48話 裏切りと乱逆、果てに望む未来
レーヴァン――その姿形をした男は俺の台詞を聞くと、目を丸くして固まっていた。
僅かにそうしていた後、小さく息を吐くようにして笑う。
「名前まで言われたか……なら、コレは止めだ」
彼に掛かっていた魔法が解ける。
金色の髪が、美丈夫の顔立ちが、赤紫の貴族服が、全てが幻だったかのように景色と同化して消えていき――その代わりに、金色の全身鎧が浮かび上がる。
姿形だけでなく、その性質全てを変えていたのだろう。がしゃりと鎧の擦れる硬質な音を鳴らして、マグリッド・アレイガルドの姿が表出した。
時はそれほど経過していないが、あの頃の勇壮だった姿は見られない。
前髪ごと後ろへ結いていた茶髪にも白髪が入り混じり、眉間には深い皺。顎から伸びる無精髭。
両の眼からは覇気が失われ、どろりと闇のように暗い色を落としている。
全体的にやつれた見るに堪えない様子が、そこにはあった。
彼は俺の姿をまじまじと見つめ、構えていた剣を床に突き立てる。
「随分と姿が変わっていて、気が付けなかった……生きていたんだな」
そこに、戦意は見られなかった。
ありったけの憎悪でも敵意でも、恐怖でもなく。
彼の死んだような眼から感じられるのは、少しばかりの安堵感のみで。
「本当に……アルテなんだな」
「勇者アルテはお前が殺したんだろ。俺はアルテじゃない」
「……すまない」
「なんで謝る。どうして俺に謝る。お前は悪いことをしたと思っているのか」
「ああ……俺は取り返しが付かない愚かなことをした。なぁ、アルテ」
俺には、彼が何を言っているのかが分からなかった。
勇者をその手で斬り殺した男は、俺の前で俯いている男は、何だ。
「――違う。俺は勇者アルテじゃない」
彼の台詞を振り払うように否定して、俺は問う。
「お前は何故こんなことをやってる? 答えろ」
「こんなこと……か。そうかもな。俺はもう、正気ではないのかもしれん」
「何?」
「――だが俺は、コイツらだけは殺さなくちゃならない。頼むアルテ、見逃してくれ。俺は……もう止まれない、止まるわけにはいかないんだ」
どこか脈路のない返答が一つ。
俺をアルテと呼ぶ男の懇願に近い言葉は、まるで独り言の延長で。
悲壮感さえ漂わせる男の姿は、俺の話を聞いているのか、そうでないのかすら分からない目で――だが真剣に何かを訴えかけようとしてきている。
でも……俺にはこいつが、何を言おうとしているのかが分からない。
「見逃してくれって? ふざけるなよ」
貴族を殺すために、俺にその行為を許せと、お前はそう言っているのか?
勇者を殺したその口で――。
マグリッドの持つ剣に、力が込められていく。
そこに感じるただならぬ狂気と殺気とが渦巻く負の感情と、ドス黒い憎悪の魔力。
「長い魔物との戦を終わらせて、最後の脅威たる勇者を殺して、ようやく平和を手にしたんだろ。それで、今度は人を無差別に殺すのか――お前は何のために戦っていたんだ? 争いを自分で撒いてんだぞ?」
「――ひと? 人だと? 違う、違う! 奴らは断じて人などではない! この世界を平和にするのであれば、奴らは全員殺さねばならないのだ! だから退いてくれ……アルテ!」
伏せていた彼の眼が俺を向き、その瞳に黒い火が灯るのを認めた。
どこまでも歪に拵え、折れぬことを忘れた意思。
再び取った剣には捻じ曲がった信念が乗っている。
「……そうかよ」
――ここに騎士マグリッド・アレイガルドはいない。
俺の記録にあるその存在は、いつだって誠実で真っ直ぐな大人の男であった。
決して憎悪に塗り潰されて復讐を遂げようとする者ではない。だからここにいるのは、俺がよく知る彼ではない。
ああ、勇者アルテを殺したのには最悪目を瞑るよ。
確かに魔王をも殺した存在は脅威以外の何者でもないもんな。
お前が何の葛藤も呵責もなく勇者を殺したわけではないだろうってことも分かってるよ。
最初から最後までの旅の記録を覗き見ていたのだから、お前がどういう奴だったのかだって知ってるつもりだ。
お前は誰かのために行動できる男だった。
そういう奴だったから、勇者と共に最後まで行動ができていたんだ。
そんなお前が貴族を殺そうとしているのには、相応の事情は抱えているんだろう。
でも、殺すのは勇者で終いにしなければならなかった。
敵となる存在を片っ端から独断で殺していくような奴は……人間界を侵略しようとした魔王軍と何の違いがある?
それは新たな火種を、戦争を生むだけだ。
お前が次の化け物になるだけで――実際そうなってるだろ。
だからお前のやっていることは間違ってる。
「そのイカれた根性を叩き直してやる」
「……すまない。だが、それでも立ちはだかるというのなら、俺は――お前だって倒して、先に進むしかないのだ!」
細剣に、全力の魔力を纏わせる。
刀身を包む七色の輝きは、周囲の霧ごと俺を強く照らす。
本来剣の破損を護るための魔力展開だが――マグリッド相手に加減などできるものか。
魔力伝導率も耐久力も並の剣で全力を振るえば、刀身は数度で跡形も無く砕け散る。
長くは斬り合えない。決めるならその数度だ。
「――歯ぁ食い縛れ!」
「――っ、う、おぉおおお!」
細剣にありったけの力を込め、踏み込む。
胴体を切断せんと虹の剣閃が輝く。
その一撃を防がんと、マグリットが雄叫びを上げて長剣を合わせて来た。
俺と同じように剣へとありったけの魔力を込め、剣の腹を盾のように前へと晒す。
刹那、互いの剣戟が衝撃波を伴って激突した。
周囲の霧をも吹き消す勢いで周囲へ響く、全身全霊の一撃同士。
がきり――打ち合う長剣にヒビが走る。
次いで二撃目、容赦なく上から振り下ろす。
その俺の刃に彼の防御は耐えられない。
防ごうとする得物が盾であればまた話は変わったかもしれないが、剣を盾代わりに防ぎ切れるはずもなく。
バキン、と剣の折れる甲高い悲鳴。
二撃目で半ばから切断された刀身が回転しながら後方へ弾け――勢いを残す剣閃が鎧ごと彼の肉を断つ。
「――が、ぁはっ……!」
鎧と肉とを同時に切断する重い確かな感触。
吹き出す返り血が降り掛かり、俺の視界を真紅に濡らす。
ずしりと床へ崩れる巨体へと、切っ先を差し向ける。
彼はぼたぼたと血液を流しながら顔を上げ――あの時と全く同じ表情が、俺を見つめてきた。
この世の全てを恨むかのような、皺の刻まれた凄絶で悲壮な顔。
彼は砕けた剣をそれでもと握り締め、身体を起こそうとする。
「俺が、止まる、わけには……殺さねば、この国に未来は……」
「――お前を捕らえる」
その虚ろな瞳には、もう俺の姿は映っていないのだろう。
彼が映しているのはどこまでも黒い絶望と憎悪の感情だけで、きっと何も見えていないのだ。
何を以て彼がそこまで堕ちたのかを推し量ることはできない。
しかし、どこから狂い出したのかは俺にだって分かる。
あの日勇者を斬る選択を取った時――彼の物語は、可笑しくなったのだ。
俺は舌打ち一つ、ゆっくりと剣を振り上げる。
気絶させるための一撃を。
「すまない――サラ、ルナーリエ」
だが何かへの懺悔を重ねるマグリッドの言葉に一瞬、剣を持つ手が鈍る。
遅れて放った斬撃が彼の背中を捉える寸前――突如出現した魔力障壁に剣が阻まれた。
「……障壁だって?」
障壁そのものは俺の斬撃を受けた一撃で消し去ったが、攻撃は届いていなかった。
――この障壁を飛ばしたのはマグリットじゃない。
眉をひそめると、霧の奥から叫び声と共に飛び出してくる騎士が一人。
「団長――っ、貴様」
「っち……このタイミングで六人目か」
霧を掻き分けて突っ込んできた騎士は右手に魔力で形作られた大盾を顕現し――俺へと押し込んでくる。
咄嗟に正面から斬り崩そうとしたが、細剣がもう持ちそうにない。
俺は振り抜こうとした剣の動きを変え、大盾から逃げるように一歩飛んで後方へ退避する。
少し、長引かせ過ぎた。
ほぼ一瞬で決着を付けるつもりだったが……マグリッドの台詞で動きを止められたのが効いている。
だが、何故この土壇場でかつての仲間の名を呼んだ――お前は何をやってる?
いや、一旦考えを整理しろ。
今相手にしているのはマグリッドではないのだから。
壊れかけの剣を鞘へと仕舞い、俺は代わりに拳を構える。
六人目が現れたということは、七人目まで霧の中に戻ってきていてもおかしくはないということだ。
マグリッドをほぼ行動不能しているのが不幸中の幸いといったところだが、さて。
「……貴様、何者だ?」
「それを俺に訊くなよ、侵入者はお前らだろうに」
「団長に手傷を負わせるような強者が、何故こいつらの側に付いていると言ったのだ!」
「今のでそんなことまで分かるかよ……」
吠え猛る騎士と会話を重ねるように受け答えしつつ、相手の情報を見た目から読み取っていく。
相手は剣を持たず、魔力で振るう大盾を扱う騎士――張り出されていた依頼書で防衛隊長と書かれていた奴だろう。名はシリウス・リディアだったか。
霧の中で対象を正確に捉え、俺との間に障壁を挟んできたほどの精度の高さである。
直前で剣が鈍ったとはいえ、障壁に一撃を防がれたことからほぼ間違いはない。
……しかし、こっちが悪い奴みたいな構図になっているのはなんでだ。
相手の姿がまるきり騎士なのと、俺が糾弾されている形だからかもしれないが。
「まるで自分たちが正義だと言いたいらしいけどさ、やってることはただの犯罪者だろ」
彼らの真意とやらを知れる良い機会でもある。
折角だ、話ができるならここで聞いておこう。
「犯罪者――? 違う。この国を想うからこそ、改革を為さねばならんのだ」
「悪いけど何言ってんのかわからない」
「貴様も見ただろう、貴族共が何をやっているのかを!」
「だからって皆殺しが許されるかよ。少しはやり方を考えろ」
あぁ、何らかの思惑があって行動しているのは分かった。
実際に貴族が裏で良くないことをやっているのも見てる。
だから改革のため虐殺していいって? そうはならないだろ。
「では、貴様ならどうする?」
彼は大盾を構えたまま、俺に問うてくる。
そんなことを聞かれてもな。
「……悪事を暴いて法で裁く。やっちゃいけない決まり事ってのがあるだろ」
「簡単に言ってくれるな。それができれば苦労はしない」
「できないのか? 証拠も地下にいけばいくらでも見つかるはずだ」
「そうか。だったらやってみればいい」
ふっと笑うように言って、彼は大盾を消し去った。
その手でマグリッドを担ぎ上げると、吐き捨てて。
「貴様の望み通り貴族は殺さないでおく。俺達は退かせて貰おう」
「は、逃がすわけないだろうが」
堂々と逃げようとする彼へ、俺は身一つで仕掛ける。
「ラウミガ! 頼む!」
しかし横合いから合図を受けて現れた騎士に、俺の動きを阻害された。
進行方向に立ち塞がり、シリウスへと向けた拳を胴体の鎧で受け止めてきたのは――あの部屋には居なかった男で、つまり七人目の騎士。
ラウミガ・ラブラーシュ。副団長にあたる人物だ。
――マグリッドを逃がすわけにはいかない。
俺は両足に魔力を迸らせ速度を強化し、目の前の男を掻い潜ってシリウスへと迫る。
だが、それに素早く対応してきたラウミガの蹴りが進行方向へ放たれ――回避行動を取った俺の前に、再び立ちはだかってきた。
そうしている内にも、マグリッドとシリウスの気配が遠く離れ……完全に視界から見えなくなってしまう。
駄目だ……もう追えない。
魔力感知ができない霧の中、というのが悪い方向に働いてしまった。
乱戦を有利に運ぶための策であり、逃げる相手を追うのに適していない。
いや、それでもアリヴェーラに頼ることができれば追えたのかもしれないけど。
――目の前の男が、それを許さないのだ。
俺は仕方なくシリウスを諦め、目の前へ意識を切り替えることにした。
ラウミガはそんな俺の動きを察してか、ゆっくりと背中の大剣を引き抜いてくる。
不味いな……マグリッド相手に無茶を決め過ぎた。
細剣は限界に近い。さっきのような大魔力を纏わせて戦えば、すぐに砕ける。
とはいえ、普通にやるのは分が悪い。
得物の大きさに差があり過ぎる上に、この剣では全身鎧を壊せないからだ。
だが彼は――自ら取った大剣を、床へとぶん投げた。
がらん。
大きな音を立て、俺の前へ捨てられる。
唖然とする俺に対し、彼は両手をだらりと顔の上まで上げる。
それからばつの悪そうな顔で苦笑して、こう口を開いた。
「やる気はねぇよ。マグリッドはやれねぇが――代わりに俺の首で我慢してくれや」




