8-14 女が消えて
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最近、ジュンはフブキとルブナ・ジュランのことばかり噂していた。
「どっ、どこまでやっちゃったんでしょうね? 気になるなあ……」
妙なところだけ女らしい。
「よろしいんですか? 放っておいて」
「――それは、誰か真偽を確かめたのかしら」
「えぇ? いえ……でも、みんなそう言ってますし、わたしもあの二人が一緒にいるところは何度となく見ておりますし……姫様だって、ご存知でしょう?」
いつ頃からは判然としないが、よく行動を共にしているようだ。親しげに談笑している場面を遠巻きに眺めたことも一度や二度ではない。しかし、ゼニアはそれだけで仲を勘繰っても当たるものではないと考えていた。
「ほぼ確定情報ですよ!」
「疑問が残るわ」
事実であれば、少々――いや、かなり面倒な状況だ。
噂だけでも信じ難いのに、フブキに熱を上げる女が存在するということになると、さらにそれが外国人ということになると、何よりまず体面の問題になってくる。
それは余計な問題だ。
だが、ゼニアにはそんなことがありえるとは思えなかった。
もしフブキにちょっかいがかかるとしたら、もっと別の形で、目的も違ったものになるだろうと予想していたからだ。
噂は、馬鹿馬鹿しいほど呑気なものだ。
「あのう――姫様は、気にならないのですか?」
むしろ、ゼニアはジュンが気にし過ぎているように思えた。
「だって、フブキさんの、なんていうか、持ち主じゃないですか」
だからこそだった。
フブキはゼニアの、愛玩者であり配下なのだ。
あのルブナ・ジュランという女が、そこに手を出すような愚か者とは思えなかった。
「それは、気になるわ。主としてね」
尤も、人となりをよく知れるほど話したことはない。
過ちを犯してしまうような人物だったとしても、それはわからない。
ただ、まあ、その辺りのことは、弁えているのが普通だ。
「ええっと、そうじゃなくて……」
「そうではなくて?」
「……姫様だって、女の人じゃないですか。少しは、興味とか」
「興味ない。――と言ったら?」
ジュンは不満そうにしている。
「今のは聞かなかったことにするわ。それに、まあ――もしそういうことになったら、フブキはすぐ私に知らせるでしょうね」
「えぇ……? そうでしょうか。律儀な人ではありますけど……さすがに隠そうとするんじゃ……?」
「関係を隠したらどういう結果になるか、想像がつかないとは言わせないわ。素直に申し出るなら、まだこちらも穏便な対処を考えるというものよ。どちらにせよ、当人達にとっては悲しむべきことになるかもしれないけれどね……」
「そんなあ。何とか内緒のまま、大目に見てあげることってできないんですか? というか禁断の恋なんですから、そっちの方が燃えますよ!」
「駄目ね。もしフブキがもっと器用な性格だったら、何か案を出してきたかもしれないけれど……」
――が、どうも、状況が変わったらしい。
「なんか、喧嘩になっちゃったみたいです。――ちょっと違うか。うーん、わたし達が思ってたよりも進展してなかったみたいで……ジュランさん振られちゃったのかな」
「それで?」
「もう、見てられないぐらいギクシャクしてます。上手くいかないものですねえ……」
皆の目は本当に節穴だ、とゼニアは思った。
それこそあやしいというものだ。
自分達がくっついて周囲からどのように見られるか、理解できないフブキとルブナ・ジュランではあるまい。道ならぬ恋で身を滅ぼさないための策を練ったに違いなかった。おそらく、機が熟するのを待っていたのだろう。これ見よがしに振る舞った後で、いかにも冷めたように演出する――偽装だ。
噂を信じられなかったゼニアでも、これを聞けば話は変わってくる。
どちらが思いついた策かは知らないが、小賢しい真似をする。
「そうね、人の情ですもの――」
望ましくない選択を二人はした。
できるだけ速やか、かつ秘密裏に処理するべきだ。今ならまだ傷は浅い。裏を取ってからでもよかったが、フブキなら少し鎌をかけてやれば白状してしまうだろう。それで十分だ。
場所は違うが、夜中、久々にフブキの個室を訪ねることにした。こんな形でかつての習慣をなぞるのは不本意だったが、仕方ない。まさか昼間、皆のいる前で告発するわけにもいかない。禍根が残るようなやり方は避けたいところであるし、正直、言い聞かせるだけで解決するならば、それが一番良い。もちろん、再発を防ぐために、何らかの罰を与えることにはなるだろうが……。
村中が寝静まったのを見計らって、ジュンからも隠れ、ゼニアは寝所を抜け出した。フブキも既に寝ているかもしれないが、起こすつもりだ。大事な話だった。
建物の陰に隠れ、音を消しながら進んでいるうちに、他の気配があることにゼニアは気付いた。一体、このような時間に誰が――すぐに察しはついた。そして、見えたその姿と合致していた。ルブナ・ジュラン。ルーシアの女。こちらを捕捉してはいないようだ。夜闇に目を凝らしてみると、飾られた寝間着に身を包んでいるのがわかった。そういう目的のための衣装だった。あれで外を出歩くとは、何て大胆な……。
あの女もフブキの部屋を目指しているのは明らかだった。
一瞬、出直すかどうか迷ったが――やはり、後を追った。
図らずも逢瀬の現場を押さえることになりそうだったが、それはそれで逃亡も言い訳も許さずに済む。
ルブナ・ジュランはフブキのいる小屋の扉を叩き、少しの間があってから、中へ招き入れられた。ゼニアもさらに少しの間を置いて、閉じられた扉へと貼り付く。
「……くし、……ら色々……えました」
この村の夜はあまりにも静かだ。木の板一枚を隔てただけの空間なら、完璧にではないが中の音を拾うことができる。
女が喋った後、いくつかの物音がした。
ゼニアはゆっくりと扉を押し、どうにか様子を確認できるほどの隙間を作った。
「……それで、貴女の気が済むのなら」
ルブナ・ジュランが、フブキに乗っていた。ベッドで。
ゼニアは生唾を飲み込んだ。その音を聞き取られやしないかと焦ったが、二人は自分達がこれから始める行為で頭がいっぱいのように見えた。女はフブキの着衣をめくり、胸の辺りを撫でている。
「……明かりは、消しますか?」
「――いいえ。どうか、そのままで」
これは、押さえるどころか、踏み込むべきではないだろうか。
やはり勘が当たっていた。ゼニアは正しかった。しかし、予想を的中させた達成感の一方で、まさか本当に本当だったのか――と、信じられない思いを抱く自分もいた。こんなにも無防備な現実が目の前で展開されてしまうことに、拒否反応が出てしまったのかもしれなかった。女の方はいくらでも振る舞いを変えていい――だから煽情的な表情も見せられるだろうが、あのフブキが? 行為を? ゼニアは頭の中にある道化師のイメージと、空気に溶けていく生々しさを上手く結び付けられずにいた。
「一度で、せめて一度でいいですから――ルブナ、と。お願いです……」
「――ルブナ、さん……」
女が身を沈め、いよいよ、いよいよ二人は始めようとしていた。
今この段階で踏み込んでも、最早言い逃れはできない。
だが――それだけに、ダメージが大きい。
これは他人には絶対知られたくない、恐るべき恥の時間だ。
暴いてしまえば、精神的に惨たらしい結末を迎えないだろうか?
ゼニアはフブキに過ちを認めて欲しいが、それを重りにしろとまでは思っていない。
使い物にならなくなっては困る。
この場では大人しくしておいて行為を全て見届け、後日個別に呼び出し、事実を掴んでいることを匂わせるような形で糾弾した方が、より効果的ではないだろうか。
決心した時、フブキの声にならない声を聞いた。
「――かッ、」
何だ? 様子がおかしいのはわかるが、フブキが女に隠れてよく見えない。
「こお、ォお、」
――血の臭い!
喉をやられたのか? 女がどこかに刃物を、例えば髪――ありえる。
ルブナ・ジュランは続けて胸に何かを刺した。
「ごめんなさい。でも、命令ですから」
刺客だった、らしい。
今度は腹部に、おそらく短剣だろう、動かしていく。
「それにあなた、下手そうですもの」
フブキは魔力を練って抵抗しようとしている。だが、集中力が大幅に欠けた状態でろくな発動ができていない。
目が合った。
世話の焼ける――。
ゼニアは扉を開け放ち、部屋の中へと潜り込んだ。得物は持ってきていないが、ルブナ・ジュランに武の心得はなく、また実力を隠しているというのでもない。加えて後ろを取っている。素手対素手でしくじる道理はなかった。
女はゼニアが入ってきたことに気付き、振り返る。自身の方が断然、整った顔をしていると思った。ベッドに乗り、女の頭を――髪で滑らないように――しっかりと掴む。
なるべく縦に回した。
腕力も要るが、それをどこにどう入れるかの方が遥かに大事だ。首の内部から、振動が完璧な手応えとして伝わってくる。女は何が起こったのかもわからず絶命しただろう。出来上がったばかりの死体を蹴り飛ばし、代わりにフブキの上へ乗る。
道化は助けを求めて、虚空へと握り拳を振り上げていた。
「我慢しなさい。まだ死なないでしょう?」
刺さっている短剣を一本一本引き抜いては、床へ投げ捨てる。
魔力を放出する。
フブキの傷も、両手にべっとりと付着した血液も、濡らされたシーツも、全て――元に戻っていく。
呼吸が復活し、しばらく荒い息を吐いていたフブキだったが、やがて落ち着くと、力のない眼差しでゼニアを見た。しかし、こちらの瞳を覗き込もうとはしなかった。
ゼニアはベッドから降り、腰に手を当てた。
「――さて、どうしたものかしらね」
ここまでのことになってしまった以上、隠し通すことはできない。
ゼニアは大騒ぎになってしまう前に先手を打って、ルーシアのまとめ役であるローム・ヒューイックへ事の顛末を伝えた。予想通り、ヒューイックは声を荒げることも狼狽することもなく、まずルブナ・ジュランの死体を片付けた。事後承諾ということで、村の共同墓地へ埋葬したのだ。
その後、ヒューイックは同僚の無礼を詫び、よければ今からでも自分の通信魔法をセーラムに繋げられる、と言った。ゼニアは一旦それを断って、互いに睡眠を取るよう促した。ヒューイックはその通りにした。何もかもが淡々としていた。
夜が明けてから改めて、ゼニアはヒューイックの通信魔法により事件の報告を行った。ただし、首脳に向けてのみである。その上で、ルーシアに責任を問わない、とした。最終的な被害は何もなかったことと、これを利用してルーシアに貸しを押し付けられる、あるいはルーシアの行動を抑制――悪くとも牽制することが目的だった。今回の暗殺が初めから道化師フブキを狙ったものであることは明らかであった。二度、三度と攻撃が続くのは避けたい。
マルハザール大統領はゼニアの提案に乗り、結果、ルブナ・ジュランは事故死として扱うことに決まった。深夜にジャングルへ立ち入り、高低差の激しい地形で足を滑らせ、首を折った――という筋書きである。暗殺現場に居合わせたゼニアによって処理された、という真実を伝えられたのは、他にデニー・シュート、フォッカー・ハギワラ、そしてジュンのみである。ルーシアの失態を覆い隠し、無用な混乱も避けられる、効率の良い嘘であった。何事もなかったかのように、発掘作業は続けられていった。ローム・ヒューイックの協力で、証拠隠滅も済んだ。
蛮族側には、トラブルが発生したことだけを伝えた。彼らはそれがヒューマン内部の問題で、自分達にまで影響が及ばないことを知ると、それ以上余計な詮索はしてこなかった。
――なんとか、首尾よく握り潰すことができたようだった。
残る問題は、フブキだ。
とりあえず、発掘作業には復帰させず、謹慎を命じてある。
さすがに一時的なショック状態からは回復しているが、落ち着いて、自分が本当はどういう状況にあったのか思い返す――そんな時間を得て、少々、現実に打ちのめされているようだ。
ルブナ・ジュランがフブキに対して起こしていたというアクションは、おそらく全てが、演技だった。それで、フブキは本気だったのだろう。失恋である、と共に――その対象が死に、さらに裏切りがあった。少なくともフブキはそう思っている――ことぐらいは、ゼニアにもわかる。
「調子はどうかしら……」
離れのドアをノックしても返事がなく、まさかと思い中を確認したら、フブキはいた。それで部屋の中へ入って、それでも何も返事がなかったので、ゼニアはそう言ったのだった。椅子に座る。
「元気出して、なんて私は言わないわ」
「ああ……」
フブキは俯いて、ゆっくり目を閉じたり、また開いたりしていた。
「一応聞くけれど、切り替えていけるかしら」
首が振られる。
怪我は戻してやったが、ゼニアの魔法は全て元通りにするわけではない。
フブキは重傷だ。
何かに躓くと大抵重傷になっているが、今回はタチが悪い。
「あなたは油断したのよ。警戒するべきところを、怠ったのよ」
「……わかってる」
小声でそう言ってから、フブキは大きく、しかし弱々しい溜め息をついた。
「――あの人は、俺を殺して、その後一人でルーシアまで帰るつもりだったのかな」
「知らないわ、そんなこと」
また、溜め息。
「それにしたって、回りくどいぜ、ありゃ……わざわざ何ヶ月も積み重ねたりしないで、一思いにやってくれりゃあよかったのに……。あーあ……」
「隙を作って、確実に仕留めたかったんでしょうね、おそらくは」
「――それで、俺は何をしたらいいんです?」
「……何って?」
「こんなことになっちまったんだ、どう責任取ったらいいかわからないけど……とにかく、お咎めなしってわけにはいかないだろう」
「そうね、それじゃあ……あと二週間は、村から外出禁止」
「わかった」
「いいわね」
「ああ。……――そんだけ?」
「そうよ」
「ウソだろ?」
「嘘じゃないわ。そんな状態じゃ迷惑だもの」
「……それもそうだな……」
別に甘やかそうというわけではないが、体中を刺されたことで、フブキも一応報いを受けた。
発掘作業はまだ時間がかかる。その間フブキはあまり重要な役割を持たない。ゼニアでさえそうだ。ならば空いた時間にしてしまってもいいだろう。
「まずは感情の整理をつけなさい。その後でまだ、私の道化師として何かをする気があるなら、その時はまた話を聞きましょう」
「――休めってことかい?」
「解釈は勝手だけれど、とにかく、大人しくしてなさい。あなたにはそれが必要だから」
「……わかったよ。何もしない、をしておくよ」
その方がきっと、面倒がなくていいだろう。




