63話 人間世界の真相
――これは、勇者アルテが生きていた頃の過去回想。
長く世界を苦しめた魔王が討ち取られ、王都まで報せが轟いた日の夜のこと。
マグリッドは王の側近から呼び出しを受け、勇者一行を離れ城へ足を運んでいた。
「魔王討伐の任、ご苦労であった」
二人以外、誰の姿もない静かな謁見室。
片膝を付き、頭を下げるマグリッドの前にて、豪奢な金装飾の着物に身を包む人間界の王――ガーデイル・ガデリアが口を開く。
マグリッドにも引けを取らぬ、大きな体格を持つ大男だ。
昔は武人として名を馳せていた王だけあって、齢70を越えてなお衰えぬ眼光が放たれている。
「お前達の奮戦により魔界の動きは沈静化し、今後数十年は安泰となるだろう。お前を送り出した甲斐があったというものだ」
マグリッド・アレイガルドは、王都ガデリアを守る騎士団の長である。
勇者が現れていなかった頃、マグリッド達騎士団が王都に押し寄せる魔軍の対処に当たっていた。
当時は防衛だけで手一杯。
攻勢に転じるのはおろか、王都以外の防衛に当たる余裕さえもなく、人間の勢力は徐々に疲弊を重ねていった。
だが勇者となる人物が地方の村に現れ、魔物の脅威に震えるだけの状況は徐々に変化する。
村々を占拠していた魔軍は勇者に押し返され、お陰で冒険者やキャラバンの活動範囲が広まり、力を取り戻す各地の勢力。
勇者が王都へ訪れた時、王はマグリッドを防衛から外して勇者一行に付けさせた。
強力な盾としてマグリッドが加わったことにより、勇者の快進撃は加速。
破竹の勢いで各地の魔軍が駆逐されていき、とうとう魔界にまで攻め入り――元凶である魔王の討伐に成功した。
しかし王は、安泰だと言ったその口で「まだ終わっておらぬ」と続ける。
表情に喜びはなく。険しさだけを蓄えた視線がマグリッドを射抜く。
「本来ならば一行を呼ぶべきだが、此処にお前だけを呼んだ理由があるのだ」
「……どういうことですか?」
「先に訊いておこう、勇者の様子に変わりないか?」
王の言っている質問は、マグリッドには分かりかねるものだった。
怪我などが無事であるか聞いたのかと解釈し、返答する。
「無事です。今頃、王都の酒場で俺が戻るのを待っているかと――」
「そうではない。が、お前の発言から変わりはないと見えるな」
「ええと、仰られた言葉の真意が分からぬのですが……」
顔を上げ、困惑するマグリッドの前で、王は玉座から腰を持ち上げた。
傍らの杖に支えに立ち上がると、その杖の先をどこかへ差し向ける。
「この王都には勇者を生む教育機関がある」
「……勿論、存じております」
王が杖で示していたのは、その施設であった。
「過酷な訓練を重ね、強靭な精神と肉体を育み、正しく世の勇者たらんとするためのものだ。お前もそこの出であったな」
「ええ。何十年も前のことですが……」
魔王に対抗するべくして、かつての王国が生み出した勇者の学び舎。
勉学と共に、魔物と戦える剣技や魔法の技術を叩き込まれる場所。そこでは誰もが過酷な訓練を積み上げ、勇者となるべくして己を鍛え込んでいく。
「しかし、此度の勇者はそうではない」
――勇者アルテは、王都からかけ離れた辺境の村の出であった。
なるべくして鍛え上げられた者達を追い抜き、人間界で魔王を討つべくして彼に勇者の力は降りたのだ。
マグリッドも、最初にその報せを受け取った時は大いに驚いた。
いや、必ずしも勇者の学び舎にその力が現れるわけではないことは分かっている。ただ、過去の勇者はそのほとんどが王都の学び舎からの出身だったのだ。
「あの学び舎を出ていない者が勇者に成り、魔王を討ち取った――それが問題である」
「な……っ、何を言っておられるのですか。それだけ、彼が強かったということではありませんか」
「そこに異論の余地などあるまい。学び舎の誰より彼が認められたというだけの話だ。だが、認められるだけではならぬのだよ」
そこまで話を聞いても、王の言葉が分からなかった。
しかし、王からしてみればそれで良かったのだろう。
マグリッドが理解していないことは百も承知であり、最初から理解など求めてはいなかった。
「近い将来、勇者は魔王へと変ずる」
「は……?」
「それが魔王を討った勇者の定め。次なる魔王は病の如く精神へ絡みつき、やがて心を失い化物へと塗り変わる。マグリッドよ――勇者のままに眠りを与え、全てを終わらせよ」
王がマグリッドただ一人を呼んだのは、勇者を殺す命を与えるためだった。
「ば、馬鹿な……! そのような話がありますか!」
「拒否はないぞ。共に旅を重ねた者にしか責務は委ねられん。或いは儂が殺すといって――お前は黙って見ておるのか?」
「っ……たとえ王であっても、そのような――っ!」
自然と、一歩離れようと身動きを取ろうとして。
マグリッドは、自身の身体が金縛りにあったかのように動かないことに気が付いた。
「ああ、そうであろうな。誰も仲間を手にかけはせん、当然の話だ。故に、儂への罵声も不問とする。どちらにせよ――お前は逆らえぬのだから」
身体が動かない理由が何らかの魔法的要因であることは、マグリッドにも理解ができた。
だが王が魔法を放った、という動作は一切なく。
瞬き一つできない彼の視線に、王の姿が映って。
「決行は明日だ。王都より離れた山岳地帯にて、魔物退治へ出てもらう」
口が、言葉が、声さえも出せない。
ただ黙して王の命令に耳を傾けるしかできなかったマグリッドは、違和感と共に頭痛が走る。
王の言葉が、何故か胸の奥へと流れ込んでくる。自身の生きる全てであるかのように――身体の内へと入り込んでくる。
「では、下がってよい」
ぷつり、と。
そこで金縛りの糸は解け、マグリッドは苦しみから解放されるように大きく息を吐いた。
肺に溜め込んでいた空気が勢いよく溢れ、息が切れる。
だがもう彼の呪縛は届いていない。既に魔法の圧はない。
王を静かに睨み、吐き捨てる。
「そのような命令は承服できません」
口にしたところで、立場が危うくなるだけであることは理解していた。
何も変わらない。王の決定は覆らない。
ただ自分はやらないのだと、彼の味方であると宣言するだけだ。
王はマグリッドを見下ろしたまま――表情一つ変えなかった。
「下がってよい」
もう一度同じ台詞を良い、彼は玉座へと座り直す。
そこから先は会話もなかった。
王から逃げるように彼から離れ、マグリッドは城から飛び出し、酒場へと飛び出す。
早く、彼らに知らせないといけない。
ただひたすらに、走る。
それが本当の意味で無駄であることを知るのは、すぐ後のことだった。
◇
「あぁ、やっぱり。一人だけ呼び出された理由が分かったわ」
酒場の席には、サラだけが残っていた。
どうやらマグリッドが離れている内にルナーリエが酔い潰れ、今はアルテが宿屋まで運んでいるという。
彼女は静かに果実酒を飲みながら、こともなげに言う。
「無駄よ。アンタは、王の命令に逆らうことができない」
全てを報せた。
だのにその平然とした様相と、振る舞い。
まるで初めから知っていたような――。
思わず、マグリッドは彼女の胸倉を掴み上げてしまった。
魔導衣が上にひしゃげ、ぎりぎりと彼女の上体も持ち上げられる。彼女の手にあった果実酒が衝撃で器から溢れ、机へ飛散する。
彼女の灰色の瞳は、マグリッドを冷徹に突き刺していた。
「……怒ってどうにかなるの?」
はっと我に気付き、マグリッドはその手を離す。解放されたサラはげほと咳を吐きながら、果実酒のカップをテーブルへと置いた。そうして再びこちらを見つめた瞳には、どこか覚悟を決めた意思が込められている。
サラはアルテと同じ村の出身だ。
幼い頃からアルテと競い合い、彼が勇者として旅に出る時には魔法使いとして共に旅することを決めた、強き心を持つ少女。この中でもっともアルテと長い付き合いの付き合い彼女が、今の話を聞かされて動揺しなかったはずはない。
――そんな彼女から出た、〝やっぱり〟という言葉。
「すまん……俺としたことが激情に駆られた」
「私の倍は生きといて、やめてよね」
わざとらしいため息と共に、そう零す。
「学び舎を出た者には例外なく術式が刻まれているんでしょうね。アンタの話で概ね理解したわ」
「し、知っていたんじゃないのか?」
「学び舎の話は知らないけど、今のを聞けば分かるってだけよ――マグリッド、アンタだけじゃないわ」
その言葉が意味するところは。
「私もルナーリエも、アンタと同じ」
「……一体、いつからだ」
「王都に着く前、教会に立ち寄ったでしょ?」
サラの言葉に――マグリッドは息を呑む。
魔王を倒して人間界へ戻り、王都到着までに寄った場所は、ルナーリエの故郷であるヘイルムーン聖教会だけだ。教会が王都までの通り道としてあったこと、そしてアルテとサラの村が既に無くなっていることから、そこにだけしか足は運んでいない。
「あの日、ルナーリエが神託を受けに教会へ向かった事に違和感を覚えてね。こっそり後を付けたら発覚したのよ――でもそれが失敗だった」
マグリッドは、神官である彼女が神託を受けること自体に違和感は抱いていなかった。しかし今この時であれば――魔王を倒した直後に神託が発生した事、それ自体に疑念を持つべきだったのだろう。
「ルナーリエは神託を受けて私達と同行することになった少女よ。あの子自身は本心で付いてきているのでしょうけど、大前提に神託がある。アンタのと一緒よ」
「……待て、ルナーリエがそうだが、お前は神官ではないだろう?」
「そうね、私は神託を受けたわけじゃない。ルナーリエに神託を与えていた奴に、告げ口をしたらルナーリエを殺すと脅迫されただけ」
眉根を寄せ、サラは苛立たしげにテーブルへ拳を打ち付けた。
「神託で自殺なんかさせられたら止められないから、脅迫を呑むしかなかった。けど、口約束で終わるはずがない。かといって神官でもない私に神託は与えられないから……私が私自身を契約魔法で縛らざるを得なかったのよ」
その術式の条件がマグリッドやルナーリエが受けた術式の内容と同じものであり――。
アルテの味方となれる存在が、一人もいなくなってしまったことを意味している。
「……ってわけで、アンタが戻ってきた時に予想は付いてたわけ」
「なあおい、アルテはルナーリエを介抱してるんだろう、それは……」
「心配要らない。あの子の神託は魔法で一時的に効力を失わせてる。酔い潰れてるのは、半分嘘。アルテがいると私もアンタも話せなくなるでしょうから、席を外して貰ってるの――てか座りなさいよ、いつまで立ってんの」
「あ、ああ……」
こんな状態であっても、サラは努めて冷静でいようとし続けていた。
自分だけがいつまでも面食らったままでは立場がない、とマグリッドは後頭部を掻き、横の席へと腰を下ろす。
いくら駄々をこねようが、自分達に付与された術式と状況は変わることはないのだ。
恐らくは王の宣言通り、明日には必ず言葉通りの事態が発生するだろう。
話を聞く限り、そしてその身で受けた限り、どうすることもできない最悪の事態。
だったとしても、自分達でどうにかするしかない。
「――解除はできないのか?」
「廃人になってもいいならできるわよ」
「……っ、駄目だな」
「ええ。解除する私は無理だし、何の解決にもなってない」
「俺達が果たせなかった場合、学び舎の者達と教会が動く……か」
術式が掛けられているのはマグリッドだけではない。学び舎出身で各地に散らばっている冒険者だって多くいる。
もし彼ら全員に命を狙われる事態になったら、今より駄目だ。
そんな状態で仲間全員が廃人状態になっているなど、正直考えたくもない。
「それに効力をずっと無効にするとかも無理。いずれ心が破綻するわ」
「なら……術式の影響を受けてない仲間を集めて」
「時間がない。できたとしても、皆殺しに遭うだけよ」
だったらどうすれば――出掛かった言葉を飲み込み、テーブルの下で拳を握り込む。
これでは策など何もないのと同じだった。
少なくともマグリッドの中に打開するための考えは一つも思い浮かばない。だがマグリッドになくても、彼女は最初から考えを持っていたのだろう。
「ねぇマグリッド。アンタは、私達以外の全部に嫌われる覚悟はある?」
こちらを両の眼で見据え、彼女はそう言った。
「……は? サラ、お前一体、何をするつもりだ」
「言葉通りよ。この選択は誰にとっても最悪な結果になるかもしれない――けれど、他にアルテを生かす道が思い付かなかった。聞くだけ聞いてくれる?」
常に毅然とした彼女から出た、不安交じりの震えた言葉。
決定的に間違えている可能性を自身でも拭えていないのだろう。
「……聞こう。俺のない頭をいくら捻りだしても、多分お前の案よりは良いのが出ない」
「はっ、馬鹿ね。聞いてから後悔するんじゃないわよ」
一体その口からどのようなとんでもない言葉が飛び出すのだろうか。
マグリッドは考えるのを止め、サラへ耳を傾ける。
「勇者が魔王になる……別にいいんじゃない? アイツに救われなかったら滅んでた世界なんだから、アイツに滅ぼされたって誰にも文句なんか言えないでしょ」
「な――」
「あははっ、後悔した? でもね、どうなるかの保証なんか一切できないけど――誰かさんに託すだけで裏で糸だけ引いてる連中なんか、助ける気ないわ」
そう吐き捨てると、すっきりしたような顔でサラは笑った。
「ただ契約は絶対だから、私達は奴らの思惑通りに明日アルテを半分だけ殺す、そんで適当な場所に逃がす。その程度の解釈を捻じ曲げるくらいなら、どうにかやってみせるわ」




