第百七話 幼い日の約束
今回は番外編です。
第百七話 幼い日の約束
今から十年以上前のこと。お母さんが亡くなった時のことだ。
家中が葬式の準備で慌ただしくなっている中、萌の姿が見えないことに気が付いた。
どこに行ったのだろうと思ったが、すぐに見当はついた。
「何をしているの、萌?」
萌は母さんの部屋で泣いていた。お母さんが病院に行く前に、この家で過ごした最後の場所だ。萌は辛いことがある度に、この部屋にこもるようになっていた。
振り返った萌の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
母親の死を、家族で一番悲しんでいたのはこの子だ。萌はまだ幼いので、死というものを理解できているかどうかは微妙だけど、お母さんがもう帰ってこないことは、ハッキリ分かっているらしい。
「ま~た、泣いている。本当に泣き虫さんね」
「……」
いつもは言い返してくる負けん気の強い萌は、ただ私を見つめるだけで、黙ったままだ。睨みすらしない。本当に元気がないのね。
私は萌に近寄ると、そっと抱きしめた。
「お母さんが死んで悲しいのは、萌だけじゃないんだよ。私も、美紀姉ちゃんも、お父さんも、みんな悲しいんだからね」
「そんなこと……、知っているよ!」
「だったら、泣き止みなさい。萌は家族の太陽なんだからね。萌が泣いていると、みんなが悲しい気持ちになっちゃうのよ」
そう言って叱咤したが、萌はまた嗚咽を漏らした。
まだ幼稚園に入ったばかりの萌には酷なことを言っているけど、これ以上お父さんたちの心労を増やしたくなかった。私たちの前では気丈に振る舞っているけど、相当疲労しているのは分かっている。
「真白~! 萌~! 時間よ。早く来なさい!」
向こうで美紀姉ちゃんが呼んでいた。私はすぐ行くと伝えると、萌の手を引いて連れて行こうとしたが、萌はまだここにいると言って聞かなかった。
「分かった。でも、時間までには、ちゃんと来るんだよ。いいね?」
萌は軽いので、強引に引っ張っていくことも出来たけど、手荒なことはしたくなかった。それなので、萌に優しく言い含めると、私は先に行くことにした。
結局、萌は葬式には顔を出さなかった。
葬式から戻ってくると、真っ先に萌のところに向かった。萌は今朝と同じところで、まだ蹲っていた。
「どうして来なかったの?」
隣にかがんで、説教の代わりに、頭をくしゃくしゃにしてやった。いつもは嫌がるのに、今日は無反応だ。
「美紀姉ちゃん、すごく怒っていたよ」
「……」
「お母さんも怒っていただろうな。どうして萌は来てくれないんだろうってさ」
「……自分だけ先に死んだくせに」
あらら……。私のせいで、お母さんに怒りの矛先が向かっちゃいそうだわ。
「絶対にどこにも行かないって、約束したのに……。お母さんの嘘つき……」
「お母さんだって、萌とは離れたくなかったと思うよ」
お母さんは萌の後ろで、今も見守っていると、励まそうとして止めた。私は幽霊の類は信じない性質なのだ。そんな私が言ったところで、説得力はないだろう。萌がそんなありきたりなことで納得すると思えないしね。
「真白姉ちゃんも死んじゃうの?」
「死なないわよ」
いつかは死ぬだろうけど、あと百年は生き続けるわよ。妖怪と呼ばれるまでは死なないつもりだから。
私があっさりと返答したものだから、萌がちょっとだけ元気を出した。
「美紀姉ちゃんも死なない?」
「あははは。死ぬ訳がないじゃない。むしろ殺す方法を教えてほしいくらいよ」
あの人なら、妖怪と言われてからも死なないだろう。むしろ、本領を発揮して、そこからさらに元気になりそうな気さえするわ。
「もちろん、萌も死なないわよ。だから、お母さんとはしばらく会えないわね。それまで四人で仲良くしましょうよ」
萌はしばらく呆けたように私を見つめていたが、やがてぼそりと呟いた。
「嘘だったら怒るよ。お母さんの時みたいに、泣いてあげないからね」
「嘘なんかつかないよ。ずっと萌の側で、守ってあげる」
私がそう言うと、萌がまた目から涙を流した。せっかく泣き止んでいたのに、また泣き出しちゃうのかしら。
次はどう言って慰めようと考えていると、萌が小指だけ立てた状態で、右手を出してきた。
「約束だよ?」
「うん、約束」
私と萌は互いの小指を結んで、誓いをした。「嘘ついたら、ハリセンボン飲ます」と言うのも忘れなかった。
「じゃあ、もう行こうか。お父さんたちも心配しているし」
「うん!」
萌はようやく立ち上がってくれた。その後、美紀姉ちゃんにみっちり怒られたけど、良い思い出だわ。
それから時は十年以上経った。萌の側にいる約束も、守る約束も、どちらも守れていない。あなたは今、ベッドで意識を失って寝ている。喉元に槍を突き付けられた状態で。
こんな事態にまで追い込んじゃって、本当に駄目なお姉ちゃんね、私は。
番外編はいかがだったでしょうか。感想があれば、お待ちしています。




