56話 暗闇と解放
地下牢には既に鎖に繋がれた子供達の姿はない。牢は開け放しにされ、鎖だけが転がっている。
長い通路の最奥へと辿り着けば、先日来た時には見当たらなかった階段が下へと繋がっているのを発見した。
「……階段なんかあったっけ?」
魔法の明かりをその先へと向け、アリヴェーラは首を振る。
「なかったよ、レーヴァンの牢が一番奥。隠し通路がまだあったみたいだね」
言って、彼女は階段手前の床へと近付いた。
その箇所を強調するように光を当てると、妙な窪みがある仕掛けが映し出される。
そこから漂う魔力の残滓から、昨日は仕掛けが作動していて行き止まりになっていたのだと分かる。
「開けたのは使用人のあの子じゃない?」
「かもしれない」
リーズリースと戦った後、使用人は丁度この場所に放置してしまっていたのだ。
緊急事態だし急ぐ必要もあったとはいえ、暗闇の地下通路に置き去りにしてしまったのは少し申し訳無さは残る。恐らくは目覚めた時、偶然か何かで先の通路を開いてしまったのだろう。そこで、魔物を見つけたのだ。
階段は真っ直ぐで、短いものだった。
まるで初めから何かを封印するような通路の先に、厳重に閉じられた牢がある。
明かりで照らすと、人と変わらないシルエットが見えてくる。
俺は息を呑み、ちらりとアリヴェーラを見やった。
だが彼女は俺とは正反対に何の反応さえもなく、牢へと進んでいく。
牢に繋がれていたのは――エルフ。
俺と同じような、小さな少女の姿。
小さなという基準が俺の感覚と違うことはわかっているけれど。
半ばまで開かれた緑眼が、じっと俺を睨んでいた。
あらゆる物を憎悪する敵意がその目に内包されている。
身体に見える傷は付いていないが、代わりに彼女の身体には幾つもの魔具が取り付けられている。
まるで化物を閉じ込めておくような厳重な拘束で、身動き一つさえ取れない。
――俺の中に眠る記録の一部が、脳裏に過る。
映ったのは地下牢の中にいたステラの姿で。
「アーサー」
いつの間にか。
俺の眼前にアリヴェーラが浮かんでいて、怜悧な声が響き渡った。
焼け付いた記憶の中の光景が一瞬にして溶けていき、現実に引き戻される。
「この子は〝ステラ〟じゃない。話す前から解放しちゃだめだよ」
――言われて初めて、自分が牢の鉄柵を掴んでいることに気が付く。
半ば無意識のまま牢をこじ開けようとしていたらしい。
その手を止め、一度冷静になった頭を冷やすように柵から一歩離れた。
「……あぁ。分かってる」
そうだ。俺は、彼女の中に何を見た?
彼女はステラじゃない――分かっている。
一つ深呼吸をし、改めてエルフの少女を見やる。
こちらへ敵意を向けるその表情に変わりはないものの、微かに困惑を浮かべているようだった。
恐らくは俺の行動に、そしてアリヴェーラ自体の存在にも起因しているのだろう。
「聞いてくれ。俺は敵じゃない」
ともかくも、まずは話をしなければならない。
俺が黙っていたって何も進まないのだ。身振り手振りを加えつつ、俺が危害を与えに来た存在ではないことを彼女へ示す。
アリヴェーラは俺の言葉を聞き終えた後、聞き取れない言語を用いて彼女へと語りかけていた。
俺の言葉を伝わるように噛み砕いてくれているのだろう。
「何言ってるの? だって」
「返事してくれたのか」
「会話には応じてくれてる」
「なら助けに来たと伝えて欲しい」
「――いや、言葉は理解したから後は二人で話して。精神の交雑」
ぶっきらぼうに言って、何かの詠唱を口ずさんだ――瞬間だった。
自分ではない感情が濁流となって頭の中に流れ込み、響くような高い声が俺へと繋がった。
「――何が、目的ですか」
怯え、震える小さな声。
今のはアリヴェーラから発されたものではない。
直接脳を揺さぶってくるような言葉に目を見開き、俺は彼女を見据える。
それには彼女も驚いたようにして目を丸くし、一度だけアリヴェーラの方へと目を向けて。
その後、俺へと視線を戻してきた。
「あなた達は何ですか?」
何をしたのかは分からなかったが、アリヴェーラの魔法によって俺と彼女は会話できる状態になっているらしい。
それも言葉ではなく、精神が直接繋がっているような不思議な感覚である。
現在、俺と彼女は声に出して会話をしていない。
伝えようと思い描いた言葉がそのまま相手に伝わっている――多分そんな感じだ。
声を出さなくとも会話が成立するなど初めての感覚だったが……今は驚いている場合ではない。
「何と言われると困るけど、君を助けに来たんだ。目的とかじゃない」
「ですが助けられるようなことをした覚えはありません」
「いや……そうじゃなくて、捕まっている子達は全員助けてる」
「私はエルフですよ。あなたは同胞を救いに来たのでは?」
突き刺すような視線。
丁寧な口調とは裏腹に、彼女の中には疑念が渦巻いている。
俺の言葉など信用ならないということだろう――そりゃそうか。
俺は人間。彼女を此処へ連れてきた連中と同じで、彼女からしてみれば敵でしかない。
かつての勇者が魔物を敵と判断していたのと、そう変わりはないのだ。
ならばここから出られるだなんて甘言に容易く頷くなどできやしないだろう。
でも、だとしても俺は己が敵ではないのだと説くしかない。
解放した彼女が暴れてしまわないように、彼女自身が納得して俺に付いてきてくれるように。
「違う、人間も魔物も関係な――」
「分かりました。助けてください、ずっとこの体勢で辛いです」
「……えっ?」
難航するだろうと覚悟したのだが、呆気に取られた俺へと続けた言葉は予想外のもので。
「助けてはくれないんですか?」
「いや……その、拒絶されると思ってた」
「このままでいることを望む方がどうかしてます」
彼女が身じろぎすると、拘束具と彼女を繋ぐ鎖だけが僅かに揺れ動く。
しかしそれだけで、体勢どころか指一本すら動かすことができない。
「あと数日で餓死してしまうところでした。魔力もすっからかんなので、縋り付けそうなら何だって縋ります」
「……一体、君はいつからここに?」
「分かりません。ずっと太陽も見ていないので」
「長い間、ってことか」
彼女を合法的に連れ出すことは、できない。
ここへ繋がれた理由が何であれ、何の枷もなしに人間世界に魔物を解き放つことはできない。
彼女を連れ出すのは本来、俺が使い魔とすることで得られる自由である。
ただし俺にその方法はない。そしてその気もない。
「ここから出すにあたって、お願いを一つだけ聞いて欲しいんだ」
「構いません。一つだけなんですか?」
「――外に出た後は俺の使い魔であるように振る舞ってくれ」
その願いを口にすれば、彼女はきょとんとした顔で。
何を言ってるんだ、みたいな思念が飛んでくる。
アリヴェーラから最初に言われた言葉と大体同じ反応だった。
「そうすれば君は魔物であっても外で生きることができる」
「それがお願いですか?」
「ああ」
「――なるほど。お願いを聞きます」
随分とあっさりとしたものだった。
アレほど俺に敵意を向けていたであろう視線から、その表情からのものとは思えない反応。
けれど……なんだろう。
最初に抱いていた隔たりとは異なるものだ。
彼女は人間というものを憎んでいるように思えた――のだが。
俺とのやり取りはそこからかけ離れたものだ。
アリヴェーラを見やるが、俺の方も牢の中も見てはいなかった。
我関せずといったまま魔法で通路を照らしており、俺の視線に気付いてはいるようだがこちらを見向きもしない。
なんだろう、この違和感は。
二人はひょっとして知り合いだったりするのだろうか……?
「違うけど」
「ひょっとして俺の心読んでる?」
「そうだけど」
「……じゃあ、今の俺の気持ちがなんだか分かる?」
「さぁ。知らないけど」
「ホントに?」
「いや知らないよ。早く解放してあげれば」
呆れたような言葉と共に、そういえばと思い出す。
牢の中の彼女は最初と変わらぬ瞳のまま、俺をじっと睨んでいた。
今度は話もせずにいきなり牢を開くわけではなく、ちゃんと話をしてのことだ。
このまま彼女を拘束させたまま放置しているわけにはいかない。
鉄柵に手を置いて、そしてはたと気付く。
俺は牢の鍵など持っていなかった。
いや、まぁいいか別に。
少し無茶はしてしまった後だが、無機物相手に折れはしないだろう。
俺は剣を引き抜き、薄く剣身に魔力を這わせた。




