43話 デッドライン①
レーヴァンは扉の前から一歩も動かないまま、その場で固まる俺を凝視していた。
――何か返事くらいは返さなければ。
俺は即座に消していた気配を戻し、完全に抑えていた魔力も自然に戻す。
「一瞬で気付かれましたね……?」
「私は気配に強いんだ。殺気とか、敵意とか、あと逆になさすぎると何かある気がしてくる。やっぱり意識して隠してたんだ、スゴイね!」
「……そうなんですね」
「で、どこ行こうとしてたんだい?」
思わず、唾を呑み込んでしまった。
いや気付いてる。もう気付かれている。
俺の仕草は最早何の意味も持たない。
だが、それでもシラを切らないわけにはいかない。
「どこにとは? 俺は入り口を警備していただけで」
「んー。そういうことでいいか。あぁ安心していいよ、君はエールリで人攫い捕まえて冒険者になったっていうアーサー君だろ? 別にスパイを疑っているわけではないからね」
俺のこともしっかりと調べ上げてきている。
そこまで先んじて言われてしまえば、駄目だ。敵わない。
しかし気付くか……? 普通。
隠密が得意とは言えないけど、気配がなさすぎるから見つかったって。
彼は後ろ手で扉を閉めると、会場に居る面々を一人ずつ確認していく。
「合計で十七名か。確かあっちが……なら集まってるね。ではアーサー君」
「はい」
一瞬、身構える。
この男は本当に何かを下す一瞬まで仕草が表に現れないため、万が一を見てのこと。
口でそうは言っても何かしてこないとは限らないから――だが、それは杞憂だった。
「君が冒険者になる前に何をやっていたのかは分からないが、ここに居るべきではない人材だ。廊下の警備まで移動してくれないか?」
「え……?」
「実力がある者を燻ぶらせてはおけないというわけさ。より危険な立ち位置になる分の報酬は確約するよ、どうかな?」
――それは、俺にとってもありがたい提案ではあった。
彼自らがそう望むのであれば、俺は何ら怪しい行動を取らずにこの屋敷を調査できる。
でも、俺が外に行こうとしていたのはレーヴァンも気付いていたはずだ。
その辺りはどう考えている?
地下の存在などないと言いたいのか、或いは本当にないのか。
「レーヴァン様のご意向であれば」
「そうかい。それは良かった」
彼は朗らかな笑みの後、再び扉を開いた。
もう行っていいということなのだろう。
俺は会釈をし、彼の横を通って会場を抜けていく。
違和感はあったが、結局は彼の言葉に頷くことしかできなかった。
どのみち拒否する選択肢は俺にはなかったわけだが……。
しかし、何故かは分からないけれど。
俺にとっても絶対的に都合が良いはずなのに、抱いた違和感をどうしても拭えなかったのだ。
◇
廊下に出てやることは一つ。
それはこの屋敷にあるはずの地下を見つけ出すことだ。
「どう探すかな。後ろ暗い取引を前提とする以上、普通に行ける場所ではないはずだけど」
廊下を巡回する冒険者に混ざり、俺は適当に進みながら地下へ繋がる箇所がないかを調査していく。
警備場所が部屋から廊下に広がった以上、探す行為自体は難くはなくなった。
少なくとも俺が周囲の連中から不審がられることはない。
そもそも誰がどのランクかなんてものを冒険者達は正確に把握していないわけで、俺が廊下を歩いていたくらいでは不自然ではないからだ。
とはいえ、片っ端から廊下の壁を叩いたり部屋に侵入して隠し扉を探すのは怪し過ぎるしキリがない。
そんな時は下手に頑張らず、魔法のエキスパートに頼ろう。
俺は誰もいないタイミングを見計らい、鞄の口を閉じていた紐を解いた。
すると、アリヴェーラはぬうと顔を出してくる。
ぷっくりと両頬を膨らませ、彼女は開口一番こう言った。
「一人だけご馳走をお食べになった感想をどうぞ」
「ちょっと食い足りないね」
「殺すぞこらぁ! ……ところで何よ、私に何をして欲しくて解放したのか言ってみなさいよ」
「話が早いね。いやさ、魔法で屋敷の隠し通路とか調べられないかなって思って」
「なんで? 別にやろうと思えばできるけど」
「流石アリヴェーラだ! 後でご馳走を食べさせてあげよう」
「そんなん当たり前に決まってるでしょ! アーサーと違ってこっちは腹ぺこなのよ!」
「ごめんって。もっと凄いのにしてあげるからさ」
まぁ、この依頼がどうなるかで話は変わってくるんだけど。
依頼に失敗してしまえば当然金は貰えないし、冒険者としては評判が下がる。
そうなるとご馳走を食える金はどこにもなくなってしまうのだ。
つまりアリヴェーラは自分で自分の食い扶持を削る行為に加担しているわけだが、それは言うまい。
最悪でも俺の食費を切り詰めればなんとかなるはずだ。
「うん。真下に隠し通路っぽいのあるね」
「えっマジで」
「君が探せって言ったんだよ? なんなのその反応」
俺が余計なことを考えている間に、既にアリヴェーラは探し当てていたようだった。
特に何の魔法の発露すら見えなかったんだけど。
しかし彼女は迷いなく真下を指差している。
「どこから繋がってるのかは分からないけどあるよ、嘘じゃないから」
「ごめん疑ってるわけじゃなくて、ちょっと驚いただけ。入り口は探せないの?」
「それってここに行きたいってこと?」
「ここっていうか、通路の先にあるはずの場所に行きたいんだけど……アリヴェーラ、ちょっと顔近づけて」
首を傾げて近寄ってきた彼女に小声で事情を話す。
ここの貴族が裏で違法なことをやってるかもしれないこと。いるかもしれない奴隷のこと。
聞き終えると、彼女は目の色を変え頷く。
「分かった。じゃあここ通って行っても別に構わないってわけね」
「いや床壊すわけにはいかないでしょ」
「ばか。この私に頼むのが探査魔法だけってのもほんとばか。地形と距離さえ分かるなら、通り抜けるくらいできるって話だよ」
「通り抜けるって……転移魔法は双方向に魔法陣がないと無理なのでは」
アリヴェーラは再び真下を指差す。
「はいはい目でも閉じててよ。世界を騙す写し身」
「あっちょっと待って今や――」
俺が静止をかける間などなく、彼女は聞いたこともない詠唱をただ雑談の延長のように唱えた。
――ぐるん、と。
一瞬だけ魔力が彼女と俺を包むように広がったかと思えば、視界がぐらりと崩れる。
それまで立っていた床が、揺らぐ。
重力が反転したような浮遊感に、気分の悪さ。
ぐにゃりと廊下の景色が歪み出し、真っ暗闇へと移り変わる。
とん、と足が地面に接着する感覚がして。
「――るのって言おうと思ったけどもしかしてもう終わってる?」
「移動中に喋り続けるって……目も閉じてなかったでしょ」
「うわなんだこれ、何も見えないのに目がくらくらする」
視界の先は真っ暗だというのに、立っている足がふらつく感覚があった。
空中で連続回転して斬撃を放つ練習した後みたいな、それより酷い感じでバランス感覚が失われている。
俺はどうにか倒れないようにしつつ、横へと手を伸ばした。
ぴとり。手が近くにあった壁に触れる。
ごつごつとした、ひやりと冷たい岩肌に触れたような感じだ。
少なくとも壁という感じではなく。
「……これ、洞窟か?」
「ちょっと待ってて。今照らすから」
ずっと俺の目の前で浮遊していたのだろうアリヴェーラが白く輝く光球を宙へと浮かべ、ようやく視界が開ける。
まだ歪んで見えるが……間違いない。
地面を掘り進めたような狭い通路に、俺は立っていた。
照らしている明かりが周囲の光景を映し出してくれている。
道は斜め上か下へと続く一本道だ。
入り口へ戻るなら上、目的地へ進むなら下へ行けばいいだろう。
どちらも光の届かない奥の方は暗く、まだ先があるようだ。
「アーサー、平衡感覚は大丈夫?」
「だんだん治ってきたけど……何したんだよ。今のって普通の魔法じゃなかったような」
「そうだけど。別に驚くことじゃないでしょ、ステラの知識を持っているんだから」
「……ステラ、そんなことできたの?」
「魂分割する魔法とか使えちゃうんだからこのくらいわけないって思うでしょ? ほら、大丈夫なら先行くよ」
彼女はなんでもないことのようにそう言って、光源と共に先へと進んでしまう。
言われてみればそうかもだけどさあ。
「って随分と乗り気だね、さっきまでぷりぷり怒ってたのに」
「奴隷とかそういうの私、嫌い。ムカつく。理由はこれだけで充分でしょ」
「……それで充分だね。急ごうか」
どこか冷えた声で言ったアリヴェーラの言葉で、俺は理解した。
ずっと捕らえられていた彼女だからこそ、俺とは別に抱いている感情があるのだ。
奴隷として捕まっている――それは彼女が動くに足る理由だった。
ならば、軽口など叩いている場合ではない。
まだぐらつく視界は頬を引っ叩いて入れ直した気合でどうにかする。
遅れないように一歩足を踏み出し、俺は彼女へ続いた。




