第百三十八話 本当の勝者
第百三十八話 本当の勝者
不意打ちで負傷してしまった月島さんに、揚羽と喜熨斗さんの魔の手が迫っていた。
手始めに懐からナイフを取り出した喜熨斗さんが月島さんに向かって歩いていく。いくら敵とはいえ、親友だった月島さんに刃を向けるなんて……。信じられないことだけど、無情な刃は振り下ろされてしまった。
「ぐあああっ!?」
鋭利なナイフが肉を切り裂くと、盛大な悲鳴が上がった。ただし、悲鳴を上げたのは月島さんではなかった。
喜熨斗さんがナイフを振り下ろしたのは揚羽だった。
「あ、あんた……。何のつもりよ」
味方からの攻撃ということで、油断しているところをやられた揚羽は、刺された個所を抑えながら呻いた。それに対し、まさかの行動に出た喜熨斗さんは飄々としていて、悪びれる素振りも見せない。
「はん! 約束を守っただけのことだ」
「やくそ……、く……?」
「そうだ。勝負の前に、俺が負けたら、キメラを裏切って月島たちに手を貸す約束をしていたのさ」
「な、何て約束をしているのよ。で、でも、勝負に勝ったのはあんたの方でしょ。どうしてキメラを裏切っているのよ……」
頭の触れた人間を見るような眼差しで、喜熨斗さんを睨む。そんな揚羽を、喜熨斗さんもまた、理解できないという顔で見返していた。
「お前が何を言っているのか、サッパリだ。いいか? 俺は負けたんだよ。こいつに。だから、お前たちを裏切った。理解したか?」
念を押すように喜熨斗さんが言うも、揚羽はさっぱり理解できていない。ちなみに、私も理解できていない。拳銃の弾は最後まで発砲されることなく、まだ拳銃の中に収められている。そうなると、次の順番になっている月島さんがこめかみに当てて引き金を引けば、発砲することになり、負けは確定的だ。でも、喜熨斗さんは勝負は、自分の負けと言う。筋が通らないわ。
説明が必要なのを見て取ったのだろう。喜熨斗さんが丁寧に、揚羽に話し始める。
「つまりだな。五発目で、俺は当たりを引いていたんだよ。その時点で、俺の負けが確定していたのさ」
それを聞いて、揚羽は余計に混乱した。それなら、喜熨斗さんが無事でいることがおかしいのだ。
「で、でも、それなら、あなたの脳天がぶちまけられている筈じゃないの。どうしてピンピンしているのよ。そもそも拳銃に込められていた筈の弾は、どこに消えたの!?」
矢継ぎ早にまくしたてる揚羽に、やれやれという顔で、月島さんが隣のビルの壁を指差した。
揚羽が誘導されるように視線を向けると、そこには確かに弾痕が一つ存在した。それが月島さんの拳銃に込められていた弾であることは、言われるまでもなく分かった。
「さて。弾の行方はこれで判明した訳だ。どうして喜熨斗の頭を貫通しているのかなんてツッコミはするなよ。君なら分かるだろ?」
そう説明されれば、揚羽もどういうことか、把握するのに十分だったわ。喜熨斗さんが五発目の引き金を引いた時、能力を使用して、弾を貫通させたのね。それで、弾は喜熨斗さんの脳天をぶちまけることなく進み、隣のビルの壁に着弾した訳ね。
「これがイルちゃんからもらった能力、『ダブルフリーダム』の力さ!」
「それで俺の負けが確定したから、キメラを裏切って、月島の側に着くことになった。どうだ。理解したか?」
ここまでかみ砕いて説明されれば、揚羽だって理解したわ。ただ気分は非常によろしくない。得意げに宣言する月島さんに、揚羽は怒りのボルテージを上げていく。
「ゆ、許さない……。お前も……、キメラを裏切ったあんたも……、二人共私が殺す……」
怒りのあまり、肩で息をしていたけど、さすがにダメージは深刻なようで、出血は止まらず、早く手当をする必要があるのは明らか。揚羽は、構わず襲って来ようとしていたけど、喜熨斗さんがそれを制した。
「粋がるのは構わねえけど、さっさと戻って、手当てをした方が身のためだぜ。傷が深刻なのは、刺した俺がよく分かっているから、誤魔化しも効かねえ」
当初は強がろうとしていた揚羽も、全てを喜熨斗さんに見透かされている以上、素直に傷が深刻なことを認めた。もし、ここで下手に強がって、襲って来ようものなら、間違いなく傷口を重点的に狙われたので、揚羽の判断は正解といえたわ。
「こ、今回は退いてあげる……。でも……、次に会う時は許さないから……」
強い言葉を使ってはいるけど、傷が痛むのか、声に力はない。もちろん、そんな状態で脅しても、効果がある筈もない。
結局、揚羽はすごすごと逃げ帰ることになった。
揚羽の姿が見えなくなると、月島さんが安堵の息を漏らした。傷が結構深いから、安堵している場合じゃないんだけどね。
「悪いな、喜熨斗。危ないところだったぜ」
「はっ! あんな見え見えの不意打ちを食らうなんて、らしくないぞ。幸せボケでもしたのか?」
実際、幸せボケしているのは事実だけに、月島さんはちょっと苦笑いしていたわ。でも、本人はそれどころじゃないのよね。だって、二か所も撃たれているんですもの。早く手当をしないといけないのは、月島さんも同じだったわ。
「でも、よくイカサマに気付いたな。上手くやったつもりだったんだけどね」
「ふん! 毒入り饅頭の話でピンと来たぜ。あの時も、お前、途中で毒入りまんじゅうを、普通のと入れ替えただろ」
「あはは! それでばれていたか。口は災いの元だな。てっきり忘れているかと思って、油断したよ」
「何の変哲もないまんじゅうを食べて、相手が勝手にパニックを起こして、病院に担ぎ込まれたんだぞ。あんな傑作を忘れる訳がねえだろ」
不謹慎な思い出だけど、二人は当時を懐かしんで爆笑した。月島さんは傷口が開いてしまったらしく、途中でむせてしまっていたけどね。
そんな団らんタイムも、再度聞こえたパトカーのサイレンで打ち消された。
「警察がもうすぐそこまで来ているな。俺は逃げるけど、お前は警察だから、大丈夫だよな」
月島さんはちょっと考えたようだったけど、すぐに頭を振ったわ。
「説明がしんどいから、ちょっと逃げることにするわ。一緒に連れてってくれよ」
どうして警察が警察から逃げなきゃいけないのかは分からないけど、今の自分の姿を同僚に見られたくないのね。月島さんは喜熨斗さんに肩を借りながら、立ち上がったわ。
一応、傷口を縛って、応急処置はしているみたいだけど、大丈夫かしらね。
元々無理をするのが好きな二人だから、私がこの場にいて、注意しても、きっと耳を貸さなかったんでしょうね。本当に危なかったら、無理はしない筈だから、動き回る余裕がある分、大丈夫ということにしましょう。
「あん?」
ちょうど出発しようとしたところで、コンクリートの床に人形が落ちているのを、喜熨斗さんが目ざとく見つけた。
揚羽が落としていったのだろう。萌の意識が詰まった人形が、地面に落ちていた。それを拾い上げると、喜熨斗さんはどうでもよさそうに、月島さんに放った。
「ほらよ。この人形、返すわ。俺にお人形遊びの趣味はねえし、お前にとっては重要なものなんだろ?」
人形を受け取ると、傷が痛むのも忘れて、月島さんは満面の笑みを浮かべた。
「ああ、未来の家族だ」
未来も何も、もう家族よ。でも、何も知らない人が、青年が人形を持ちながら、こんなことを言っている場面に遭遇したら、間違いなく誤解するわね。喜熨斗さんは、かつての仲間が、自分とは違うコミュニティーを形成しつつあるのを面白くなさそうに見ていたわ。
「ありがとう。真白ちゃんが泣いて喜ぶよ」
「あいつに喜ばれてもな……」
喜熨斗さんは面倒くさそうにそっぽを向いた。それでも、私はこのことを知った時、喜熨斗さんにお礼を言うんでしょうね。
「さて。真白ちゃんには、すぐ追いつくと約束したけど、ちょっと寄り道することになりそうだな」
寄り道とは、萌の意識を戻すことでしょうね。そういうことなら、いくらでも大丈夫ですよ。それに、私もあられもない姿でいるから、もう少し待ってほしいというのが本音なのよね。
やっと萌に意識が戻ると思うと、嬉しいわ。




