96話 ある少女の平穏な一日
小さな町の一角。
ふわふわな毛皮のコートを羽織り、大きな革鞄を肩から掛けた少女が歩いていた。
その絹糸のように輝く金髪が風に靡く度、見る者一度は目を奪われる。
ぴょこぴょこと小さな足取り。揺れ動く青いスカート――そのまま抱きかかえれば簡単に誘拐できてしまいそうなほど、危うさを覚える弱々しさ。
けれどそんなことにはならない。
何故なら少女は、皆に好かれているから!
「おっニーエちゃん! 今日も買い物ご苦労さん、また例のヤツかい?」
「はい。ヘルハウンドの肝臓を二つ、ウィップリザードの尻尾を一つ、それとヴァイパーの毒袋もください」
「毒袋はうちにはねぇよ!? 食材じゃないんだから」
「あ、そうでしたか」
「ギルドらへんで罠用に売ってるとは思うが……またルルさんの妙な研究に使うのか?」
「そうですね。妙な研究に使うらしいです」
ここは町の商店通り。
毎日のように買い出しに出ている少女――ニーエは、その愛くるしい見た目からたちまち有名になってしまい、今では名前も覚えられてしまう次第であった。
そんな状況になってしまった理由の大半は、ニーエがエルフ特有の美しさを持っていたからであろう。
無論、バレてしまわぬように対策は施されている。
耳は短く見えるように、保有魔力は感知されないよう幻術で誤魔化している。
よって、誰にもエルフだと気付かれることはない。
とはいえ、ニーエとしては明らかに目立つ自分を買い出しに行かせている魔法道具屋店主、ルル・エウルートの心情が分からなかった。
ニーエは紛れもないエルフだ。
自分で言うのも何だが要領は抜群に良い。
数日で大体の人語は覚え、店の品揃えも把握したほどだ。
はっきり言って危険因子である。
普通の感性をしているのであれば、そんなエルフを一人で外に出す理由が分からない。
「ニーエちゃんニーエちゃん、ちょっとお待ち。新作のパンを作ったんだけど、ちょっと感想が欲しくてねぇ。食べていかない?」
「どうも。いただきます」
そんなこんなで歩いていると、店の人に呼び止められる。
用がない店も合わせて三回くらいは呼び止められるのが基本だ。
しかも不思議なことに、よく餌付けをされる。
「はむ、はふ……柔らかいですね。美味しいと思います」
「ほんとぉ? それは良かったわぁ」
「……あ。中に何かが入っていますね」
「そうそう! 中にミンチにした肉を入れてみたのよぉ~」
「な、る、ほど」
ニーエは肉類を好まないが、たまにはこういうミスもある。
まさかパンの中に肉が混入しているとは……。
しかし、頑張れば食べることができないわけではない。
美味しいと口にしてしまった手前、突然手が止まるのは不自然だ。
息を止めてパンを喉奥へ押し込むと、軽く息が詰まってしまった。胸部を叩いてどうにか腹へと落としていると、目を輝かせたおばちゃんが店の奥へ引っ込んでいく姿が見える。
これは、一気に食べる様子がダメな方に誤認されてしまったやつだ。
まずい! 早く止めないと!
しかし飲み込むのに必死だったため、ニーエは声を発せなかった。
「あらぁこんなに喜んでくれるだなんておばちゃん嬉しいわぁ! 記念にもう一個あげちゃう!」
「……え、二つなのでは?」
「何言ってんの、サービスよ!」
「……なるほど。ありがとうございます」
ちょっと言っている意味が分からない。
きっともう一つはルルの分ということなのだろうけれど。
為す術なく同じものを受け取り、ニーエは礼を言う。
まあ持ち帰れるなら、もっと食べてくれる誰かに渡せばいいか、と思い直して。
◇
ニーエが買い出しから魔法道具屋へ戻ってくると、店主であるルル・エウルートが品物を整理している所であった。
彼女はこちらに背中を見せたまま屈み、瓶詰めの色合いカラフルな液体を棚に並べている。
緑色、青色、赤色、紫色など様々な色に分かれているが、全て液状化した魔力である。細かな差異は流石に覚えていないが、飲むことで魔力を補給する薬品だ。
「お、戻ってきましたね」
ルルは首だけ傾けて振り返ると、いつもの台詞を放った。
「はい。これを貰ったので置いておきます」
「パンですか。ニーエはよく貰い物をしてきますね」
「あの……もしかして、貰い物目的で私を外に出しているんですか?」
「はい? 言語の会得なら実践が一番だと思って行かせているだけです。私はそんなに意地汚くありませんよ」
――開いた口が塞がらないところだった。
まだ貰い物目当てなら納得はできないものの、一定の理解はできる。
しかしルルがニーエを表に出す理由がニーエの言語習得のためだというのであれば、それはルルに一切の益がない判断だ。
「おかげで慣れてきたではありませんか。普通に会話ができていますよ」
「それは、そうですね。もう慣れましたが」
「では私は研究に没頭したいので、後の店番お願いしますね」
「ああ……分かりました」
ニーエの返答を待たず、ルルは店の地下へ入っていく。
そのあまりにも無防備な背中が二ーエに一切の警戒心を持っていないのは明らかであり、未だに不可解さが抜けない点である。
「不思議な人……非合理な人……」
二ーエが長命族であることを分かっていて取る対応では全くないのだ。
まあ、今更な話である。今のニーエに反逆の意思はない。
「はあ。大人しくお客様を待ちます」
どうせ客など来ない。
魔法道具屋の品物は特殊な性能を持つ一方、汎用性がないからだ。
家庭的なものであれば、埃を自動で回収する道具や衣類を自動で洗濯する道具などが存在しているものの、掲示している値段では普通の人間は買えないだろう。
先ほどルルが並べていた薬品類はギルドにも直接流しているようだし、店に足を運んで買いに来る人間もそう居ない。
あと、この魔法道具屋は立地が最悪だ。
入り組んだ路地の中に存在している店など、住民はともかく外からの流入が多い冒険者は辿り着けないだろう。
本命は冒険者相手の商売であろうに、本当に客を呼び込む気があるのか謎である。
そしてニーエの分析通り、本日も店仕舞いまで客が来ることはなかった。
暇潰しに品物の確認や店内の掃除をしていると、あっという間に一日が終わるのである……。
◇
そして夜。
ニーエは開店中を示す看板を回収し、いそいそと店内へ戻る。
基本的にニーエ以外が店に上がってくることはない。
ルルは言うまでもなく地下にある怪しい部屋で何かの研究を重ね、ニーエが呼び出した時しか反応をしない。
謎多きエルフであるアリヴェーラはその助手であり、同じく出てこない。
まぁ、それはいいとしてだ。
ニーエはカウンターの奥へ入り、四角い穴から下へ飛び込む。
少しの浮遊感と暗闇を体験すると到着する地下空間が、この魔法道具屋の生活空間だ。
そして――。
「仕事お疲れ! ニーエ」
「はい。特に仕事という仕事もしていないんですが」
「そんなことはないさ! 何せ俺は引きこもりのカスだ!」
「突然の自虐……」
勇者アーサーはあの日以来、一度も外に出ない引きこもりになっていたのだった。




