70話 夢と欺瞞
「……やはり、寒いな」
――絶凍の凍り付くような空気に冷やされ、俺は静かに目を覚ます。
吐いた白い息が目の前に現れ、やがては消えていく。
自然と両手を合わせ、息で身体を温めようとしたところで、掛けていたはずの毛布が傍に転がっていることに気が付いた。
寝相が良くなかったか、この寒さだというのにそのまま眠っていたらしい。
道理で身体も冷え、起床してしまうわけだ。
目が覚めてしまった。
これではもう一眠りというわけにもいかないだろう。
「まぁいい。どちらにせよ陽は昇る頃だ。そろそろ起床しておこう」
独り言を呟きながら、片手から魔力を上へ放つ。
それらは天井から吊り下がる魔力灯へと流れていくと、たちまち広い室内を照らしていく。
ふと窓の外を見れば、相も変わらず猛吹雪である。
絶凍期に入ってからそれなりに日は経過したように思うが、ほとんど晴れを見ていない気がするぞ。
窓辺を遠目に眺めつつ、ベッド横のポールハンガーから取った外套を羽織る。
「さて……」
俺が起きた際、ステラは起きていれば部屋までやってくる。
そうでない場合は眠っているか外へ出ているかのどちらかだが、今日ほど吹雪いている日に外へ出ることはないだろう。
俺は部屋を後にすると、その足でステラの寝室へと向かう。
何故なら大事な用があったからだ。
急を要するものではないが、かといって先延ばしにするものでもない。
長廊下を進み、寝室の扉前で足を止める。
彼女は基本的に室内に居ない場合は扉も開け放しているため、閉まっているなら中にいるのだろう。
念のためノックはするが、返事はない。
入るぞと一声だけ掛けてから中へと足を踏み入れる。
「……夜更けまで読んでいたのか」
まず目に入ったのは、テーブルの上に積まれた本の山だった。
開きかけの頁へ目を落とせば、使い魔や召喚魔法について記載された内容が入ってくる。
他には、人間界の情報を記した書物なども幾つか見受けられる。
その中に、夢にまつわるものがあった。
流し見るだけで通り過ぎるつもりだった足が、目の前で止まる。
手に取って該当する頁を開く。
得られる情報自体は、別段大した内容ではなかったが。
――夢。
記憶の集積が無造作に繋がる現象で、明確な意味はないとこの書物には記載されているもの。
しかし、最近になって俺が度々見る夢は、そうではないことに気付いている。
始まりは、頭痛で倒れたあの日からだった。
最初は夢の内容を明確に覚えることはなかった。
少し時間が経てば記憶から弾き出されてしまう程度だった。
嫌な記憶が脳に張り付くことを恐れ、俺は意識的に記憶の隅にそれを追いやった。
しかし、忘れたところで再び夢として俺の中に蘇り、徐々に夢は蓄積されていく。
それら夢は場面も情景もちぐはぐであったが、何度も見る内に夢に前後の繋がりがあると分かった。
ある日、夢の一部を拾い上げて整理してやっと理解したものだが。
この夢は――俺の知っているものではない。
先程目覚め、確信した。
書物をテーブルへと置き直し、俺はステラの眠るベッドへ目を映す。
仰向けで眠る彼女は安らかな寝顔を浮かべていた。
今や見慣れたものだが……改めて目にすると、絵のように美しい容姿だ。
整った目鼻立ちに、絹のような金の髪。
人間界で魔性と呼ばれ、愚か者が手中に収めようとするのにも頷ける話である。
「……アルマ様……?」
気が付けば、彼女は翡翠の瞳をぱちりと開かせて俺を見つめていた。
いつから起きていたというのか。
少し恥ずかしそうな様子で頬を朱に染め、ステラは俺から顔を背けてしまう。
「寝姿をまじまじと見られるのは、恥ずかしいのですが……」
「あっいや、すまない」
咎められ、俺も彼女から視線を外す。
特に意図はしていなかったのだが、少し無神経だったな。
「どうかなされたのですか?」
「夢の話がしたい。お前も見ているのだろう」
「……ええ。といっても私は最近、ほとんど見ていませんが」
あの日。
俺は妙な夢と頭痛によって倒れたが、ステラも珍しく夢を見ていたらしい。
二人同時に夢を見て目覚めるなど、少し不自然だ。
魔法による攻撃の線も考えたが……魔王城周辺に足を運ぶ者などスタークスくらいのものだ。
奴は魔法も使わないし、ペットの獣も同じ。
彼ら以外は生物の気配すら居なくなってる現状のため、既に敵対者という可能性は外している。
また、その日以降は頭痛で倒れることもなかった。
生活に支障がでなければと気にしないことにしていたのだが……。
「ステラ。俺に隠していることはないか」
「隠していること、ですか?」
ステラの表情は見えないが、困惑している様子が窺えた。
恐らく彼女は問題にもしていないのかもしれない。
だが俺は知っている。
確かに夢で聞いたのだ。
「俺に隠れ、自分の身を実験体にアリヴェーラを作ったな」
「――あ、ええと。どこで、その名を」
どうやら思い至ったらしい。
言い淀んだ彼女を追い詰めるように、俺はぎろりと視線を向ける。
「お前は俺の魂の分離を確実なものとするため、自らを使って精度を高めたのだろう。何故俺に言わなかった」
それは、と口にしようとしたステラだったが、そこで口を閉ざしてしまう。
「言えば俺が止めると思ってのことか?」
「…………はい。ですが、絶対に失敗するわけにはいかなかったのです。どうか、私の勝手をお許しください」
「勘違いをするな。お前に感謝こそすれど、批難をしたつもりはない」
意図せぬ夢の介入によって、俺の中にはアーサーの旅路が流れ込み、そこでアリヴェーラの存在を認知した。
分かっている。
ステラは俺の身を最大限に案じ、俺の性格を考慮した上で最善の選択を選んだ。
彼女がアリヴェーラを生み出していなかったら、俺とアーサーの分離が上手く行かなかった可能性は大いにあるだろう。
批難などしない。
しかし、これだけは言っておきたかった。
「二度と俺に隠し事はするな。その代わり、何をしてもお前を許そう」
言いたかったことは、それだけ。
再びステラから視線を外した俺は、そのまま部屋の外へと向かう。
「朝早くに済まなかった。今日は昼頃に町へ降りるぞ、準備をしておけ」
「……はい! アルマ様——ありがとう、ございます」
見なくとも、彼女が頭を下げている姿が脳裏に浮かぶ。
彼女は、俺の為ならば我が身を省みずに尽してくれる奴だ。
それはきっと、牢獄から解き放った時からずっと。
素直に嬉しく思えるし、無下になどしない。
だからこそ、俺に言わずに行動に起こさないで欲しいのだ。
取り返しが付かなくなった後では、遅いから。
「……今日は俺が朝の食事でも作ろうか」
部屋を出て、俺は魔王城のだだっ広い厨房へと進路を変えたのだった。




