50話 依頼の終わりと後始末
ラウミガ・ラブラーシュは「勇者を魔界に逃した」と、そう言った。
確信をついたような台詞に、俺は反発する。
「勇者は致命傷を負った。普通じゃ助からない!」
「――だが助かっている。お前という存在がどのような変質を遂げたのかは知らんが……マグリッドがお前を指してアルテと叫んだのならば、間違いではないんだろう」
「……」
確かに助かってはいる。それを否定することはできない。
だが、同時に頷くこともできなかった。
勇者アルテは瀕死の中、意識を朦朧とさせながらも魔王城へと逃げ延びて――そこで、ステラに助けられて生き延びたのだ。
彼女が居なければ死んでいた状況であったものを、逃したなどという言葉で納得できるものか。
「聞いてくれ、アーサー……お前は――いや、勇者は確かに死の淵まで追いやられたんだろうさ、契約でそう縛られていたんだからな。生還は五分五分だとマグリッドも言っていた」
「……勇者を殺す契約だって? 彼らがそんな魔法を刻まれるわけないでしょう」
「そうだな。普通じゃあり得ない」
契約魔法――魔法陣を身体に刻み、行動を強制する邪法。
自分の意思よりも優先される強制力によって、受けた契約内容を遵守させられる代物。
でも奴隷と一緒で、そんなものを人に使うなど許されていない。
それに魔法自体も複雑で、契約魔法ほどの高等魔法になれば使える者だって限られてくる。
それに、マグリッドや、サラや、ルナーリエが契約魔法を受けていた?
そんなはずがない。魔法使いとして最高峰のサラに契約魔法など不意打ちだって打ち込めるはずもない。他の誰に掛けられたってサラなら解析して取り除ける。
だから、あり得るはずが――ないのに。
そうと断言できるだけの信頼を、経験を、俺は何もかもを持っていない。
俺には彼らと旅をしてきた記録はあれど、彼らと本来の仲間だったことはないのだ。
「後はマグリッドの口から聞いてくれ。俺はざっくりした外側の事情しか知らん……ただ、契約は今も続いている。術者を殺せば、魔法は解除される」
「それをやったのが、貴族だと言いたいんですか?」
「ああ。誰がやったのかは分からんがな」
「……」
彼はふぅと疲れたように溜息を吐いて、天井を見上げるようにした。
「伝えるべきことは伝えたぜ。さぁ、そろそろ霧が晴れる頃だ。捕まえてくれや」
男はだらりと腕を伸ばし、俺の方へ向ける。
そこには一切の抵抗の意思は見られない。裏を掻こうとしているわけでもなく――俺が捕まえれば、本当に彼という人間が終わりを迎えることを示している。
俺は――。
「俺の仕事はあくまで警備。あなた達を捕らえて来い、とは言われてません」
「あん……? それでいいのか」
「代わりに、次に潜伏する場所を教えて下さい」
「ほぉ。俺が真実で答えるとは限らないぜ」
「その時は今度こそ地獄の果てまで追いやって、全員を牢獄送りにするまでです」
事この場面に限って言えば、彼を捕らえるのは造作もないことである。
だが――そうしてしまった時、二度と戻れない何かがあるような気がしたのだ。
犯罪者が入る牢は、貴族が個人所有しているようなただの箱ではない。
捕まえれば能力の全てを封じられ、確実に死ぬ。この男だって例外ではない。
貴族の殺害は到底許せる所業ではないが、全く理解の及ばぬ行いというわけでもなかった。
霧が晴れてしまえば彼を逃がす選択肢は潰える……長くは語らえない。
そして彼が出鱈目を言っている、とも思えなかった。
ならばこの場は一度収拾を付け、後で事を進めたほうが良いとの判断である。
「ソルネ村だよ。付近の地下迷宮に巣を張ってる」
「な……迷宮? 魔物の生息域を拠点とするなんて、馬鹿ですか?」
「お尋ね者にゃ丁度良いのさ……いいんだな? 俺を逃しちまっても」
最後に確認を取るように言って、彼は重たげに腰を上げる。
俺は床に転がったままの大剣を掴み、彼に放ることで返答する。
「――そうかい。んじゃ待ってるぜ、勇者様」
放られた大剣を受け取り、彼は言い残してから霧の中へと消えていった。
気配は遠ざかっていく。
既に剣戟の音も止んでおり、やがて魔力による霧も失せていく。
会場に残ったのは、状況も掴めずに端っこで集団硬直している貴族達、満身創痍の護衛数名。
他に倒れ伏す護衛や冒険者達に命がまだあることを視認する。
「アリヴェーラ、出てきて」
戦闘が始まるや否や、鞄の中に引きこもっていたらしい彼女。
俺の合図を受けていつものように飛び出してくると、こちらをじっと睨んでくる。
独断でラウミガを逃したことに不満を抱いているのだろうか。
でもその話は後。今は怪我人の治療が優先だ。
「怪我人の治療を頼める?」
「……全員は無理だよ。魔力が足りないし」
「いや、こっちで治すのは致命傷者だけ。後は救護班とかに任せればいいよ」
「分かった。それならやってあげる」
俺達で全てを元通りってのは無理がある。
今すぐ助けないと死んでしまいそうな者のみ治してくれればいい。
ひとまずアリヴェーラを付近の致命傷者へ向かわせ、俺は戦いを終えた彼女と合流する。
「ッチ……逃した。そっちも同じみてーだな」
「はい、隊長クラス三人はちょっと。まさかあんなにすぐ増援が来るとは思わなかったです」
実際、俺と当たったのは団長に副団長に防衛隊長である。
マグリッドの危機に即座に駆けつけて来たのがその二人、とも言えるかもしれないが……。
「撃退できただけで充分ですけどね」
「まぁ、それもそうか」
互いに割り切るのは早い。
――本当は自ら逃した、と言えず嘘を吐かざるを得ないのに引け目はあるけれど。
俺は言いながら周囲を見やり、彼らがどうやって逃げたのかを把握する。
会場の中央に妙な柱と壇上のような空間があったが、そこがぽっかりと空いていた。
彼らは出入り口側へ逃走したのではなく、その穴から地下へ逃げる形で脱出したのだろう。
暗闇が続く穴の先は深く、どこかに繋がっていることだけは分かる。
今度はこちらが追うというのは推奨はできないだろう。
どんな罠を仕掛けられているかも不明だし、今度は俺達が有利な戦場じゃない。
それを理解しているのか、彼女は追撃の提案もしてこなかった。
さて、危機は去った。
大分引っ掻き回されて屋敷内は大混乱状態だし、後処理は大変だけど……流石に騎士団以外の襲撃もないだろうし。
ああ、そうだ。今の内に聞いておこう。
聞きそびれていたけど、名前も知らないのはちょっと。
「そういえば、名前を訊いても良いですか?」
「今更聞くかよ」
「タイミングなかったんで……」
彼女は破顔し、それまでの警戒態勢を解く。
両手に持つ双剣を懐へと仕舞い込むと、俺を正面に見据え、言った。
「アタシはリーズリースだ、まぁ好きなように呼んでくれていいが。一応Aランクで通ってる」
「俺はアーサー。Fランク冒険者です」
「お前馬鹿にしてんの?」
「や、そんなつもりはないですが……先日冒険者になったばかりなもので」
「へぇー……?」
訝しむように俺を見下ろしてくるも、それでどうにか納得はしてくれたようだ。
「まぁなんでもいいや。アタシも治療に回ることにする、お前も手伝え」
「あぁ俺、魔法は苦手なんで無理です」
「……はっ。この野郎、誰でも分かるような嘘を吐くんじゃねーよ!」
リーズリースはぴくりと眉間に皺を寄せた瞬間、ぐいと俺の頭部を鷲掴みにしてくる。
身体を持ち上げかねない握力で両こめかみを潰され、俺は小さな悲鳴を上げた。
「ちょっ、いたっ! いや、ホントですって!」
「お前はよぉ、使い魔も使役してんだろうーが」
「えっとぉ! それは俺の不得意分野を補うためのアレでして!」
「あァ? あー……親とか言ってたやつか――……まぁ、確かに。嘘にゃ見えねーか……」
ようやくと指先に込められた力が抜ける。
外部から発生した鈍い痛みを両手で抑えつつ、俺は小さく彼女を睨むように視線を送った。
「いきなり攻撃するなんて酷いじゃないですか」
「悪ぃな、でもふざけたことばっか言うからいけねーんだぞ。お前本人が一切魔法の類を使ってねぇのを見てたから、納得してやっただけだ」
「……それはどうも」
質の悪い冗談に聞こえたかもしれないが、全部本当のことなのだ。
いや、まぁ……黙ってることはあるけれど。
俺のことを話して、ちゃんと分かってくれるかはまた別の話で。
アリヴェーラのことにあんまり突っ込まれても良い返事を返せないという事情もある。
実は契約もしてないし、野良の魔物ですと答えたとすれば……うん。
許されるはずもない。彼女からしてみれば、アリヴェーラは知能が高く魔法に長ける厄介な魔物という認識になってしまう。
だから話すことはできないし、今の誤解も受け入れるしかないだろう。
それにしても、彼女は回復魔法も扱えるのか。
「あの、回復魔法をお願いできるならこの場は任せちゃって良いですか?」
「別に構わねーけど、何かすんのか?」
「今のうちに地下へ行っておこうかと」
「そうか、あの依頼主も解放しておかねーとだな」
「……」
「ん? なんだよ」
そういえばこの辺りの認識も共有できていなかった、と今更ながらに思い出す。
俺は貴族が狙われているとは言ったが、それは人命救助を優先してのこと。
レーヴァンを捕まえないとは言っていない。
見逃して依頼を完遂する――冒険者としてはそれでもいいのだろう。
俺がこれからやろうとするのは依頼に反する行いであるのだから。
「いえ、レーヴァンはギルドに突き出します」
「……お前、正気?」
「正気ですし本気ですよ。俺が地下に行ったのだって、現場をこの目で確認したかったからです」
苦言を呈する彼女の目を、真っ直ぐに見つめ返して言う。
「依頼を破ろうってのは承知の上ですから……止めますか? 捕まえちゃったら冒険者の報酬はなくなっちゃうでしょうし」
「……お前がそうするんならアタシは止めねーけど。金欲しかったんじゃないのか?」
「金は欲しいですが、汚い金貰っても飯は食えないです」
「……あー。分かった分かった、行きな。別にお前が何したって、アタシ以外に文句言える奴は居ねーよ」
苦笑するリーズリースだったが、しかし反対はしなかった。
俺は彼女に頭を下げ、回復魔法を掛けている最中のアリヴェーラを呼び戻す。
「すみません。ありがとうございます、リーズリースさん」
「はっ、なんで謝んだよ。別にいいっつってんだろ」
「……ありがとうございます」
彼女は手で払うような仕草でそう言った後、呼び戻したアリヴェーラの代わりに倒れている者達へと向かっていく。
もう少し悶着はありそうなものだったが……意外にも彼女はあっさりと引き下がってくれた。
彼女にも思うところはあったのか、それとも決裂してまで俺と戦いたくはなかったのか。
いや、だったら彼女の性格上引き下がろうとはしないか――つまりは、俺の意思を優先してくれたのだろう。
「はぁ、はぁ……何よ、行けって言ったり戻ってこいって言ったり」
彼女と入れ違いになるようにアリヴェーラが戻ってくる。
「ここは彼女に任せて地下に行くよ、それとも置いて行ってよかった?」
「は? いいわけないでしょ! 泣くよ?」
「ごめんごめん、流石に冗談だって」
顔面をぽかぽか殴ろうとしてくるアリヴェーラを肩まで誘導しつつ、足早に会場から抜ける。
思い浮かべるのは、地下に繋げられている奴隷達のこと。
解放するとして――その後どうするのが最善だろうか。
解決策を思案しつつも、まずは地下へと急ぐのだった。




