91話 魔人の心境
「お前は小人族の長よりも少し大きく見えるし、彼らは基本的に近接武器は持たない。体格に合わないし、地中暮らしでは活かせない。外で活動する小人族がいるなら……そう思ったが、実物を見るとやはり違った」
豚族はそう言うと、恐々といった様子で俺へ視線を向けてきた。
「それに、俺は小人族と繋がりがある。そんな彼らが俺に覚えがないと言うはずがない」
なんだ、随分と詳しいらしい。
俺の知らない小人族の情報が出てくるが、何の繋がりだというんだ?
「俺はその種族のことは知らん、そう揶揄されることは多いがな」
「知らないのは仕方のないことだ。小人族の存在は知っていても、生態や特徴などは覚えてはいない。誰も弱い種族に興味を持たない」
「じゃあお前は何故知っている?」
「俺が小人族を領地に招いたからだ。彼らは土塊族のような力や鍛冶技術は持たず、身体も弱いが……手先が器用だったから」
「招いた……?」
ああ、と彼は深く頷いて。
「オールダン様は領地を豊かにしようとしてる。俺は小人族が領地の運営に必要だと考えて招いた。今は安全と引き換えに技術を提供して貰っている」
「……理解した」
少しずつ、オールダンと領地の事が分かってきた気がする。
前提として。
カスクードも言っていたが、そもそも魔人は領地を持たないとのことだ。
その言葉にどれだけの信頼性があるかはさておき、納得できる点はある。
恐らく……魔人とは結局の所、多少の差はあれど魔王と似たようなものではないのだろうか。
だが、オールダンは領地内に障壁を張り、魔物を庇護下に置いている。
少なくともオールダンに障壁だなんてものは必要ないだろうに。
つまり彼は、君臨するだけではなく魔物を導いている。
そう考えれば、彼らがオールダンへ忠誠を誓っているのが自然と飲み込めるのだ。
しかし、人間界を襲った豚族の群れのことや、オールダンが魔王と組んで活動していた背景からは想像しにくいのだが……。
「――来る」
豚族は空を見上げ、短く呟いた。
俺も遅れて彼と同じ方向へ意識を傾けると、肌をひりつかせるような感覚が背中に走った。
視界の遥か奥の方、空に暗雲が登る。
天高く――障壁の天井とも言える位置に、暗雲が立ち込め、たちまち障壁内の空を覆い尽くしていく。
同時に発生した濃い魔力の流れ、自然によるものではない。
隣の豚族が「来る」と発したからには、今から訪れるのがオールダンであろう。
雷を操る豚族など居たか……?
俺の疑念は余所に、雲は頭上まで伸び、ばちりと弾ける空気の乾き一つ。
発光する白に視界が埋め尽くされ、轟音が天地に鳴り響いた。
「……っ」
思わず直視してしまった目を閉じたが、雷と共に強大な魔力反応も降ってきたことだけは感じられた。
位置は俺のすぐ目の前だ。飛来物が落ちた音はなかったが、確かにそこに存在している。
雷のような荒々しさを持ちながらも、波紋の生じぬ水面のような静かな気配。
交戦の意思は感じない。
俺は焼けた目の痛みが収まるのを律儀に待って、その乱暴な登場を迎え入れることにした。
「……その姿。ガッツリ面影があるじゃねぇか」
俺が目を開けた時、ソイツは鼻面深い皺を刻みながら、そう吐き捨てた。
敵意はない。交戦する意思もやはりない。だが、確かに含まれる不快感が周囲に伝播し、ぱちりと空気を灼いた。
漆黒の鎧に身を包む豚族。
しかし、先程までと話していた豚族の二回りは巨大な体躯で、鎧に身を隠した分厚い筋肉が隠せていない。鎧の覆われていない手足には深い傷跡が幾つも刻まれている。
「よぉ、俺には見覚えねぇみたいだな?」
先ほども別の豚族に言われたような台詞が放たれると、下顎から伸びる牙が俺の目線まで降りてきた。
オールダンが大きく屈んだのだ。
「初対面のはずだが?」
「……どうやらそうらしいな」
半ばはぐらかすような返答に、彼は否定はしなかった。
屈んだ状態から直立し、俺から数歩距離を取る。
それまで右手に構えていた巨大な斧を地面へと突き刺すと、刃先から電流が流れて地下へと散っていった。それと同時に、空に立ち込めていた暗雲が急速に消えていき、晴れた空が戻ってくる。
「侵入者の俺に対し、寛大かつ盛大な歓迎に感謝しよう。俺は今代の魔王、名はアルマだ」
「……魔人オールダンだ。まァ、礼儀を欠いた登場だった。謝罪しておくぜ」
「気にするな。今のところ他の魔人には喧嘩を吹っ掛けられてばかりだったからな、その丁寧さに驚いたくらいだ」
会話はそこで止まった。
ひりついた空気。どこか疑念の視線。
隣で静観していた豚族が、緊張の面持ちで後ずさっている。
たっぷりと間を開けて、オールダンの方が口を開いた。
「誰も殺してねぇんだな。見りゃ分かるが、不思議なモンだ」
「俺は一つ前のとは違う魔王だからな」
「あぁ――そうだな。お前は違うだろうよ。そんなのは、見りゃ分かる」
彼の言葉の意味に含められた、別の意味。
即ち俺の正体――それを口にしているのだろう。
そもそも俺を見て最初に放った台詞からして、事前に正体を知らされていなければ出てこないはずだ。
ステラが危惧していた勇者の露呈――オールダンがその名を口にしないことから、彼自身も隠したい情報だと理解できる。
一触即発の状況に変わりはないが。
「だから、敢えて俺は訊くぞ。お前は何故殺さない?」
何故……。
彼の質問の意図が何なのか、俺にはいまいち掴み切れなかった。
当たり前の話だ。
無差別に殺して回るのが趣味でもない限り、誰がそんなことをするものか。
魔王だから殺すのかという問いであれば、初めに会話した時点で解決している。
勇者だったモノが魔物を殺さないのか、その問いであれば答えは返せる。
「意味がないからだ」
「だったら、何故あの時――黒喰みの崖で行軍を止めた?」
「今代勇者に殺されるだけだからだ。魔人バラカタの作戦に勇者は考慮されていない」
「……まるで勇者がいるみてぇな言い草じゃねぇか」
「この俺が魔王なのだから居るに決まっているだろう。魔王が存在しないのなら、勇者もまたいないだろうがな」
彼は目を丸くして、極めて複雑なままの表情で俺を見る。
信じられないと言いたげな顔だ。
俺の言葉がというより、俺の在り方そのものにだろうか。
「最後にもう一つだけ訊かせてくれ」
「何個だろうと構わんが……」
「いや、一つでいい。お前は――何が望みだ?」
「そんなものは――」
いつものように返そうとして、言葉に詰まった。
望みならある。願いならばある。
だがそれは今の俺にとって、口にできる言葉ではなく。
「――」
俺が代わりの返答を口にすると、彼は憮然とした面持ちで溜息を吐いた。
それから、小さく首を横に振って。
「もう充分だ。俺がお前を警戒する理由はもう、何一つねぇ」
「ソイツは良かった」
どうやらお望みの答えは得られたらしい。
口にすると、俺も胸のつかえが取れた気がした。
肌を刺すようなひりつきは消え去り、どこか弛緩した空気が流れる。
「この俺魔人オールダンは、お前がお前で居る限り味方だ。さて……宣言しちまったからにゃ仕方ねぇ、協力しやがれ」
「は? 何にだ」
「俺がお前を殺さなきゃ領地をぶっ壊すとか、舐めた死の宣告を送ってきやがった馬鹿が居る。誰だか分かるよな?」
オールダンのその言葉と同時、吸い込んだ息さえ朽ちるような、灰の臭いが充満した。
「遍く死者を従える異界の亡霊、魔人サイスルース――流石に俺だけじゃ手に余る。でもお前にとっても渡りに船だろう? 魔王」




