67話 決着と後始末
ぱらぱらと落下する結晶の破片が地面へと落ちていく。
崩れた天井が丸ごと落下し、塞がれてしまった箇所を見つめて、俺は鼻を鳴らした。
「……あー、やってくれたな、ラウミガ」
呟く俺の頭上に崩れた破片の一部が落ちてくる。
そいつを直撃前に裏拳で弾き、封鎖された瓦礫の山から目を離した。
幸いにして、この迷宮では明かりが必要ない。
魔力蓄える地面や壁面自体が薄い光を発しており、太陽の明かりが届かなくとも辺りを見渡せるからだ。
とまあ今更な話だが、故に空間が閉じられても視界が閉ざされることはない。
若干の息を切らすラウミガの姿も、はっきりと映っていた。
彼の手の平から魔法の残り火が消えると、新たな魔力が練り上げられていくのを視認する。
「そいつはこっちの台詞だぜ……こっちはこの階層ごとブッ潰すつもりだったんだがな」
魔弾――。
精霊による属性変換を伴わない、魔力を凝縮させ撃ち出す純粋な攻撃魔法だ。
放たれた計三発の魔弾を瓦礫と同じように片手で払う。あらぬ方向へと飛んだ魔弾が結晶の壁面を砕いていくが、先程の大魔法とは異なり迷宮が崩れるような破壊力は籠もっていない。
攻撃が止んだため、俺は瓦礫を踏みつけてラウミガへと前進する。
「アリヴェーラが居てほんと良かったよ……お前、他の仲間の命も犠牲にするつもりだったのか?」
「目的が果たせれば小さな犠牲ってもんだ。お前が死ねば充分だろう」
「俺が生き埋めになったら聖剣も失うぞ?」
「死んだ後のことまで考えられる余裕はないからな。後の事は生きてる奴らが頑張れってこった」
ラウミガが目論んだ俺の生き埋め大作戦は失敗に終わった。
確かに俺の戦闘力に関係なく、こんな地下深くにある空間に潰されれば対処する術はないだろう。直前にアリヴェーラが何らかの魔法で防いでいなければ――彼諸共、俺は即死していた。
何故そこまで、とは言わない。
ラウミガにも確実に刻まれているであろう術式はそういう類の代物だ。
手段を問わずに俺を殺すと言ったんだ、今更驚くことでもない。
「けど、もう俺を倒す手段はない。どうするつもりだ?」
「はは……さっきから聞いてりゃ、さては俺が諦めるまで粘るつもりかよ」
「お前が諦めてくれるならそれが一番良いよ。これは本心だ」
先程から問い掛けを投げ続けているのも、本心から思った事を口にしているだけだ。
はっきりと俺には勝てないと口にした彼は、既に人質も取ったし、不意打ちも行ったし、自爆紛いの特攻までしてみせた。
それら奇策は全て打ち破られ、残った彼一人に何が出来るというのか。
果たして全ての手段が潰えた時、彼は――彼の術式はどのような選択を取らせるのか。
一時的でも効力が機能しなくなれば儲けものだ。
何せ、俺が彼をぶちのめす手段はほとんどない。
そう、ほとんど、だ。
俺が人間相手に取れる手段はもう残っていない。
得物を失った俺では、俺より多彩な攻撃方法を学んでいる彼を詰め切るのは難しいだろう。
これは勇者ではない彼に理解できる話でもないし、知って貰うつもりもないけれど。勇者が持つ力というのは、彼らが思うような物じゃない。
これは魔物を、魔王を滅ぼすためにある力であって、人に向けて良い刃ではない。
「でもこれ以上刃向かうなら、俺も諦めるしかないけど」
「何の話だ?」
「さぁ。形あるものを失うわけじゃないよ。強いて言えば、心が少し欠ける」
既に欠けて生まれた心だとしても。かつての勇者と俺は別人だとしても、全く異なる存在だと言い切ったりはできないだろう。
人を救うための力で人を傷つけるのは俺の本意ではない、けれど。
足元の瓦礫を蹴り上げ、ぱしりと右手で掴む。
「諦める気にはなったか」
「はっ、何度も言わせるもんじゃねぇぜ」
「知ってる。ただの最終確認だから――纏虹神剣」
迷いのない返答を受け、俺は小さく口にする。
一般的な魔法とも、アリヴェーラの魔法とも異なる力の発現。たちまち右手の瓦礫に虹色の輝きが収縮し、一本の輝く剣と化す。
原理と性質自体は剣に魔力を流すのと同じだ。
ただ、出力が常識をかけ離れたものであること、使われている力が魔力ではないのが大きな違い。
一体これが何だと言われても、降って湧いたような勇者の能力について俺は答えられないけれど。
それに本来は瓦礫を剣化する運用じゃないとは思うが、そこはほら。ぶっつけ本番が成功したということで。
軽く振れば、剣閃が空間を震わせるほどの衝撃を放った。
俺自身がこの力を振るうのは初めてだが……不思議と使い慣れた感覚だ。
「は、マジかよ……そりゃないぜ」
冷や汗と共に漏れ出る、ラウミガの震えた声。
その反応に返すことなく懐へ接近、上段から斬り付ける。対してラウミガは魔力障壁による防御を展開。
斬撃は障壁を粉々に砕き、衝撃に耐えられなかったラウミガの身体が後方へと吹き飛んだ。
大きく体勢を崩した彼を追いかけ、間髪入れずに首元へ斬り込む。
今度も薄く展開された魔力障壁に阻まれるも、薄膜ごとラウミガを叩き斬り、彼は背を地面に打ち付けられる。肺の中の空気が押し出され、喀血するラウミガの頭上で虹色が煌めく。
「終わらせる」
「まだだ! 超爆発!」
痰混じりの叫びと同時、ラウミガと俺の間で小規模な爆発が発生した。
放出した魔力の塊を圧縮、一気に解放することで生まれる全方位への衝撃波。俺は追撃を中断し自ら後方へ飛ぶことで爆発の衝撃を受け流しつつ、地面に転がって退避する。
「っと、自爆みたいなことばっかりしやがって……!」
転がる途中で地面へ手を付いて飛び、宙を一回転して体勢を整えた。いなしきれなかった分の衝撃で全身の皮膚が裂け、血が流れ出る。
先程の魔法は魔弾と同じく、属性変換を伴わない攻撃魔法の一つだ。魔力消費は多いが精霊を介さないことで詠唱が短く済むため、攻撃の合間に発動を許してしまった。
しかし、回避行動を取った俺がこれだけの傷を受ける威力だ……あんな至近距離で使って術者がただで済むはずがない。
爆発の中心地点。
粉々に砕け散る障壁の中心で、全身を焼け爛れさせたラウミガが苦笑交じりに血を吐いていた。
どうにか立ち上がることはできているが、爆発の影響を受けた腹部が大きく抉れてしまっている。
「今のを避けるかねぇ……全く、完全に攻撃の隙を狙ったはずなんだがな」
それでも、彼は一歩こちらへ歩を進める。
あれが術式の持つ強制力なのか、彼自身の強固な意志なのかは分からない。
ただきっと、ラウミガを止めるには意識を奪う他ないだろう。
「もう充分戦ったよお前は。そろそろ眠ってろ」
剣を持つ手に力を込め、満身創痍のラウミガへと突き付ける。
「馬鹿言うなよ……俺の勝ちだぜ」
しかし剣先を見つめるラウミガの口元が、薄く歪められた。
「……は?」
剣を振るおうとした腕の自由が効かない――いや、全身の自由が効かなくなっていた。
まるで、何か鎖に雁字搦めに縛られたように。
どうにか視線だけを移動させ、自らを拘束する物を捉える。
それは輝きに反射する、細い魔力の糸。
無数に伸びる糸は迷宮内の壁に繋がっており、俺が弾いた魔弾の着弾箇所へと伸びていた。
「お前、これを狙ってたのか」
「魔弾だけじゃねぇぜ? 今まで動き回ってた時、こん中にずっと張り巡らせてたわけだ。お前さんの動きを止められるくらいに巻き付かせるのは大変だったが……」
彼の言う通り、全身に力を入れて強引に抜けようとしたが、糸が切れることはなかった。
むしろもがくほど糸が手足に絡み付いてくる。剣で斬り裂こうにも、腕が剣を振れるほど可動させられない。
「今度は俺が言う番だ。諦めたらどうだ――っと……ち、限界かね」
ごば、とラウミガの吐いた血が地面を汚す。
彼が己の腹部を押さえると、じわじわと流れ出る血液によって瞬く間に指先が赤く染まる。
どうしようもないほどに致命傷なのは明らかだ。
すぐに高位な回復魔法か何かで治療しなければ、ラウミガの死は目の前まで来ている。
「ここからどうするつもりだよ。お前が死ぬのが先だぞ」
「そうかもしれねぇな。だが、俺の勝ちさ。その拘束は迷宮の魔力を利用していてな、俺が死んでも解けねぇ」
「……」
「ただ、この目でお前の死を確認しておかなくちゃならない……が、見ての通り、俺は動けねぇからな」
ぼたぼたと、地面を伝う血液。
ただ無為に零れるのではなく、血に交じる魔力が自走し、彼の足元に複雑な模様を描いている。
「血で魔法陣を……!?」
吐いた言葉に混じった血塊が、魔法陣の中心へと落下する。
ばしゃりと弾けて拡散したそれが最後の模様を描いて、完成した魔法陣が輝く。
しかし――魔法陣が輝きを終えても、何も起きることはなかった。しばらく辺りを警戒してはいたが、何かが変化した様子もない。
「はっはは、おいおい、マジかよ。冗談じゃねぇ、ぜ……」
だが、ラウミガは一人納得したように頷いて、魔法陣の上に崩れ落ちてしまった。
彼の胴体から零れる命が、描いた模様を自ら塗り潰していく。
「……こいつ、何するつもりだったんだ」
完全に倒れ伏し意識を失った彼の姿から目を離さずに、俺は呟いた。
時間差で何かが発生するやもと思いはしたが、彼の口ぶりからそういうわけではないだろう。
とはいえ単に魔法の発動に失敗したとも思えない――そう考えたところで、ふとアリヴェーラの魔力を感知した。
「アリヴェーラか……戦いを見てもいないのに、なんて奴」
俺は決して魔法には明るくはないが、ラウミガが最後に放とうとした魔法が彼の切り札であることは理解できる。
それをアリヴェーラが守ってくれたのだ。
以前から感じていたが、つくづく規格外な奴だった。
人間界に来たのが俺一人だったらもっと早く旅は終わっていたかもしれない、と思うくらいにはいつも彼女に助けられている。
苦笑交じりに溜息を吐いた後、剣を持つ腕に力を込めた。
しかし、絡み付いた糸が邪魔で全く動かせる様子はない。
ラウミガの宣言通り、意識を失った後でも拘束の効果が弱まらないらしい。迷宮の魔力で動いているってことは、勝手に解けるのを期待するだけ無駄か。
「けどこっちもアリヴェーラに助けて貰うのは癪だし……解除しとこう」
大見得切っておいて一人だったら負けてました、なんて流石に面目が立たないだろう。
「天聖虹陣」
手の内の剣を消し、新たなる勇者の力を起動した。
今度は剣ではなく身体の表面へと虹色が現れ、全身を薄く覆っていく。やっている事そのものは、魔力による肉体強化と同じ。だが、纏虹神剣と同じく出力が強大なのが魔法とは異なる部分である。
欠点という欠点もないが、強いて言えば纏虹神剣と同時に発動できないところは欠点と言えるかもしれない。
俺は大幅に強化した身体を使い、力任せに糸の拘束を破っていく。先程までびくともしなかった糸は容易く千切れ、霧散していった。
「悪いな……どっちにしろ、お前の勝ちじゃない」
後から言っても言い訳に聞こえるかもしれないが、折を見て解除はするつもりだったのだ。
その時は多少なり怪我を負った可能性はあるが、彼の切り札が起動しても負けることはなかっただろう……多分。
「それにしても、随分と無茶してくれたな。助けられるかどうかは……急ぐしかないか」
うつ伏せのラウミガからは、今もとめどなく血が流れている。
まだ呼吸は行われているが、いつ停止してもおかしくないほど不自然な動作だ。
ぶっちゃ自爆が大半の理由なのだが、そこまで彼を追い込んだのは俺である。
しかし、俺はラウミガを殺すつもりはない。少なくとも、今はまだ。
俺は聖剣が封じられている柱を見やる。
「お前で実験させて貰うからな。失敗するつもりはないけど、その時は運が悪かったとでも思ってくれ」
再び視線をラウミガへと戻し、彼の姿勢を仰向けへと変えさせ、上着を脱いで抉れた腹へと巻き付ける。どこまで意味があるか分からないが、止血と内臓が腹から溢れないようにするための応急処置だ。
裾を使って腹部から外れないよう縛り、巨体を背負う。
それから崩落した天井の真横へと歩き、結晶の壁と向かい合う。
さてどうしたものか。
「まぁ、アリヴェーラもいるし大丈夫か」
少し考えた後、俺は拳を振りかぶって思い切り結晶の壁へと叩き付けた。
がんと殴り付けられた壁に拳がめり込み、衝撃で結晶全体へと亀裂が走る。次いで同じ箇所に二撃目を加えると、進行の邪魔をしていた結晶は粉々に砕け散った。
開けた視界の中、腕組みで浮遊する小さな姿が真っ先に映った。
「遅かったね」
「あぁ……えっと、お待たせって言えばいいのか――それは?」
「ぶちのめした。死んでないから、やるなら早くした方が良いよ」
彼女の足元には、全身を切り刻まれた騎士団員の姿が転がっている。
何があったのかを察するのは難くないが……酷い有様だ。
「なに」
「……なんでも。手当はしてくれよ」
「心が読めるからって主語省かないで欲しいんだけど。いいよ、その分は残してある……そんな時間ないと思うけど」
やや不服そうなアリヴェーラであったが、呆れた様子ながらもすぐに頷いた。
彼女はくるりとマグリッドへ振り向く。
「聖剣の鍵、こっち投げて!」
「……は、いや、これは俺でないと解くことが」
「いいから。あと何気を抜いてるのか分かんないけど、その身体を治してあげた意味を良く考えて。まだ終わってないから!」
「それは一体……ぐぅ……っ!?」
マグリッドが手の内にあるペンダントを投げようとした時、それは起こった。
迷宮全体を揺らす強力な地鳴りと振動で、俺達は地面に縫い付けられたように体勢を崩す。
影響を受けていないのは、唯一浮いているアリヴェーラだけ。
彼女はとある一方向を睨みつけると、もう一度叫ぶ。
「こいつらは迷宮の封印を破壊してからやってきた! 魔物が来るよ!」
その台詞が終わる前に、寒気のするような気配が空間を包み込んだ。
地鳴りが徐々に収まっていくと同時、様々な魔物が周囲に形成されていく。
それらは、かつてこの迷宮近辺に存在していた生物の姿。
サラの封印を解除した。
それはつまり、迷宮が本来の形を取り戻したということだ。
そしてこの迷宮は最深部の行き止まり。
現れる魔物は当然、濃い迷宮の魔力で生み出される強力な連中である。
「なんっ、てことしてくれやがる……っ!」
俺とアリヴェーラの周囲を埋め尽くさんばかりに現れた魔力体を見渡し、俺は悪態を吐いた。
マグリッドと傍に残っていたニーエの周囲にも、同様に魔力体がひしめいている。
助けに行くまでに魔物を何体潰せばいい。
十や二十じゃ足りない。ひとまず直進方向の魔物を全て叩きのめして、二人を回収するか――。
「アリヴェーラ、突っ切るから俺に掴まれ!」
「いいや、聖剣を取りに行って。二人には自分で身を守ってもらう」
「あの数じゃ無茶だろ!?」
「今アーサーが助けに行ったら、そこで転がってる二人、死んじゃうよ。それでいいなら好きにすれば」
「っ……」
助けに行こうとした身体が、止まる。
この状況を発生させたのはこいつらだ。
しかし――だから見捨ててもいいとは、口にできるはずがない。
「受け取れ、鍵だ!」
そう、声がして。
風切り音と共に、放物線を描いてペンダントが飛んできた。
もう見えない位置から、マグリッドの叫びが壁に反響して聞こえてくる。
「――なんとか耐えてみせる! 頼んだ!」
飛んできたペンダントを、右手で受け取った。
青白い宝石の外面、書き込まれた文字の羅列が聖剣に呼応するように発光している。
ここまで来たらやるしかないだろう。
アリヴェーラに視線で合図を交わせば、彼女は小さく頷き俺の肩へ飛び乗ってくる。
「うっ、なにこの魔力? 気分悪いんだけど……解除して欲しい」
「できるわけないだろ。少しだけ我慢してくれ」
天聖虹陣を起動していたためか、俺に触れるアリヴェーラの顔色が見るからに青ざめ、体調が悪くなっていた。
どうやら触れるだけで悪影響があるらしいが、解除するわけにはいかない。
この魔物の群れを突破するには強引に押し通せる力がいる。
「で、どうやって解除する? マグリッドだけが使えるように調製されてるぞ」
「そっちは問題ないよ。今術式を組み替えてる」
「おいおいサラの魔法だぞ……」
「ふん。私が人間に負けるわけないじゃん」
ならペンダント抜きでも解除できるんじゃ……と、思考が読まれてるの忘れてた。
睨んできたアリヴェーラから目を逸らし、迫ってくる魔物へ注意を向ける。
複数の生物が合成されたかのような不気味な様相の魔物。
ソイツが歪に生えた三本の腕から大量の触腕をしならせ、真上と左右を埋め尽くす。
「突破するぞ、振り落とされるなよ!」
半ば全方位からの突きを無視して、俺は本体へ突撃する。
うねる無数の腕の合間を直撃寸前で躱し、跳躍と共に全体重を乗せた膝蹴りで粉砕。
強烈な衝撃と共に魔力体へ霧散する只中を駆ける。
「うわっ、ちょ、まっ強引すぎぃぃ!」
「っらぁ!」
背後に控えていた魔物も勢いのまま体当たりで撃破、柱までの魔物を同じように吹き飛ばしながら一気に直進する。
「そら、着いたぞ!」
そうして到着した俺達の背後にいるのは、何十体もの魔物の群れだ。
こちらが停止したのを好機と見てか、互いに押しのけ合いながらも一斉に向かってくる。
視界に埋もれてほとんど見えないが……俺へと注意が逸れているお陰で倒れている二人は無事みたいだ。
「ペンダント、貸して!」
「はいよ」
肩から飛翔するアリヴェーラへペンダントを投げ渡し、身体を反転させる。
最初に俺へと接近してくるのは四足獣の形を取った魔物だ。図体がでかい魔物の身体を飛び越えて、二つ生える頭の一つが大口を牙を剥いた。
狙いは俺じゃなく、空中へ浮かぶアリヴェーラか。
「ああ、ほんとにもうキリがないな!」
獣の牙が届く前に横っ面を殴り飛ばせば、首が千切れて頭が片方魔力へ還る。
残る頭は伸ばした腕を引き戻した際に肘打ちを直撃させ、同じように消し飛ばす。胴体だけになった体躯は形を保てずに自壊するが、これでは本当にキリがない。
魔力体は言葉通り、魔力が生物の形を取るだけで実体は存在しない敵だ。
一度倒しても、その内迷宮の魔力が別の形を取って復活してくる。
最早、聖剣に勇者の力を合わせて一掃するしか対処法はないが……。
ちら、と横目でアリヴェーラを見やる。
彼女は重たそうにペンダントを抱えながら、何らかの詠唱を重ねていた。
聖剣の封印が解けるにはもう少し時間が掛かる、か。
「いいさ、力を慣らすにゃ丁度良い機会だ。――掛かって来い!」
無尽蔵に湧く魔物を相手に、雄叫びを上げ注意を引かせる。
俺は良い。最悪どうとでも耐えることはできる。ならば少しでもマグリッドとニーエが相手する敵の数を減らし、こちらへ向かわせるのだ。
向かってくる魔物を腕の一振りで潰し、飛ばし、裂き、砕き、潰す。
こいつらには生物が持つ恐怖の感情はないため、俺目掛けての特攻を止めたりはしない。
俺が強引に力を振るう限り、迷宮が最も危険視するのは俺だ。
勇者の力で底上げした身体能力で以て、雪崩のように迫る魔物を倒し続ける。
「アーサー!」
飛んできた合図に合わせ、俺は背後へと右腕を伸ばした。
五指に触れる確かな感触と重量を握り締め、全身の力をその先へと移す。
魔力とは異なる力、勇者の力――虹色の奔流が膨れ上がる。
天井にも届きうる巨大な光の刃が顕現し、一層強く輝きを放った。
「纏虹神剣!」
剣を、思い切り抜き水平に放つ。
虹色の斬光があらゆる魔物を両断し、衝撃の余波が迷宮を揺さぶる。
胴体を真っ二つに切断された魔物は地面へと落下し、その身は形を維持できず魔力へと還っていく。
周囲の魔物全てが薄い輝きの粒子となって消える光景は、そこだけ見れば幻想的な感覚すら覚えるものだ。
だが眺めているような暇はない。
「一気にぶっ倒したから魔力濃度がやばいな……急ごう」
溜まった魔力が次に生み出す魔物とくれば、より凶悪で強力な化物になるのは理解しているつもりだ。
ただ、そんなことをしていれば意識のない彼らの命が持たない。
アリヴェーラも俺の言葉に頷きを返し、共にラウミガの元へと飛んでいく。
「……っ」
――彼は、既に息をしていなかった。
腹から零れ出る血の量は夥しく、顔が白く染まり、とても助かるような状態ではない。
俺は、間に合わなかったのか――。
「ふぅん。周辺の魔力が濃すぎて、魂が肉体から剥離できなかったみたいだね」
「それって……」
「間に合うよ」
そう言うと、彼女はラウミガの上へと降り立った。
そして小さな両手を血まみれの腹部へ当てると、緑色の魔力が薄膜を張るように広がっていく。
「回帰しろ」
魔力がラウミガの全身を覆うと、彼の肉体が急速に修復を開始する。
それは神官ルナーリエの回復魔法すら凌駕する効果で、瞬く間に全身の傷が塞がっていく。更には、一度地面に流れた血液さえもが、鮮やかな赤色を取り戻して彼の中へと戻っていく。
血色を取り戻した彼は――すぅ、と再び呼吸を開始した。
「応急処置終わり。もう一人もやっとくから、アーサーはそいつ担いで持ってきて」
アリヴェーラはそう言うなり、緑の軌跡を残したまま俺が破壊した瓦礫の穴を飛んで行く。
「……助かった、のか」
眼下のラウミガを見下ろし、俺は一人呟いた。
明らかに息をしていなかった彼は、意識こそないものの正常に呼吸を行っている。流れていた血が嘘のように消え去っている。
見たこともない回復魔法――アリヴェーラの凄さには毎回驚かされるが、これは。
いや、考えるのは後回しだ。
「今は急ごう……っと、聖剣邪魔だな」
聖剣は腰のホルダーに仕舞える大きさではないため、ラウミガを片手で方に担ぐように持ち上げる。
それから、アリヴェーラの後を追いかけるように駆け出した。




