66話 魔人アリヴェーラ
結晶の床を踏み締め、俺はラウミガの懐へ飛び込んだ。
一歩目で加速、二歩目で半ば中空へと飛翔し、細剣に全力の魔力を込め袈裟斬りに刃を振るう。
「……っ!」
例え剣の耐久力に難があったとしても関係ない、この一撃には必殺の威力を込め放った。
直撃すれば胴体が消し飛び、剣で防げばそれも粉々に砕ける。
故にラウミガは回避で対処せざるを得なかった。
空間を裂いた斬撃は余韻となって振動を起こし、空気が震える。
迸った魔力が虹色の空間に溶け込み――刃が地面に到着する寸前、俺は片足で地面を蹴って前方へ回転。
本来なら地面に当たり砕ける剣の軌道が、すれすれで宙を舞う。
ぐるりと回る視界の中、身体を捻って横薙ぎに剣の軌道を変え、避けるラウミガへと追い討ちをかける。
――振り切って衝撃が生まれた時点で壊れてしまうのならば、一撃で終わらせれば良い。
この斬撃の終わりは、相手の命か相手の武器を諸共道連れにした時だけだ。
「おいおいおい殺す気はねぇって言った口でそれかよ!?」
間一髪、ラウミガは体勢を自ら崩してしゃがむことで避け、更に俺の間合いから大きく後退する。
その挙動を確認した瞬間、俺は背後にある聖剣の封じられた柱を蹴って、後退する彼へと追従した。
刃は中空を舞い続け、吸い込まれるようにラウミガの首を狙う。
「避け続けてみろよ」
「無茶言いやがるぜ……っ、クソ!」
そしてとうとう、盾代わりに打ち返してきた剣と剣が直撃した。
硬質で甲高い剣戟が響き渡り、互いの得物が粉々に弾け飛ぶ。
勢いを止めた俺は地面へ着地し、剣を失った柄を後方へと投げ捨てる。
眼前には俺と同じく、柄を残して得物の刃をまるごと吹き飛ばされたラウミガの姿。
「さぁ、これで条件は同じだな」
「これじゃ受けるしかねぇな……一体何食ったらそんな曲芸ができるんだ?」
「薬品漬けの青い飯を食おう」
「は?」
「今のは忘れてくれ」
あれは人が触れて良いものじゃない。
さて。
視線だけ動かし、背後の彼らを認識する。
十歩ほどの位置……今のやり取りの内に結構な距離は離せたか。
「お前も得物を失った。さぁ、諦めるか?」
「答えが分かってる質問は投げるもんじゃないな。それに俺は剣士じゃないぜ? 戦う手段が一つ減っただけだ」
彼も柄だけになった剣を手から放し、地面へと落とす。
そうして手放した手の内に、魔力が練り上げられていくのが見えた。
輝く魔力流が赤く変化し、炎と熱を帯びていく。
「そりゃ魔法も使うよな……!」
「あぁ。まぁもっとも、俺は魔法使いでもねぇが」
対して俺は、体勢を低く落として構えを取った。
次の魔法が俺を狙うなら避ける。背後のアリヴェーラ達を狙うなら、受け止める。
「そうさ、俺は目的を果たすためなら何でもやる。お前を倒せる可能性が少しでもあるのなら、何を失ったとしても関係ない」
「……っ、まさか、お前」
その二つの判断がどちらも間違っているということに、少し遅れて理解した。
急いでラウミガへと駆け出すも、その段階ではもう遅い。
炎は手の内に収縮し、真昼の太陽の如く輝き出す。
こんな洞窟で大火力の魔法を放ってしまえば――迷宮そのものが、崩れ落ちる。
だから普通は放たない。探索だろうが戦闘だろうが、自らを危険に晒すだけ。
しかし、ラウミガはそれこそが目的で。
自らの命を失ったとしても、俺ごと巻き込めるのならそれで良いのだ。
「――火の精霊よ。紅蓮に燃ゆる熱を生み、万物を貫く一条の光と化せ! クリムゾンランス!」
詠唱と共に炎が槍を形成し、迷宮の天井へと飛翔する。
最早魔法の着弾を止める手段はない。
駄目だと割り切って足を止め、俺はアリヴェーラへ視線を向ける。
「アリ――」
「アーサーはそいつに集中しろ!」
だが俺の思考を先読みしていたか、俺が何かを発するよりも前に彼女の叫びが轟いた。
直後、天井へと突き刺さった炎が爆炎を生み、砕ける結晶の破片が降り注ぐ――。
◇
アリヴェーラはラウミガの狙いをいち早く察知し、付近の地形ごと自分たちを保護する結界を展開していた。
アーサーの位置までは届かないが、魔法による崩壊はこちらまでは及ばない。
爆熱と落下する天井で見えなくなる視界を睨みつけながら、アリヴェーラは舌打ちを鳴らす。
「何こっちの心配してんの、あの馬鹿!」
「ご主人さまは戦闘に集中していたので、こちらの状況まで把握できていなかったのだと思います」
「そんなこと分かってる。けどあいつは私に任せるって言ったんだから、心配なんか要らない」
「はあ」
何より、アーサーの思考は常時アリヴェーラと繋がっている状態なのだ。
彼が声を掛けなくとも、彼が理解するより早くこちらには状況が伝わっている。
天井が崩れて物理的に断絶された今、迷宮内に渦巻く魔力に邪魔されてアーサーの思考が流れて来ることはないが。
しかし探知魔法で向こうの空間が全て押し潰されていないことは調査済み。
生き埋めでないのなら、急いで助けに向かう必要もない。
ひとまず彼の身の安全に安堵したアリヴェーラは、宙に浮いた状態で眼下の二人に視線をやった。
間抜け面で見上げているニーエはひとまず放置。
さも深刻げに眉間を寄せ、崩壊した壁の向こうを見つめている男へと吐き捨てる。
「二人。この数の意味が分かる?」
反応がない。
追加の舌打ち一つ、彼の両目の前へと移動する。
「この数はあなたが連れてきた騎士団員の中で、術式を受けている人数」
「……馬鹿な、何故……学び舎の出身はあの中にいないはずで」
「私なら出身を隠蔽するくらいはやる。相手も同じだった、それだけのことでしょ」
マグリッドがその程度を考える頭があるのは前提。
その上で、術式の隠蔽のため配置された人間が騎士団に紛れている、そんな想定は簡単にできた。
総勢六名の騎士団員の内、二人だけなのが幸いと言えるのかもしれないが。
アリヴェーラは片手に治癒魔法を展開し、マグリッドの傷口へと押し当てる。
「あなたを回復させるよ。肉と骨を無理矢理繋ぐから痛いけど我慢して」
「な、治せるのか――ぐうっ!」
流れ込む魔法が変質し、細かな粒子が傷口の内部へと侵入。
それぞれが内部の切り裂かれた組織へ癒着、切断した組織と結合していく。
その際に発生する激痛にマグリッドはくぐもった声で呻き、言葉を止めた。
やっていることといえば、剥き出しの肉と内臓と骨を引っ張って縫合しているのだ。
痛覚抑制処理を施せば痛みはないが、丁寧に施術する時間と魔力残量はない。
「はい、終了。これであなたは立って動けるし、もう戦える。傷口は繋ぎ止めただけで治癒したわけじゃないけど、多少の無茶までなら動けるはず」
「本当だ。背の違和感が、驚くほどにない。君は一体……」
「悪いけど雑談している暇がないの。あなたを治したのは最低限身を守れるようにして欲しかっただけ――来るよ!」
アリヴェーラも可能なら説明はしているが、今この状況でそれが出来る時間的余裕がなかった。
だからこそ、悪態を吐きながらもマグリッドへ治療を施し、来るその時の対策を打っていたのだ。
「拒絶する!」
短く囁く、特殊な詠唱。
小さな肉体から零れ落ちる魔力が波紋のように広がり、ぱり、と静電気のように空間を叩いた。
それが空間内へと割り込もうとした異物を捉えると、より強く弾けて引きずり出す。
何も見えない中空に浮かび上がる人形の影一つ。
半透明だった影が立体へと変化し、姿形が浮き彫りになっていく。
現れた姿は当然、騎士団鎧を着込んだ男。
それは一振りの剣を構えた状態で、アリヴェーラの前へと現れる。
「素通しさせると思ったの? 行かせないよ」
アリヴェーラが直前に放った魔法による転移の強制中断。
空間と位相を合わせる僅かなズレに阻まれて、彼の認識が一呼吸分だけ遅れる。
その隙をアリヴェーラは見逃さない。
左腕を真横へ伸ばし、開いた手の先に紅蓮の炎が宿る。
瞬く間に縦方向へ広がった火炎の柱――アリヴェーラが手首を内側へ捻ると、火炎は螺旋を渦巻いて無防備状態の彼を丸ごと飲み込む。
だが、炎が彼を焼き潰すことはなかった。
炎に呑まれた鎧が魔力抵抗による輝きを放ち、更に鎧が持つ耐火性能によって有効なダメージが入らなかったからだ。
複数の剣戟が炎を斜めに斬り裂き、炎の中から踊り出る無傷の姿。
しかし不意打ちを受けたことは想定外だったか、その表情は険しく歪められている。
――見た目は、騎士団員の中では若年だ。
やや幼さを残した顔付きから、二十には届かないほどであろうと推測ができる。
体躯は筋肉こそ付いているが細めで、背もさほど高くはない。
彼は蒼白の髪に燃え移った炎を片手で叩いて消し止めると、ニーエでもマグリッドでもなく、まっすぐにアリヴェーラを見据えてくる。
「おかしいな……まさか進行中の転移を封じられるだなんて。君、何?」
「酷い聞き方だね。ただの使い魔だよ」
「見た目に反して相当な化け物だ、それが、使い魔か……」
「だったら何。時間稼ぎに喋りたいの? 火炎」
会話の間にも練り上げられる、男の魔力と殺気。
アリヴェーラはその小細工を意に介さず、次の魔法を告げる。
「……見たことがない魔法……何だ? それは」
――魔法使いには、魔法の発現に集中力と時間が掛かるという明確な弱点が存在する。
更に、詠唱や予備動作が分かりやすい魔法使いは、敵に接近されれば無防備な標的だ。
故に一対一の戦闘では本領を発揮できず、本来であれば近接戦は出来ないもの――だが、騎士団員はその詠唱の隙間を狙おうとはしなかった。
「氷結」
それは、アリヴェーラが連ねている魔法が彼の知るものと一致せず、未知の領域であったからだ。
聞いたことのない詠唱文言に、常識を逸脱した速度で構築される魔法――少女の背後で発現した炎と氷が、凶悪に荒れ狂う。
その圧縮されたような自然災害を前に、彼は剣を正眼に構えたまま静止せざるを得なかったのだ。
定石通りに接近はできない。だから先手を打つよりも全面に反撃を取れる構えを選んだ。
そう判じた彼の行動は、果たして正しかったのか、誤っていたのか。
「暴風。雷電」
次いで紡がれたのは、何れも自然の脅威を指す言葉。
系四種の災害を背に、少女は最後の詠唱を放つ。
「偽物の神の祝福を受け――私の剣となれ」
直後、時が止まったかのような静寂が訪れた。
轟々と燃え盛る炎が、空気と地面とを凍りつかせる氷が、肌を切り裂く風が、手足を痺れさせる雷が、ぱたりと静止。
先程まで迷宮内部を荒れ狂っていた災害は。
剣の形を成し、小さな少女の四方を囲み――。
「私はアーサーのように甘くないんだ。せいぜい死なないよう抗ってみせなよ、人間」
その全てが、降り注ぐ矢の如く騎士団員へと襲い掛かった。




