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第百五十五話 出戻りナイフ

第百五十五話 出戻りナイフ


 ようやく蜘蛛の人形を倒したというのに、消滅していないせいで、でかい図体が私に乗っかかっていた。依然身動きが取れない。そこを揚羽が突いてきた。この機に、私を潰すつもりでいるの。


 でも、そうはさせない。お供の人形は、二体とも倒して、今のこいつは丸腰同然。チャンスがあるのは、むしろ私の方なのよ。


 互いに、自分に勝機があると感じ、次の一撃で勝負を決める気満々。


 熱い火花を散らせながら、差し違えんばかりの殺気で、『スピアレイン』の早撃ち勝負に移行しようとした時だった。


「おいおい……、盛り上がっているじゃねえか。俺も混ぜてくれよ」


 低いけど、聞き覚えのある声が揚羽の後ろからしてきた。いつの間にか揚羽の後ろに誰かが立っていた。その何者かが右手を振り上げる。手に何か持っているわ。それがキラリと光る。あれは、……ナイフ!?


「はっ……!?」


 殺気を感じて、揚羽が攻撃を中断して一旦退く。蜘蛛には、死んでも退くなと言っておいて……。でも、それで正解だったみたいね。揚羽がいたところに、斬撃が振り下ろされた。あのまま立っていたら、今頃お陀仏だったわね。


「あ~あ、避けられちまったか。まあいい。代わりに、このでかぶつを細切れにしてやろう……」


「だ、誰……?」


 殺気にびびって逃げたくせに、揚羽が威嚇するように呟く。


「おいおい、さっきまで仲間だったやつに対して、誰とはご挨拶だな。それとも、本当に忘れられちまっていたのか?」


 私にも、揚羽にも、聞き覚えのある声で、男が振り返った。


「喜熨斗さん!」


 月島さんと決闘をしていた筈の喜熨斗さんが、そこにいた。


「お! 真白の方は、俺のことを覚えてくれていたようだな。嬉しいぜ」


 そりゃ忘れませんよ。あなたとの間には、いろいろありましたからね。殺されそうになったことも、殺されそうになっているところを助けられたことも、あります。


「私だって、忘れた訳じゃないわよ。何? 勝負に負けたから、罰ゲームでキメラを裏切るとか抜かしていたけど、本格的に歯向かいにきたの?」


「罰ゲームじゃねえよ。約束だよ」


「どっちも似たようなものでしょうが!」


 そうなんだ。私が喜熨斗さんと別れた後のことを、揚羽が忌々しそうな顔で説明してくれたので、状況を理解できたわ。


「そういう事情があってよ。またお前らの仲間になることになった。よろしくな」


 あれだけ堂々と裏切っておいて、よくも言えたものね。喜熨斗さんなら、平気でやりそうなことだけど。それにしても、こっちを裏切って、またあっちを裏切って、何かせわしない人ね。


「という訳だ。まずは景気付けに……と」


 手に持っていた緑色のナイフで、蜘蛛の人形の物言わぬ残骸を千切りにしてしまった。そのおかげで、何はともあれ、これで自由になりました。


 上半身を起こすと、大きくため息をついた。ああ、重かった……。


 体を伸ばしながら、喜熨斗さんを見た。当の喜熨斗さんは、揚羽を見ながら、にやついている。まるで、これから獲物を狩るハンターみたいね。


 さっきまで二体の人形を揃えて、数的有利に立っていたのに、今ではこっちの数が多い。形勢逆転ってやつかしらね。向こうも、それは分かっているらしく、明らかに苛立った顔をしている。人を見下した笑みはすっかりなりを潜めているわね。


「ずいぶん涼しい顔をしているわね、喜熨斗。ほいほい人を裏切る戦闘狂のくせに。真白、あんた、そいつに殺されかけたことがあるんでしょ? 今更、背中を預けることなんて出来るの? 喜熨斗の顔を見てみなさいよ。反省なんかしちゃいないわよ。またきっと裏切るわよ」


 自分だって、人を散々裏切ってきたくせに、よく言うわ。でも、言っていることは正論ね。それなのに、不思議と、喜熨斗さんを疑う気にはなれないのよね。絶対の信頼を寄せている月島さんの親友だからかしら。


「別に俺のことを信じなくても良いぜ。俺は俺で、好きにやらせてもらうからな」


 当の喜熨斗さんは、私に信じてもらおうと努力することもなく、相変わらず飄々としていた。この人も相変わらずねえ。


「しかし、良い感じでヒートアップしているじゃねえか。乱入した甲斐があるってもんだぜ」


 周囲の状況を見回した後、戦闘が佳境に差し掛かっていることを理解して、心底愉しそうに呟いた。本当に戦うことが好きなのね。


 揚羽と対面する形で、ニヤリとした喜熨斗さん。まあ、いいわ。また裏切るかもだけど、今は頼もしい仲間として、期待することにしちゃいましょう。


 そう思っていると、喜熨斗さんが私を見ながら、何かに気付いたようにまじまじと見つめてきた。私の顔、何かついていますか?


「あん? お前、この間会った時よりも大人びてねえか?」


 喜熨斗さんが、私をじっと見ながら、何の気なしに呟いた。でも、その言葉は私の心にグサリと刺さった。


 そうだ。『アップデート』をまだ発動していたんだっけ。体も自由になったし、十分に能力も上がった。もう出番は終了ね。


 このままおばさんになりたくはないので、すぐに能力を解除……。解除……。あれ? 解除出来ない。


 能力を解除しようとしているのに、依然、『アップデート』が発動し続けているのだ。もう必要ないのに。まずい。このままだと、どんどん歳を取って、お婆ちゃんになっちゃう。というか、老衰で死んでしまうわ。


「ちょっと! もうあんたの出番は終わったのよ。だから、もう解除されなさい!」


 だんだん心拍数が上がってくるのに、能力は発動したまま。どうして解除できないのよ~~!


「おい、どうした。いきなり焦りだして。何か不味いことでも言ったのか?」


 喜熨斗さんにしては珍しく、私の様子を気にかけてくれている。でも、当の私はそれどころではなかった。


 お願い! お願いだから、解除して! そう心の中で何度も念じながら、能力解除を続けていた。おそらく、今攻撃されたら、ひとたまりもないでしょうけど、それどころじゃない。


 結局、それから五分くらい奮闘した後で、やっと能力の解除に成功された。使う度に、効果がランダムで変化する上に、能力の解除もなかなか出来ないなんて、どこまで欠陥だらけの能力なのよ……。『アップデート』のおかげで助かったのは事実だけど、効果を知っていたら、絶対にもらわなかったわ。


「おいおい。汗びっしょりだぜ? 何をしたいんだ、お前は?」


 『アップデート』のことを知らない喜熨斗さんが、奇妙なものを見る眼差しを向けてくる。


「ちょっと……。想定外のことが起こっちゃいまして……。でも、もう大丈夫です」


 荒い呼吸をしながら言っても、説得力ゼロよねえ。でも、もう一人、私の他に荒い呼吸をしている人がいた。いや、正確にはやって来たというべきなのかしら。


「はあ、はあ……。ま、待て、喜熨斗……。私を置いていくな……」


 汗だくで、牛尾さんが走ってきたのだ。何故、牛尾さんが?


「あ、こいつ。私がゲームオーバーにしてやったやつじゃない。性懲りもなく舞い戻って来たの?」


「今頃到着か。おせえぞ、牛尾」


 必死で駆け付けたのに、温かい出迎えはなし。悲惨ね。


「あ、あの……、牛尾さん。ここには何をしに?」


 「黙れ!」と睨まれた。いえ。私の助っ人に駆けつけてくれたことは分かるんですよ。でも、到着早々、ばてばてじゃないですか。


「喜熨斗め……。私を置いていきやがって……」


「けっ! あの程度で撒かれちまうお前がとろいんだよ」


「わ、私はか弱いんだよ」


 話を聞いていると、どうやら最初は二人で行動していたけど、喜熨斗さんが途中からペースアップして、牛尾さんを置いてけぼりにしたようね。呆れ気味に二人を眺めていると、いるべき人の姿がないことに気付いた。


「月島さんは?」


 こういうのも何だけど、喜熨斗さんたちより、月島さんの方が駆けつけてくれそうな気がするのよね。それが不参加とは、どういうことなのか、やはり気になる訳よ。


「あ、ああ! 月島はな……」


「あいつなら、遅れてくるよ」


 あれ? あんなに言い争っていたのに、月島さんの話題を口にした途端、急にしどろもどろになったわね。


「ふふん! 正直に話してあげたら? いずれ分かることでしょ?」


 妙に知ったふうな顔で、揚羽がニヤついている。いや……、この顔は、確実に何かを知っている。


「ねえ、月島さんに何があったの?」


 嫌な予感が脳裏をよぎった私は声のトーンを下げて、聞き返していた。


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