52話 その存在を認めるということ
あけましておめでとうございます!
大分期間は空いてしまいましたが、ぼちぼち再開。今年もよろしくね。
レイスで夜間も営業する酒場にて。
リーズリースに連れられて俺達は隅のテーブル席へと座り、彼女の奢りで飯を食べていた。
――食事を摂る。
皿に盛り付けられたサラダを、口に運ぶ。
しゃきしゃきとした野菜の食感、新鮮な甘みが口内一杯に広がっていく。
これだけでも美味いが、それだけでは生野菜。
俺はそこに粉末調味料を振り掛け、そして口に運ぶ。
甘みに加わるほんの少しの塩味にぴりりと舌を刺激する辛味が加わり、食欲を増進させる。
野生で刺激のある食べ物は毒の危険をまず考えなければならないけれど。
――しかし店で出される食事。今回その心配はない。
俺はもりもりとサラダを食べつつ――さらなる食の境地へと誘う。
食べるほどに唾液が分泌されはじめ、空腹の胃が、食に慣れてきた口が、もっと、もっとと叫ぶ。
俺は目をカッと見開き、目の前のソレへ視線をやる。
ぱつぱつに膨らみ、雫を落とす豊満な――ステーキ。今にも爆発しそうな身が湯気をもくもくと漂わせながら鎮座し、堂々と皿を支配する。
まさに食の怪物。既に食卓へと運ばれながらもその威風は衰えること無く、一口で食われてなるものかとその存在を強くアピールしている。
焼ける肉の内側にまだ染まりきっていない朱が差し込み、油の汁が輝かいた。
その閃きに俺は心を奪われ、口に残した葉物を胃に落とし込むと、ステーキへ向き合う。
ナイフを手に、恐る恐る近づく姿は歴戦の狩人のソレ。
素早く彼のステーキから一部分を切り離し、熱々の塊を口一杯に放り込む。
――咀嚼。そこで俺の意識は爆発した。
「うまぁい!」
「うまー!」
俺とアリヴェーラは同時に涙を零し、テーブル一杯に敷き詰められた料理を貪り食っていた。
「……なんなんだ、お前ら……」
白けた様子で俺達を眺めつつ、白身の焼き魚を突いているのはリーズリースだ。
彼女は頬杖を突きながら、一心不乱な俺達を監視でもするかのように細目で見ている。
なんだ、変なものを見る目は。
俺は変じゃない。
ただ美味しいものに心と身体を奪われているだけなのだ。
空腹を最高の調味料に気が動転しているのは確かなのかもしれないが、料理はどれも天井知らずの旨さなのだ。仕方ないじゃないか!
「ステーキ……? あ、あげませんよ」
「いらねぇよ」
ああ、ずっとこっちを見ていたのは、頬張っているステーキを食べたくなったんじゃなかったのか……。
しかし美味しくなさそうに食事をする人である。
一口ごとに全身全霊で美味しさを体現している俺達とは全くの逆で、彼女は作業のように食べ物を口に運んでいる。
もしかして彼女は美味しいと思っていないんだろうか。
そんな。だって、こんなに美味しいのに。
アリヴェーラも気が狂ったように食べているのに。
とにかく俺達は食べまくった。
俺もアリヴェーラもその小さい身体のどこに入るのかってくらい食べた気がする。
そして、夢のような食事はテーブルから全ての料理がなくなったことで終了した。
「美味しかったな……アリヴェーラ。ここは天国だ」
「うん。私、もうここで死んでもいい」
互いに至福の感想を伝え合う。
この人生に於いて、店の美味い食事を頂いた初めての経験だった。
――いや、美味いという意味ではステラの作った料理も中々のものだっただろう。
勿論ステラの作った料理も美味かった。何なら野菜を用いた料理はステラのが一番と言えるかもしれない。
けれど……ただ、そう。
肉料理の質という点で、この人間世界の店で提供される料理は格別の美味さだったのだ。
なんだろう、魔界ではいい肉があまりなかったのだろうか。
「死んで貰っちゃ困るんだけどよ」
俺達が食事を終わったのを見計らって、彼女は声を掛けてくる。
それまで酒類を飲んでいた木製カップをテーブルへ置き、ずっと付いていた頬杖を解く。
「奢るとは言ったが、弁えねー奴だな」
「すみません。つい」
「いや構わねーけど。金の心配つーか、いつまで食ってんだと言いたかったんだ」
俺はテーブルの前に並ぶ空の皿の軍勢を眺め、腕組み一つ。
そして周囲を見やる。そこに座っている客達は、入店時とは別のグループで埋め尽くされていた。
「……そ、そんなことが!?」
驚きを隠せない俺に、溜息と呆れの視線を送ってくるリーズリース。
分からない……彼女がいくらでも食ってろって言ってたから、追加注文は適度にしていたような気はするけど。心当たりは――ない! 嘘、ある。
「ところでお前に聞きてーことがあるんだけど、いいか?」
「ええ、構いませんけど」
「なんで騎士共を逃した?」
流れるように紡がれた、確信を突く台詞。
俺の背筋が凍り付くように固まる。
これ、もしかして俺から聞き出すために探してた?
ということは、バレてるのでは?
「倒す余裕がなかったからですが……」
しかし、そう安々と彼らの事情は話せるものではない。
ひとまず彼女がどこまで知っているのかも探るため、はぐらかすことに。
彼女は俺の返事に溜息で返すと、今度は目を細め睨んできた。
「アタシが相手してた騎士と、お前が相手してた連中は別格だ。苦戦なら理解できるが……お前は傷一つ負ってねぇ。どころか相手に重傷を負わせた後、なんか話してやがったな。その後、お前は騎士達を見送った――言い訳はあるか?」
最早確信なんてものではなく、彼女から全てお見通しだったらしい。
であれば、会場で詰めてこなかったのは場の混乱を避けるためだったのだろうか。
しかし、距離が開いている中で彼女も乱戦状態だったはずだ。
口ぶりからして会話の内容まで聞き取れてはいなさそうだったが、そこまで把握されているとは思わなかった。
そこまで言い当てられては、はぐらかすことなどできないだろう。
「お前なら捕まえられたはずだろ。そうしなかった理由はなんだ」
いくつか理由はある。
彼ら騎士が貴族を狙った理由があること。ただの犯罪ではなかったこと。なにより、あの時捕まえてはいけないと、俺の直感が働いたこと。
「貴族を狙った理由が奴隷の解放だったからか?」
「……まぁ、そんなところでしょうか」
彼女の言に、俺は肯定で返す。
その解答は正解とも外れとも言えないだろう。
マグリッド達は契約魔法を扱った貴族をターゲットとしていたが、同時の子供達の解放も目的に入っていたはず。
仮にそっちを知らなかったとしても、知った段階でそうなるはずだ。
「否定はしねーんだな」
「え?」
「お前は今、単独で騎士共を処理できると認めた。アタシの認識だけじゃなくなったってことだよ」
「……あー」
突拍子もなく思えた彼女の言動で、俺はすぐに察する。
彼女があの質問をしたのは、言外の確認も含まれていたのだ。
――つまりは俺が一体何なのか、という話。
俺という存在そのものを彼女は知りたがっていた。
元勇者一行の一人であるマグリッドを含め、かつて国を守っていた騎士達を退ける実力。
戦場こそ有利な状況でのスタートだったとしても、並大抵の者では行えない。
できるとすれば――少なくとも彼女が到達した結論は。
「お前、勇者だろ?」
「……はい。隠すつもりはありませんでしたが」
無名の内から喧伝したところで信じられるはずもない。
せめて、冒険者ランクがリーズリースと同じになるまで言うつもりはなかったのだ。
だが直接俺と手合わせした彼女にとっては、ランクなど飾りだ。
彼女はそれでも驚きを隠しきれないといった様子で目を見開き、俺を見やる。
それから、小さく零した。
「じゃあ、やっぱ魔王がもう居るってワケか」
「な、」
ハッと上げそうになった声を途中で止め、咄嗟に俺は息を呑む。
しかし俺の動揺は伝わってしまっており、彼女は大きく深い息を吐いた。
今の反応を肯定と捉えたのだろうが――何故それを彼女が知っている?
今、予測の範疇ではなく、それが事実であるのが当たり前のように言ったのだ。
確かに勇者の出現は魔王の出現と共にある。
もっと正確に言うならば、魔王が人間界に知れ渡ると発生するもの。
魔王が人間界に危害を及ぼしてから現れるため、その点で勇者は常に後手に回る存在である。
故に、たった今察したにしては理解が早すぎるのではないか?
そもそもの話、いくら強いからって魔王が現れていない内から即座に俺を勇者とは思わない。
「どうして、そう考えるんです?」
「別にアタシが考えてたワケじゃねーよ。師匠だったアイツが言ってたんだ」
「……師匠だった?」
予想外からの言葉に、俺は首を傾げた。
彼女の師匠とは、恐らく剣か魔法か――或いは両方の師匠にあたるのだろうけど。
もしそうなら、俺が危惧していた予想を超えている。
「あぁ、死んだからな」
「は?」
「んなことはどうでもいいんだよ、ともかく――」
とんでもない話をさらりと流し、彼女はこう続けた。
「アタシはな、魔王を殺すために旅してんだよ」




