71話 視察
魔界の絶凍期は、人間界とは異なり生物が凍る魔境そのものだ。
外を対策無しで出歩こうものなら瞬く内に氷像になる世界。
大半の魔物は絶凍の前には隠れて休眠状態へ移り、豊穣期まで目覚めることはない。
その中でも動いているようなものは、凍った世界を有利に立ち回る進化を遂げた魔物だけだ。
彼らは決して強い魔物ばかりではないが、その分狡猾に育つ。
その狡猾さで、休眠する魔物を貪り食らい日々をやり過ごす。
木々や草花は大半は動けない性質を持つため、これも案外絶凍にも耐えるように進化している。
しかし、植物が絶凍期に実を付けることはない。
こんな時期に次代の繁栄に向けた活動などしないからだ。
まぁ当然の話ではある。
つまり、魔界の絶凍期では食物が壊滅的に取れない。
冬を徘徊する魔物も狡猾か強力かのどちらかだ。
見つけるよりも、捜索の体力消費で数回は死ねるだろう。
故に知性の高い魔物が暮らすような町には、必ず町全体を囲む魔法障壁が張られている。
障壁の中でだけは絶凍のような寒さはない。
作物の栽培や家畜の飼養環境も、僅かだが揃えられる。
絶凍に耐えられない魔物が生き抜くための手段の一つというわけだ。
町を取り囲む半球の壁を眺め、俺は遠目に呟いた。
「良く出来ているのだな。俺が作ったものより強度もありそうだ」
「あれは魔法に長ける者達数百を集めた結界ですからね。強力な魔物からの襲撃も弾けるようになっていますし、内部環境にも手が加えられています。間違っても壊さないでくださいね」
「いや壊さんが……俺を何だと思ってるんだ?」
「ふふ、勿論分かっていますよ。ですが壊せるのはアルマ様くらいなので、一応です。張り直しも効かない物ですから」
冗談混じりだったのだろう。
くすりと笑んだ彼女は、しかし直後に首を傾げ聞いてきた。
「それにしても、どうして町へ? アルマ様ならば食糧調達も難ではありませんし……特に興味もなかったご様子だったので」
「巷で俺が引き篭もりの魔王とか言われてるのが気になってな」
出会う魔人からは同じような台詞を既に二度吐かれている。
魔人だけではなく、他の連中も城から姿を現さない俺に同じ感想を持っていてもおかしくないはずだ。
話だけ聞けば俺でもそう思う。
そんな魔王は弱そうだし、あるいは殺せるのではないかと勘違いするかもしれない。
バラカタの奴は俺を殺って魔王になりたかったらしいしな……。
「舐められ過ぎても面倒だ、周囲一帯に畏怖は撒いておいた方が良いだろう。ある程度威厳は保ちたいし、支配した領土があれば今後の立ち回りも楽になる」
今までの魔王は好き勝手に暴れ回るばかりで統治などしていなかったという。
俺は違うと彼らに示し、纏め上げておくのは大事だ。
そうして領土を増やせば魔王の発言力は増す。
俺が個人ではなく勢力としての力を付れば、力尽く以外の方法でも俺に耳を傾けるだろう。
結果的には何もしないで城に籠もっているより、身の回りは平和になる。
「恐怖による支配は良くないですよ? 舐められるくらい別に良いではありませんか、いつもの親しみやすいアルマ様の方が私は好きですよ」
「あ、あぁ……? 俺は一応魔王なのだぞ」
「歴代の魔王と同じ道をなぞっても嫌悪されるだけと愚見しましょう。振り撒くのは畏怖ではなく、愛嬌にするのは如何ですか」
「……魔王だぞ?」
「魔王だからですよ」
愛嬌……流石にどうなんだ。
まあ、ステラが言うならそうなのかもしれん。
魔物もスタークスやバラカタのような好戦的な連中ばかりではないのだろうし。
「まずは魔力を抑えましょう。その方が親睦も深められますし、警戒もされません」
「それじゃ魔王だと誰も分からないんじゃないか? ……特にこの姿ではな」
俺の姿はひ弱にしか見えぬ人間かつ少年である。
ステラより頭二つほども低い俺から魔力取ったら何が残るというんだ。
舐められるを通り越して喧嘩を売られるぞ。
「そういう者達には好きに言わせておけば良いのです」
「良くないと思うが……」
「後で魔王様だと知ったら、何をせずとも勝手に畏怖してくれますよ」
ううむ……確かに。
ステラの言う事にも一理はある。
だが、しかし……まあいいか。
あまり酷いのが居るようなら、その時に考えれば良い。
「分かった、俺も争うつもりはないからな。これで良いか?」
魔力を抑えるのは慣れていないが、感覚のままに俺は力を抑え込むようにした。
「はい、完璧です。肌を刺すような威圧感まで綺麗に消せていますよ」
「……待て、俺はいつもそんな感じなのか?」
「? ええ。あっ、私は慣れていますので、気に掛けずとも宜しいですよ」
「そうか……」
思い返せば、勇者だった俺が魔王と相対した時もひりつく魔力を感じていた覚えがある。
それと同じようなものを常時垂れ流しているのだとすれば、良くないな……。
ステラは気にしないとは言ったが、普段も抑えておくようにしよう。
◇
町の中は存外、賑わっている様子だった。
様々な種族の魔物達が雑多に道を行き交い、会話も盛んに行われている姿が見られる。
町の正面入口の門には警備兵のような竜人が立っていたし、姿という一点を除けばほぼ人間の町と同じような光景だった。
違う点といえば、低い建物が多いところだろうか。
あとは人間界の町は木造も多かったが、こちらは石造りがほとんどである。
もう少し荒んだ何かを想像していたのだが……。
いや、これは俺が魔界というものを知らないだけか。
「よぉお前達、見ねぇ顔だな? まっさかこの時期に外から来たの? 絶凍期でもいっちゃん厳しいってのにようやるわ」
特に目的もなく町並みを眺めていると、背後から声を掛けられた。
振り返れば、ソイツはぴょこんと獣の耳を生やす獣人の男性だ。
耳は犬や狼に近いもの。
牙や爪、尻尾が生えている以外の特徴は人間に近い。
他にも町を歩いている魔物は、人間に近い姿が多いようだ。
そういえば、門番の竜人もバラカタ率いるドラゴンと比べれば人間の特徴を多く残していたな。
「って……人間? や、人間が鎖もなしに歩いてるわけねぇか」
彼は俺の方を見て眉をしかめたが、自分で納得したようだった。
「私達に何かご用ですか?」
「いやぁ用ってほどでもねぇけど、珍しくてな。長命族と小人族の二人旅たぁ更に珍しいぜ? 外は危ねぇしよ」
「そうでもありませんよ。この時期は魔獣の数自体が減りますから、絶凍越えの準備さえしていれば比較的安全ですからね」
「絶凍を越えるってのが難しんじゃねぇか……ああいや、長命族は魔法が得意だしそうでもねぇのか。なんで旅なんかしてんだい?」
「そうですね」
顎に手を当てたステラは、やがて俺に目配せしてくる。
「アルマ様、どうされますか?」
「あぁー……そうだな」
どうすると言ってもな。
俺はこいつに別段用があるわけでもない。
話し掛けてきたのはこいつだし、俺は二人のやり取りを漫然と眺めていただけだ。
とはいえ、話をステラに任せきりなのもアレだな。
「この町には視察に来たようなものだ。ここは亜人族の町なのか?」
亜人族とは、単体の種族名というわけではなく、人の特徴が多く混ざる魔物の総称だ。
元は奴隷の人間に産ませた魔物が始まりで、今では結構な亜人族が魔界で暮らしている。
「あん? 急に亜人差別か? お前も小人族なら亜人みてぇなモンだろうが」
が、どうやら発言を見誤ったらしい。
人の種を取り込んだ亜人族は差別や迫害の対象になることも多く、それが原因で亜人族はその他種族に対して攻撃的な面があるそうだ。
ちなみに俺は小人族だと認定されているらしいが、小人族に人間の種は混ざっていない。
長命族のステラも同じだ。
俺にはどこに差があるのか分からんが……見た目が人間に似ていると、それだけで同じく差別されることもあるみたいだからな。
人間が魔物を敵視するのと同じ、か。
「差別のつもりはないが……そう思わせたのなら済まないな。単純に質問しただけだ」
「ケッ、ムカつく質問してくれるなよ。美人の姉ちゃんが隣にいなけりゃ思わずぶっ飛ばすところだったぜ、感謝しな」
全身の毛を逆立てて牙を剥いた彼だったが、ふうと息を吐いて開いた大口を閉じた。
同時に毛も元に戻り、握っていた拳も解いてだらりと脱力する。
「んで……視察ってなんだぁ? アルマ様って、様ってお前、お前っ」
「なんだ」
「何でもねぇよ……」
「?」
こいつは何に憤ってるんだ。
先程の誤解は解いたと思うが。情緒不安定なのか?
「ったく。お前が小人族の何なのかは知らねえが、視察に訪れたのは失敗だったな」
俺の前で小さく地団駄を踏んだ後、彼は獣耳をくしゃりと前に倒して呟いた。
「失敗?」
「そうだ、失敗だ。何せここは貧民街リザールシックだぜ、魔王城がいっちゃん近いところにある最悪の町だ」
「それがどうした」
「それがどうしただぁ? 小人族ってやつぁいくら寿命が短いにしても魔王の恐ろしさを知らねえほど世間知らずたぁ呆れたね! 新しい魔王が目覚めて、今あそこに構えてんだよ!」
彼が鬼気迫る顔で指を差した方角を見るまでもなく、俺は理解した。
彼が恐れているのは、魔王だ。
魔王が既に目覚めており、いつ自分達にその刃が剥くか戦々恐々としているのだ。
「既に魔人を何人もぶちのめしたって話だ! 今回はどんな凶悪で屈強な奴が魔王になったのかは知らねぇが、俺達にとっちゃ最低最悪で迷惑な話だぜ。悪いこた言わねぇ、何の視察かは知らんが今の内に町を離れた方がいいぜ。命を無駄にしたくなけりゃあな」
そう言って、彼はこちらの返事を待たずして去って行ってしまった。
彼を見送りはするが、わざわざ呼び止めようとは思わない。
真実を話したら余計ややこしくなりそうだ。
姿が路地に消えていくところまで眺めた後、ステラと顔を見合わせた。
「嫌われているな」
「魔王は普通の魔物達からすると、自然災害みたいなものですからね」
「ううむ。改めて人間の王とは大分違うな……」
人間の王様という存在は、自らが象徴となって民を統治していたように思う。
だが魔王って奴は、魔物の側からしても厄介者でしかないようだ。
なんでこんな場所に町を興したのかって気もするが、本来魔王はこんな周期で現れないだろうからな。
彼らにとっても想定外の事情で、しかし絶凍期では身動きも取れないはずだ。
ともあれ、ステラの言葉に身を任せたのは良かった。
俺が魔王と分かる状態で町に現れれば、その瞬間町全体が恐慌に陥っていたはずだ。
そうなれば、町が崩壊していた可能性もある。
「――止めだ」
「はい?」
「領土にはしない。さっきのも悪い奴ではなく、ただ魔王を恐れていただけだ。だから、支配はせん」
今後の動きを円滑にするためにとの行動だが、関係ない者を巻き込んですることじゃない。
この町は……俺が最初に抱いた感想が正しいのだ。
彼らはただの住民で、ただ平和に暮らしたいだけなのだ。
「俺と同じ考えを持つ者の平和を俺が壊すことはできないだろう。だが、この町ですることがなくなったな……」
「でしたらアルマ様、デートは如何ですか?」
「は?」
俺の左手を恋人繋ぎのように握り込んで、ステラはふっと顔を綻ばせる。
あまりの自然の動作に反応もできなかった。
ただ、柔らかな手の感触に僅かに胸が高鳴った。
だが、なんだ。これは。
母親に手を引っ張られた子供みたいな感覚の方が強いぞ。
「町に来る機会などないなと思っていたので。色々見て回るのもいいではありませんか?」
「分かった。ただ、手は離して欲しい。子供扱いされているようだ」
「お嫌ですか?」
「ううむ。嫌とは言わないが……」
「アルマ様と一度、こうして歩いてみたかったのです」
しかし、そうも嬉しそうに言われると断るに断れなかった。
隠し事をするなと言ってから、妙に押しが強い気がしなくもない。
そういうことではないのだが……いや、そういうことでもあるか……。
「分かった」
観念して彼女の手を握り返してやると、ぐいとその腕が引っ張られた。




