93話 死線を越えて
「――っぜぇあ!」
灰色の空を雷が疾走る。
乱暴に振るわれる雷斧の雷撃は、しかし正確にアンデッドの中の統率者を砕いていた。
魔人による一撃に個体差もクソもない。
直撃を受けたアンデッドは丸焦げどころか胴体が弾け飛び、周囲のアンデッドを巻き込んで周囲を更地に変えていく。統率されていたアンデッドは導を失い、土塊に還っていく。
その中を縫うようにして、俺は駆けていた。
今の俺にオールダンの真似はできない。
とはいえ、明らかに見劣りする弱った見せるわけにもいかない。
故に俺が選んだのは、より強力な個体のみを対象にした一撃離脱。
アンデッドを統率している中でも弱個体はオールダンへと全て押し付け、数百体以上の規模を従える強個体のみを狙って突き進む。
「押し通らせて貰う。眠れ」
攻撃の手を伸ばすアンデッドの下を潜り、突進してくるアンデッドを跳躍して躱し、その先の個体にのみ振るう必殺の刃。
頭部の中心を魔法剣で突き刺せば、その個体――大柄な豚族の死体――はずしりと思い音を鳴らして地へ還った。
此処はオールダンの領地だ。
より強い個体であれば、豚族の比率が高いのは当然の帰結。
胸糞悪い話だが、凶悪且つ効率的な魔法である。
これが人間界で放たれたのであれば、大恐慌では済むまい。
俺の意図をどう受け取ったかは知らないが、オールダンは俺が狙う個体を避けて中規模の統率者を狙うように立ち回り、俺の後を追っているようだ。
さて、キリがないと思われたアンデッドも、魔人の殲滅力を前に数を減らしてきている。
当然増え続けてはいるが、減少数が勝っているのだ。
そうなってくると、新たに見えてくるものもある。
俺はとある方角へ首を傾け、それまで向かっていた方向から直角に向きを変えた。
「あっちだ、アンデッドの増加数が多い。この先で奴はアンデッドを生んでいるかもしれん」
「あァ……? そうなのか?」
「特別な魔力反応を感じるわけではないが、目視で捉える限りはな。どちらにせよ、数を減らすなら最も効率が良いだろう」
言って、返事を待たずに駆ければ、オールダンは何も言わずに呼吸を合わせてくる。
まさか魔人と息ぴったりの共闘をする羽目になるとは露ほども思わなかったが……存外、悪くはない気分だ。
過去敵対関係だった相手に違いはない。
オールダンとて同じであり、複雑な感情は抱いているはず。
単純な共闘ではないが、だというのに行動に一切の迷いや乱れはなく、まるで歴戦の相棒かのような連携が発生しているのは奇跡に近い。
「……いや待った、一般の領民も居るんだよな」
「居るに決まってるが良いのか?」
「当然だ」
だから、このやり取りでさえ淀みが生じなかった。
二人の共通見解として、魔人サイスルースの撃破よりも領民の保護を優先させたのだ。
実際、どちらの判断が適切かは微妙な所。
魔人の撃破を優先すれば目の前の命を捨てることになるが、領地全体の収束は早まる。
領民の救助を優先すれば目の前の命は救えて敵にならずに済むが、領地全体の命が失われる危険がある。
どちらを選択しても明確な正解はないが、俺達に迷いはなかった。
アンデッドの湧く中心地から更に方角を逸れ、徐々に高い木々で生い茂る森へと侵入する。
その中にもアンデッドは蛆のように湧き、俺達を見つけるや否や戦力差も考えずに向かってくる。
それで良い。
アンデッドが何千何万と束になろうが、俺やオールダンに傷一つ与えられないのだから。
「――た、たす、け……」
大行進の足音、迸る雷撃、肉を断つ剣戟の中、小さな声があった。
視界の片隅に見えたのは……足を怪我し、身動きが取れない小さな獣人族の子供。
その子供は激進する俺達の姿を視界に収め、縋り付くように声を振り絞り、叫んだ。
背後には狼に似た姿のアンデッド。
今にも首筋を噛み切らんとしていた頭部を斬り飛ばし、子供を抱えて飛んだ。
「転倒による傷だな。大丈夫か」
「……大丈夫です、でも……ともだちが」
子供がそう叫ぶ瞬間、雷撃が三度降り注ぎ、大地ごとアンデッドを灼き焦がす。
そして俺に並走してきたオールダンが、同じく獣人族の子供を担いでいた。
「トモダチなら気ぃ失ってるぜ。他には居ねぇか」
「っ……はい! あ、遊んでて、急に怖いのが出てきて……ごめんなさい!」
「安全っつっても全く怖いモンが出ねぇわけじゃねぇんだ、外なら大人と一緒に出ろよ」
ぶっきらぼうだが優しい声音だ。
彼は意識を失ったままの子供を抱えながら、俺へと目配せする。
「獣人族の集落は木々の上に家を作る方式だ、そこまで送り届けりゃまぁ何とかなる」
ふむ。それなら空を飛ぶ個体でもない限りは安全だ。
アンデッドのほとんどは地上を歩く個体のみで、確かに木々の上なら襲われる確率は低い。
俺は頷き返し、オールダンの後を追い掛ける形で進んでいく。
集落は、子供達の発見場所からそう遠くない位置に存在していた。
集まった木々の枝分かれに木板が張られ、その上に小さな家が幾つも建っている。
外に出ている獣人族は既に領地の異変に気付いており、それぞれが不安げに周囲を警戒していた。
幸いにして、立地的にはここまで辿り着けるアンデッドはほぼ居ないだろう。
集落の端に着地した俺は、抱えていた子供をその場に降ろした。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「お兄――いやまあ、気にするな」
子供……といっても、背丈は俺と大差ないのだ。
加えて魔力を抑えているのだから、別段そう呼ばれてもおかしくはないのだろう。
「オールダン様……どうして、このような辺境に」
警戒に当たっていた獣人族が一人、俺達の来訪に駆け寄ってきた。
――やはり、そうか。
「オイ子供を外で遊ばせるんじゃねぇ! 後は全員気配隠して家に引き籠もってろ。今日中に始末付けるから明日以降は好きにして良い」
オールダンはやってきた獣人族に対し叱責すると、抱えていた子供を引き渡す。
「よし行くぞ!」
「ああ」
同時に手早い情報共有も済ませ、彼は身を反転させ飛び去っていく。
俺は獣人族の住居を改めて一望すると、オールダンの後を追った。
道中で少しだけ多めにアンデッドを葬りつつ、元の目標へとルートを修正する。
――さて。
獣人族の村で男を一人も見かけなかった。
関所の兵士も集落も、全てが女で構成された歪な偏り。
「気になるか? 男は全員死んでるんだよ」
俺が考えている事柄に気付いたのか、ふとオールダンがそう言った。
「いずれ滅びゆく命だが、獣人族は戦闘力が高ぇから引き取った」
「だが、子供も居ただろ?」
「父親は死んだ。まぁお前が気にするような事じゃねぇ、が……おい――マジかよ」
そこでオールダンは口を閉ざしてしまう。
絶句した彼の視線は空。
釣られて俺も見上げれば、天空の障壁が解けて中空に溶けていた。
「障壁が解除されているな」
「されているな、じゃねぇよ!?」
「よく見ろ、壊されてるわけじゃない」
障壁が解ける魔力の先を見つめ、俺はそう呟いた。
領地中心部の天空から解ける魔力は、供給先である各領地の端の関所へ集約されている。
破壊による現象ならこうはならないだろう。
もっと乱雑に魔力が弾け、壁が盛大に砕け散るはず。
そうなった場合に俺達が気付かぬ筈はない。
俺の指摘に気付いたか、オールダンは低く唸る。
「……やったのはお前の連れ、だな」
「ああ。悪いようにはならないはずだ」
障壁が解除された代わりに、各地で魔力が急速に高まっていくのを感じる。
薄く広く伸びていた魔力が押し固められ、別の魔法へと変じる大きな予兆だ。
そして、解除の現象を確認してから僅か十数秒後――地上から発射された数百もの光線が、障壁の代わりに空を埋め尽くした。
光線の一つ一つが強力な砲撃に相当する魔力の塊。
それらは縦横無尽に暴れ、空から再び大地へ降り注ぐと――アンデッドの気配が急速に消失していく。
アンデッドを狙い撃ちにした無尽蔵の砲撃……障壁の魔力を攻撃手段に変えたのか。
やることが実に派手だが、良くやってくれた。
「まァ、悪いようにはなってねぇな……」
「アンデッドを処理してくれるなら好機だ、先を急ごう」
今の魔力砲撃で相当数のアンデッドが一掃され、大分すっきりした。
それに砲撃は一回で終わりではなく、次弾となる魔力が装填されているようだ。
無論、こんな大魔法を使えば骸骨の魔人も何らかの反応を見せるだろう。
見切りを付けて撤退してくれるなら助かるが……こちらに守るべき対象が多過ぎる以上、依然として相手に利がある。
「色々文句はあるが、確かに悪かねぇ。サイスルースの奴、居場所を隠すのを止めたぜ」
俺達が向かおうとしていた目標地点付近で、強力な魔力が惜しげもなく解放された。
その気配は紛れもなく骸骨の魔人によるものだ。
このままでやってもアンデッドが全滅させられ、俺達に追い詰められると分かったのだろう。
しかし、位置を晒してまで何するつもりで――
「――っ、敢えて意識を向けさせた?」
この短い期間で奴の行動は何回も見てきた。
奴の思考パターンは何回も読まされた。
そこまで考えた瞬間、俺は身を翻し――
遥か後方で漆黒の輝きと、膨大な魔力が膨れ上がる。
次いで放たれる無数の砲撃。
先の意趣返しのような極大の魔力がどこまでも広がり、雨の如く領地へ降り注ぐ。
「あァ!?」
遅れてオールダンの叫びが耳に届いた。
骸骨の魔人へ接近しようとして出鼻を挫かれたのだろう。
普通ならその判断は正しい。
だが俺達には、守るべきものが多すぎる。
奴はその欠点を理解し、位置を晒した。
自らの居場所が分かったところで、接近する隙を与えなければいいのだから。
「駄目だ、このままでは――間に合わない!」
既に走り出した俺の目的地は、遠過ぎる。
漆黒の砲撃が着弾するまで後僅か。
一見無差別に放たれた砲撃の範囲には、先ほど助けた獣人族の集落が含まれている。
――奴は、俺が彼らを見捨てないことを織り込み済みで反撃してきた。
俺が普通の手段で間に合わないタイミングで仕掛けたのは、奥の手で彼らを守らせるため。
ああ、そうだ。
奴は俺がどんな時に全力を出すか良く分かっている。
そして俺にはもう、他の手段が思い付かない。
ぎり、と歯軋りを一つ。
血が滲むほどに拳を握り締め、全身へと力を行き渡らせる。
俺に力を使わせるためにそこまでしてくる奴が、一枚上手だっだだけのこと。
或いは俺が奴に判断基準さえ与えなければ――仮定の話に意味などない。
奴は先手を打ち続け、俺は遅れを取り続けた。
そこまでするというのなら見せてやる。
だが、お前に次の命はないと思え。
「すまない――約束を違える」
『アルマ様』
――突然、声が響く。
良く見知った声だが、どこにも彼女は居ない。
ああ、この声は遠方から俺へと届けられた彼女の魔法だ。
『言ったではありませんか、信じてくださいと』
力強く彼女は言って――俺は、足を止めた。
止めてしまった以上、もう何をしても俺は間に合わない。
けれど、俺は冷静さを取り戻していた。
もう少しで全てを失っていたのが嘘に思えるほど、今の声に安堵を覚えていた。
「……あぁ、」
ゆっくりと首を動かし、空を見上げる。
そんな俺の視界を、漆黒に輝く極大の魔力砲撃が通過する。
砲撃の着弾地点は獣人族の集落――だが、その射線上に誰かが仁王立ちで構えていた。
その者は群青の髪を風に靡かせ、ないはずの右腕で槍を握り込み、力強い咆哮を上げる。
「此処から先は通さないぞ――そう何度も、蹂躙できると、思うなァ!」
立っていたのは、獣人族の隊長エレアノール。
彼女は槍を真横に振り払い、真っ向から砲撃を斬り裂いた。




