45話 デッドライン③
――俺の前に立ちはだかったのは、あの時の女冒険者だった。
三白眼を鋭く細め、彼女は片方の剣を突き付けてくる。
「……なんでここに居やがる?」
明確な敵意を孕んで、彼女は冷酷な声音で言い放った。
俺に向けられているのは、その声と同じく凍り付くような青い魔力纏う切っ先。
「おねーさんこそ。どうやってここを見つけたんです?」
腰の細剣へ手を掛け、答える。
彼女に聞こえぬよう小声で合図してアリヴェーラを鞄の中へと退避させ、使用人の前をかばうように一歩前進する。
「そーか、そーか。そりゃ――こっちの台詞だよ」
踏み込んだ俺の眼前。
一歩で距離を詰めてきた青白い軌跡が、上方から襲い掛かった。
「くっ!」
俺は腰の細剣を抜き、斬撃に合わせ下方から斬り上げる。
青の軌跡と打ち合う剣戟。
抜剣の速度に魔力を重ねて威力を上げ、その一撃を払い除ける。
ぴきり。
凍り付く感触と、手元が重くなる重圧感。
まさかと細剣へ目をやれば、衝突した箇所へ氷が張り付き俺の剣を重くしていた。
剣を止めるのではなく払ったのは、もう片方の炎剣からの追撃へ対応するため。
だったのだが、剣ごと凍らされて動きを鈍くされれば防御は困難になる。
咄嗟に凍りついた箇所ごと刃を天井へ叩きつけ、魔力波を前方に飛ばして牽制。
同時に邪魔な氷を割り砕き、使用人の襟首を掴んで共に後方へ飛ぶ。
「動きが素人じゃねぇ。つまり、お前はそっち側ってワケだ」
俺の魔力波を片方の炎剣で相殺し、彼女は即座に俺へと突っ込んできた。
瞬時の判断力と、揺らぎのない行動力――。
ここで誰かを守って戦うのは無理だと判断して、俺は使用人を片手に抱えて鉄格子の通路へと駆け出した。
それまでの僅かな時間、俺を追ってくる彼女の動向に注視しつつも思考にリソースを割く。
ここで冒険者とかち合うのは流石に想定外。
それもあの部屋で俺にパスタを何故かくれたおねーさん冒険者ときた。
風体からして実力がありそうな雰囲気は充分に感じていたが、まさかやり合うことになるとも思わないだろう。
運命的な再会すぎて普通に最悪。
しかし、使用人を蹴散らしたってことは彼女が冒険者に紛れ込んだ敵側の存在であった可能性は――どうなんだ?
女性というだけで目立つのに、わざわざレーヴァン家に送り込んだというには少し引っ掛かる。
俺との会話では何もおかしな点は感じなかったし、嘘は言っていなかったようにも思う。
「っと……アリヴェーラ。使用人の方頼む!」
目的地に到着。
俺は使用人を最速で最奥まで運んで鞄ごと通路の床へ置き、反転してそのまま背後へ斬り掛かる。
その剣に応えるのは、やはり氷剣で。
びきびきと凍り付く剣が使い物にならなくなる前に打ち払い、襲撃してきた彼女を一歩引かせる。
ここでならさっきより条件が良い。
足場も悪くなく、上も取られていないし、広い。
最後は相手にとっても利点ではあるが――何より、この状態なら使用人を気にせずに戦える。
「やってくれますね……氷で動きを封じてくるとは。おねーさん」
「今ので斬り込んでくる方がどうかしてるぜ――まぁそんくらいイカれてないと、んな事やらねーか」
彼女はそう吐き捨て、氷剣を前に構え直して俺を睨む。
四属性の内、火と水に変質させた魔力を纏わせた炎剣に氷剣の二刀流。
剣術と魔法の両面が得意でないと到底実現できない、あまり見ないタイプの剣士である。
氷剣はさながらソードブレイカーの役割を持ち、炎剣で止めを刺すといったスタイルか。
まるで隙の見えない立ち回り。研ぎ澄まされた技量。
かなりの対人戦闘の経験を積んでいないとこうはならないだろう。
「おい。もしも金で雇われてるだけなら大人しく退けよ、痛い目見たくねーだろ」
「……金じゃないんですよ。人殺しに加担するなら見逃しません」
「あ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ。人殺しはお前だろ」
「は――いや俺は、」
それ以上言葉を紡ぐことは叶わなかった。
一歩踏み込んでの氷剣の一撃。
内側から外へ、俺の胴体を水平に捉えた剣閃を防ぎ――払おうとした剣が、相手の氷剣ごと凝結し凍り付いた。
迸る冷気が空間を満たす中で、流れるように炎剣が俺の喉元へ振り抜かれる。
「まっず……」
このままでは俺の首と胴はさよならだ。
凍り付いた細剣を手放し大きく屈むことで炎剣を躱し、その姿勢から彼女の懐へ喰らい付くように飛びかかる。
「この、舐めんじゃねーぞ!」
俺があっさりと得物を手放したことに一瞬の動揺を見せた彼女。
しかし捨て身の特攻そのものは予期していたか、反射的に放たれた右の前蹴りが俺の腹部を捉えた。
「がっ――づあ!」
内臓へと響く重い蹴り。
吹き飛ばされるより前にその足を両手で掴み取り――俺と彼女は、もつれ込むように床へと転がった。
鉄格子に俺の後頭部がぶつかることでようやく止まる。
何回転も振り回された挙げ句の激突に、意識が飛びそうだ。
だがこんなところで落ちるわけにはいかない。
意識を手放せばそのまま殺されるだけだ。
「放しやがれ!」
「そっちこそ剣返せ!」
掴んだままの右足を胴体と右腕で挟んで押さえつけ、炎剣を持つ手元を思い切り殴りつけて得物を弾き飛ばす。
回転しながら反対側の鉄格子へと弾けるソレを横目に、俺はもう片方の腕へと手を伸ばした。
「貰った――」
氷剣を持つ左手首を掴み上げ、得物を落とそうと絞め上げる。
だが今度はその俺の手首を、炎剣を弾かれた方の手で掴み返してきた。
とんでもない握力で握り込まれ、互いの力が拮抗する。
――先に手首を放したら負ける。
「貰ったのはこっちだ、クソが!」
「がは……っ?」
俺の脇腹を、彼女の膝蹴りが打ち抜いた。
今のやり取りの間に右足を抑え込んだ俺の腹の内側まで左足を潜り込ませていたのだ。
子供の小さく軽い体躯が、仇となった。
今の蹴りで引っ付いていた体ごと強引に突き飛ばされ、手首を離してしまう。
だが――飛ばされたのならまだ、なんとかなる。
俺は弾いた炎剣を引ったくって跳ねるように飛び起き、彼女と距離を取った。
その剣を構え直して、相対する。
燃え盛る熱は魔力が彼女から離れたことで冷え、今は赤い色味を帯びるだけの剣に戻っている。
俺の細剣よりは少し長いリーチではあるが、これなら問題なく使いこなせるだろう。
「奪いやがったなこのヤロー」
同じく立ち上がり、彼女は氷剣にへばりついた俺の細剣を引き剥がした。
向こうも俺の剣をもう片方の手で握り込み――鬼のような形相で睨み付けてくる。
「ちょちょちょっと待って下さい、さっきのはなんですか!」
だが今度は斬り掛かられる前に、俺は叫ぶ。
「――おねーさん。貴族を殺しにきたんじゃないんですか」
たっぷりと眉間に皺を刻み込んで、野獣のような返事をした彼女の動きがぴたりと止まる。
「あ? なんでアタシが貴族なんか殺さなきゃならねーんだ」
「えっと、あれ、どういうことだ」
「――おい待て先に答えやがれ。お前なんでここにいやがる」
そのやり取りで何か決定的なすれ違いを起こしていることに、俺も彼女も気付いた。
互いがほぼ同時に構えていた剣を床へ向け、継戦の意思がないことを示す。
……色々と不明な点は多いが、そうだ。
彼女は少なくとも貴族に成り代わっていた偽レーヴァンの手の者じゃない。
冷静に考えて、そうだったらこんな場所に単身で突っ込んではこないはず。
とはいえ馬鹿正直に理由を答えても多分、意味は通らない。
だから簡潔に今の目的を話すべきだろう。
俺はこう答えることにした。
「上にいるレーヴァンは偽物で、狙われてるのは貴族です! 目的が一緒なら止めましょう!」




