――そのままだと、危ない目に遭っても対処できないから……」
「構わん。お主がここに来てくれる間は、我慢するとしよう」
「それに、心の中にオレが入り込むと、負担もかける」
「お主がわしの中に触れていると、気持ちがよい」
精神改変の余波で、ミンジャナは記憶ごと魔法の大部分を失った。シンによれば消滅したわけではないそうだが、再現できないのであれば同じことだった。
「せめて蓋をしてしまう前に、君が彼女の記憶と魔法を転写できていたらな」
「あの時は無我夢中で、とてもそんな余裕はなかった。断片的に流れてくる情報の濁りを眺めるだけで精一杯だったんです。オレはまだ……未熟だ」
今、シンは自らの幻影と戦っている。自分の作りだした魔法の爪跡を、何とかして修復できないかと足掻いている。
「師匠の記憶も、魔法も、粉々に砕かれて、オレはその一つ一つを保護して回った。そうしないといけなかった。単独では存在できない大きさだった。でも、一体どうやってそれを実現したのか思い出せない」
「それほど凄まじい対決だったんだろう?」
「跡地を目の当たりにする度、気が遠くなります。かけた鍵は、それぞれが複雑に絡み合って作用する。正解のパターンを見つければきっと元通りに組み上げられるけど……まだ失敗ができない状態なんだ。オレが作り変えて残した師匠の精神は、危ういところでバランスを保ってる。それさえも崩してしまったら……」
「彼女が本当に彼女ではなくなってしまうのか?」
「そんなところですね。だから、今はまだ、試行錯誤を許してもらえるだけの修復が続いてる」
「それが済めば少しは効率も上がるか?」
「わからない。希望があるとすれば、師匠が内側からオレの迷路を解いてくれることだけど、それを試せる状態なのかもわからない」
「つまり、明るい材料はないんだな?」
「……このパズルを解けたら、数段上がれる。それだけです」
「なら、君はしばらくそれを続けるしかない」
「ええ……」
ミンジャナが、下ろされていたシンの手を取った。
「待たせすぎだ。早く始めろ」
「わかったよ、師匠」
そう言って、シンは魔力の輝きを指先に集中させた。寒気がするほど凝縮された、重量さえ感じさせるような光。シンは、このまま最後までミンジャナが元に戻らないことを恐れているのだろう。そして、その恐怖をもってしても、極限状態で生まれた自らの成果を溶かせないでいる。
マイエルは初めて、この少年を手伝えないことに歯痒さを感じていた。




