第百五十六話 おちょくられた彼女
第百五十六話 おちょくられた彼女
揚羽との交戦中、喜熨斗さんと牛尾さんが追いついてきた。でも、その中に月島さんの姿を確認することが出来なかった。おかしいわね。普通なら、こういう場面には、真っ先に駆けつける人なのに。
不思議に思って聞いてみると、二人の表情がほんの少しだけ曇ったのを、私は見逃さなかった。
不穏なものを察知して、すぐに問い詰めたけど、のらりくらりと躱されるばかり。だんだんもどかしくなってきたわ。
ちょっと! 何か言ってよ。月島さんが殺しても死なない人だってことはよく知っているけど、そう真剣な顔で黙られると、不安になってくるじゃないの。
「月島さんに……、何かあったの? ここに来られないほどの何かが……」
最悪の展開が頭をよぎりだしたころ、喜熨斗さんが口を開いた。
「いろいろあって、寝ているだけだ。日頃の激務もたたっているから、一度しっかり休ませようって話になっただけだ。心配するに及ばねえよ」
どうも疑わしかったので、牛尾さんを見ると、首を縦に振っていた。ただその速度が少々速い。気にかかるリアクションねえ。
月島さんの顔を見れば、不安は解消するんでしょうけど、こんな調子じゃ、募っていく一方だわ。
「不安か?」
「ええ、まあ……」
私が全然信用していないのを見て取って、喜熨斗さんが声をかけてきてくれた。基本的に人を気にかけるタイプじゃないので、よほど心配されているのね。
「一つ、打開策を提示してやる。キメラをとっととぶっ倒せばいいんだよ。そうすれば、様子を見に戻れるだろ」
あ、そうか。どっちみち、キメラは一刻も早く倒したい相手だし、それなら万事解決よね。
「そう言う考え方も出来ますね」
上手く丸め込まれてしまった気もするけど、仮にそうだとしても、この目で直接月島さんを拝まないと安心できないのも事実なんだから、ここはキメラの元へ急ぎましょう。
「まあ、そういう訳だ。人数は揃ったし、早くキメラのところに行こうや。向こうだって、きっと俺たちのことを待っているぜ」
何か忘れている気がするけど、まあいっか。忘れるほどのことだし、たいしたことじゃないわよね。
こうして、私たち三人はキメラの元へと向かうことにしたのだった。
「ちょっと待ちなさいよ!」
キメラのところに向かおうとする私たちを揚羽が呼び止めた。ちょうど歩き始めたばかりの私たちは、ピタリと歩を止めた。
「さっきから黙って話を聞いていれば、最終的に出た結論が、私のことを素通りして、キメラのところに殴り込みだあ~? 人を舐めるのも大概にしろや……」
完全にコケにされた揚羽が怒号を放った。怒るのも無理はないので、今回ばかりは素直に申し訳ないと思ったわね。
言い訳をする気はないけど、月島さんのことを心配するあまり、揚羽のことを本気で忘れていた。さっきまで殺し合いをしていた仲なのに……。あんなにぶっ殺そうと腸が煮えくり返っていた筈なのに。
「ごめんね。獅子と蜘蛛の人形を倒したから、もう全部終わったつもりでいたみたい」
「な……」
心底唖然とした顔で、揚羽が呆気にとられてしまう。まさか私に本気で謝られるとまでは思っていなかったのでしょう。忘れ去られていた怒りすらも、一瞬遠のいてしまうほどの衝撃を受けていた。
「ふ、ふざけないでよ……。ちょっと有利になったからって、すぐに忘れやがって」
全くもって、揚羽の言う通りだわ。もし、話しかけられずに『スピアレイン』を撃たれていたら、アウトだった。油断なんて以ての外ね。
「あなたのことを忘れちゃってごめんね。お詫びに倒さないで先に進むから、それで勘弁してよ」
「な、な、な……」
気を遣って発言したつもりが、さらに揚羽を怒らせる結果になってしまった。
「あんたたちって、本当にムカつくやつらね……。人をおちょくることに関しては、天才なんじゃないの?」
忘れていたことは悪いと思っているけど、あなたに言われたくはないわ。でも、戦闘は避けられない雰囲気ね。私の方が数的有利な状況だから、せっかく見逃してあげるって言っているのに、ご苦労なことだわ。
とにかく、何が何でも交戦しないと気が済まないようね。そういうことなら、仕方ないわ。乗り気じゃないけど、決着をつけるとしましょうか。
揚羽から宣戦されて、仕方なく前に出ようとした私だったけど、それを牛尾さんが右手で制した。
「ああ、いいよ。お前は引っ込んでいて。こいつは私がやる」
同じことを喜熨斗さんが言うのなら分かるけど、まさか牛尾さんから言われるなんてね。意外に思う一方で、戦闘が出来るのか不安に思う気持ちの方が強かった。私の記憶では、前回の揚羽との対戦では手も足も出ないまま、ログアウトに追い込まれていたわよね。
でも、私以上に驚いたのは、揚羽の方だった。私や喜熨斗さんが出てくると思っていたところに、予想外の人物が顔を覗かせた訳だから、当然と言えば当然よね。
「こ、このおばさんが私の相手?」
「お姉さんだ」
失言に対して、素早く突っ込んだ。確か牛尾さんは、月島さんと同年齢の筈だから、二十〇歳ということになる。そんなムキになって訂正することもないと思うんだけど、きっと微妙なお年頃なのね。
低い声で、「お姉さんだ」と言われて、多少は動じたものの、揚羽はすぐに顔を引き締めた。
「その人……、あまり荒事とか得意じゃないでしょ? はっきりいって、相手にならないわよ」
あからさまに舐められているけど、牛尾さんは気にする素振りもなく、煙草に火をつけていた。そして、ゆったりとした物腰で、煙を吐き出すと、これまたのんびりと語りだした。
「前回も手を抜いていた訳じゃないが、準備不足は否めなかった。という訳で、今回は道具の力に頼ることにした。短期間のうちに、結果を変えようとした場合、物に頼るのが一番手っ取り早いからな」
おそらく今までの人生でも、面倒くさくなったら、幾度となく道具に頼って解決してきたのだろう牛尾さんが得意そうに、黒いボール状のものを取り出した。そんなんだから、運動不足に陥るのよと思いながらも、見守ることにした。
「そのボールをどうするつもり? やっぱり私に向かって投げるの?」
「他に何がある? そんなことをいちいち説明させるなよ」
揚羽が顔をしかめる中、牛尾さんは華麗とは言い難いフォームで投球した。
ロボットみたいにぎこちない動きの上に、肩も出来上がっていないのだろう。地面にワンバウンドしないことが不思議なくらいの、ひどい投球だった。
「わあ……。遅……」
ボールを放られた揚羽も、へぼ投球過ぎて、馬鹿にするのも忘れて、気のない言葉を呟きながら、ボールを避けた。
ボールはそのまま地面に落ちるかと思われたけど、いきなり宙で停まったかと思うと、踵を返して、避けたばかりの揚羽の頭にヒットした。
「む!」
「ふふふ。油断大敵」
無事にボールをぶつけられた牛尾さんはしてやったりという表情をしている。
「……それで?」
てっきり苛立って声を荒げてくると思ったら、揚羽は意外にも冷静。
「見事な不意打ちね。と言いたいところだけど、これが何だっていうの? ボールをただぶつけただけじゃ、ピアスでダメージを無効にしていなくても、私を倒すことなんて出来や……」
そこまで言ったところで、揚羽の動きが止まる。自分の体に異変が起きていることを察知したのだ。
「お前、今何をした?」
「そんな大層なことはしていない。この世界のどこかに飛ばされるだけだ。痛くないから、警戒する必要だってない」
見ると、さっき揚羽にぶつけたボールが輝いていた。
「こいつを当てられたやつは、どこかに飛ばされるんだ。面白いだろ?」
「! そ、そんなアイテム、知らないわよ」
「当然だろ。このボールは、最近完成したばかりなんだ。お前らのマスターだって、知らない新規のアイテムさ。私はこのゲームの現開発スタッフだから、こういうことが可能なんだよ」
「~~!!」
驚愕の表情のまま、揚羽は本当にどこかへと飛ばされていった。
「はい、これにて、一丁上がり!」
息一つ乱さずに、揚羽を片づけた牛尾さんが勝利宣言。さすがは現スタッフといったところかしら。




