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第百七十話 日常への凱旋

第百七十話 日常への凱旋


 キメラの後を追って、揚羽も自分の命を落とす。燃え上がる恋をしたいと時々聞くけど、彼女の場合は、本当に燃え上がっちゃったのね。揚羽の死にざまを見ながら、呆れ半分、そこまで出来る存在がいることへの羨ましさ半分の想いが浮かんで消えていった。


 その後は、いくら待っても、新たな来客が訪れることはなかった。


 脅威が去ったことを実感し、次の仕事として、カプセルに幽閉されている開発スタッフの人たちを助けることにしたけど、もう手遅れだった。何故なら、みんなの命はもう尽きていたから。


 この中には、牛尾さんの知り合いも大勢いるのだろう。煙草に火を付けながら、感慨深そうに、死体となった彼らを見つめている。


「そうか。私やイルのようにカプセルが開かなかったのは、もう死んでいたからか。もっとふてぶてしく生き残ると思っていたのに、コロッと死んじまったな」


「私は自力で開けたんだけどね!」


 牛尾さんには、自分もモルモットにされそうになっていたことは黙っていましょう。下手に取り乱されても面倒なだけだわ。


「うちの馬鹿親父のせいで……。ごめんなさい……!」


 一人一人に、深々と頭を下げて回った。こんなことをしても、この人たちの怒りは収まらないだろうけど、謝らずにはいれなかった。


「こう言っちゃなんだが、死んで良かったんじゃないのか? 目覚めたら老婆なんて、私なら死んでもごめんだ」


 確かにその通りかもしれない。となると、もしあのまま牛尾さんがモルモットにさせられて老婆になっていたら、今頃は首を括っていたのね。


「さっきからどうした? ことあるごとに私の顔を見やがって……」


「いや、深い意味はないです」


 冷や汗を流しながら適当に濁していると、イルが辺りをキョロキョロと見回しながら言った。


「他にはいないのかな? 幽閉されている人……」


「いないとも言い切れないな。『アップデート』のデータ収集に、結構な人数の犠牲が必要だったんだろ?」


 言われてみれば、ここにいないというだけで、別の場所に幽閉されている人だっているかもしれない。


「探しましょう。もしまだ間に合うのなら、助けないと……」


 救える命は一つでも多く救わないと。


 現実世界に帰る前にキメラの拠点となっていたビルを探索してみたけど、もう誰も残っていなかった。一人くらいは生き残っていることを期待したけど、無情にも希望は見いだせなかったわ。


 御楽の姿も見えないわね。あいつのことだから、どうせこのビルを後にしているんでしょうよ。キメラに対して感謝の念くらいはあるでしょうけど、さすがに後を追うようなことはしなかったか。


「結局生き残ったのは私たちだけか……」


「そうみたいですね……」


 ビルの二階にある休憩スペースで椅子に腰から座りながら、自動販売機から無料で失敬したジュースを飲みつつ、上がらない戦果を悔やんだ。


 せっかく生き残ったのに、気持ちが晴れないなあ。私たちだけ生き残っちゃってごめんなさいって気持ちが、どうしても湧き上がってきちゃう……。


「真白。お前が責任を感じる必要なんてない。心配しなくても、ここで死んだ人間たちの恨みなら、今頃張本人であるお前の親父が、あの世で受けているさ」


「ははは……。成る程! それはあり得ますね」


 牛尾さんの一言のおかげで、だいぶ気持ちが楽になったわ。


「それより……」


 牛尾さんが視線を、ぶどうジュースを飲みながら、私のひっついているイルに移すと、難しい顔で話した。


「イルはどうするんだ? そいつ、プログラムだから、実体なんてないだろ。残念だが、ここでお別れだぞ」


「あ、そうか……」


 どうしよう。そのことをすっかり忘れていたわ。私、そんなことにも気付かないで、イルへ一緒に暮らそうって誘っていたのね。今更、現実世界に連れていけないなんて言い出しづらい雰囲気……。


「私、実体あるよ!」


「「マジ!?」」


 驚きのあまり、声がはもってしまったではないか。私と牛尾さんが顔を見合わせると、イルがニコニコと詳細を話してくれた。


「現実世界で行動することになっても困らないように、マスターにお願いして、特別に作ってもらったの!」


 現実世界で行動させる予定なんてなかったでしょうに。きっとイルを思惑通りに行動させるために、偽のご褒美を用意したのね。本当にしたたかなお父さん。


「じゃあ、早速その場所に行ってみるか……」


「おお!」


 そうと決まれば、ここにはもう用はなかった。さっさと退散しようという話になる。


 ログアウトする前に、もう一度この世界を見回した。さようなら、本当に中身の濃い時間を過ごさせてもらったけど、もう二度と来ることもないでしょう。たぶん私たちを最後に訪れる人はもういないでしょうね。悠久の時間を寂しく過ごすことになるでしょうけど、勘弁ね。




 イルの体は話通り、現実世界の開発チームが入っているビル内の、通称”開かずの間”と呼ばれる部屋に安置されていた。てっきり約束しただけで、体なんか作っていないと思っていただけに、本当にあるのを確認すると驚いたわ。


「早く早く! 私を現実世界に招待して!」


 コンピュータの画面内からイルが急かしてくる。これを見ると、胃がキリキリしてくるわ。すっかりトラウマになっちゃっているわね。


「そう急かすな。今意識を移しているから。しかし、本当によく出来た体だな。人体と同じ成分で作られている。成長も出来るみたいだ」


「大人になれるってことですか!?」


「そうだ。だから、一緒に暮らしていても、周りから怪しまれることはない」


 人工物なのに、成長までするとは、そりゃビックリだわ。お父さん、やる時にはとことんやるのね。少し惚れ直したわ。


 お父さんを評価している横で、牛尾さんはパソコンのキーボードを軽快に操り、かつて私の意識を水無月くんの体に入れた時と同じ要領で、イルの意識を移したのだった。う~む、早業!


 体を乗り換えると、イルはすぐに目を開けて、私に抱きついてきた。初めて使うからだとは思えないくらい軽やかな動き。なかなか順応するのが速いわね。子供だからかしら。


「えへへ! これで晴れてお姉ちゃんと一緒に暮らせるね」


「そうだね。よろしく、イル」


 今はお兄ちゃんね……。人前で呼ばれると、さすがに変な目で見られてしまうので、底は訂正させないと。


「ちなみにイルの住む場所はどうするんだ? まあ、月島に泣きつく以外、考えられないけどな」


「そうそう! 月島さんに事情を話して、お願いして……。ハッ……!」


 その時、月島さんのことを思い出した。そうだ。現実世界に戻ってきたら、真っ先に様子を見に行こうとしていたじゃない。


「そう言えば月島さんは?」


「む……!?」


 牛尾さんの表情がわずかに強張る。え、何? 私が知ると驚くような、不味いことでもあったの?


 心臓がドクンドクンと波を打つ。不安も増してくる。こうなると、もう自分の目で確認するしかない。牛尾さんにお願いして、月島さんに会わせてもらうことにしたわ。




 月島さんは重傷を負って、ベッドに寝かされていた。痛々しい姿だけど、牛尾さんによれば、命に別状はないとのこと。最悪の事態も考えていただけにホッと胸を撫で下ろした。


「牛尾さんが変な顔をするから、心配しちゃったじゃないですか……」


「いやいや。これも結構心配に値する事態だと思うぞ?」


 常人ならそうでしょうけど、月島さんなら問題の内に入らないでしょ? などと、本人が聞いたらショックを受けることを内心でこっそり考えたりしていた。


「月島さんはどうしたんですか? この怪我はやはり喜熨斗さんが?」


「違う」


 この一言で、喜熨斗さん犯人説は消えたけど、それなら誰の仕業についてかは、どうしても教えてくれなかった。「そいつはもう死んでいる。それで償いは終了しているから良いだろ?」とのことらしい。


「本当なら数か月はベッドから動けないほどの傷だが、月島なら二週間もあれば十分に退院できるだろ」


「相変わらず丈夫な上に、傷の治りが速いですね」


「若き日に無茶を繰り返した結果だ」


 牛尾さんはケラケラと笑っていたけど、あまり喜ぶことじゃないわね。


「月島が退院するまで、しばらくあの広い部屋で一人暮らしすることになるけど、大丈夫だよな」


「ええ」


 腕には自信があるので、多少の間なら、トラブルに見舞われても、どうとでもなるでしょう。それに……。


「それに一人じゃありませんよ。かわいい同居人がもう一人います」


「成る程な」


 イルと見つめ合って、お互いにニッコリする。約束通り、一緒に暮らしましょうね、イル。


次回、最終回です。

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