第百三十九話 飛ぶ鳥を落とす気合い
第百三十九話 飛ぶ鳥を落とす気合い
思うところがあって、進路を変更。水底から、水面に向けて、浮上を続けていた。
潜る時に酸素クラゲの数をだいぶ減らしてきてしまったので、途中、酸素を補給する際はとても苦労したわ。クラゲがなかなか見つからなくて、息が切れそうになる場面が次第に増えてきて、それに比例して焦りも増えてきたわ。
「どうして、水面に出ようなんて思い立ったの? これ以上潜るのが嫌になったとか?」
私に奇行が気になるのか、イルが執拗に聞いてくる。潜るのが嫌? そんなの最初からよ。さらに言うなら、下着姿になるところから、嫌だったわ。でも、私が水面に向かって戻っているのは、もっと合理的な理由からよ。
「哀藤の居る場所に見当がついたの」
ほとんど勘だけどね。当てずっぽうで、水中を彷徨うより確実だし、安全だわ。
だから、大船に乗った気でいなさいと、イルに笑いかけたけど、向こうは不安そうにしている。私のことを信用していないのかもしれないけど、どうせ抱きついている身なんでしょ。だったら、一蓮托生よ。四の五の言わずに、私の胸元で、じっと大人しくしているのね。
「さあ、そうと決まればスピードアップよ! 呼吸に苦労するのも、もう一息の辛抱だわ」
実際、潜る時に比べて、上昇する方が楽だったわ。しかも、どこまで潜ればいいのか、常に不安と隣り合わせだった時と比べて、気持ちだって楽。自然と体に力が漲るのを感じるわ。
しかし、そんな私たちの前に、大きなクジラが立ちはだかった。横に避けようとすると、向こうも同じ方向に移動してきたわ。明らかに、こっちの進路を妨害しているわね。水面まであと一息だというのに、やってくれるわ。
「こんなところでまで窒息させようと画策してくるの? クジラって、もっと友好的な動物だと思っていたんだけどね」
残念なことに、クジラさんに限らず、この世界の生物が全て、私とイルの息を止めるために襲ってきているんだけどね。さっきなんて、イルカにディープキスされそうになったし、純情な乙女としては、あまり嬉しくない事態が続いているわね。
クジラさん達に恨みはないけど、ここで時間を食っている訳にはいかない。私は『スピアレイン』を発動すると、光の槍を遠慮なく連射させてもらうことにしたわ。
それからしばらくして、私とイルは、水面から顔を覗かせた。
全く! あの後、矢継ぎ早に水棲生物が浮上するのを妨害してくるものだから、何度も窒息しそうになったわ。
でも、そんなことが些細に思えてしまうくらいに、ここは天国だった。
少しの間、自由に呼吸できる喜びに浸ったわ。ああ……。呼吸できることって、こんなに幸せなことだったのね。
「それでお姉ちゃん。哀藤の居場所に心当たりがあるって言っていたけど……」
天国タイムに口を挟むように、イルが聞いてきた。本人はかなり気になっているらしく、水面が近付くたびに、そのことばかり聞いてくるのだ。ちょっと待っていなさい。私はもう少し呼吸が出来る喜びに浸りたいんだから。
最後に深呼吸すると、ようやく落ち着いた。さて。哀藤を見つけてやりますか。私の予想なら、この近辺にいる筈。
視線を空中に向けて、上空を見渡すと、こっちを見ている一羽のツバメと目が合った。
私と目が合うと、ツバメはあからさまに逃げて行こうとする。まるでイタズラがばれた子供のような反応ね。
「バレバレなのよ、哀藤!」
いくら能力で姿を変えても、それじゃ意味がないわ。演技が下手すぎる哀藤に、今までのお礼を込めて、『スピアレイン』をプレゼントしてあげた。
空中を飛んでいようと、光の槍から逃れることは出来ない。むしろ格好の的よ。命中すると、ツバメは力なく墜落していき、それに伴って、緩やかに水が引いていった。
「良かった。急に水が消失したら、どうしようかと思っていたのよ」
水面は相当の高さまで上がっている筈なので、煙のように消失されていたら、かなり高いところから落下することになってしまう。黄色のピアスがダメージを無効化してくれるといっても、心臓に悪い光景だから、警戒していたのよ。
穏やかに水が引いていったおかげで、安全に着地できた。気が付くと、あんなにいた水棲生物も、跡形もなく消えていなくなっていた。
「お姉ちゃん。あっち!」
イルが指差した先に、人間の姿に戻った哀藤が横たわっていた。
『スピアレイン』の当たりどころが悪かったらしく、もう虫の息で、私たちが違づいても、迎撃するだけの余裕は残っていなかった。ずっと力なく倒れこんでいるだけ。
もう話すのだけで、精いっぱいなのか、やっとのことで、私を見ながら、話しかけてきた。
「な、何故……、私がツバメに化けていると分かったんです? 水底にいると考えていたんじゃないんですか?」
哀藤は、私たちの位置をずっと把握していたみたいで、途中での急な方向転換が腑に落ちないらしいわね。敵に説明する義理もないけど、もう相手はノックアウト寸前。耳に付けている黄色のピアスも砕けようとしているので、記念に教えてあげましょう。
「そんな難しいことじゃないわ。水面が上がり続けるということは、底の水圧も上がり続けるということよ。変化し続ける水圧にずっと対応できる生物なんていないと思ってね。そうしたら、空中が怪しいと思ったのよ。そこなら、水が増え続けても、飛び続けていれば、問題ないからね」
この世界はどこまで行っても空が広がり続けると、イルが話していたので、気圧もそのままじゃないかと予想したのだ。
私は生物に詳しくないので、水圧に強い生物もいるかもしれないし、水圧に応じて移動している可能性だってある。よくよく考えてみれば、危ない賭けだったけど、今回は正解だったわね。
「そういうことでしたか。酸素のことを常に案じなければいけない状況で、そこまで冷静な判断が出来るとは……。恐れ入りました」
ただの美少女だと思って、私を甘く見たのが、運の尽きよ。私だって、守られているばかりじゃないんだからね。
私が勝利の笑みを漏らすのと同時に、哀藤のピアスが砕けて、どこか清々しい表情で、哀藤は消滅していった。
「どうにか勝ったね」
哀藤がいた場所を見つめながら、イルが呟いた。
この後も、戦闘が控えていることを考えると、浮かれることも出来ないけど、とりあえず第一関門クリアというところかしら。
「負けたとはいえ、最後に美少女の下着姿を見ることが出来たんだから、満足なんじゃないの?」
「……もうちょっとマシな手向けの言葉を言えないかな」
イルが呆れているけど、今頃哀藤が私を思い出しながら、ニヤついているという自信があるわ。
自慢げに話してやると、それはないと否定されてしまった。
「だって、哀藤は……」
そう言うと、イルは口ごもってしまった。一体、どうしたのかしら。言いにくいことでもあるの?
不思議に思ったけど、聞かないでおくことにしたわ。変なことを聞いて、キメラたちに同情の念が沸くようなことがあってはならないしね。
「はくしょん!」
くしゃみをしてしまった。やっぱり下着姿はきついわ。早く着替えないと。
下着姿は限界だったので、さっきのビルの屋上に急いで戻ったけど、流されてしまったらしく、私とイルの服はなくなっていた。
「とりあえず衣料品の店を探そうか……」
結構お気に入りの服だっただけに、ちょっとショックだった。
哀藤戦ですが、想定よりあっさり終わっちゃいましたね。




