64話 確かな違和感
「――そして、顛末はこうなった」
マグリッドはそう締めくくり、深く息を吸い込んだ。
なるほどな。
勇者アルテを殺さなかったとは、そういうことが言いたかったわけか……全く馬鹿げた話だ。
ただ、馬鹿げてはいるが、その話は王の言葉を含めて真実しか語られてはいないのだろう。
勇者が魔王に成り変わる――正しくその通りになって今がある。
今まで魔王が別の魔物に引き継がれていたのは、勇者が魔王へと変化する前にこの世を去っていたからなのだろう。
そうなった時、次の魔王が誕生するまでには数十年という時間の空白が発生していた。
その事実は、長い平和を勝ち取るため勇者を殺す理由にはなる……か。
「……やはり、信じられないか?」
ずっと黙って聞いていた俺を見て、彼は不安げに聞いてくる。
「都合が良すぎる話だ。ただ、信じられないわけじゃない。少なくとも別れ際の奇妙さは腑に落ちた」
俺の記録の中にある彼らの行動は、術式による強制的なものだった。
あのやり取りが本心ではない言葉なのだとすれば、俺目線では納得が行く。ただ……すぐに折り合いが付けられるかって話だ。
まあ、別にそっちは俺にとってはどうでも良かったりする。
折り合いを付ける必要があるのは、俺ではなくアルマの方だろう。
「なあ、それってさ、仮に魔王化したアルテが人間界滅ぼしに来たら受け入れてたってこと?」
「俺達はな。世界救った直後に殺されかけたら、恨んで当然だろう」
「……そりゃあそうだろうけど」
あいつが恨んでいたかといえばちょっと違うけど。
思わなかったのだとすれば、それだけ三人を信じていたからだ。
「ならもう終わったことなんじゃないのか?」
聞けば、彼は小さく首を横に振った。
「その後だ。俺は王都の騎士団へと戻り、ルナーリエは教会の神官へ戻り、サラは王都の抱える魔法研究職へと招聘される形で別れることになったのだが……それから二人との連絡が付かなくなった。それを知った俺は騎士団から抜け出ようして――まるで予期していたみたいに、王が俺の前に現れた」
そのタイミングで出てきたということは、ガーデイル王はマグリッド達が再び集まるのを阻止するために来ていたのだろう。
「アルテの件がバレてたのか?」
「そんな様子はなかった。気付かれていたとすれば、もっと慌ただしいことになっているだろうさ。アレはきっと、王の勘なのだろう」
「勘?」
「王は俺達が何かを企んでいる可能性を考えていたはずだ。何せ、俺とサラの術式は勇者を殺したことで半ば効力を失っている。その後でなら何をしても止められない」
――俺とサラは?
その妙な引っ掛かりを解消するように、彼は小さく頷いた。
「ああ、ルナーリエの神託は違う。俺やサラが受けた術式はあくまで限定的なものだが、ルナーリエのは性質が異なる……らしい。すまん、サラの言葉を借りただけだ」
「――つまり神託ってのは、洗脳に近いわけだよね」
今まで話を聞いていたアリヴェーラが、鞄の中からひょっこりと顔を出した。
「こっそり解析していたけれど、確かにマグリッドの魂には話通りの術式が刻まれているみたい。ほんと、人間はよくこんな面倒なものを組み上げるよね」
「……君は?」
「アーサーの使い魔第一号、アリヴェーラ。あとこっちは二号のニーエ」
そのまま中空を飛び回って、彼女はニーエの後頭部へと座る。
「はい、二号です。どうしたらいいのか分からず背後でぼけっとしていました」
「まぁお前の言葉は相手に通じてないんだけど」
「はっそうでした。すっかり忘れてました繋げてください」
「誰とでもは無理なんだけど……」
苦笑するように言い、アリヴェーラは再び飛翔し俺の肩へと降りてくる。
「ごめん、話を割っちゃったのは謝っておくね」
「構わない、俺もずっと気にはなっていたのだが……そちらの子は、地下に居た魔物なのか」
「アーサーが使い魔として引き取った子だよ。知ってるんだね?」
「この目で見たことはなかったのだが、存在は下調べで知っていたくらいだ。彼女はなんと言っているのだろうか」
「ニーエは挨拶してるだけ」
あ、そうか。ニーエの言葉は俺には通じているが、マグリッドには通じないのだった。
そういえば人間に偽装もしてなかったな……この場で偽装する意味はほとんどないかもしれないけど。
「話を戻すね。マグリッドさん、あなたがどうやって逃げたのかは知らないけど……何をするつもりだったの? ルナーリエという子は、神託の洗脳で連絡が取れないのは予想が付く。でもサラという子は――もう消されているんじゃない?」
「……命は、あるはずだ」
「でも、作戦立案も魔法の細工も全部サラって魔法使いなんでしょ。だったら、一人になった彼女もあなたと同様に動いたはず。それでも連絡が取れないのなら、彼女が無事に生きているとは思えない」
アリヴェーラは切り捨てるような口調で言うが……俺も同じことを考えていた所だった。
勇者一行はそれぞれ、契約の術式という枷を嵌められてばらばらに散っている。
ルナーリエは教会の神託を。マグリッドは勇者の学び舎からの契約を。
そしてサラは、自ら自分自身に契約を。
しかしサラが死ぬほどの負けず嫌いであり、無茶を押し通す人物だったと俺は記録している。
ならば彼女は最後まで黙ってはいない。どのような境地に陥ろうとも、抗うことを止めないはずだ。
故にアリヴェーラの言う通り、激しく抵抗した彼女が始末されていない……とは思えなかった。
何せ相手は勇者を殺す選択を取った者達だ。
大義名分があるとはいえ、だったら仲間も殺すだろう。
契約で縛り付けている背景には、抵抗しなければ命までは取らない、そんな僅かな譲歩があるようにも感じる。
「いや、命は――あるはずだ。居場所の検討も付いている」
だが、彼は強い意思でそう口にして。
七色の床上で、だらりと下がっていた拳が握り締められる。
「サラは恐らく、フェイズラストに幽閉されている」
「フェイズラスト……? 王都近郊にある都市、だったか?」
それは王都から最も近くに位置する都市の名だ。
サラが招聘された魔法研究職が務める魔法塔も同じ場所に存在しており、つまるところは魔法技術で栄えた町だが。
「アルヴァディス・レーヴァンの取引記録から、サラはあの都市で魔力供給源にされていることが分かった。何らかの契約による強制的なものだろう」
「……だから貴族を?」
「――売り物にされているのだ、それがレーヴァンと取引を行った貴族の中に居た事までは調べてる。そいつを炙り出さなければ、サラは救えない」
話はそこに繋がっているのか。
だから彼らはレーヴァン家に現れ、大勢の貴族が集まる会場を占拠し、貴族達を襲った。
しかし……どこか腑に落ちない。彼らではなく、むしろ貴族の動きにだ。
いくらなんでもサラが商品として売られているなど、そう簡単に信じられるだろうか。
俺は商人のやり方を知っているわけじゃない。背後の大きな国と結託さえしていれば、サラを契約で縛り上げることも、商品として売り出すことも確かに可能かもしれない。
でも普通に考えて――相手は勇者の仲間だぞ、流石に危険過ぎるだろう。
俺が見たものは演技の再演とはいえ、レーヴァンがそんな取引を行うか? 売買に応じた貴族は、知った上で取引に応じているのか?
ただ、少なくともマグリッドが調べた情報では、信じるに値する材料を持っていたのだろう。
そうでなければ、彼らはこんな大事を起こすまでには至っていないはずだ。
俺はアリヴェーラに視線を投げる。
肩上で神妙そうに腕組みをしていた彼女は、そんな俺の視線に気付いて目を合わせてくる。
けれど何を言うでもなく、彼女は再び正面へと視線を戻してしまった。
俺の心の内は読んでいるのだろうから、俺が何に引っ掛かっているかは俺より分かっていそうだが。
アリヴェーラは戻した視線をマグリッドへ注ぎ、小首を傾げて告げた。
「なんで直接フェイズラストに乗り込まなかったの?」
「直接救出しても術式は解けないからだ。先に術式が発揮されない状態にするのが先決だった」
「それは所有権を持つ貴族が死ねば効力が失われる、ということだよね。言いたいことは分かったけれど危険かな。もしそうなのだとしても、あなたは術式そのものを解析したわけじゃない、そうだよね?」
マグリッドは表情を歪めるだけで、そこに返す言葉はないらしい。
今までの術式の傾向から、マグリッドの理屈もおかしくはないと思うが……アリヴェーラの微妙な反応から、良い選択肢じゃないのは分かる。
ただ、彼女はそれ以上マグリッドに追求するつもりはないようだった。
アリヴェーラは俺の右頬に裏拳紛いの軽い平手打ちを噛ましてくる。
もっと優しく呼び掛けて欲しいもんだけど……。
その直後、小さく耳打ちをしてきた。
「アーサーの聞かなそうな部分は適当に聞いといたんだけど、どう思う?」
「……どう思う、ねぇ」
――こう言っては何なのだが。
今の話は、俺の中ではどこか他人事にしか聞こえてこなかった。
当事者とはいえないが、俺もアルテの過去を記録として持ち、全てを見てきた者だというのに。
マグリッドと相対した時、あんなにも激情に駆られていた心は――何故か、今は冷静だ。
冷たすぎるほどに、心は落ち着いている。彼らが危機に瀕している状態だということは分かっているはずなのに、サラという身近な魔法使いが今にも死にかけているかもしれないというのに、俺は冷静に彼女の死を予測することさえ出来ている。
だからこそ、俺はその違和感に気が付いていた。
アリヴェーラはそんな俺の違和感を読み取ったからこそ、行動してくれたのだろう。
互いに合図も何も交わしていない。
けれど、常時俺の心を読み取れるアリヴェーラからしてみれば、それだけで充分だった。
「だが勇者が現れた今なら違う、そうだろ?」
「ああ、その通りだ」
俺達のそんな短いやり取りとほぼ同時、ラウミガが横から姿を現した。
マグリッドはその言葉に頷き返すと、改めて俺を見据える。
「アーサー、この秘境に聖剣を隠してある。本来ならアルテと共に飛ばすはずだったのだが……魔界に拒絶されて送れなかったものだ。あの聖剣の力を使えば、術式を破壊することが可能かもしれん。だから、お前の力を貸してくれ」
聖剣――勇者アルテが握っていた得物。
魔物に対して特効的な性能を発揮し、魔法さえも物理的に両断できる代物だ。
マグリッドの言う通り、聖剣であれば術式を狙って破壊できる可能性はあるだろう。
あくまで可能性があるというだけで、強引な方法だというのに変わりはないが。
いずれにせよ、勇者が聖剣を拒む理由はないし、サラを助けに行かない理由もない。
勇者の後始末にだって決着を付ける必要があるのだ。
「力を貸すのは構わないけど、確実に救える保証はないぞ?」
「そりゃマグリッドも分かってるさ。貴族皆殺しだなんてぶっ飛んだ回答より、俺はそっちに懸けたいね」
ラウミガがそう言ってくるが、そんなのは当たり前の話だ。
だが、今回は賭けるリスクが違う。聖剣による術式の破壊を選ぶということは、貴族の命ではなく――救うはずのサラの命を奪う可能性が発生するということ。
サラの命一つと大勢の人間を天秤に掛け、サラを取ったマグリッドがその覚悟を持っているかどうかを聞いているのだ。
そもそも、彼らはアルテとその他全ての人間という命を天秤に掛け、アルテを取った者達だ。
本当にその選択を呑めるのか? お前は。
「サラをその手で殺す覚悟は出来てるんだな」
俺は目を細め、マグリッドに問いただす。
「承知の上だ――頼む」
しかし、彼の瞳に揺らぎはないようだった。
だったら俺も全力で力を貸すとしよう。アリヴェーラにも助言を仰いで、聖剣の力でどこまでやれるかを詰めることだってできる。
可能な限り、救える可能性を広げるくらいはしてやる。
「分かった。なら、聖剣まで案内してくれ」




