第百六十七話 最愛の存在
第百六十七話 最愛の存在
『アップデート』の暴走により、私は老衰で短い生涯を閉じた。死ぬ瞬間にお父さんと目が合ったけど、最期の瞬間が無情にも訪れる。まるで暗幕が降りるように、私の意識、及び人生が幕を閉じていった。
「やれやれ。かなり手こずったけど、無事に終わってくれたか」
私が完全に消滅したのを確認したキメラが、ふう~っとため息をついて、カプセルの一つに腰を下ろした。室内を見回すと、戦いの爪痕が思ったより深刻なのを確信する。
「我ながら派手に暴れたものだな。一休みしたら、マスターを別の部屋に移して、部屋の修理をしないと……。それが終わったら、新しい二体のモルモットで、『アップデート』のデータ収集だ」
カプセルの中で物言わぬ状態になっている、イルと牛尾さんを横目に、キメラはクスリとほほ笑んだ。
さっきまであんなに激しい戦闘が繰り広げられていたのが嘘のように、室内は静まり返っていた。
ふと、自分の体に異変が生じてきているのに、キメラが気付いた。
「……体が消滅していっている」
キメラが現在使っているのは、私の元の体だけど、それが消滅しているのだ。でも、キメラは慌てない。こうなることを予期していたからだ。
「やはりこうなったか……」
キメラの体が消滅しているのは、私が『アップデート』を使ったからに他ならない。使えば使うほど、老衰していく副作用は、私の元の体にも及んでいたのだ。私の精神の方が死んだのだから、体の方も影響を受けて消滅していく。ただそれだけのことなのだ。ただ精神に比べて、肉体への副作用が遅れてやって来たというだけのこと。
「やれやれ。僕と真白は完全に分離しているから、この体は影響を受けずに済むかと思ったんだけど、やはり駄目だったか……」
あまり残念そうでない口ぶりで、キメラはちらりと、『アップデート』のデータ収集に使う筈だった牛尾さんを見る。
「仕方がない。次は彼女の体を使わせてもらうか。この体も結構気に入っていたんだけど、モルモットに使う前にほろび始めてくれたのが、せめてもの幸いか」
気に入っていたですって。人の体をまるで物みたいに言ってくれるわ。どうせ牛尾さんの体に乗り移ったら、住めば都で、そっちの体も気に入ったとか言い出すんでしょうけどね。
牛尾さんの眠るカプセルへと近付いて、私の体を奪った時と同じ要領で、体を乗っ取ろうとするキメラ。でも、そこで別の異変が生じていることに気付く。
「……? 乗り移ることが出来ない?」
そんなに難しいことではないのに、上手くいかない。このままでは実態を失ってしまうことになるキメラは少々慌てた。いや、それだけではない。さっきまで自分の持っていたあらゆる力が使えなくなっているのだ。実態を失うことより、そっちの方がキメラにとって憂慮すべき事態だった。
「分からないの?」
いつの間にかカプセルが開いて、イルが外に出ていた。
「ど、どうしてお前が……。いや、そんなことはどうでもいい。何が起こっている。知っているのなら、説明しろ!」
カプセルの中で眠っている筈のイルが起き出していることに動揺しつつも、口汚い命令口調で、説明を強要した。
文句の一つも言っても構わない状況なのに、イルは特段気分を害した風でもなく、むしろキメラを憐れむように説明を始めた。
「私たちが創られた時に、マスターに言われたよね。娘たちに、必要以上に危害を加えちゃいけないって。忘れたの?」
これはキメラとイルが作られた時に、最初にお父さんから下された命令の一つらしい。これまで私がキメラにされた所業を思い浮かべると、あまり守られてはいなかったようだけどね。
「忘れていない! 忘れたことなんてない!!」
厚かましいことを、自信たっぷりに言うキメラには尊敬の念さえ沸くわね。よくぞ、そんな台詞を吐けたものだわ。
「でも! 百木真白の場合は仕方がなかった。潰さなければ、僕がやられていた。正当防衛だ。それとも、マスターは僕に大人しく殺されろというのか?」
「そうよ」
あっさりとしたイルの回答に、キメラが唖然として言葉を失う。メインプログラムである自分の言葉が、ここまでキッパリと否定されるとは思っていなかったのね。
「それが嫌なら、お姉ちゃんの言う通りにすべきだったの。さすがにマスターの前で、お姉ちゃんを始末するのはやっちゃいけないことだね。自分の愛娘が殺されれば、親なら怒りを露わにするものなんだよ」
いくら自分にとって大切なゲームのメインプログラムとはいっても、家族には及ばない。そこがキメラの限界だったのだ。
「そ、そんな……」
マスターに見捨てられる。これまでお父さんに尽くしてきたキメラにとっては、もっとも受け入れがたい現実だった。許しを請うように、カプセルの中のお父さんを見つめるけど、その時に気付いてしまった。自分の体だけではなく、お父さんの体まで消滅しだしているのを。
「マ、マスターの体が消滅しているだと!? どうしてだ! 安全なカプセルの中にいるから、誰にも危害は加えられない筈だぞ!?」
「分からないの?」
さっき言ったばかりの台詞をもう一度呟く。自分が知らないことを全部知っている風なイルに、キメラは忌々しそうに舌打ちをする。
「これは君の仕業か? 殺されるのが嫌だから、マスターを手にかけるつもりか?」
「違うよ」
的外れなことを言うなという顔で、お父さんに何が起こっているのかを話す。
「お姉ちゃんを生き返らせるつもりなんだよ。最愛の妻を生き返らせるはずだった力を使ってね」
「何だと!?」
今死んだばかりの私を生き返らせるという。でも、それでどうして消滅することになるのかしら。
「そ、それは、僕が行う筈だったことじゃないか。僕以外が無理に実行しようとすると、タダじゃ済まない。モルモットで実験済みだろ!?」
「娘が死んだせいで、マスターは動揺しているのかもしれない。単純に、娘を殺したあなたの力を借りたくないだけかもしれない。どちらにせよ、マスターは自分の命と引き換えに、お姉ちゃんを生き返らせるつもりなんだよ」
「命と引き換えにだと……!?」
お父さんが自ら命を投げ打とうとしていることを聞き、キメラの顔色が一気に青ざめる。最早、イルには目もくれずに、お父さんの眠っているカプセルにすがりついて叫んだ。
「や、止めてくれ、マスター。あなたは……。あなたは死んじゃいけないんだ! お願いだ! 死なないでくれ!」
嘘偽りのないキメラの本心だった。キメラにとって、お父さんは全て。崇拝すべき対象であり、存在理由なのだ。
「無理だよ。私たちの声はもう聞こえない。マスターは、お姉ちゃんを生き返らせることで、頭がいっぱいなんだよ」
「ク……! そ、それなら、こうしよう。マスターの代わりに僕の命を使って、真白を復活させるんだ。僕は消滅してしまうけど、君は助かる!」
驚いたことに、お父さんの代わりに、自分の命を差し出すとまで言い出した。しかし、そこまで言われても、お父さんの消滅が止まることはなかった。
やがて、カプセルの隣に人影が発生した。徐々に具体的な形を取っていき、ついに人間が一人形を保つようになった。
「こ、これは……」
「お姉ちゃんが復活した……。だけど……」
さっき命を落としたばかりの私が、再びこの世に生を受けたのだ。何かオカルトな話だけど、キメラも死人に黄色のピアスという新しい命を与えて復活させていたので、出来ないことではないのだ。ただし、それはキメラだからこそ、出来たこと。本来そんな力を備えていないお父さんが、この力を使おうとすると、当然タダでは済まない。
「マスター! マスター!!」
子供の様に泣きじゃくるキメラに看取られながら、お父さんは消滅していった。後に残されたのは、無人のカプセルのみだった。その横で、私は穏やかに寝息を立てている。
「……もうマスターが、あなたの力を制限していないから、体を乗り移ることが出来るよ」
無駄だと知りつつも、キメラに呼びかける。だけど、キメラが再び体を乗り移ろうとすることはしなかった。
「マスターが死んだのに、これ以上生き永らえてどうするんだい?」
涙にまみれた顔で、イルに問いかける。そう言うだろうと思っていたけど、イルはやはり悲しくなってしまい、一緒になって泣いた。
生きる理由を失ったキメラは消滅していった。本当なら、体を失うだけなので、また実態を持たないプログラムになるところを、敢えて自分で命を絶ったのだ。
「あなたがマスターのために誠心誠意つくしていたことは、私が一番知っているよ。でも、やり過ぎちゃったんだね……」
キメラがいた場所を見つめながら、イルが悲しそうに呟いた。殺されそうになったとはいえ、自分の兄ですもの。いなくなっちゃうのはやっぱり悲しいのね。
真白が前回老衰で死んだことについての補足ですが、根性や能力で力の差を埋めて、主人公補正によって、ラスボスに勝つという展開がありきたりに感じたから、ああいう展開にしたというのもあります。




