94話 死神
――魔力砲撃が、両断される。
漆黒の塊は槍の切断面から形を失い、エレアノールの背後へと霧散し、消えていった。
攻撃が分散されていたとはいえ魔人の一撃を葬れた理由は、エレアノールが構えていた槍にある。
槍の先端には結界に使われていた魔力の一部が凝縮され、魔人が放った砲撃を超える密度の魔力を内包していたのだ。
故に成立した力業。
何故エレアノールが此処にいるという疑問はあったが――恐らく、先程ステラが放った砲撃に乗って、事前に到着していたのだろう。
つまりは、このタイミングで魔人が取る動きを予測し、先手の対策を打っていたのだ。
「……助かった!」
「仔細は承知している。守りは私達に任せろ、行け!」
エレアノールの台詞と共に、関所から放たれる二度目の魔力砲撃。
数百もの光線が天高い位置で弾け、各地のアンデッドへ向けて降り注ぐ。
俺はその光景だけ捉え、再び目標を骸骨の魔人へ切り替えた。
奴はその姿を晦ますことなく魔力を高めている。
ここに来て正面から突破するつもりか? いや、それは絶対にない。
エレアノールが先の一撃を防げたのは、分散した力の一束だったからだ。
次の砲撃がアレ以上なら防ぎ切れないだろう。
ただ、もう馬鹿正直に受ける必要はない。
「オールダン、撃ち落とせ!」
「んなもん、言われなくても分かってらぁ――死にやがれボケ老人!」
オールダンが持つ斧からありったけの電流が迸ると、それは彼ごと雷へ変化させた。
彼が空へと飛翔すると、瞬く間に空に暗雲が掛かり、領地を覆うように広がっていく。
「あんな風に移動していたのか……いや、こちらも急がないとな」
ぼうっと眺めているわけにはいかないため、俺も走り出す。
しかし、自らを雷に乗せて運ぶあの力は……斧に込められた特殊な能力か?
散々見ておいて今更な話だが、とんでもない得物である。
いつでも魔人が雷速で飛んでくるというのだ、恐ろしいことこの上ない。
俺が勇者の時に直接対峙しなくて良かった……そう心の底から思う。
ほどなくして、視界が一瞬白く輝き――。
轟音と衝撃一つ、骸骨の魔人が蓄えていた強い魔力の気配が飛散した。
◇
「あり得ない」
魔人サイスルースは、尽く潰されていったアンデッドの残骸を見下ろし、憤る。
「あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ない――何故、この儂の魔法が通じぬのだ」
圧倒するはずだった無尽蔵の軍勢は物凄い速度で始末され、増えるどころか数が減っていく。
それどころか、事前に構築した策も尽くが潰されていた。
「それもこれも、あの姫君だ……魔人であるこの儂に先んじるだと? 未来でも見えていなければ道理に合わん! 豚族のガキは身の丈も知らず命令に従わんし、一体自分が何をしているのか分かっていないのか!? あの魔王の正体は、人間だぞ――」
「だからなんだよ死ねや!」
空から降ってくる雷撃――如何に冷静さを失ったサイスルースでも、その対処は怠っていない。
次の砲撃にと込めていた魔力を自衛に回し、雷の威力を相殺した。
質量を持つ斧本体は杖で受け止め、その場に膠着状態を作り出す。
「馬鹿が、儂の忠告と親切心がまるで分からんらしい!」
サイスルースは杖の側面に魔力を込めて薙ぎ払い、オールダンを押し飛ばす。
「親切? テメェの自己中だろうが、協力するわけねぇだろ」
「それで奴を魔王にしたまま、世界が滅ぶとしてもか?」
「ハハハ! 言い訳にしちゃ壮大だな」
「貴様――」
杖を振り翳し、サイスルースは大魔法を展開した。
魔力は死臭漂うおぞましい気配を生み、魔力に触れた大地は腐敗していく。
「冥府の奥底、沈みゆく魂、冷たき骸を抱いて我が前に再起し、我が意のままに動き、我が望むままに戦え――魂魄再結合!」
ぼごり、と大地が隆起し、中からアンデッドが出現する。
今までとは比べ物にもならない巨大な豚族で、過去魔人だった者である。
「ッチ……」
オールダンは、眼前に現れた豚族に歯噛みした。
魔王アルマに頼まれたのは良いが――。
渾身の一撃は躱され、反撃とばかりに強力なアンデッドを召喚される始末。
老害だが腐っても最古参の魔人、実力だけは認めざるを得ない相手だ。
ぐ、と柄を掴む指先に力が籠もる。
「今更後悔しても遅いぞ、貴様では儂に勝てぬ。同じ魔人だからといって格まで同じと驕ったこと、後悔するがいい」
「は、もう勝った気でいやが――」
「呪縛」
辺りの景色から色が消え失せ、冷えた空気が漂う。
サイスルースの魔法により、オールダンは己の動きが鈍化していくのを感じ取った。
「そんなもん効かねぇよ!」
魔人が内包する魔力量が高い抵抗力を持ち、大した影響はない。
握り締める斧へと雷を蓄え、オールダンは咆哮した。
狙いはサイスルースだが、彼の前には当然アンデッドが立ち塞がる。
「邪魔すんじゃねぇ!」
邪魔だとばかりに直進、勢いに任せて真っ向からアンデッドを斬り付けた。
しかし他の強個体と同様には行かず、同じく真っ向から迎え撃ったアンデッドの両腕で防がれる。
両腕半ばまでで刃が止まり、逆にアンデッドの前蹴りで遥か後方へと吹き飛ばされた。
腐食した地面に身体を打ちつけること数回、斧の先端を地面に突き刺してそれ以上の後退を防ぐ。
「クソが、致命傷じゃなけりゃ意味ねぇってか?」
視線を上げたオールダンは、斬り付けた腕が元通りになっているのを確認し、舌打ちを鳴らした。
サイスルースが直接詠唱を行って呼び出したアンデッド故、他の強個体よりも強力なのは明白だが……。
「敬意を表せ、貴様が目にしているのは過去の魔人であるぞ」
「馬鹿が。血縁でもねぇ豚族に敬意なんかねぇよ」
「生意気な餓鬼だ。なぁ、貴様もそう思うだろう?」
サイスルースの呼び掛けに、アンデッドは返事などしない。
それが気に食わなかったのか、サイスルースは白骨の手でアンデッドの顎を鷲掴みにし、無理矢理に頷かせている。
「おおっと、大先輩も同意しておる、死ぬのは貴様だとな……大災厄」
杖の一振り。
たったそれだけで灰色の魔力が周囲を満たし、十数の青白い死霊が出現した。
「触れるだけで呪を刻む我が眷属よ。貴様はこれでじわじわと動けなくなるまで嬲り殺しにした後、駒に加えてやろう」
「お断りだ気色悪ぃ」
死霊の一群は左右に交差しながら飛び、緩急を付けて一斉にオールダンへと襲い掛かってきた。
その身体に刻まれているのは呪縛が濃密に刻まれた呪いであり、一つ一つはまだしも何度も直撃を受ければ行動に支障を来してしまう。
「ちっ……充電切れじゃねぇか、再充填!」
オールダンは己の魔力の斧へ流し込み、再び雷を迸らせる。
死霊の数体は撃ち落とせたが全ては捌けないため、攻撃の合間に離脱しようとしたのだが――。
「逃がすわけなかろうが」
「な……っ!?」
雷撃を放った瞬間、宙へ飛んだアンデッドが無理矢理に突貫し、オールダンの真上を取った。
空中に飛んでしまえば雷撃で硬直せず、アンデッドなら無茶が効く――そういう強引な突破方法。
更に四方から迫る無数の死霊に包囲され、同時に逃げ場を奪われた。
次の雷撃が迸るより前に死霊が取り憑き――オールダンは、アンデッドの巨躯に押し潰された。
度重なる呪縛に肉体の活動を阻害され、その巨躯を押し退けるだけの力が入らない。
「ガハッ……!」
大きく血を吐いたオールダンの目に、サイスルースの姿が映った。
「ふぅむこれで仕舞いじゃな、煩わせおって」
彼は杖を地面に打ち鳴らし、絶えず呪縛をオールダンへと送りながらやって来る。
既に身動きが取れないというのに呪いを与え続ける徹底ぶり。
サイスルースという魔人はそれだけ完璧主義で、臆病な魔人だった。
不用意に近付けば反撃の糸目もあるというのに、サイスルースにはそれがないのだ。
万が一の可能性を叩き潰し、過剰なまでに対策を施し、そこまでしてようやく自ら接近をしてくる。
格下相手であろうと全力で策を弄す――サイスルースがそういう相手である以上、どう足掻いても勝つことはできない。
「ハハ、馬鹿だなテメェは……そんなだから〝魔王〟になれねぇんだぜ」
「今更挑発か? 笑わせてくれる。それでこの儂が、怒りで隙を生むと思うたか!」
「俺ぁ事実を口にしてるだけ――」
「腐敗しろ」
畳み掛けるような詠唱直後、オールダンは己の全身が焼け付く感覚を覚えた。
生命が急速に燃やされ、皮膚からどろりと零れ落ちていく気持ち悪さ。
押し潰された身体は重さに耐えきれずに軋み、骨がぐしゃりと潰れていく。
度重なる呪いの影響は魔人の抵抗力を貫通し、確かにオールダンの生命を奪い取っていく。
「必死だな、そんなに、俺が……怖いかよ?」
「口の減らない餓鬼め……貴様は首から下を腐らせ動かぬオブジェにした後、目の前で領民を一人ずつ縊り殺し、アンデッドへと変えてやる。すると貴様はいずれ心が折れ、その姿は儂の至福となろう」
一瞬、脳裏に最悪の光景が浮かび、オールダンは背筋に怖気が走った。
「さて……時間稼ぎはもうよいか?」
ふと、サイルスースはそう口にした。
「貴様が儂に勝てぬのは当然の帰結。それでも牙を剥いたとなれば、貴様が勝ち筋を魔王に見い出していると考えるのも自然な流れじゃが……重大な見落としをしていたな」
「言ってることがさっぱり分かんねぇな」
「魔王は、本来の力を引き出せぬのだ。貴様が当てにした魔王は肩書ばかりを持った下等種族、能力値はただの人間よ。貴様を再起不能にする方が早い」
サイスルースの台詞に、オールダンは絶句する。
そんな様子に満足したようで、彼は眼窩の奥を鈍く光らせ、カラカラと嗤う。
「……は、ははは――はは……何言ってんだ、テメェ」
その嘲笑があまりに脳裏に強く響いており、釣られるようにしてオールダンも笑った。
オールダンではサイスルースに勝てない? 分かっている。
魔王の助力があったから牙を剥いた? それはそうだ。
その魔王がまさか力を使えず、弱っているなどと――。
そんな分かり切ったことを自信満々に言うのかと、オールダンは嗤っていた。
「あぁ……ホント馬鹿みてぇだぜ」
「ようやく理解したか、貴様の行いが過ちだと」
「いや、そんな理由で助力は頼んでねぇんだよ」
「ハァ?」
分析自体は尤もだが、その勘定こそ誤りだ。
オールダンの行動原理は概ね当てられているが、魔王に助力させた理由は魔王の力目当てではない。
それに魔王が弱体化しているのは、共に戦場を駆け抜けた時には分かっていることだった。
本人が隠したいようだったから敢えて言及はしなかったし、弱体化してあの動きならやはり支障はないとも思っていたのだ。
……だったら、魔王の何を当てにしていたのか?
それは至極単純な理由である。
「俺はな、アイツが強いから助力を頼んだんだぜ」
とうとう霞みだした視界の中。
確かに視えたその姿に、オールダンは心の底から安堵する。
「儂の言っていることと何も変わらんではないか。呪いにやられすぎて頭までおかしくなったらしいな? まぁいい。アンデッドよ、その餓鬼を叩きつ」
――ごとん。
最後まで言い終える前に、サイスルースの首から上が地面に転がっていた。
「は?」
サイスルースはこめかみに衝撃を覚え、自らの頭部が何故か地面と激突していたことに気が付いた。
直後、首から下が細切れに砕け、周囲へ骨片が弾け飛ぶ。
身体を砕いたのは、幾重にも振るわれた銀閃によるもの。
それを放った者を捉えて――サイスルースは首を斬られたのだ、と悟った。
「何故……貴様、いつから」
そこに立っていたのは小さな少年。
魔王アルマが、振り抜いた切っ先をサイスルースに突き付け、静かに見下ろしている。
「お前は、魔王を意識し過ぎだ」
何故――何故、何故何故何故何故何故何故――思考が纏まらない。
明滅する眼窩の窪みが、サイスルースの動揺を露わにしていた。
魔王の姿はどこにも存在しなかった。
接近されれば嫌でも気付く、例え戦闘中であろうと魔王だなんて強大な存在を見過ごすはずが――。
「き、貴様、まさか……」
――魔王とはただ在るだけで強大であるもの。そんな魔王が。
魔力を完全に消し、殺気を消し、足音すら殺して背後から忍び寄るなど――あり得ない。
「お前はステラやオールダンへの優先度を上げたな。お陰で付け入る隙を見付けたよ」
「この儂に付け入る隙、だとォ……!?」
「ああ。お前は他の魔人と違って、近付けば斬れるからな」
そう述べると、魔王はサイスルースの眉間へ剣を突き刺した。
刹那、剣先にのみ高密度の魔力が纏っているのを、文字通り身体で感じ取ったサイスルースは――。
「あ、あぁあ――ふざ、ふざけるなぁあ!」
怨嗟を込めた叫びを撒き散らし、頭蓋から鈍い灰色の輝きが飛び出した。
それはサイスルースの本体たる魂の核であり、即ち肉体を破棄しての全力逃走。
当然肉体を捨てれば基本性能は低下するが、まだサイスルースには策は残っている。
「アンデッド共ォ! 魔王の足止めをしろ!」
空中へ逃げながら、残りの魔力を総動員した最後の伝令を飛ばす。
アンデッドの数は大分減っていたが、元々が無尽蔵の軍勢。魔王は単純な物量作戦に対処はできない。
だが……。
サイスルースは己の上空に、神々しいまでの光帯を見た。
それは何度も降り注いだ、ステラによる魔力砲撃の雨。
光帯は瞬く間に数百もの白い砲撃へと分散し、残りのアンデッドへと降り注ぐ。
「クソ、あの姫君さえっ、いなければぁああああああ!」
「おいテメェ、この俺に手を出しやがったツケは払って貰うぞ」
そして、進行方向を防ぐように現れたオールダンが、怒りの形相で斧を振り翳した。
「な、待て、待て待て待て! 何故もう動けるのだ、貴様には入念に呪を」
「死ねや!」
ありったけの雷が迸り――露出したサイスルースの核に直撃した。




