85話 異変の臭い
「魔人オールダンへ聞かせたい話があるんだ。直に会えば分かるだろう」
「――如何にもな胡散臭さですが、望み通り話は通します。どうぞ中へ」
顎をくいと傾け、兵士は門から少し離れた位置の鉄扉を示した。
先へ進むことはかなわないものの、どうやら砦内には入れてくれるようだ。
「お前達、この者達を案内しろ」
兵士が背後へ叫ぶと獣族の特徴を持つ兵士が二人現れ、俺達の両脇を塞ぐように立つ。
その二人に連れられ、ひとまず砦の中へ入ることにしたのだった。
◇
オールダン領の関所砦は、非常に豪華な造りをしていた。
通路内壁には一面魔石が埋め込まれ、術式が直接彫られている。また、壁の所々は貴金属の鎖や宝石類で彩られており、王城もかくやという光景だ。
ちょっとゴテゴテし過ぎているきらいはあるが。
しかし、これが見栄えのためでないのは一目瞭然である。
とある部屋まで到着すれば、前に出た案内の兵士が扉を開く。
奥に見えるのは、やや無骨だが広めの部屋だ。窓は見当たらず、天井にぽつりと取り付けられた魔力灯だけが光源になっている。
客人を待たせる部屋というより、牢に近いだろうか。
「さあ、中へ」
兵士はこちらへ振り返ると、無愛想に言い放った。
表情は全面を覆う兜でほとんど見えないが、声の反応から申し訳無さそうにしているのが窺える。
「罪人扱いということか?」
「……入るんだ」
が、返答は期待できないらしい。
まあどんな扱いをされようと構わんが、このまま放置されるのだけは勘弁願いたいところだ。
「半日までだ。あまり待たせるようなら、破壊して外へ出るとだけ伝えてくれ」
上官向けの言伝を残し、堂々と室内へ歩を踏み出す。
ステラとカスクードが後に続いて全員が中へ入れば、ぎぃと重苦しい音と共に扉が閉められた。
「拘束術式が編み込まれていますね。敵対行動を取れば部屋ごと結界で押し潰し、対象を封じ込める命令が記されています」
中へ入ると、室内を見渡したステラは開口一番にそう呟いた。
彼女が指を差す壁面には、数種類の模様が直接掘られているのが見える。廊下から眺めただけでは薄暗くてよく分からなかったが、外に描かれた術式と違う代物だということだけは理解ができた。
「そうらしいな」
「さしたる問題はありませんが。それよりもアルマ様、先ほどはオールダンに話と仰っていましたが、具体的にはどのような話を持ち掛けるつもりだったのですか?」
指先でつうと魔法陣をなぞりつつ、ステラは首を傾げる。
「内容如何ですが、秘匿する理由がないように思えたもので」
「あぁ、オールダンには俺が元人間の勇者であったことを明かすつもりだからな」
「え――」
「混乱だけ生みそうだったが故に、一介の兵士には伝えなかった」
動揺を見せるステラに向け、説明を重ねる。
「骸骨の魔人に扇動されかねん情報など毒でしかない。だったら俺から開示して、その上で協力を仰いだ方が幾分マシだろう?」
俺の説明にステラは目を丸くし、驚愕の表情で数秒固まってしまう。
何かおかしなことを言ったのだろうか。俺が一声掛けようとした瞬間に、彼女は俺の両肩を物凄い力で掴んできた。
「――駄目に決まっているでしょう!? どうして行動に起こす前に私に言ってくださらないのですか」
「駄目だったか?」
「駄目です! 仮に事実がどうであろうとも伝えてはなりません。アルマ様はどういう風に勇者が伝わっているかを知らないから、そのような事が言えるのです」
冷静を保っていたステラの慌てた様子と、吊り上がった眉が事の大きさを物語っている。
「ゆっ、勇者……? え、そんな、嘘っすよね?」
そして。
俺のやろうとしていた事がかなり良くないことだというのは、傍で尻餅を付いてわなわな震えるカスクードの反応からも見て取れた。
「この際ですから、カスクードには頭から爪先まで話しておいた方が良いですね。一々驚かれるのは困りますから。構いませんか?」
「それは構わんが……」
彼女から圧を感じるのは、恐らく気のせいではないだろう。
「アルマ様も知っておいて下さい。魔界に於いて――勇者がどう扱われているのかを」
――魔王が災害なら、勇者とは死神である。
魔界でその二つの存在は、名称そのものとして扱われない。どちらも誰かの手に負えるようなものではなく、一種の天災と同じ認識だ。
例えば魔王は、魔物も人間も区別なく周囲全てを巻き込み、破壊して回るから災害とも呼ばれる。とりわけ歯向かう相手を嬲り殺しにする性質があるため、一部の魔人を除いて魔王に近付こうと考える者はいない。
だが、幸いにして魔王は会話の成立する化物であり、魔王の意に反しさえしなければ生きて帰れる可能性はある。
しかし勇者は、魔物のみを徹底的に狙って殺しに来る存在だ。
故に勇者は悪魔召喚カテゴリの最上級個体、死神と同じ名で呼ばれ、広く恐れられていた。
「勇者の狙いが魔王だと知らぬ者はいないでしょう。しかし出くわせば必ず殺される、そのような存在が出現すれば恐慌どころの騒ぎではないのです」
「だが、今の俺は……」
「魔物は勇者とただの人間を区別できません。アルマ様が人間だと気付かれないのは、魔界を歩き回る人間など居るはずがないからです」
山脈という壁を隔てた人間界からやってくるのは、勇者とその仲間だけ。
普通の人間が魔界に足を運ぶことは絶対にない。まぁ、正確には魔界に辿り着くことさえできないという方が正しいが、勇者しか魔界へ現れないのは確かである。
その他の人間が居るとすれば、魔物に捕虜とされ連れ去られた人間だけだ。その人間達がどうなったのか俺は知らないが……生きて外を歩いているとは考えられないだろう。
「つまり、勇者とは存在自体が禁忌なのですよ。アルマ様と勇者を同一視された時点で、全てが敵になると考えて下さい」
「そうか……すまない、これも軽率だったな」
「いえ、事前に知れたことだけが幸いでした。他に懐柔する策を考えねばなりませんね」
深い溜め息と共に、その視線が床へと落ちた。
もう彼女の頭の中では新たな考えが張り巡らされているのだろうか。
そんな彼女の姿に、俺はふと違和感を覚える。
彼女は――ただの一度も俺を、アーサーすらも恐れていない。勇者自体がそれほど恐れられる存在ならば、ごく自然に勇者と接していたステラはどういうことなんだ?
俺の視線に気付いたか、首を傾けたステラと目が合った。
「ステラは、勇者が怖くないのか?」
カスクードは俺達の話を聞きつつも、身体はぶるぶると震え、尻餅を付いた身体は後方へと動いている。普通の魔物は勇者という単語が出ただけであれだけの反応をするのだ。
俺の質問にステラはふっと笑みを浮かべ、答える。
「勇者は、人間という種が編み上げた対魔王用の魔法です。原理さえ把握しているのならば、怖がる必要はありませんよ」
「魔法だと?」
「はい、原理の説明は必要ですか?」
「教えてくれ」
無尽蔵に湧き上がる虹色の輝き――俺はあの力が魔法だなんて発想を持ったことがない。
しかし彼女は言う。俺を見つめる鮮緑の瞳に、一切の揺るぎはない。
「勇者とは、人間全ての生命力をまとめて一つに集約した力です。魔王の出現と共にその魔法は起動し、力は相応しい意志を持つ人間へと受け渡される――アルマ様もそうだったのではありませんか?」
俺はその言葉に頷く。
今となっては遠い記憶ではあるが、強くこびりついた光景を忘れることはない。
あの日は、俺の故郷が滅んだ日。
波濤の如く押し寄せる魔物に立ち向かう中――限界を迎える寸前、あの力は唐突に宿った。無限にも思える極大の力、それが元からあったかのように手に馴染む奇妙な感覚が。
その時は無我夢中だったし、死の淵に晒されたことで普段出ない力を引き出せたのだと勘違いをしたほどだ。
けれど違った。その事に気付いたのは、山と積み重なった魔物の死体を見た時だった。
「確かに強大な力ではありますが、理解できる概念ですから。真に恐ろしいのは、理解ができないものだけです」
「じゃあ……魔王は理解できないものか?」
彼女は俯くように視線を床へと落とすと、両眼の緑色に陰が差す。
「アルマ様は、怖くありませんよ」
魔王については答えなかったが、回答それ自体が物語っていた。
俺の話はここで終わったと解釈したか、彼女はカスクードへ振り向く。
それから自身のこめかみに人差し指を当てると、微細な魔力の発露と共に発光し、カスクードの額に向けて飛んでいった。
「今、整理した情報をカスクードへ送り込みました」
「……へっ? なんか頭がいたいんスけど、なんスかこれ、あっ……旦那が頭に」
「何だ?」
輝きが額の中からカスクードに吸い込まれた瞬間、電流が走ったかのようにびくんと身体を震わせた。
次に見せたカスクードの表情は、驚きと疑念に満ち溢れたものだった。
先ほどの痙攣は痛みではなく、情報を一度に叩き込まれた反動だったのだろう。
カスクードは眉間に深い皺を刻み付け、俺を見上げる。
挙動不審げに揺らめく灰色の三白眼に向け、ステラが告げた。
「アルマ様はあなたを殺す死神ではないとうことです。それだけ覚え、余計な事を口にしないで下さいね」
「言えるわけないっすよこんなこと!」
両手を広げて驚いて見せる彼の表情には、もう怯えは出ていなかった。
今のやり取りを眺めていると、自然と感嘆の吐息が漏れ出る。
「凄いな。記憶でも共有したのか?」
「あくまで私が纏めた情報ですが、そのようなものですね……で、アルマ様」
「なんだ?」
「今のは私と主従で結ばれるカスクードだから行えた、ということをお忘れなく。他の者に知られれば簡単には収束できません。次から何かを行動に移す際は、私に一言告げてください」
「あぁ、次からはそうするよ」
深々と頭を下げようとすると、ステラは「そこまでは」と強く否定し、視線を俺の顔の位置まで下げてくる。俺はステラの姿を見に入れると、一つ頷くだけにしておいた。
そうしたのは、俺の振る舞いは不適切だと思い直したからだ。
人間に当て嵌め考えれば、そう簡単に頭を下げる王などいない。
魔王の本質が人間の王とは異なるとしても、少なくとも魔人オールダンとは直接の面識があり、彼らに上下関係はあったのだ。
魔王としての立場と振る舞いは、そんな時にこそ必要になるのではないか。
だが魔力を封じている俺にその風格はない。魔王とは力の証明であり、それがないものに魔人が靡くと思えないのだ。
ならばどう切り抜けるべきか。
幾つかの選択肢は浮かんだが、これぞといえるものはなかった。
どれも不確定要素が多く、相談なしに実行できる手ではない……こういう時こそ相談するべきだろう。
「ステラ、オールダンへの交渉では魔王であることのみを伝えよう。だが骸骨の魔人の企みについて話をしても、俺が魔王であると信じられなければ意味を為さないんだ。なんだ、つまり……戦ってもいいか?」
魔物は力に価値を見出す生き物である。
恐れられる存在と知ってなお、魔王の座を狙おうとするほどには価値があるものだ。
だから力を見せつけるという選択は単純明快かつ、理に叶ったものである。
「それは……」
俺の提案にステラは渋面を作ると、睨むように目を細めた。
果たして先ほど私が忠告した話を覚えているのかと言いたげな目だったが、俺の話に続きがあることを察したのだろう。開きかけた口を閉じると、黙して俺の言葉を待っていた。
「進言は受け止める。戦闘で魔王の魔力は使わない」
「では……剣術のみで戦うと仰るのですか?」
「いや、それだけじゃ打ち負かせん相手だ」
勇者という力がなくとも、俺は剣の腕は人間界最強だ。
これは驕りではなく、そうでなければ勇者の資格を得られないというだけの純然たる事実である。
しかしそれでも、一人で魔人には挑めない。
一線級の人間が一丸となって、ようやく薄い勝ち目が現れるのが魔人という相手だ。
魔王である俺に一切の攻撃が通らぬように、普通の攻撃じゃ魔人に傷一つ与えられない。故に魔人と一対一で戦うなら、せめて剣術に別の力を加ねば話にならない。
「つい先日だが、気付いたことがある。俺は常日頃から魔王が齎す膨大な魔力を使っていたが……それとは別に、俺個人にも魔力が流れているらしい」
初めて俺の魔力を認識したのは、リザールシックの町中で意図的に魔力を隠していた時だ。
隠しても身体の内でどうにも収まらない魔力があり、俺はその魔力を別々に内側へと押し込んだ。
あの時は力を隠すのを目的としており、その源泉は気にしていなかった。
だが日常的に魔法書を読み耽り、魔力操作の訓練を行っていたことで、自分の魔力に気付ける程度に技術が磨かれていたのだ。
無論、ステラから見れば赤子に毛が生えた程度の力だろう。
だが自身の魔力があるという気付きは、大きな利点を生み出せる。
「この魔力を剣に纏えば、オールダンにも傷を付けられるだろう」
言って、後ろ手に剣の柄へと手を掛けた。
するりと抜き放った白刃へ目をやり、僅かに魔力を纏わせる。半透明の魔力が俺の指を伝い刃元から刃先までを覆えば、薄い青に変色した長剣が姿を見せた。
「どうだ?」
「……驚きました。魔法剣とは、随分難しい魔法を扱えるのですね」
「そうなのか? だとすれば、勇者が役に立っているようだな」
この力の使い方は勇者だった時の基本戦術だ。
アレの根源は魔力ではなかったものの――やっている操作としては概ね同じである。
「それでも、倒すには至らないと思いますが……」
「討伐しにきたわけではないのだから、倒すまで戦う必要もないだろう? オールダンも自領が壊れるほど本気で戦いたくはないはずだ」
魔力を解き、剣を鞘へと収める。
ステラはしばらく難しい顔で黙っていたが、やがて溜め息と共に頷いた。
「分かりました、そう仰られるのなら止めません。壁に刻まれた拘束術式の起動条件も読んでいたようですし、見せかけではないのでしょう……信じますよ?」
「あぁ。ところでステラに一つだけ聞いておきたいんだが、この状態の俺ではオールダンに勝てないと思うか?」
聞けば、彼女は困ったように眉を寄せた。
少々解答しにくいものだが、聞いておきたいのだ。
ステラはまっすぐに俺の目を見据え、ややあってから口を開いた。
「私はアルマ様の実力を正しく知りませんが――人間種が魔人を打倒するのは不可能と言っていいでしょう。ですがアルマ様に勝算があるのでしたら、私の価値観など意味を為しませんよ」
遠回しに、勝算はあるんだろうなと聞かれている気がする。
だが、答えはそれでも充分だ。人間界よりも遥か過酷な世界で暮らす魔物、その中でも特に強大な力を持つ魔人に人間が一人で勝とうなど、考えることすら馬鹿げた話である。それを分かった上で俺に頷いてくれたのであれば、何とかなるだろう。
「勝算は無論あるさ。だが泥臭く勝つわけにもいかない……俺が気にするべきは、どちらかといえば勝ち方だろうな」
圧倒的にとまでは言わないが、死闘を繰り広げて勝利を手にしても意味は薄い。
俺から持ち掛ける勝負は試合ではないのだ。オールダンに魔王としての力を示せないことには始まらないからな。
ともあれ、今後の動きは定まった。
一息吐いた俺は、少し休憩でもしようかとその場に腰を下ろそうとして――足元の振動に眉をひそめる。
「今のは何だ?」
音はしない。
けれど、一度だけ確実に足元が揺らぐだけの衝撃が発生した。
自然現象でないのは明らかであり、その異変にはステラもカスクードも気付いてそれぞれ周囲を警戒している。
「魔力反応は感知できませんが……それは壁の結界で阻害されている所為も大きいでしょう。外の状況は確認できませんね」
「ふむ」
なるほど、道理で分からないわけだ。
罪人収容の牢獄と考えればその機能は不思議ではないし、あれだけの振動に音が乗らなかったのも阻害の影響だろう。
「じゃあ何か爆発でもしたんっすかねぇ」
「可能性はあるかもしれんが……何が原因で起きるんだ?」
「そこまでは分からないっす。酒蔵に火が引火したとか、魔石が保管してある倉庫が暴発したとか?」
「いえ、原因は別だと思います」
ステラはその可能性を否定し、考え込む様子で顎に手を当てた。
「……嫌な予感がします。外に出ましょう」
「分かった」
彼女の言葉を聞き、俺は一度収めた剣を抜き放った。
今度は俺の敵意を感じた魔法陣が鈍く輝き出し――。
「二人共少し下がっていてくれ。腕慣らしがてら、俺が扉を破壊しよう」




