47話 デッドライン⑤
――できるだけ遠くに離したつもりなんだけどな、と。
偽レーヴァンはそう呟いて、振り上げていた剣をそのままこちらへ差し向けた。
斬り殺される寸前でその刃を止められことで、半ば仰向けで倒れていた貴族が焦るように逃げ出す。
手足をばたつかせて後退するのは……ピザルスだ。
ピザルスお付きの護衛が偽レーヴァンの前で倒れているのを見るに、たった今の出来事であったのだろう。これを間に合ったと言えるかは微妙だが――もう少し遅れていたら、ピザルスは確実に斬り殺されていたはずだ。
ピザルスは脂肪でぱんぱんに膨れた腕を必死に動かし、脂汗を流して貴族が集まっている端へと退避していく。
偽レーヴァンは逃げていく姿に一瞥もくれない。
否――見ようとしなかった。
一瞬でも意識を逃げるピザルスへと削いだ瞬間、俺が一撃を叩き込むと警告代わりの殺意をぶつけていたからだ。
故に彼はこちらへ意識を集中させたまま、それまで余裕げだった顔を僅かに歪める。
「どうして私を狙うんだい? 君達の雇い主だぞ」
「今正に殺そうって奴が何ほざいてやがる。皮剥げよクソ野郎」
「まぁ流石に駄目か? 全員成り代わっておくべきだったね、コリャ」
しゃん、と。
二本の剣が鞘から引き抜かれ、隣で赤と青の魔力が螺旋を巻いた。
戦闘準備を終えた彼女は、俺だけに聞こえるように告げる。
「相手はS級の討伐対象だ、気ぃつけろ」
「ええ……知ってます」
俺も剣を抜き、騎士全員へ意識を割く。
偽レーヴァンと共に居る四名の騎士。
そのどれもが隠しもせずに黄金の鎧を着込んでいる。
貴族の殺害へ踏み切った時点で正体を隠すつもはなかったのだろう。
全く、ふざけている。
「……」
現在、この場は新たなる闖入者である俺達二人の登場によって、静まり返っている。
護衛と使用人は端に固まった貴族を守るためにその位置から離れられず、騎士達もまた俺達二人を警戒して動きを止めているのだ。
しかし、一触即発の状態は変わらない。
どちらかが動けば、その瞬間に乱戦は再開するであろう。
膠着している間に、俺は必要な情報の共有を彼女へと行う。
「おねーさん。あと二人足りない」
「あぁ、この部屋には見えねーが」
ここには騎士達と偽レーヴァン、合わせて五人。
だがあの時依頼書に張り出されてあった騎士の数は七人だった。
つまりは二人、ここにいない奴らがいる。
変身魔法で身を隠している、という線は薄そうだが。
剣構える彼女へ、俺は訊ねる。
「二対五人――やれそうですか?」
「アタシも聞こうと思っていた。お前はやれんのか?」
「ええ、まあ。じゃあ俺から仕掛けますよ」
身体の内側から全身へ魔力を通し、身体強化を施す。
「馬鹿か人数差考えろ、死にてーのか」
視線さえ合わせず、俺も彼女も騎士達を睨めつけたまま、やり取りを交わす。
騎士達は最初から俺達二人を脅威とみなし、対峙していた。
彼女はともかく――Fランク冒険者である俺にも変わらない。
偽レーヴァンはあの時点で、既に俺を警戒していた。
会場で気配を消した俺を認めた瞬間には厄介者であると即座に理解し、敢えて俺を望んだ場所へ向かわせることで戦場から切り離そうとした。
そこまでやった上で、他の騎士にも俺が危険だと知らせている。
きっと何らかの手段で同じように彼女も引き剥がそうとしたのだろう。
でなければ、俺達二人にここまで意識は割かない。
相手はそれだけ本気だということ。
それだけ冒険者である俺達に油断をしていないということ。
それは分かった上で、俺は彼女に伝える。
「……早い内に動かないと死人が出ます」
会場内で倒れている者達の状態は悪い。
戦いが始まってからそう時間は経っていないが、こちらの被害は甚大だ。
冒険者も護衛も使用人も大半が既に斬られて倒れている。
中でも激しく騎士達とやりあったであろう護衛達の傷が――深い。
倒れている彼らから流れ出る血が、水たまりのように広がっていた。
まだ死んではいない。けれど、早急に傷を塞ぐ必要がある。
なるべくならすぐに回復魔法で治療を行うべきだ。
ずっとこいつらと睨み合っているわけにはいかない。
それに貴族の前で立つ数名の護衛と使用人も、既に傷だらけで立っているのもやっとという状況。
体内の魔力も枯渇し、もう弱々しい気配しか感じられなかった。
こちらから動かなければ、状況は切り崩せない。
「わぁってる――仕方ねぇな。お前、目ぇ使わずに戦えるか? 魔力視も駄目だ」
彼女は深い溜息を吐いた後、そう提案してきた。
目を使わずに? どういった意図かは分からないが、可能だとは思う。
暗闇だったり、或いは視界を阻害された時には音と気配を頼りに戦うこともある。
実際に俺が試したことはないのだが、微細な魔力の流れを読むよりは得意だ。
「何するんです?」
「視界を潰す」
軽く言って、彼女は両手に持つ剣へと力を流し込んだ。
増幅する赤と青の魔力。火と水――。
何をやるつもりなのか、ようやく理解した。
炎剣と氷剣をぶつけ、この部屋を一時的に魔力の霧で満たそうというのだ。
煙霧化した魔力で満たされた空間では魔力視による感知は困難。
それは言葉通り、あらゆる視界を奪う技である。
彼女が一人で冒険者をやっているからこその技だろう。
普通の奴は視界を完璧に潰されれば満足には動けないから、一対多でも不利を打ち払える。
そこで彼女が問題としていたのは、俺が動けなくなることだったのか。
「分かりました。やりましょう」
そう返せば、彼女はからからと笑った。
俺達が何かを会話している様子を見て、偽レーヴァンが声を掛けてくる。
「相談は終わったのかい? 退いてくれるなら――君達の命は保証するんだけど」
その言葉には俺も、彼女も返答しない。
彼の台詞を聞き終えた瞬間、隣で炎と氷の剣が衝突した。
半ば爆発の勢いで真白の霧が吹き荒れ、彼女を中心にして会場内を白く染め上げる。
――白煙が舞う。
彼女の濃密な魔力が世界を覆い、あらゆる視界が閉ざされていく。
そして全てが見えなくなった瞬間、俺は一直線に駆け出した。
狙うはただ一人。
レーヴァンの姿形を偽った男――俺はコイツに目眩ましの類が効かないことを知っているからだ。
彼が俺の気配を一瞬で読み取ってきたこともあるが、しかし。
それ以上に――この男が誰なのかを確信していた。
だから、彼女には悪いことをしてしまったとは思っている。
俺がああ言わなければ、もう少し安全策を取ることもできたはずなのに。
彼女の実力は確かだが、だったとしてもあの騎士の集団に単身乗り込めというのは酷な話で。
だが不利と理解しながらも俺の提案を受け入れ、その上での最善策を選んでくれたのだ。
そこまでやってくれるのであれば、後は俺が全力を出して相手をするべきだろう。
真っ白に染まる視界の中、駆ける身体に魔力を込める。
人間界で初めて起動する極大の魔力流。
長くも短い旅の中で定着したそれは、俺に勇者アルテの力を呼び起こす。
魔力で覆われた霧の中では、誰にも見られることはない。
誰もその本質を理解することはない。
俺が狙った偽レーヴァンを除いて。
「お前なんだろ、マグリッド」
「――まさか、お前は」
レーヴァンの仮面が剥がれたその声で、彼は俺を迎え討った。
水平に構えた長剣が俺の一撃を防ぎ――防ぎ切れずに剣ごと上体を吹き飛ばされ、後方へ転がっていく。
体勢を整えようとするその顔に切っ先を突き付けると、彼は凄絶な表情を張り付け、俺を睨んだ。
まるで、あの時の再演が行われているかのようだ。
立場だけは逆転しているが、あの時の顔は変わらない。
よく知っているさ。
コレが勇者が死ぬ前に見た最後の記録なのだから。
「何やってんだよ――なんで人殺しに落ちぶれてんだよ、お前は」




