2-2 だらしなき戦い
新生活が始まった。
こちらへ来てから三ヶ月とちょっと経つ。首を吊ったのが二月の暮れだったと思うから、秋採用にしても半端な時期だ。しかし、召喚された直後からして気候が穏やかな暖かさを持っていて、なおかつそれが今まで続いてきたことを考えると、時間の流れが違うか季節の流れが違うか、数ヶ月ズレた時間に着地したのか……やはり、確かめる術は、今のところない。
姫様の言っていた札は、その日のうちに宿舎の管理人によって届けられた。きちんと首に通せるよう紐の付いた木札だった。何だかよくわからない図案が焼き入れられており、訊いてみるとそれはルミノア家、つまり姫様ん家の紋章ということらしい。
最初こそこんな簡単に作れそうなもので誰もが信じてくれるのかと心配になったが、行く先々でこの木札はそれこそ魔法のような効き目を示したのだった。
まず持ってきた管理人の態度が変わっていた。うさんくさいものを見るような目ではなくなり、懇切丁寧に宿舎での生活様式をティーチングしてくれた。といっても、普通の使用人達と違って忙しい仕事に追われていない俺が注意すべきことは少ないため、説明は至極簡単なものだった。
それによると、朝はからくりの目覚まし時計によって起床した管理人さんのうちの一人(さすがに複数人体制であるとのこと)が使用人達をあの手この手で起こして回る。一番最初に起こされたコック達が上から下まで全員分の食事を作り、一日は始まる。もちろんペットの俺にも食事は用意されるが、特別なものというわけではなく、食堂のテーブルの隅っこでまかないのおこぼれにありつくこととなる。この形式は昼も夜も同じで、時間に間に合わなければ当然、我慢するか代わりの手を考える必要が出てくる。
消灯時間は、仕事によって終業がまちまちなため特に定められていないが、支給される蝋燭に限りはある。連日夜更かしをすれば、その分日暮れと同時にベッドへ潜り込まなければならない日も出てくる。これがなかなか悩ましい。というのも、夜中まで書物を読んでいたくなることが多々あったからだ。
そう、俺がまず始めたのは図書室へ入り浸ることだった。
とにかくこの世界を知らなければ、何も始めることができない。もちろん人に教えを乞うのもいいしそのつもりでいるが、何か困ってその都度訪ねるのでは埒が明かない。俺はもっとこの世界に対して自然なものにならなければならないのだ。いつまでも異質なままでいるのは、どう考えたって疲れるに決まっている。
その点、書物なら自分で勝手に知識を吸収できるし、司書以外の手を煩わせなくて済む。何より、読むことに没頭している間は気が紛れる。こいつだけは数少ない俺の特性の一つだと思う。もちろん短所とも言えるわけだが、でもこれがなきゃ、大学に行けてたかどうかも怪しいもんだ。
ここでもまた木札は光圀公の印籠の如き効力を発揮した。――が、俺がただの活字中毒であることはすぐ司書達に知れ渡ったため、木札がなくても結局は同じことだったかもしれない。図書室への往復はすぐに日課となった。
比べる対象がないからその図書室が大きいのか小さいのかまではわからなかったが、城付きなだけあって、俺には十分すぎるほど広く感じられた。また、当面必要になりそうな書物は全て揃っているようにも思えた。
司書達の目には、俺は暇に飽かして書物を貪る、実にいいご身分と映っただろう。が、そこはそれ、顔パスになるほど通い詰める熱心で素行のいい利用者はどうしても憎めないのか、そのうち他の常連も交えて世間話程度なら交わす仲になった。尤も、俺が世間に疎いために、大抵は質問コーナーと化していたが。
さて、そんな調子で色々と情報が入ってくるようになって、一つ、はっきりとわかったことがある――この世界は、実にありきたりだ。三文小説だってもう少し作り込むと思うのだが、いや、実にひどい。
とにかく目新しい要素は今のところ見当たらない。暦はほとんど同じだし、生活形態も俺がいた世界で過ぎ去った時代を踏襲したものだ。人間の営みの範疇から逸脱していないから、少々のカルチャーギャップはあったものの、適応するのはそう難しいことではなかった。窓から見える城下町の景色と人々の営みは映画そのものだし、決まった時間に一つの太陽が昇って一つの月が沈む。
元いた世界と違うところと言えば、魔法があることと、人間は特に意識してヒューマンと呼ばれ、エルフとドワーフと共に地上を支配しているということくらいのものだ。
それだけ? って感じがするよな。それだけ、らしい。
さあ、ちょっと図書室の机で地図を広げてみよう。世界が紙面いっぱいに描かれ、陸と海はそれぞれ異なった色で塗り分けられている。
既視感があるかい? あんた、いい勘してるよ。俺は一週間くらいわからなかった。
そうだ。あんたの言う通り、地図に描かれた4つの大陸は、現代における日本列島を潰した形をしている。もちろん、同じじゃない。細かいところで違う点は沢山ある。けど、見れば見るほど似てくるんだ、これが。で、この4つの大陸のほとんどを、それぞれが好き勝手に線引いて治めているというわけ。
エルフの国は――姫様はエルフヘイムと言っていたが――マーレタリア、という。一番デカい国だ。広大な森を擁する北海道から……大体福島県の辺りまでが、その領域ということになっているらしい。東側にヒューマンが入り込む隙間はないように思える。
では西側はどうなのかというと、こちらはこちらでドワーフの国――グランドレンが鎮座している。ここは国=山と言っても過言ではない。この世界では九州と四国には山しかないらしく、どういうわけかその両方にミルド山脈という名がついていて紛らわしい。
残った部分をヒューマンの国々が埋めようとしている。ヒューマン同士でその領域に大きな差はあれど、エルフとドワーフの国に比べればどれもが小さい。
俺が連れてこられたこの国の名前は、セーラム。王政で、地図によれば関東一円を支配しており、首都は大体東京都心と被っている。のだが――ここでひっかかったことがある。
俺が召喚されたという場所、メイヘムという街は、地図ではまだセーラムの領域になっているが、実態はそうではなかった。そして、俺が大学へ通うため一人暮らしをしていた街と、地図上では場所が一致していないでもない。
メイヘムが今はエルフ達のものだったとしたら、あまりに――首都に近すぎる。
加えて俺が思うのは、こんなに似ているのなら、ここは隣の世界でしかないのではないか、ということだ。
さもなくば火星だ。
二日に一度、寝る前に姫様が(多分だと思うが)こっそりと部屋へ訪ねてくる。お互いの進捗状況報告と、それに伴う調整、俺の質問に対するまとまった回答、話していると時間はすぐに過ぎ去る。
やっぱりというかなんというか、この世界の現在では、ヒューマンとエルフは種族間の戦争状態にあった。驚くべきは、姫様の言うその期間。
「――そうね、諸説あるけれど、私達は三百年もの間、戦争を続けていることになるわね」
「ふーん、さんびゃく……三百年!?」
「ええ。ちなみに、三百七年間という説が一番有力と言われているけれど、実際のところは、誰にもわからないわ」
「なんだそりゃ……そんなこと可能なのか? 長くたって十年くらいで終わりそうなもんだが――っと、失礼いたしました」
いやはや、つい素が出ちまうほどにはびっくりするね。これより長いとなるとシリー諸島とネーデルラント間で起こった三百三十五年戦争があったと思うが、あれはほとんど冗談みたいなものだ。
「……別に、私とだけならそこまで畏まらなくてもいいのよ」
「いいえ。普段から慣らしておかなければ、私はすぐにボロを出すでしょうから、こうするべきなのです。それにしても三百年とは……」
ガチンコで三百年。よくやる……。
「どうして未だにどちらも滅びていないのです?」
「滅びかかっているのよ、我々は。認めたくないことだけれど、この国が消えれば、それはヒューマン全体が消えるのと同じことになるわ。防波堤を失うことになるのだから……。そして、あなたも知っている通り、私達はもうメイヘムを取られてしまうほどに追い詰められている。敵軍は目前――図書室の地図は、もう古いのよ」
「いえ、そうではなく――例えば、厭戦感情は? 三百年も続けていれば、誰もついて来れなくなるのでは? その心配がなかったとしても、兵力を育てるための時間も財産も有限なはずです。一度の衝突ですぐに消えてしまうようなものを、三百年も用意し続けられるものなのですか?」
「もちろん、いつでも激しい戦いが起こっているわけではないわ。お互いが疲弊すれば、名目上戦争は続いていても小康状態になるし、そのバランスが崩れればまた戦闘状態に戻る。負ければ領土を奪われる。その繰り返し」
「ですが、……」
いや、俺がいた時代と同じように考えたら駄目だ。この世界ではまだ時間はゆっくりと流れている……はずだ。俺がいた世界のように、何もかもが超スピードの彼方へと消え去っていくわけではない……はずだ。俺にはわからない法則のようなものが存在するのかもしれない。
「……いえ、知ったふうな口を利いてしまいました。お許しください」
「いいのよ。……でも、確かにエルフ達は、ヒューマンはいくら殺してもすぐ数を増やしてどこからかやってくると思っているでしょう。長い目で見れば、の話だけれど」
「というと、何か、特別な戦略があるのですか?」
「戦略というほどのものではないわ。元より、ヒューマンは増えやすく、エルフは増えにくい、それだけの話よ。一つの国の軍が疲弊している時、別の国の軍は余力がある。ヒューマンの連合軍はそれを繰り返しているだけ」
姫様が言うには、ヒューマンの国々はそのほとんどが(現在は)同盟関係にある。エルフ達は一つの国に対して戦争を仕掛けているわけではなく、ヒューマン全体に対して喧嘩を売った……あるいは、買った。この戦争は原因さえも謎に包まれている。
連合軍の盟主は地政学上矢面に立たざるをえないセーラム王国が務め、名古屋のルーシア共和国、京都・大阪のディーン皇国という二つの大国が、共に国家間の調整役としてそれをサポートする構造になっている。これは中小・零細国家を多数擁するヒューマン民族特有の性質による。そうでもしなければ纏まるものも纏まらない、ということらしい。
だが、所詮は共通の敵がいるから仕方なく組んでいる寄り合い所帯に過ぎないわけで、どこも痛い目に遭いたくないのは同じ。かといって全く兵を出さなければ咎められるし結局は共倒れになる、しかし自国の損耗はできる限り避けたい……そうした思惑が錯綜した結果、三大国全ての力を結集するのは避け、弱った国は兵力の回復に努め、余力のある国が次の当番として兵を出す――これを交代交代で続けていく、というシステムが暗黙のうちに確立したそうな。
しかし、それは、
「……戦力の逐次投入じゃないですか。勝つ為の戦略とは思えませんよ」
「けれど、その愚かな戦略のおかげで今日まで決定的な敗北へ至らず戦い抜いてくることができた、という意見もあるわ。私は賛成しないけれど」
「――いつかは負ける」
「そう。けれど、今は負けない。破綻は先のこと。私達の先祖は、代々そう考えてきたのよ。そして、今が先なのよ。ツケを払うのは、おそらく私達の世代になるでしょうね」
「そんな……」
馬鹿な話が、と一瞬思ったが、これを考えた当人達にしてみればナイスアイディアだったのかもしれない。問題の解決にはならないとわかっていても、自分がそういうシステムを作る側に回るチャンスを得たとしたら、果たしてそのアイディアを思い切って捨てて、敢えて別の苦しくなるかもしれない発想を取ることができるか?
俺だったらできないかもしれない。そして、賢明な奴らばかりだったら、そもそも戦争になんかならなかったのかもしれない。
――それはそれとして、
「払い切れないでしょう、三百年分のツケは」
すると、姫様は断固たる口調でこう言ったものだった。
「いいえ、払わせるわ。――なんとしてでもね」
その目には、蝋燭の灯りだけが頼りの部屋なのによくわかる――いや、そういう部屋だからこそよくわかる、仄暗い光が湛えられていた。
「エルフ達の血が、私達のツケを購うのよ」




