80話 真偽
大地を割いた轟音。陥没した地上。拓けた空間。
空へと舞い上がった俺は、眼前にて怯える魔物を見下ろしていた。
「アンデッドを量産していたのはお前だな」
「……何故だ、貴様は奴と」
白骨に黒衣を羽織った姿は、アンデッドの上位種といったところか。
妙に怯えた様子を見せてはいるものの、魔人クラスの強さはあるだろう。
いや、魔人なのか? それにしては……。
「ディエザリゴの事を言っているのか? 奴を頼りにしているのならもう居ない」
視線を外し、地面の大穴へと目を向ける。
「ステラをやったのもお前だな」
俺が張った中空の結界内。体重を預けるように倒れる彼女には酷い怪我が窺えた。
既に自力で治療しているようだが、すぐに治せる軽傷ではない。
故に彼女は大地を崩し魔力の残滓を地中へと届かせることで、俺に救援の報せを送ったのだろう。
お陰で間に合ったが……己の展開した結界に阻まれ、この魔物の出現を感知できなかったとはな。
しかし、思いの外尻尾を出すのが早かった。
俺にディエザリゴをぶつけて何がしたかったのかは知らないが、この様子では後のネタはもうないらしい。
怯えたじろぐ白骨の眼窩を睨み付け、拳に魔力を集中させる。
「ま、ままま待つのだ魔王よ――」
「安心しろ。殺しはせん」
「まっで、」
無意味な懇願を遮るように、拳を振るう。
それは魔物の腹部――といっても剥き出しの背骨を割り砕いただけだが――を容易く抉り、真っ二つに破壊した肉体を地面へ叩き付ける結果となった。
巨大なクレーターを作って大地にめり込んだ魔物だが――頭蓋骨だけがふわりと浮き上がってくる。
通常の魔物ならば即死だったが、魔人ならば耐えられる。
身体はスタークスやバラカタと比べ脆いが、生命が肉体に宿っていない奴の身体が二つに割れようとも命に影響はないのだ。
「で、お前の目的は何だ?」
頭蓋骨を両手で掴み上げ、俺は問う。
コイツはリザールシックの町にてアンデッド騒ぎを起こし、カスクードに諜報させ、前魔王ディエザリゴの墓を掘り起こした。
狙いが俺達であったのは明白だが、結局のところ目的が見えない。
それは気持ち悪いので一応聞いておいてやることにする。
「ぐぬぬ、何故だ、魔王がここまでとは……」
「魔王がどうした? 今はその話とは何の関係もないはずだ、さあ言ってみろ」
「――彼は、自分こそが魔王になりたかったみたいですよ」
背後からの声一つ。
振り返れば、いつの間にかステラが真後ろに立っていた。
あれ、重傷だったはずだが……。
「大丈夫か?」
「これなら痕も残りませんよ」
確か、四肢の幾つかに穴が空いていたようにも見えたのだが……いや、ステラが言うならそうなのだろう。
「クソ……離せ、貴様が魔王など儂は認めんぞ……ッッ」
「魔王はお前の承認がいるのか。不思議なことがあるものだな」
まだ反抗する意思を見せたため、頭蓋を握り潰して望み通り地面へ投げ捨ててやる。
硬い石に衝突した頭蓋が半ばほどから砕け散り、眼窩の奥に魔人の本体である魂の輝きが顔を覗かせた。
「ではコイツは、魔王になりたくて俺の命を狙ったというのか?」
「そのようですね。アルマ様……そのお身体の傷、地下で何があったのですか?」
「ちょっとアンデッド化した前魔王に襲われてな」
「え――それは」
「もう眠りに就いた。起き上がることはない」
ディエザリゴはステラを幽閉した魔王そのものである。
彼女のトラウマを想起する可能性があり伝えるかは悩んだが、俺も隠し事はしないでおくことにした。
「しかし……それが理由なら分不相応としか言い様がないな」
この魔人には魔王という存在に対しての危機感が足りないと見える。
「お前、魔力量は今まで見た魔人の中で一番多いな。ステラを傷付けたというなら技量も高いのだろう。だが、それだけで魔王に勝てると思ったか?」
「ぐぎ、ぐぐ――貴様、何故力を使いこなせている! そんなはずはないのだ……」
「ふむ……」
吠える魔物の言葉を聞き、俺はようやく彼の意図を理解した。
――魔王は存在しない期間がある。
人間達はそう考えていたし、俺も同じ考えだった。
魔王は一度死ぬと、次の魔王が誕生するまでに長い期間を空ける。
これは長い歴史の中で証明されてきた人間の常識だ。
期間に規則性はないがそれでも年単位は空くし、長ければ魔王という存在を知らない世代が誕生することもある。少なくとも俺のように僅かな日を空けて誕生する魔王は居ない。
だが実際、人間が知らないだけで魔王は生まれていたのだろう。
ただし力を制御できない段階の魔王は弱体化しており、次の座を狙う魔物が現れれば命を落とすこともある。
そうした命のやり取りの中を生き抜き、長い期間を経て力を己の物とした魔王が勢力を整えて人間界へと攻め入って来ていた。実情はそんなところであろうか。
「じゃあお前は、魔王の力を見誤ったということだ」
まぁ、どうであれ関係のない話だった。こちらに彼の事情を理解し汲み取って情けを掛ける道理はない。
彼がこちらの戦力を見誤り、勝手にしくじっただけのこと。
「アルマ様――」
「まあよく見ていろ」
右手に込めた魔力をいち早く察知し、何を心配してか俺を気遣ったステラを制する。
これから俺がしようとしている行為は虐殺ではない。
「く、くっそぉぉ!」
頭蓋だけの肉体となった今やこの魔人に反抗するだけの力はないが、しかし腐っても魔人である。俺の殺気に反応して彼が反射的に取った行動は――逃走。
周囲に撒かれていた死の気配が俺を中心に霧散していく。次に砕けた骨片と地面に落ちた黒衣、それらが泥に溶けるように地面に沈んで消え、死の気配も同様に俺の視界から消え失せる。
そして幾ばくもしない内、本体である魂を擁する頭蓋骨も空間に溶けようとしていた。
「儂は、ここで死ぬわけには行かぬのだぁあ!」
彼は森一体へと撒いていた自身の魔力を使い、攻撃ではなく俺からの逃走に全力を注いだのだ。
だがそんな彼を追うことなどしない。
急速に消えていく気配だけを目で追いかけながら、やがて森から消え去るのを肌で感じるだけ。
俺は手の内に込めた魔力を握り潰し、体内へ戻した。
「これで二度と魔王城に近寄ろうなどと考えんはずだ」
「あ……わざと逃したのですね。良かったのですか?」
「良いも悪いもないだろう、それとも殺すべきだったか?」
「いえ……きっと問題はないでしょう」
何かを呑み込むようにして言葉を切ると、ステラは小さく頷いて。
「それに不殺を選択して頂けただけで、私は嬉しいです」
そう零したステラは安堵からかほっと溜息を零す。とはいえ魔人を逃したこと自体には懸念もあるのか、表情にややこわばりがある気がした。
俺がそれに付いて尋ねようとすると――。
「ちょっとなんすか! 俺、今重要でとてもヤベー話を聞いちまった気がするんすけど……え、なんすか? 魔王!?」
なんとも間の悪いことに、カスクードが足をガタガタ言わせながら走ってきていた。お陰で聞くタイミングを逃したが、かといってカスクードを無視して続けるわけにもいかない。
仕方なく彼へと意識を向けてやると――俺を見るや否や、彼は慌てふためくようにステラの背後へ回り込んでしまった。
何故だと思ったが……そう言えば俺は正体を明かしていなかったな。であれば怯えるのは当然の反応か。
俺については魔王城に戻る段階で説明しておかねばならないとは思っていたが、いっそ説明の手間が省けて楽だということにしておこう。
「見ての通り、俺が今代の魔王だ。ただ魔力を隠していたことから分かる通り、無闇に力を振るうつもりがない。お前も気安くアルマとでも呼んでくれて構わん」
「は、え……そそそんなのできるわけないじゃないっすか! あの、これまでの様々な非礼をお詫びします! なんでもします、なんなら靴でも舐めますからこの通りっすよ!!」
「要らん、だから普通にしろと言っているのだ」
放出していた魔力を全て身体の内へ戻し、ただの魔物と変わらなくなった小さな手でカスクードの肩を叩いてやる。
そこまでしてようやく身体の震えを収めたカスクードは、乾いた笑みを浮かべるとその場にへたり込んでしまった。
一気に身体の力が抜けた……というより、今までは魔王の瘴気による影響が強過ぎたのだろう。先ほど俺が魔力を完全に収めたことで影響を受けなくなったのだ。
ということは――影響を受けているのはカスクードだけではなく、ステラも同じ。
恐らく彼女は大丈夫と言うだろうが、決して瘴気が効かないわけではなくただ耐えているだけなのだ。
しかも戦闘で魔法を連発した上に傷も負っているとなれば尚更耐えられるわけもなく、立っているのがやっとという感じである。
二人の状態を見て、俺は提案を行う。
「よし、少し休憩するぞ。カスクードも疲労が見えるし、ステラは失った体力を回復させる必要があるしな。んで休憩後は一旦魔王城に戻ろう、氷霜樹の実など探すのは後で構わん」
俺は周囲に簡易的な結界を張って冷気を遮断し、内部の温度を火魔法で上昇させる。これで少しは楽になるはずだ。
「あの、そこまでされなくても……私は大丈夫ですよ?」
「だが無理する意味もない」
緊急性のある目的があれば話は変わったかもしれないが、たかだが酒を飲むための材料探しである。不安要素も消化済みの今、特に急ぐ理由もないのにどうして無理ができようか。
そうして、有無を言わさぬ顔で俺もその場に座り込む。
「それに、ここで話しておくことがある」
脳裏に流れるのは、少し前の地下での出来事。
俺は彼女に隠し事をしない。だから、包み隠さず話しておくことにする。
「ディエザリゴだ、俺は奴と少しだけ話した。そこで分かった事がある――」
◇
魔人は逃げていた。とにかく、どこかもっと遠くへ。
打ち砕かれ、破損した骨をどうにか修復しながら、割れた頭蓋の中身が明滅する。
如何な魔人も単体で挑んでは魔王に敵わない。特に、覚醒などしていれば尚更。
故に選んだ無様な逃走。
しかし、それでも成果がまるでなかったわけではなかった。
「あの魔王とやら、やはり妙だ」
あの力は間違えようのない一級品。
紛い物には起こせないほど純度の高い、悪意と暴虐に満ち満ちた魔王の力。
けれど、魔王はそれを振るわない。
――何故?
決定的といえる答えはなかった。
だが、今この身が逃げ切ろうとしているのは魔王が力を振るわないからに相違ない。
仮に本気で追おうとするのであれば、破壊された身体を治しながら悠長に逃走などできようはずもないのだ。
そう、魔王は逃げた魔人を追ってすらいなかった。
現れた羽虫を払い、逃げてしまったから放置したとでも言わんばかりに。
この白骨に血と肉が宿っていればさぞ沸騰したことだろう。顔面の至る箇所に青筋が浮き上がり、怒りを露わにしていたことだろう。
存在そのものを舐められている。いや、あれはそんな次元ではなく……最早敵として認識されてもいないのではないか。
「だが怒るな……分析しろ。あれはおかしい、魔王の反応ではない。魔王ならば羽虫だろうと歯向かえば全力で磨り潰す――故に怖ろしい存在なのだ。だからこそ、手掛かりは見つかるはずなのだ!」
追われもしないのに逃げ続ける必要はない。
深い森の中で足を止めた魔人は、次元の狭間から杖を召喚する。
「対象を設定、認識個体名〝ディエザリゴ〟。地中の魔力流体を検索……対象の残滓を確認。対象の魂魄……確認――ハハ、やはり、殺していないな! なるほど、なるほど……なるほどのぉ……」
その杖に詠唱を込め出力すれば、該当する魂魄が引っ掛かった。
大地の底の底、沈殿した魂の残滓を一度は取り出し、現魔王へとぶつけたものである。
それが探知に引っ掛かったということは、魔王はディエザリゴを殺さずに終わらせたということだ。
「そのような甘い夢物語は有り得ない……では、〝ディエザリゴ〟よ。貴様が魔王と対面した時の記憶を呼び覚ませ、何があったかをこの儂に全て見せろ」
杖が鈍色に輝くと、大地が隆起する。
めきめきと形を変え生物を象ったそれは、雄々しい二本の黒角を生やす……強大な暴虐だったモノ。
ただの土塊だったものに瑞々しさが生まれ、徐々に肉と同じ柔らかさを生む。
中空に魂魄の輝きである光が集合し偽物の身体に流し込まれると――その閉じられた両眼が、ゆっくりと開かれた。




