97話 主夫です
――勇者アーサーの朝は早い。
外には出ない、もとい指名手配で出られないのだが、一日中だらだらと横になっているわけにもいかないのだ。
まずは日課の肉体鍛錬、室内ランニング、最後に聖剣での素振り1000回。これ以上の激しい運動は室内では無理。
ちなみに魔法道具屋の地下で行っているので、これをやっている内にニーエは俺の前を通り過ぎ、店へと上がっていく。
ルルさんやアリヴェーラも店内と地下の研究室を行き来しているのだが、俺はどんな目で見られているのだろうか。
さて、鍛錬が終わると夜の鍛錬まですることはない。
普段の俺は何をしているのだろう、とかない。
今までの俺に普段とかなかったし、記録の中の俺も村に居た頃は鍛錬ばかり、その後も旅と実戦経験ばかり。
簡単に言ってしまえば何をすればいいのか分からなかった。
ルルさんとアリヴェーラの研究を手伝おうとしても邪魔だと一蹴されるし、部屋に置いてある本だって別に読めるわけではない。
簡単な文字は読むことはできるが、本は何が書いてあるのかさっぱりだ。
そんなこんなで夜は鍛錬だけやって寝る。
しばらくそうした日々を重ねていても、誰かがアーサーに何かを言ってくることはなかった。
最初の数日は何も思わなかったが、段々とそれが恐ろしくなってきた。
俺は鍛錬だけしているけれど、これに一体何の意味があるのだろうか、と。
ギルドはいつになっても指名手配を外さないし、何で追われているのかも分からない。
ルルさんがギルドにそれとなく聞いてくれたこともあったのだが、彼らも理由はよく知らないとのこと。
――ある日。
アリヴェーラに相談してみると、「やりたいことでもすれば?」と気のない返事が。
やりたいことがないわけではないが、外に出られない状態でやりたいもクソもあるものか。
第一、俺が何かしようものなら魔法道具屋に迷惑が掛かってしまう。
そうなると俺を匿ってくれたルルさんを危険な目に遭わせてしまうことになる。
だが、どうすればいいか……焦りが出るばかりで良い考えは浮かばなかった。
アリヴェーラが研究の手伝い、ニーエは店番という形で貢献しているというのに……。
だが、悩み続けること数日。
俺にも転機が訪れた。
それは皆で食卓を囲んでいた時のこと――。
さて、その食卓の話をする前に、ルルさんの食事事情を一言で説明しておくと……最悪である。
何が最悪かというと、彼女は食事をするために食材を使わない。
一見意味不明に聞こえるのだが、これには彼女なりの論理があるようだ。
「はい? 研究に使った材料の残りがあるじゃないですか。これで充分ですけど」
??????
彼女は普段の食事を、普段研究に使っている生物の廃棄分だけで補っているというのだ。
食べ物に費やす金などないらしい。そんなことあるか?
というわけで本日も例に漏れず、俺はよく分からないものを口にしていた。
色合いは最悪。味も最悪。食感も終わっている不定形のソレ。
食べ物と言うにはおこがましい物だが、慣れてしまえばそれが日常。
不思議と栄養に問題はなく、何日過ごしても体調に異変は出ない。
……まぁ……こんな状況で不満を言うことはできないのだけれども。
しかし、恐らくは誰もが不満には思っていたであろう。
ニーエは何の感想も言わなかったが、アリヴェーラは食事の時だけ心が虚無になるからだ。
これだ、俺はと思った。
「――明日から俺が料理を担当します。よろしいですか?」
「ええと、別に構いませんけど」
こうして、俺は魔法道具屋の料理担当になったのである。
◇
――料理なんてできねぇ。
俺が料理担当になる上での最大の問題点が、これだった。
いや、別に食材を使えば俺でもなんとかなる。
肉の解体はできる。野草や山菜も採取できる。
そして鍋があれば、なんと鍋は作れるのだ。
そして鍋以外のどれも存在しないのが、この魔法道具屋である。
いつも食卓にお出しされる色とりどりの恐ろしい物体をどう料理すればいいのか、俺にはさっぱり分からない。
この瓶に入っている粘液の塊にしか見えない緑色は何だ?
生臭くて黒いぬめりのある触手は?
剥ぎ取った木の表面から苔が生えているみたいなのはもうこれ絶対口にできなくないか?
なんとなく試しに作ってみた料理は壊滅的で、今までルルさんが作ってくれた料理? はあの物体から作られるものとしては実はとても美味しかったのではないかと思えるほど。
それでも試行錯誤を繰り返し、一日目に作った料理は俺の得意料理――鍋。
食卓は阿鼻叫喚に包まれた。主に俺とアリヴェーラが。
二日目、懲りずに鍋料理――俺とアリヴェーラが以下略。
三日目は趣向を凝らしてステーキにしてみると、ついにはニーエまで俺を殺害しかねない眼光で睨んできて場が凍りついた。
四日目になるとルルさんに「あまり材料を無駄にしないでください」と怒られてしまい、恐れた俺は鍋をお出しして以下略。
理不尽だと叫びたくなるも、そもそも言い出したのは俺だった。
泣き言を漏らすことは許されない。
――そうだ。今までだって理不尽で予想外ばかりだったではないか。
いつだって最悪な出来事がやってくることの連続だったではないか。
ただ料理に使う材料が食材ではないだけで、何だというんだ?
??????
俺は勇者だぞ! うおおおおおおおお!
◇
「――お待たせしました。こちら、シャドウテンタクルズのフライになります」
そして料理研究に明け暮れたある日のこと。
俺は優雅な所作で、紫色の物体を食卓に並べていた。
これは影に潜む触手の魔物を使った創作料理である。
切り分けた触手をよく分からん紫の粘液に浸し、熱した竜油に投じたものだ。
ハーブの使用許可が出たので、細かく刻んで香り付けに乗せていたりする。
「アーサー、最近喋り方おかしくない?」
「まずはそのままお召し上がりください」
「……」
白い目でこちらを見てきたアリヴェーラだったが、観念したように触手に口を付ける。
さくっ。
「……ふ、ふぅん。やればできるじゃん」
「次にこちらの白い粉を付けてお召し上がりください」
「はいはいもう口調には突っ込ま……なんなのその白い粉は!?」
「よく分かりません」
「よく分かりません!?」
「名前はよく分かりませんが、粘液を一度乾燥させてから細かく砕いたものになります」
「妙に手間が掛かってるようだけど結局何!?」
「白い粉を付けてお召し上がりください」
「分かったよ、食べるよ食べりゃいいんでしょ!」
よく分からないが、乾燥させると良い感じの刺激的な味付けに使えるのである。
ちょっとミスって放置してた粘液から生まれた怪我の功名というやつだ。
香辛料と似たようなもんだと思えば良い。
「お、おいし……? そうだね、不味くはないかな」
「ニッコリ」
アリヴェーラの反応に、思わず俺はにこりと微笑んだ。
今までが断末魔の叫び声だとすれば、大きく前進しているのだ。
「ちなみにシャドウテンタクルズは肉ではありません、植物です。ニーエも召し上がれます」
「分類するなら魔法生物が正しいと思いますが。いただきます」
二ーエは両手で触手を摘み上げると、真ん中から小さく齧り付いて食べていく。
普段通りにあまり表情の変化もないが、心なしかいつもより美味しく食べているように見える。
「アーサー。貴重な竜油を使ったんですか? 今日は研究で使ってませんよね?」
「こちらは数日前に使用された残りになりますのでご安心ください」
「そうでしたか。なるほど、こんな使い方があるんですね」
そしてルルさん。
彼女はぱくりと一口、触手を放り込む。
「外がさくさくとした食感なのに中が柔らかいのは不思議ですね。内部が蒸されているのでしょうか?」
「よく分かりません」
「多分そうだと思います。美味しいですよ」
「お褒め頂きありがとうございます」
恭しく頭を下げる俺。
ああ、今までの数々の失敗が俺を強くしてくれた。
どんなものでも食べられるようにすることができる。
そう、今の俺なら……。
「ところでアーサー、料理場にある大量の廃棄はなんですか?」
「いやちょっと……何事にも犠牲は付き物というか……」
「美味しいのは良いのです。でも、無駄が出るなら普通に食材を買った方が安いですよね? 努力は認めますが勿体ないと思います、次やったら私が作りますよ」
「はい……以後気を付けます……」




