65話 覚悟と意思を示す
マグリッドに案内され、俺達は聖剣のある場所へ移動していた。
そこは彼らが拠点としている最奥、その隠された道から更に進んだ行き止まりだ。
七色の輝きが最も激しい空間の中心地にて、聖剣は結晶の柱の内部で神々しく光を放ち、眠るように鎮座していた。
一目見ただけで、あれが記録にあるアルテの聖剣で間違いはないと分かる。
「うわ、大きいな……」
最初に出た感想は、まずそれだ。
真っ直ぐに伸びる白銀の剣身は、今の俺の身長より大きい。
アルテの視線の高さで見ていた得物と、実物を目にするのとでは訳が違う。
それを知っているからこそ、得物としては細剣を選んだのだが……。
これを扱うとなると、同じように片手では難しい。
「よくこんな所に封印できたもんだ。サラがやったのか」
「俺じゃこんな芸当できないからな。サラにしか頼めないのは、申し訳なく思うが」
「適材適所ってやつだろ、俺も魔法は他人任せだし」
今の所、俺もアリヴェーラには頼ってばかりだ。
しかも戦闘は俺が担当してるとはいえ、アリヴェーラは一人で投げ出されたとしても戦えるだろう。
俺の役割といえば、せいぜい人間界を知る知識袋でしかない。
言っていて情けなくなるような話だが、今そんなこと考えても不毛か。
小さく首を振り、俺はマグリッドに訊く。
「封印はどう解くんだ?」
気になるのは聖剣の解除方法だ。
まさかサラしか解けないってこともないはずだが、俺の目で分かるほどに幾重もの魔法の形跡が見える。ということは、仮にこの秘境を踏破して運良く見つけた冒険者がいても、絶対に解除できないということだ。
しかし何らかの解除手段は、案内したマグリッドが握っているだろう。
「ああ、サラから鍵を貰っているんだ」
言って、マグリッドは大切そうに懐に手を突っ込んだ。
マグリッドの言う鍵、ペンダント型の何かが、革紐に繋げられた状態で表出する。
表面にはびっしりと書き込まれた模様と、淡い輝き。
それがサラの施した術式であることは見れば分かった。
「少し待っていてくれ。今、解除の準備をする」
彼はペンダントの中央部に触れるようにして、小さく握り締めた。
その背に向け、俺は呼び止める。
「マグリッド。その前にはっきりさせたいことがある」
どうすれば解除に導けるのかは、俺は知らない。
ただ、マグリッド以外に使えるものじゃないんだろう。
今ので分かったことだ。だからもういい。
それを解除する前に、付けるべき落とし前があるのだ。
「……アーサー?」
今の一瞬で空気が変化し、マグリッドの緊張感が、肌のひりつきと汗から察せられる。
俺は、いつまで黙っていようかと思っていた。その時が来るまで、俺は動かないつもりでいた。
知っていれば対処はできるのだし、好きにさせた後で終わらせるつもりでいたのだ。
さっきまでは――けれど、それじゃダメなんだと思う。
だから、はっきりさせようじゃないか。
「アリヴェーラ。悪い、俺から仕掛ける」
「……まぁ、いいけど」
彼女を見るでもなく俺は言って。
多分、言う前から分かっていた彼女は、俺の背へと回る。
「聖剣は回収させないぞ? ラウミガ」
半身だけをずらし、横目で彼を睨みつける。
俺の視線の先にいるのは――ラウミガ・ラブラーシュ。
騎士団の元副団長。マグリッドと共に離反したはずの男へと、俺は抜き放った細剣を突きつける。
「……ほぉ? どういう意味か分かりかねるな」
「隠すこともないだろ。大体、マグリッドはこんな器用に立ち回れない」
誤魔化そうとした彼の目が、すぅと細められた。
今までの気安い副団長としての面ではなく、冷徹な操り人形のような――冷たく、鋭い視線が俺へと差し向けられる。
もう黙っておくことはない。
俺は彼へ向け、どちらかといえばマグリッドへの解説を込めて、口を開く。
「マグリッドがどういう男かは頭に入っていたけど、俺は知らなかったからこの目で確かめたんだ。レイスでのレーヴァンへの再演魔法、裏取引を利用して貴族を襲う大立ち回り。どれもこの愚直な男が考案できる策じゃない、そうだろ?」
「だが土壇場に立たされた男ってのは、何を考えるか分からないもんだぜ。お前ですらも倒して、己の意思を罷り通そうとしたんだ」
「ああ、そうだな。人間全てを切り捨ててアルテを取ったような不器用な男だ。動かしやすかったか?」
確かに、人間は追い詰められると何をするか分からない生き物だ。
そういう記録は俺の中にもちゃんとある。けれど、それで劇的に頭が良くなるわけじゃない。
例えば突然、俺が魔法に長けたりはしないように。
精神ごと他人へ成り変わる魔法や、秘境を隠すような高等な魔法はマグリッドじゃ使えないだろう。
「は、お前達、一体何を言っているのだ――」
「マグリッドの話に俺は突っ込まなかったけど、そもそもなんで王城から逃げられたんだ? サラが逃げられていないのに」
つまり。
マグリッドだけが逃げられたのではなく、逃されて――泳がされていた。
恐らく、それが王の勘というヤツで。
勇者アルテがただ殺されたわけではないことを悟り、マグリッドから確証を得ようとしてきたのだろう。その手段として、騎士団の仲間という駒を利用したのだ。
「これは消去法だよ。決定的な事はしていないけど、お前が一番怪しい。お前が王の術式を受けてマグリッド達の動向を探り、勇者の後始末を付けようとしているんだとすれば、俺に深く関わりを持とうとしたことに頷ける」
「……あぁそうかい、ここまでバッサリ言われちゃ否定はできねぇわな。最初から俺を泳がせていたのか?」
「いいや。俺もそんなに賢くないからさ、アリヴェーラが気付かせてくれたんだよ。何度も俺に警告をしてくれなかったら、疑う視点すら持たなかったかもしれない」
人間世界のどこかに必ず敵がいる――彼女がそう言っていたからこそ、気付けたことだ。
そうじゃなかったら、俺には分からない。
だって、こいつには悪意や敵意が全く感じられないから。
多分それは、会ったこともない王も同じなのだろう。
彼らには彼らの覚悟と意思があり、今の世界を保っている。
だからこそ、俺は正面から対峙すると決めたのだ。
「だったら訊くぜ。お前は一人の命と他全て、片方しか救えないならどちらを救う?」
「つまんない二択だ。その選択肢しかないなら他全てを救うけど」
「だったら――」
「でも、何があっても全部救うのが勇者だろ」
何かを切り捨てなければ成せない程度の力なら、勇者なんて要らない。
俺の返事に、彼は咆哮する。
「それができりゃ苦労しねぇんだよな。悪ぃが理想論に付き合うつもりはない」
「あっそ、だったらどうする? お前だって勇者が現れるだなんて予想外だったろ。お前じゃ本気の俺に勝てない、諦めろ」
「否定はしないさ。成り損ないのこの俺が、成ったお前と戦ったって勝ち目がないことは――お前よりも理解している」
けどな、と。
そう呟いた彼の姿が、幻のように掻き消えて——刹那、マグリッドの背後へ気配が移る。
「な……!」
マグリッドの喉元に突き突き付けられた刃先、彼の小さな叫び声。そしてこちらを睨む、ラウミガの眼光が。
「――さぁ、選択肢だぜ勇者! お前が自害すればマグリッドの命は助かる。だが応じないなら、マグリッドは死ぬ!」
ああ、そうか。
こいつじゃ俺と戦っても勝ち目はない。
レーヴァン邸の頃から彼は正しく俺との戦力差を理解していて、きっとその時から俺と戦う術を考えていたのだろう。
究極の二択と、先程の質問はそういう意味を孕んでいたわけか。
だからどうしたって話だ。
俺と正面から戦う気がないことを分かっているのなら、対処だってできる。
「世界を騙す写し身」
背後から発せられる魔法の発現と、微かに秘境の中を揺さぶる魔力の振動。
アリヴェーラが魔法を放った刹那――彼が喉元まで当てていた刃から、マグリッドの姿が消失する。
次いで彼が現れる位置は、俺の真横の空間。
目を見開いたまま驚愕を続けるマグリッドへ、短く叫ぶ。
「大怪我中だろ。ちょっと下がってろ」
「ア、アーサー、これは」
「説明してる暇はない、今の会話から考えてくれ……っと!」
彼の方へ目線を向けたまま、俺は細剣の刃を振り抜いた。
甲高く打ち鳴らされる刃と弾ける火花――そのまま突き出した刃先を薙ぎ払い、斬撃を外へ弾く。
俺がマグリッドへ意識を向けた瞬間、ラウミガが仕掛けてきたのだ。
だが――。
「そんな不意打ちじゃ俺は倒せない」
「その通りだが、得物はお前じゃないだろう?」
ぴしり、攻撃を受けた細剣に亀裂が走った。
俺は剣身が完全に崩壊してしまう寸前、ヒビの上から魔力をコーティングする。
どうやらコイツは俺の命ではなく、剣の破壊目的で不意打ちを狙ったようだ。
レーヴァン邸の戦闘で得物に限界が来ていたことは、相手にも伝わってしまっていたのだろう。
「アーサー!」
「俺の心配より自分とニーエの身を守れるようにしておいてくれ。あとついでにマグリッドも」
俺の心配は要らない。
ここで問題になるのは、俺以外。
剣の心配はしちゃいない。近い内に壊れることは前提に振るっていた。
無手だろうと俺が彼に負けることは絶対にないけれど――アリヴェーラと、ニーエと、重傷のマグリッドはその限りではない。
反旗を翻した彼は、勇者を殺す算段をあらゆる方向から練ってくる。
かつての勇者は、それによって死んだ。
「純粋な実力ではお前にゃ敵わないがな、殺し合いってのは勝負じゃねぇのよ」
俺に弾かれた剣を追い、ラウミガは右に飛んで距離を離す。
バックステップで三歩。彼の背にあるのは、七色に氷漬けにされた聖剣の柱だ。
「俺はラウミガを殺すつもりはないんだけど」
「なら大人しく殺されてくれよ。後の平和は俺達が請け負って、ちゃんと死んでやる」
「勘違いしないでくれよ」
あと一振りの命をラウミガへ突き付け、俺は宣言する。
「ラウミガに平和を預けたら、ニーエに誓った言葉を嘘にしちまう。今度会いに行くと言った魔王も裏切ることになる。さっきも言ったけど、俺は全部救うぞ」
「……おいおい、マジで言ってんのかよ」
ラウミガ・ラブラーシュだって、その全部に含まれている。
それを実現できなきゃ、勇者なんて要らない。
「――俺に託すなら全部救ってやる。乗れよラウミガ」
「――それができりゃ苦労しねぇ」
互いに剣を突き付けて。
今度は俺から、彼の懐へ飛び込んだ。




