第五十八話 お姫様の憂鬱
第五十八話 お姫様の憂鬱
牛尾さんに呼び出されて、親友の瑠花と研究室を訪ねた私は、そこで異世界の住人のティアラの姿を目にした。話を聞くと、御楽によって連れてこられたという。
「大丈夫? あいつに何か変なことをされなかった?」
ティアラは世間知らずを絵に描いたような少女だ。その気になれば、悪い男に簡単に騙されてしまうだろう。私はティアラに駆け寄って語りかけたが、当の本人は怪訝そうに私を見つめている。
「あの……、あなた様は?」
昨日会ったばかりなのに、もう忘れたのかと、呆れそうになったが、思い返してみれば、昨日と外見が違っているのだ。気が付かなくても、無理もない。というか、昨日は女の姿で、今は男の姿。普通なら、まず気付かなくて当たり前だ。迂闊なのは私の方か。
「ああ、私はね」
牛尾さんの知り合いを名乗ろうとも思ったのだが、気が変わった。ティアラには以前も魔法使いだと名乗っているし、そのまま正直に説明しても信じてもらえる気がしたので、脚色なしで話すことにした。
「私は昨日あなたの城にお邪魔した茶髪のかわい子ちゃんです。定期的に男の姿に変わってしまう呪いにかけられているんです」
瑠花と牛尾さんが眉を潜めている中、ティアラだけが口を覆って驚いていた。
「まあ! あなたは昨日城に来た、不思議な魔法を使う子なんですか!? 呪いにまでかかっていたなんて、信じられません!」
いやいや、自分の身に降りかかっていることに比べれば、全然たいしたことございませんよ。
ともかく、私のことをティアラに思い出してもらえたようなので、一安心。若干、簡単に信じ過ぎな気がして、ティアラの純粋すぎる心に不安を覚えたが、ともかく話し合いに臨めることになった訳だ。
「こいつ、この格好で街中を歩いていたんだ。危うくコスプレ女として職務質問されるところだったんだぜ。今日ほど月島とパイプを持っていて良かったと思ったことはなかったな」
私たちをここまで案内したお兄さんに、もう立ち去って構わないというジェスチャーを送ると、牛尾さんは煙草に火を付けて、大きく息を吐いた。煙草の煙に慣れていないティアラがむせっていた。
「あまり廊下で立ち話をするのも何だ。場所を移そうぜ」
咳込むティアラを見て、申し訳なく思ったのか、排煙設備の行き届いている自分の研究設備に案内してくれた。牛尾さんの研究室に案内された私たちは、出されたコーヒーを飲みながら、話に耳を傾ける。
「牛尾さん。御楽はどうしてティアラを現実世界に連れてきたんでしょうか」
どうしても、その点が気になった。御楽がティアラを連れてきたのだって、大方キメラの指示だろう。何か裏があるような気がしてならない。牛尾さんなら、何か思い当たるものがあるのではないかと期待したが、あまり芳しい返答はなかった。
「皆目見当がつかないが、何かを始める気なのかもしれないな。月島から聞いたんだが、お前、昨日キメラと会ったんだろ。その時に何か話していなかったか?」
昨日の記憶を探ってみるが、それらしい発言はなかった。瑠花にも聞いてみたが、やはり知らないと言う。
「つまり、アレだ。何を企んでいるのか、誰も分からないということか」
三人寄れば文殊の知恵というが、今回のケースにおいては、適用されなかった。
だが、いかにまずい事態が訪れているのかは、容易に想像できた。
「異世界の物を、現実世界に持ってくることが出来るということは、異世界で発生させた兵器をこっちの世界で使用することが出来るということですよね」
「ああ。向こうの世界なら、ありえない大量殺人兵器だって、自分の想像一つで、簡単に作れるからな。悪用されたら、非常にまずい」
実際に無尽蔵に撃ち続けられる拳銃や、自分の思い通りに動く木製の人形を扱ったことがある。同じ要領で、大量破壊兵器を瞬時に大量生産したり、見るだけで相手を殺せる兵器を開発したりと、悪用の仕方はちょっと考えただけでいくらでもあった。
そうでなくても、ティアラのいた世界はRPG並みに、凶悪なモンスターがひしめいているのだ。一匹でも現実世界に迷い込んでくるだけで、大変な騒ぎになる。
「もしかしたら、もうきとるんとちゃうか?」
瑠花が縁起でもないことを口走っていたが、あり得ないことではない。御楽が連れてきたのが、世間知らずのお姫様だけとも言い切れない。
「月島に調べてもらっているが、まだそれと思われるような事件は起きていないらしい。これからのことを考えると、安心は出来ないけどな」
キメラの狙いが何なのか全くわからない以上、どう動いてくるか予想が出来ないのだ。警戒をするに越したことはない。
そこまで話したときに、不安そうに私を見ているティアラに気が付いた。
「ちなみにティアラはどうするんですか?」
実験のモルモットに使われることはないと思うが、この世界の住人でないティアラには住民票がなく、下手をしたら、人間として扱われない可能性すらある。考えれば考えるほど、ティアラの立ち位置は不安定なのだ。
「どうするもこうするも、元いた世界に帰すだけだ。研究に協力してもらおうにも、何も知らないようだしな」
てっきり牛尾さんのことだから、何か良からぬことに利用すると思っていただけに、人道的な返答にホッと胸を撫で下ろした。
「何だ、その反応は。私が何か企んでいるとでも思っていたのか? お前は私を何だと思っているんだ!?」
牛尾さんに心の内を見抜かれてしまい、思い切り睨まれてしまった。反射的に苦笑いで誤魔化したが、牛尾さんって結構勘が鋭いのね。桑原、桑原……。
「という訳だ」
牛尾さんがポケットに手を突っ込んで、何かを取り出した。そして、それを私に投げてよこした。
「これ、使えよ」
牛尾さんが放って寄越したものを見て、愕然とした。
「これ、黄色のピアスじゃないですか! どうしたんですか?」
これは大変貴重なもので、現開発スタッフの牛尾さんですら、量産出来ない筈だ。こんな気軽に、私に寄越して大丈夫なのだろうか。
「月島からもらった。いや、正確にはお前が昨日月島に渡したものだな。お姫様の件を報告したら、お前に渡せってさ。それで昨日行った異世界に戻って、姫様を戻せるように動けだそうだ」
確かアーミーが使っていたものだ。血の匂いがしてきそうで、ちょっと嫌だが、あの世界に行くためには、これの力に頼るしかない。
「お前と一緒の方がそっちの親友も組みやすいだろうってね」
たぶん昨日キメラと遭遇したことを気にしているんだろう。自分一人で動くより、私と瑠花で組んだ方が、フットワークが軽いと考えたのかもしれない。
「ていうか、うちは強制参加か!」
瑠花が納得いかなそうに叫んでいるが、同じ黄色のピアスを持った親友同士、仲良くやりましょうよ。
「いざとなったら、『異世界交換』で呼び出せとも言っていた」
「OK!!」
まあ、今回はティアラを異世界に連れ戻すだけだから、力を借りるような事態にはならないと思うけど。
私はティアラのところに行って、不安を取り除こうと、なるべく優しく見えるように意識して笑顔を作った。
「待っててね、ティアラ。あなたの世界にきっと帰してみせるから」
「はい!」
ティアラは嬉しそうに頷いた。本当に気持ちの良いほどの笑顔ね。
「約束したところ、水を差すようで悪いけどな。どうやって帰すんや? キメラがどうやってこっちの世界に連れてきたのかも謎なんやろ?」
「たぶん特殊能力でしょ? ティアラがいた世界のどこかに、また御楽が現れると思うから、とっちめて戻させる。うん、完璧だわ」
この方法で問題ないと思うのだが、瑠花は妙に不安そうにしている。きっとキメラに刃向うのが、心苦しいのだろう。
「ま! 悩んでいてもしゃあないし、出たとこ勝負でどうにかなるやろ」
吹っ切れたように瑠花が言う。小声で、「真白の行き当たりばったりは今に始まったことやないしな……」と呟いていたが、私は気にしない。
「ほな、行くで!」
「おう!」
瑠花と仲良く宣言して、異世界へとログインした。




