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勇者様は魔王様!  作者: くるい
4章 死と腐敗の王
95/107

95話 後始末の時

おまたせしました。今回は長めです。



 オールダン領の端――。

 西方関所前にて、湿地帯に積み上げられていたアンデッドの山が土塊へと変質していた。

 地面は地中で怪物が大暴れしたかのように隆起し、陥没して至る箇所が荒れている。


 肉体を持たぬアンデッドが魂を呼び起こされ、仮初の肉体として代用した土塊が元に戻った結果である。

 彼らの魂は再び大地へ還り、器に込められた魔力は再び天へと霧散する。

 一時的に空気中の魔素濃度は跳ね上がるものの、結界で密閉はされていない今、迷宮化による魔力体の形成には至らない。


「ふぃー……なんとか押し留められたぁ……!」


 そんな光景を眺めながら、一人の少女は眼前で動かなくなった土塊を蹴飛ばした。

 彼女はぱさついた紺色の髪を片手で軽く掻き、その場で力なく倒れ伏す。


「動かなくなっちまえば柔いふかふかベッドみたいなもんだー……」

「……ちょっと、リブレ。あなたは何をやっているのよ」

「寝るー……いいでしょもう全部終わったんだし、っいだい!?」


 土塊をベッドと言い眠りに就こうとした頭頂部を引っ叩かれ、リブレは目を瞬かせながら跳ね上がった。


「私達の役目はアンデッドの侵入を防ぐことだったけど、終わったなら他の関所へ伝令に行かないと。エレアノール隊長も言ってたでしょう? 他はいきなり障壁が消えてるんだから、大慌てだって」

「えぇ~! でも、疲れたよ流石に! もう一歩も動けないってぇ!」

「寝てても()()良いけど、そんな姿オールダン様に見られても知らないよ」

「う゛っ」


 領主の名前を持ち出された瞬間、リブレは嫌そうに立ち上がった。

 外套にこびりついた土汚れを乱雑にはたき落としつつ、じろりとイグノラを見やる。


「ち、近い方はリブレが行っていい?」

「いいよ。私が遠い方へ回る」

「愛してるイグノラ! 行ってくる!」


 そんなに最短ルートを奪われたくなかったのか、リブレは忙しそうに駆け出した。

 凸凹の大地もなんのその、獣のような身のこなしで姿が小さくなっていく。


 その頃には、全てのアンデッドが土へと還っていた。

 現場の惨状にさえ目を瞑れば、領内は無事に平穏へと戻っている。


「元気だなあ……私は、そんなに楽観視できないわ」


 竜と魔人、立て続けの襲撃。

 慮外の協力者によって被害は抑えられたが、それがなければ壊滅だ。

 今頃障壁は砕け、領内はアンデッドに制圧され、無力な者達は皆殺されていただろう。


 脅威は排したけれども、一抹の不安が頭の片隅に残る。

 明確な形にはならないが、泥に足を取られるような嫌な感覚。


 イグノラは首を振り、どうしようもない気持ちを振り払った。




 ◇




「被害報告は――死者ゼロ? オイオイマジかよ、嘘じゃねぇよな」


 オールダンは執務机に置かれた羊皮紙の束に片端から目を通すと、驚いた顔でそう言った。

 文書に記載されているのは領内の生存者リスト。

 全員無傷というわけでは勿論ないが、アレだけの騒ぎが発生して死者の一人も出ていないというのは、どうやら本当のことのようだ。


「嘘なんか書くわけないだろう、この僕もちょっと驚いてるくらいなんだ」


 生存者リストをまとめて持って来た張本人でさえも、オールダンと似た表情であった。

 彼は机の前へ隣接させた椅子の背に立ち、それでもオールダンに届かない目線に眉をしかめつつ、足先に力を入れて背伸びを続けている。


「つうか何やってんだよ、落ちるぞ」

「大丈夫だ僕はバランス感覚が良い。ところで聞きたいんだけれど、いつからあの障壁ってやつは光線を撃ち乱れる戦略兵器になったんだ?」

「あー……」

「あんなの僕達が調整した術式と構成じゃない。じゃあ誰がやったのかって話だが、建造物の回路が焼き切れて使い物にならなくなっちまう前に直さなくては」


 オールダンは何を説明したものかと思い、眼前の小人族を気遣うように口を噤んだ。


 技術者である彼らはプライドが高く、自分達の許可を得ずに完成品へ手を加えられるのを嫌っている。

 緊急時の英断を咎めるわけにも行かないが、正直に話せば不信を買ってしまう。


 オールダンは悩みに悩んで、窓の外から見える空を指差した。

 一度領地全域から消失していたはずの障壁だが、現在は再び張り直されている。


「今は元通りだろ?」

()()()だって? 本当にそう見えているのか。これでもぐっちゃぐっちゃに掘り起こされて壊滅した小人族の住居修復後回しで障壁点検を優先させる結論を出したんだ。アレは元の障壁とは形が違う」

「……同じに見えるが、そんなに違うモンなのか?」

「いやそんなには違わない。障壁を形作る組成が異なっているんだ」

「あァ?」


 オールダンに専門的な話は理解できない、というのは技術者も承知の上か。

 彼は軽い足取りで椅子の背から机の上に飛び、続けて窓枠まで飛び乗って自身も障壁を視認できる位置へ移動する。


「ホラ、よく見てくれ。あの規模の障壁は一枚で形成できないから複数枚を複合して繋げているんだけれど……いやおかしい、複合すらしていない。僕の目が悪くなったのか? いいや悪くなってない! なんだアレは、今も形を変えているのか?」

「なァ、過程に差があるとどんな問題があるんだ?」

「確かめないと分からないがもうアレを見れば充分だ! 誰がやったんだ? 秘密兵器か? 小人族の技術者連中じゃないことは分かってるが、下手な隠し立てをするようなら僕は向こう10年不貞寝して過ごすぞ」

「……お前の言う通りだが秘密とかじゃねぇ。まぁ、外からの協力者がやったんだよ」


 オールダンは隠すのを諦めた。


「協力者だって? 術式に触れるのを許したのか?」

「許したわけじゃねぇが、俺に判断を仰ぐ時間がねぇ状況だ。結果的に死者ゼロを叩き出したのがソレなんだから文句は言えねぇだろ」

「僕だって()()()()付けられん、アレは僕達じゃ到底到達し得ない代物だ。ところでソイツはまだ領内にいるのか? 今すぐ会わせてうぉおっ!?」


 くるりと反転した彼は窓枠から足を滑らせ、背中から床へ落下。

 それ見たことかとオールダンが額に手を当てると、彼は小人族の小ささを活かして華麗に受け身を取って体勢を持ち直してきた。

 その瞳は太陽の如く爛々と輝いている。


 何やら妙なスイッチを踏んでしまったらしい。

 嫉妬すら飛び抜けた感情になるとはオールダンも予想外であったが……しかし小さく首を振った。


 オールダンの冷たい反応に小人族は口をあんぐり開け、絶句する。

 だがそこで諦める彼ではなく、眉間に深い暗闇を作りながらも懐に飛び込み膝に縋り付いてくる。


「何故だ僕には教えられないのか? 新たな力が手に入ったらもう僕は必要ないと言うのか?」

「いや奴は俺の身内じゃねぇし、お前はこれからも必要な人材だが……今は疲労困憊で眠ってんだよ。休ませてやれ」

「何……どのくらいだ!? 明日の朝まで待てば良いか?」

「三日は起きねェって話だぜ」

「なっ………………なにぃぃぃぃい!???」




 ◇




 俺は関所の通路を歩きながら、周囲に誰かが居ないことを確認した。

 それから壁に少しばかりもたれかかり、息を整える。


 ――魔人オールダンの領地にやってきて、おおよそ半日が経過した。

 太陽は数刻前には落ち、関所の外は暗闇に染まっている。


「俺も、無理を重ね過ぎたみたいだな」


 戦闘を続けていた時は気が付かなかったものだが、体の節々が悲鳴を上げていたらしい。

 サイスルースを倒して関所に戻る頃には、身体がまともに言う事を聞かなくなり、岩を動かすような重さを感じていた。


 ステラからは戦える身体じゃないと釘を刺されていたわけだから、当然の報いかもしれんが……。


 だが、俺は魔王である。

 間違っても誰かに見られている時に弱った姿は見せられない。

 どうにか空元気に振る舞って誤魔化し、誰も居ない場所で休むのが精々であった。


「……しかし、ステラは大丈夫だろうか」


 そして俺よりよほど状態が良くないのは、ステラの方であった。


 彼女は関所の本来の機能を修復した後、その場でぱたりと倒れてしまったらしい。


 原因は過剰な魔力供給と、体内魔力の枯渇。

 魔力が枯渇していた時に関所の魔石を利用して障壁を動かしたのがダメージに繋がってしまったらしく、今も医務室で深い眠りに落ちている。


 彼女は元気な兵士達から懸命な看病を受けていて、命に関わる状態でないというのは安心できるが。

 ただ、俺が彼女に無理を強いたのも同然だというのは胸に刻まなければならないだろう。


「ん……? 誰か来るな」


 気配が一つ、こちらに向かってくるのを感じ取り、俺は呼吸を整えた。

 首筋の汗を手の甲で拭い取り、佇まいを直し、歩みを再開する。


 やがて聞こえてきた足音と共に曲がり角から現れたのは、エレアノールだ。

 装備を解いていた姿のため、その群青の髪ですぐに判別が付いた。


「――これは、魔王様」


 彼女は驚いた顔で動きを止めると、恭しく頭を下げてくる。

 忠誠心が芽生えたのは良いと思うが、先刻まで刃を向けられていた相手にやられるとむず痒いものがあるな。


「今更その呼び方は止めてくれ。名前で呼んでくれれば良いさ」

「いやっ、それは……外聞というものが」

「誰も居ないさ。それに気にしていないような奴もいる」


 誰だったか、少し前に外の空気を吸っていた時のこと。

 くせ毛で暗い髪のやたら元気な女が、『お前本当に魔王だったのか! すげーな!?』とか言って挨拶を交わしたばかりだ。

 名前はなんだったか……何度か目にしている伝令の女だったが。


 舐められるのは困るが、それはそれとして気楽な方が俺も楽というものだ。


「……しかし、何故このような所に?」

「特に理由はないが。まぁ、俺がステラの傍に居るわけにもいかんだろう」


 俺も身体を休められないし、看病してくれている兵士の気が散ってしまう。

 しかも汗を拭う時はステラも衣服を脱がされるのだから、尚更最悪だ。

 まさか魔王に『出て行け』と言えるわけもないだろうし。


 俺の言葉に納得したのか、エレアノールは小さく頷く。


 そのまま会話が終わってしまったため、彼女から()()()()()()()を見つめ、雑談程度に聞いておくことにした。


「腕は元通りなのか?」

「えぇ、前よりも力が入るほどです」

「そいつは良かった、感謝はステラが目覚めたら言ってやれ。では、俺はもう行くぞ」

「……お待ちを」


 若干の気まずさと肉体の疲労を隠すために先を急ごうとすると、背後から呼び止められる。

 しかし勘付かれたかと思いきや、どうやらそうではないらしい。


 振り返った俺の視線に合わせて、エレアノールは怪訝そうに言った。


「何やら、盗人族の方が魔王……アルマさんを捜しているみたいですよ」

「カスクードが? 何の用だ」

「そこまでは……ただ、走り回っていたようなので、伝えておこうかと」

「分かった。どこに居るか分かるか?」


 いいえ、と彼女は首を振る。


 流石に関所のどこかには居るだろうが……参ったな。

 用があるというなら捜してやりたいが、無闇に動き回るのは避けたい。

 とはいえ、カスクードが大した理由もなく俺を捜しているとは思えないしな。


「もし見つけたら医務室の外で待つように伝えてくれ」

「えぇ、それは構いませんが……」


 小さく頷いた彼女に、俺は去り際、一応説明しておいてやることにした。


「まぁ、そう悪い奴ではない。種族柄悪い印象を抱くとは思うが、あまり邪険にしてやらないでくれ」


 これで印象を好転させるのは難しいだろうが、幾分マシにはなるだろう。





 結局、俺はカスクードを捜し回ることにしていた。

 頭の片隅に気掛かりが残って休めず、どうにも落ち着かなかったからだ。


 幸いなのは、見つけるのに大した苦労はしなかったという事だろう。


 カスクードは魔石庫の前で兵士と言い合いをしており、険悪な空気が漂っていた。

 一触即発というわけではなさそうだが。


「何をやってる?」


 背後から声を掛けると、兵士は俺の姿を見るや否やぎょっと目を見開き、逆にカスクードは眉間の皺を解いて顔を綻ばせる。


「だ、だ、旦那ぁ!」

「旦那というのはやめろ……で、一体何の騒ぎだ」

「それがっすね、魔石をちぃっと貸して欲しいって言ってるんすけどねぇ! 駄目なんすよ」

「当たり前だ。お前は何を言ってるんだ」


 言い争いの原因は理解した。

 騒ぎ立てているカスクードの口を瞬時に塞ぎ、困り果てている兵士へ目を向ける。


「大変な時に無理を言ってすまないな」

「えっ……ああいえ、頭を下げないでください……でも、渡せる魔石はもうないんですよ」

「まさか全部使い切ってしまったのか?」


 俺はステラが行使した魔力の規模感と消耗した魔石の数を正しく認識できていない。

 彼女は顔をくしゃりと歪ませると、小さく項垂れた。


「はいー……探せば、残り滓みたいなものはあるかもですがー……」

「ああ、いやいいんだ。気にするな」


 カスクードを肩へ担ぎ、さっさと魔石庫を離れることにした。

 俺が話せば渋々了承する可能性はありそうだが、まずは理由を訊く必要がある。


 少し離れた通路まで移動し、俺はカスクードを離してやる。


「さて、魔石が必要なのは何故だ?」

「どへー……口塞ぎながら担ぐって、息もできなくて死ぬところだったっすよ!? ま、俺は死んでるんすけどね――って、冗談言ってる場合じゃないっす、今すぐ魔力が欲しいんすよ旦那」

「それは分かっているが俺が知りたいのは理由の方だ。相手も困っていただろう」

「いや言ったんすよ、魔力がねぇとステラ姐さんがヤバイかもしれねぇって」

「何……?」


 思わず肩を掴んでしまい、彼はひぃと小さく呻いた。


「どういうことだ」

「あ、旦那……そのっすね、俺と姐さんは死霊術? で繋がってるじゃないっすか。でも俺はさっきも言った通り死んでるっていうか――姐さんの魔力使って動いてて。けど姐さんは倒れてて……俺はそれでも、姐さんの魔力で動いてるっす」

「そうか。お前が動いている分、眠っているだけのステラも消耗するって話だな」

「そうっす! だから旦那を捜してたんすよ」


 カスクードが俺を捜す理由がようやく繋がった。

 魔石庫で彼を認めた時はいよいよ本能が発揮したかと考えてしまった点は否めないが、汚れていたのは俺の心だったらしい。

 ようやく話すことができて安堵したか、カスクードは深い溜め息を吐く。


「俺の消費が激しくて姐さんの回復が間に合わないかもって思ってたんですが……旦那が居てくれりゃ大丈夫っすね。旦那の持ってる魔力を少しだけでいいんで、俺に欲しいっす!」


 魔力を渡す――。

 簡単なことのように言ってのけたカスクードを前に、俺はすぐに言葉を返せなかった。


「旦那?」


 俺には他人に魔力を渡す感覚がない。

 だが、物を手渡すような簡単な話ではなく、魔力の譲渡には相応の技術を要求されるというのは分かる。


 そして何より、俺の身体に残る魔力は底を尽きかけていた。


 だからと言って魔力不足で倒れることはないが、渡せる魔力が俺にはほぼ残っていない。

 ならば抑え込んでいる魔王の魔力を流す――? 当然良い手段とは言えないだろう。

 仮にこの魔力を活用できたとしても、恐らくは力として扱う前に拒絶反応が起きる。


 有り体に言えば、俺にそんな力はないということだ。


「分かった。少し待て」


 しかし、このまま放置してしまえば、ステラは回復どころか衰弱する危険さえある。

 カスクードの魔力消費がどんなものかは分からないが、俺で補填した分だけマシにはなるはずだ。


「カスクード、首を見せろ」

「えっ? あ、はいっす」


 まずは、やれるだけはやってみよう。

 俺はカスクードの首筋へ右手を当て。彼の魔力の流れを確認する。


 生体の魔力を感じ取り、居場所を感知するのにはもう慣れた。

 少しずつ術式も読み取れるようにはなってきた。

 今回の難題も今までの応用でどうにかできるはずだ。


 身体を廻る魔力を捉える――消耗し、疲弊した状態ではやはり見えにくいが、それでも対象が目の前で大人しくしているなら感知は可能だ。


 僅かな力の流れ。

 目に映る実体ではないが、例えるなら細く柔らかな糸がカスクードに絡みつき、遠くと繋がっているような薄い繋がりを感じる。

 これがステラからカスクードへと流れている魔力と思われる。


 つまり……これを切断すれば、ステラの魔力供給はなくなるということだ。

 また、俺が魔力を流すことでカスクードからステラへ魔力を逆流させることも――いや、それは違うか。あくまでステラがカスクードを使役しているのであって、対等な関係ではない。

 カスクード側から干渉するのは難しいだろう。


「よし……では魔力を渡すぞ。妙な感覚があれば言ってくれ」


 ここまで確認し、魔法剣の要領で魔力を流せる算段がついた。

 対象が意思を持っていると抵抗が発生するかもしれないが、上手く行けば馴染むはず。


 優しく、少しずつ、繊細に。

 一歩間違えれば内部から破裂させかねないが――今の俺ならそのくらいの制御はできる。


 魔法剣は指先から神経を伸ばし、剣の表面を薄い膜で覆って身体の一部にするようなもの。

 カスクードに対しては、それを体内を廻る術式に沿って行う。


 首に当てた指先からステラの術式に触れ、カスクードの体内へ魔力を流す。

 ステラへ繋がる糸が不安定に揺れる――もう少し力を抑えねば。


「なんか温かい感じがするっすね」

「……気分が悪いとか、違和感はあるか?」

「それは特にはないっす」

「……なら良い」


 何もないなら黙っていろとは言えない。

 お気楽に構えるカスクードへ魔力を流し続けること少し、俺の魔力が空になるのとカスクードの体内に魔力が満ちるのはほぼ同時であった。


 ――彼の首から指を離した時、思わず意識を飛ばしそうになった。

 妙に眠気を覚えるが、ぐっと堪える。


 これでカスクードはしばらくステラの供給を必要としないはずだ。

 身体の状態を見れば、それくらいは分かる。


「……なんだか身体に力が漲ってきやした、感謝するっすよ旦那!」

「次に旦那と口にしたら二度と喋れない身体にするぞ」

「なんで!?」

「お前は大人しくステラの近くで休んでいろ、俺は少し外へ出る」


 身体を直立させた時、一瞬ふらついたことで限界を悟った。

 必要だったとはいえ魔力を空にしたのは痛い。


 魔法使いが魔力欠乏に苦しむのは、こういう脱力感からなのだろう。

 つまり、ステラは俺より数段上の苦しみを味わっているということだ。

 これで少しは楽になればいいが……。


 ともあれ、早く一人になり休息を取らなくてはならない。


「だん……アルマ様? ちょっと待ってくださいっす!」

「何だ? まだ何かあるのか」


 霞む視界の隅に、忙しなく動き回る緑色が映る。

 元気になったのは良いが無駄に魔力を消耗させないでくれとは思いつつ、彼へ視線をやる。


「ちょっと聞きたいことがあってっすね」

「……なら手短に言え」


 俺に聞きたいこと? 今必要なことか?

 後にしろと言いたいが、余計な手間を生むよりはさっさと済ませた方がいいかもしれない。

 大人しく立ち止まると、彼は神妙な顔つきになって聞いてくる。


「アルマ様はどうして、姐さんの話を聞いてはやらないんすか?」

「……は。何の話だ?」


 俺は小さく首を傾げる。

 カスクードの口から何が飛び出すかと思えば、身に覚えがないものを。

 どういうことだ?


「いやなんていうか、俺も詳しくは知らないんすけど。姐さんの思ってることが俺に流れてくることがあって、それで気になったんす」

「心が流れてくるだと……?」

「こんなこと俺も初めてなんすよ。多分、姐さんが倒れてるからっすね……全部じゃないすけど、気持ちみたいなものが流れてきてて。なんていうか、聞かなくちゃいけねぇって思ったんす」

「――そうか」

「けど、アルマ様は知らないことっぽいっすね。それならいいっす、引き留めちゃって悪かったっす」

「いや、構わない。心に留めておく」


 それで話は終わった。

 呆気ないものだった。カスクードは今度こそ俺を呼び止めることはなく、むしろ邪魔にならないようにと自分から遠くへ離れていく。

 その背を見送るように見つめ、俺は僅かに眉を顰めた。


「身に覚えがない……訳では無いが」


 カスクードに、ステラの心が流れてくる。

 嘘を言っているようには見えず、魔法による強い結び付きがあればそんなこともあるのかもしれないとは思った。


 よほど強い感情だったのかもしれない。

 けれど、俺は彼女をそこまで不信にさせた覚えはなかった。

 身勝手をしたことは幾つかしたことはあったが、言われたことは破らぬように努力を重ねてきたつもりだ。


 だが、一度だけ。

 明確に彼女に()()()()()()()()と俺が認識していることならある。より正確に言うなら、俺は話を逸らし、そのまま別の話題にすげ替えて機会を失わせたのだ。


 ――魔王城の地下。彼女が切り出そうとした何らかの話を止めている。

 それのことだと言うのであれば、俺はしっかりと覚えていた。


 だが、敢えて俺が知る必要はない話だと思ったからこそそうしたのだ。

 彼女があの時何を打ち明けようとしたかは察しが付いている。


 それは、前魔王ディエザリゴとステラの関係だ。

 あの二人が他人同士ということはあるまい。でなければ、ああいった反応をするはずがないのだから。


 しかし俺は――そんなディエザリゴを葬った。

 それも二度。俺は徹底的に、彼を殺戮した。


 それを後悔したわけではないし、今でも間違ったことをしたつもりはない。

 結果的に俺が殺したものがディザリゴではなく、()()であったことは俺以上にステラが理解しているはずだ。

 それでも――彼女にそんな言葉を吐き出させて、真実をつまびらかにするつもりはなかった。


「それがいけなかったのか? 何故だ――ぐぅ……、目が霞む」


 駄目だ。これ以上は思考を深く落とせない。

 脳裏に靄が掛かり、思考が上手く纏まらない。それどころか酷い頭痛を訴え、目の前が歪んでいるようにさえ見える。


 歩こうとしても泥酔したように足がよろめき、壁にもたれ掛かって身体を引きずる始末。


 もう誰も俺の傍には居ないし、誰にも見られてはいないのだが……無様過ぎる。

 いよいよ吐き気もしてきた。どこか背中に寒気も感じる。


 果たしてこれは疲労と魔力欠乏によるだけの状態なのか?

 酷い感覚だが、流石に通路で倒れ込むわけにはいかない。


 重たい足を引きずり、外を目指す。

 幸い、誰にも鉢合わせることなく外には辿り着いた。

 たまたま見つけた扉を開いて外の空気を吸い、誰も居ないのを確認して壁へと背を預ける。


 ――しばらくそうしていると、徐々に身体が楽になってきた。

 やはり疲労だったらしい。時間が経過すれば魔力も復活し、視界の歪みも正常に戻ってくる。

 その内、最低最悪だった体調は普段通りにまで回復していた。


 先程までの状態はなんだったというのか。

 試しにと立ち上がってみれば、足がふらつくこともない。


「……いや。なんだ? コレは」


 一つだけ、俺の身体に異変が訪れていた。

 視線を落として己の右腕を注視すると、ひび割れたかのような黒い線が腕から指先に広がっている。


 特に痛みは感じず、触っても妙な感覚もない。おかしな魔力の流れを感じることもない。

 肌の色が変質しただけ……そんな訳はないのだろうが、見た目以外に変化は感じなかった。

 衣服に隠れているだけで、他の箇所にもあるのだろうか。


「まぁいい」


 やや意識も曖昧だったと思われるが、相応に休んでいたのだとは思う。

 ならば休息としては充分だ。むしろ怠けすぎていたかもしれない。


 俺は早速、周囲の情報を得るために魔力感知を行う。

 これにも問題はなく、むしろ精度が向上しているようだ。


 関所内で活動している人数も細かく把握できるし、カスクードの位置やステラの状態まで分かってしまう。


 それと、遠くから関所へ向かってくる気配が二つ。

 一つはオールダン――もう一つは知らない気配だが、戦う者ではない。


 関所というより……外の俺へ意識を向けているようだ。

 彼らが俺の視界に入ってきたため、こちらから声を掛けることにする。


「事後処理はもう良いのか、オールダン」


 すると、彼は俺の姿を見た後、表情に若干の強張りを見せた。

 しかし何かを言うでもなく、俺の質問に頷く。


「あァ、お陰で被害は最小限だったぜ。つーかなんで外に居るんだ?」

「少し外の空気を吸いたくてな」


 俺の言葉に訝しむ様子の彼だったが、何かを否定するように首を振った。


 彼の一步後ろで無言を貫いていた男もまた、神妙そうな顔付きでこちらの様子を窺っている。

 その男は随分と小さい体躯で、とうか俺よりも一回り以上背が低い。

 だが、子供というには成熟した身体付きであるため、そういった種族であることが思い当たる。


 なるほど、道理で俺が小人族と誤解を受けるわけだ。

 実に人間らしい姿をしているが、背だけが小さい。

 もし彼が人間の子供のフリをしていたなら、そう気付ける者も居るまい。


 そんな彼は俺からの視線に気付くと、首元の襟を正して姿勢を整え、恭しく両手の平を上に差し出した。


「お初にお目に掛かる。僕はこの領地に住まわせて貰っている小人族だ。僭越ながら、本日は小人族の代表として挨拶をさせて頂く」

「魔王アルマだ。そこまで固くなる必要はないぞ、楽にしてくれて構わん」

「では、そのように」


 見慣れぬ動きだったが、その作法は実に丁寧なものだった。

 彼らが持つ礼儀作法の一つなのだろう――広げた両手を元に戻すと、外套の内側に両腕を隠した。


「楽するついでに聞かせて欲しい。道中話には聞いたが、何故魔王様が僕等を助けたんだ? ロジックが見えない」

「今までの魔王にはあったのか?」

「そんなものはなかった。けれど今回は、見えない」


 ……なるほど。

 見えないと言われてしまえば、質問で返してはぐらかすわけにもいかんだろうな。


「理由がないとは言わんが、別にお前達のためではない。他の連中だとしても同様に動いていた」

「つまり危害を加えなければ、僕等の敵にはならないわけか?」

「その通りだ」

「……理解した、回答に感謝する」


 簡潔に述べると、彼は口を閉ざす。

 最初こそ俺の姿が見えた時に緊張していたが、俺との短いやり取りでその緊張は消え失せていた。


 だがそれは小人族の彼だけではなく、オールダンも同じであった。

 直接口には出さないものの、咄嗟に発した警戒が俺の何を感じ取ってのものかは、今の俺に知る術はないが。


 しかし、関所に戻ってカスクードやエレアノールと再会しても同じ状況になる……そんな予感があった。


「それで、ここまで来たということは俺に要件が?」

「いや……コイツが障壁張り直した奴に会いたがっててな。まァ眠ってんのは知ってるから、あくまで障壁周りの確認作業だよ」

「そういうことなら、俺じゃ力にはなれなさそうだな」

「構やしねぇよ。どっちかっつうと、俺はアレの処理をどうすんだって聞きてぇがな」

「ん?」


 何のことかと首を傾げた俺に対し、彼は渋面を作って後頭部を掻く。


「サイスルースの魂――って言えばいいのか? 瓶詰めにして封印してんだが」


 あぁ、と俺はようやく頷いた。


 サイスルースは肉体の死を持たないため、あの戦闘で死亡したわけではない。

 奴を殺すなら魔力にも似た不定形の魂を破壊する必要があるのだが――肉体と違い、完全に消すのは容易ではないのだ。


 あのまま殺せるなら俺も流石に止めはしなかったが……そんなわけで、無力化したサイスルースは魔力を封じる瓶に詰められ、保管されている。

 まぁ魔人としては死んだも同然だが、果たしてその処理がどうしたというのか。


「因縁があるのは俺じゃねぇだろ? あのまま放置するわけにもいかねぇし、処遇を魔王に任せたい」

「あぁ……特に因縁などないと言うつもりだったんだが、そうだな、今はどこに?」

「魔力を隔離した地下空間作って放り込んである。いつでも案内するぜ」

「いや、そんな空間があるならすぐに見つけられるさ。鍵でもあるなら渡して欲しいが」

「急造だし鍵なんが作ってねぇが……あ、オイ、今から行くのか?」


 魔力が極端に薄い空間――探知の網を広げれば該当する場所が見つかった。

 その方角へ身体を向けたところで、呼び止められる。


「あぁ。それと、俺はサイスルースを回収した後はそのまま領地を離れる。三日後、ステラが目を覚ましたら魔王城へ戻るよう伝えておいてくれ」

「は? そりゃ構わねぇが――」

「頼んだぞ」


 それ以上の問答を重ねる気はなかった。

 俺は歩みを止めず、半ば押し付けるように語気を強め、関所から飛び去る。


 明らかに俺の力が増大している。

 それ自体に妙な感覚があるわけではなく、気分が悪いわけでもない。


 しかし明確に、全ての状況が俺に迫りつつある終わりを示している。


 猶予期間はもう終い。

 俺には、立ち止まる暇は残っていないのだ。

今章はこれにて終了になります。

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