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勇者様は魔王様!  作者: くるい
3章 逆賊の騎士
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59話 俺に付き合え



「――このエルフは魔界からのスパイだよ。どうする?」



 魔法の刃を消滅させ、アリヴェーラはそう言い放ってきた。

 俺には一瞬、彼女が何を言っているのか理解が及ばなかったが――先程まで何故か彼女が不機嫌であったことを考慮すると、腑に落ちる点はあった。


「スパイってのは、言葉通りの意味か?」

「他になんの意味があるのか教えて欲しいんだけど」

「そっか……分かった」


 俺は一つ頷き、視線をエルフの少女へと向けた。

 彼女は困惑と怯えを孕んだ表情を向け、器を持ったまま俺から一歩後退るようにする。


 ああ、折角良い具合に鍋も温まったというのに。

 これでは食事を囲もうという感じでもなくなってしまった。


 アリヴェーラの言葉と、目の前の彼女の反応からして相違はないだろう。

 しかし、スパイときたか……。


 俺の知識の中には、魔物がスパイを送り込んでくるだなんてものはなかった。

 魔王軍が勢力を引き連れて町に侵攻してくることは幾度もあれど、敵軍に情報を流すためのスパイまで潜入させているなど聞いたこともない。

 ……不思議ではないのか?


 俺達が彼らの存在を侮っていたというだけで、ずっと前から人間界に潜り込んで情報を流していた者がいたのだろう。現に俺は、アリヴェーラの助けを借りなければ彼女と話すことすらままならない。

 分からないからなかったことになっていた、というだけの話なのだろう。


「君はいつからこっちにいるの?」


 おそらく、彼女が流した情報で人間が何人も死んでいる可能性がある。

 それでも何もなかったものとして彼女を連れて行くことは、きっとできない。

 だから聞く。それで何が変わるわけじゃないけれど、その事実関係は確認しておきたかった。


「質問に答えることに意味がありますか。私を始末はしないのですか?」

「すぐには決められない。君がこれから先もスパイを続けようというなら――分からないけど」

「……覚えてはいません。ですが私はまだ何もできていません、と答えます」

「それは、情報を流していないってこと?」


 こくり、と彼女は頷く。

 それが嘘なのか本当なのかは俺には判別付かない。


 まだ人間の基準から見て悪いことはしていないのだとアピールしているのかもしれないし、本当に行動まで起こせていないだけなのかもしれない。


 アリヴェーラに目配せすると、即座に「知らない」と首を振ってきた。

 彼女でもそこまでは分からないらしい。


「ずっと捕まっていましたから。様々な場所へ運ばれましたが、日の光を浴びたのはほとんど今日が初めてでした。ただ――そうですね。魔王が死にましたか」

「随分と前にね。もう代替わりしてる」

「なるほど。ステラ様が存命されていると聞いたので、そうなのだろうと思ってました」


 そう言い、彼女は俺に細っこい両腕を伸ばしてくる。

 その手には鍋の具材をたっぷりと盛り付けた器だ。


「すみませんが私は食べることができないので。お返しします」

「……あー、すぐ作り直すよ」

「お気遣いは無用です。その辺の草でもむしゃむしゃしますので」

「いやそれはちょっと」


 受け取りつつ答えれば、彼女は伸ばした手で草をむしるような手振りをしつつ、薄く笑みを引く。


「緊張感がこんなにないの初めてです。なんで何もしないんですか? 奴隷のような物に無償で食べ物を与えるだなんて前代未聞ですね」

「何度でも言うけど俺は君を助けただけ。所有物にしたつもりはないよ」 


 何故、そんなことをわざわざ向こうから聞いてくるのだろうか。

 真意は読めなかったが、少なくとも普通に受け答えをしてくれているように見える。


 初めて俺を睨み付けてきた視線から一転、彼女が何を考えているのか読み取れなくなってはいるが……。


「一個聞かせてくれないか」

「はい?」


 僅かに首を傾げた後、彼女は上目遣いでこちらを覗き込んでくる。

 

 スパイって存在がいるのは分かった。

 彼女がスパイだというのも理解した。

 だが俺は、彼女の意思をまだ聞いていない。


「言うには簡単だけど、君がやってることは捨て駒だ。君はきっと魔界に帰ることなんてできなかったし、俺が君を助けなければいずれどこかで死んでたはず」

「そうだと思います。ですがエルフはそうそう死にません、すごく可愛いので」

「……自分で言う?」

「愛玩動物になれる自信があります」

「えーっと……――君は、望んで人間界にやってきたの?」


 果たして彼女は、すぐには答えなかった。

 俺をじっと見つめる目は何も訴え掛けてくることはなく、ただ僅かに首を傾げたまま静止している。


 ややあって、ようやくとばかりに口を開いた。


「志願はしていませんが、望んでいないわけではありません。人間は嫌悪の対象です」

「それは……どうして?」

「これだけの豊かな世界を独り占めしているのに、嫌悪しない理由がありますか?」


 淡々と告げる彼女の目に、暗い炎が宿る。

 ――ああ、俺を初めて見た時のような目。


「魔界は酷く荒廃しています。瘴気は濃く変質し、強固な生物が跋扈しています。日夜種族単位で争い、不毛の土地を取り合っています。人間はこれだけの広い世界を手にしているのに、魔界も侵略しています。羨みはやがて憎悪と嫌悪に変わりました」


 違う、と言い掛けて――俺は口を噤んでしまった。

 魔界を直接見てきたからこそ、彼女の言葉に重みが見えた。


 荒廃し、魔力の溢れ返る大地。

 灰色と黒とに染まった荒野に、化物クラスの魔物が常に付きまとう。

 あそこで生きるには相応の力と知恵を身に着けていなければならず、まずもって人間が生きられる環境じゃない。


 俺達はずっと、魔物がこちらを侵略しているものだと思っていた。

 いや……人間の側面からすれば正しい。

 街は襲われてるし人も殺されてる。長い間戦い続けてきたし、嘘だったとはならない。


 しかし彼女たちからすれば、人間こそが侵略者なのだ。

 中でも魔界に侵略し魔王を討ち果たしに訪れる勇者は最悪の脅威。


「あなたは私を助けたと言いましたが、私一人が自由になっても意味なんてありませんので」


 彼女は俺を挑発するように、俺を試すように、どこか侮蔑を孕んだ表情を見せ――言い放った。


「――だったら()()を救ってください。私達にも世界をくださいよ」


 そんなのは誰しも無理だと分かる宣言だった。

 だがふざけているわけじゃない。

 彼女が願いを本気で口にしていることは分かった。


 きっと、俺ができるできないの話じゃないのだ。

 彼女がスパイをしないと誓う条件が、エルフ全てを救う無理難題。

 できないのであれば、例え殺されてでも意思を曲げるつもりはないと言っている。


 ――対して俺の返事は、決まっていた。


「分かった。君だけじゃなく全員を救うと誓おう」

「……は?」

「ちょっと、アーサー何言って――むぐっ!?」

「俺はまぁ世界ってか、土地とか持ってるわけじゃないけどね。人の管理してない場所なんていくらでもあるさ」


 飛び出そうとしてきたアリヴェーラを片手で押さえ、俺はまっすぐ彼女の目を見返した。


「ば、馬鹿なんですか……? あなた」

「別にこっち来て人間皆殺そうってんじゃないんだろ? そうだったら勿論お断りだよ」

「違います、けどだって、そんなの」

「適当言ってるわけじゃない。俺は()()だ、その俺が言ってる」

「――あなたが勇者?」


 俺の発言には驚きと疑念の表情である。

 まぁこの小さな身体ではすぐに信じてもらえることはないだろう。

 俺のことを何か言う前から勇者だと気付いたのなんて、あの苛烈な女冒険者くらいなものだったし。


「うん。ちなみに今の魔王とは友達」

「……? ちょっと意味が」

「そしてこっちは肉を食らうエル痛っ」


 言い終える前に後頭部を引っ叩かれた。

 なんでだよ。だが今はアリヴェーラに構っている暇は痛っ。


「……だから必ず救うと約束する。むしろ君も協力してくれ。魔物が怖い奴らだけじゃないってことを、君が皆に見せてあげて欲しい」


 言って、彼女へ改めて手を差し伸べる。

 その表情は困惑で歪んだまま、けれどこちらに手を伸ばそうとして……俺の手を取りはしなかった。


「なんで、そこまでするんですか」


 震えた声で、彼女は言う。


「私達を助けることに何の利点もないのに……」


 ――その言葉は尤もである。

 人間が、勇者が、魔物を助けるはずがない。第一俺がこちらの世界にやってきたのは、人間達に俺を勇者だと認知して貰うためでもある。ただ美味しい飯を貪りにやってきたわけじゃない。


 その目的から言えば、エルフを救うだなんて約束がプラスに働くわけはないのだ。

 人間から見れば狂気そのものに見えてしまうかもしれないし、何なら俺の勇者という力も剥奪されてしまうかもしれない。


 それでも、俺はエルフを助けると誓った。


「利点ならあるさ。少なくとも俺は、エルフが悪い奴だけじゃないことを知ってる」


 そう答えながらアリヴェーラの方を見やれば、どこから満更でもない顔でふんと鼻息を鳴らしている。

 なんだもしかして照れてんのかコイツ。

 そうだよお前のことだ。


「それは……その子がって話ですよね。私達のことじゃない」

「君だって悪い奴に見えない。そう、こいつは単純な話なんだ」


 そうだ、俺の在り方は別に変わったりはしない。

 俺が人助けをするのは、人を救う勇者だったからじゃない。


「俺は困ってる奴がいたら助けるし、悪い奴がいたら懲らしめる。君は俺に助けを求めた――違うか」

「……違います。違う、私は――そんなこと言ってない。そんなつもりで言ってない。あなたにはできないって、そう言ったんです。嘲笑っただけ」

「でも実現できたら嬉しいだろ?」

「――っ」

「俺はそっちの方が嬉しいし、だから頑張ろうと思う」


 もしもそれで仮に勇者でなくなってしまうのなら、アルマには本当に謝るしかないけど。

 ただ、それは勇者って存在が()()()()だってだけの話だ。


 そんなものが勇者って存在なら、俺はいらない。


「嘲笑って適当なこと言った罰だ。最後まで俺に付き合え」


 動かない彼女の手を、俺は半ば強引に掴み取った。


 見開かれた瞳が、翡翠が僅かに揺れ動いたが――しかしその手は俺を突き放そうとはしなかった。


「君の名前は?」

「……ニーエ、です」


 そしてどこか折れたように、俺の手を弱々しげに握り返してきた。

 ――今より彼女は、スパイじゃなくて本当の仲間だ。


 アリヴェーラはなにやら微妙そうにこっちを睨んでいたが、それはそれ。

 仲良くやって欲しいと俺は思います。


「さて、食べ直そうか。ニーエの分は新しく作り直すよ」

「はぁ~? 嫌なんだけどぉ? うちでやってくなら肉も食べなさいよ! 肉を食え」

「まぁまぁ。てかアリヴェーラも教えてくれよ、普通のエルフは野菜しか食わないって」

「まるで私が普通じゃないみたいな言い草だね、アーサー」

「えっ……普通、だったの?」

「お前から食材にしてやる」

「俺は肉にしかならねぇんだけど!?」

「草も食ってるし半分は野菜みたいなもんでしょ死ね!」

「そんな大雑把なうわあっぶな! 殺す気かよ!」




 ――小さなエルフと勇者の少年とが揉み合っている。

 どこか嬉しそうに、どこか楽しそうに。


 そんな様子を見ながら、少女は――彼に握られた手の平を小さく撫でる。まだ微かに震える手の内には、温もりが残っているような気がした。


「……へんなやつ」

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