37話 阿鼻叫喚と青いご飯
かくん。
「……っ、おっと。寝るところだった」
窓の外から薄っすらと差していた明かりがなくなってから、一体どれだけの時間が経過したのだろうか。いい加減に腰が痛くなってきた俺は体勢を変えつつ、ふぅと一息。
そのままでいると今度はまばたきの回数が多くなり、段々と意識も薄れてきた。
かくん、と首を振った直後に両頬を引っ叩いて目を覚ます。
「いや……てか、誰も来ないんだけど……」
そして本日、とうとうお客様の類は一人たりとも来店しなかった。
正確には来店していない、が正しい。まだ店は閉店していないからだ。
ただ、太陽も落ちて久しい。
外には出ていないから分からないが、こんな時間になってまで誰かが来るということも有り得ないだろう。立地が悪すぎるとしか言いようがなかった。
「……う~ん……叩かないで……いたた、た……」
物色はとうの昔に飽きて、商品棚の一角で眠りこけているアリヴェーラを誰が叱れようか。
俺も途中で暇過ぎて同じように陳列される商品を物色したり、軽く身体をほぐしたり、果ては剣を振ってみたり、色々と暇潰しは敢行していたのだけれど。
それももう限界である。
半ば気合だけで我慢していたのだが、とうとう眠気は耐えられない領域までやってきて――。
「こら。なに寝てやがりますか!」
ぱしん、と後頭部を軽く引っ叩かれて、俺は今度こそ目を覚ました。
いつの間にか背後に陣取っていた彼女の手が、俺の頭に乗せられている。
「じー……さぼってやがりましたね。お客様、見逃してませんよね」
「あ、いやぁ……すみません。あまりに暇過ぎたもので」
「見逃して、ませんよね?」
「み、見逃してませんよ。丁度さっき限界が来ちゃったというか、それまでは頑張って起きてましたし。でも誰も来なさすぎて」
「そですか。それでは仕方ありませんね。お客様の前で眠ってないなら別にいいです。明日から気をつけてくださいね」
「……へ?」
今、聞き捨てならない台詞を聞いたような。
眠過ぎて上手く聞き取れていなかっただけかもしれないけど。
彼女はとことこと外に出ていくと、閉店作業をして中に戻ってくる。
それから俺の方へと振り返り、じいと見つめてきた。
時が止まったかのように、彼女は微動だにしない。
しばらく睨み合うように互いに硬直していると、彼女は唐突にぎょろりと視線をずらした。
その先にあるのは、眠りこけているアリヴェーラ。むにゃむにゃ気持ちよさそうに寝息を立てている目の前まで歩いていき、顔を近付けてだらしない仰向け姿を凝視し始める。
「この奇妙な生き物、あなたの使い魔ですよね」
「あー……そうです」
「なんで眠っているんですか?」
「いやーあはは……すみません、すぐ起こします」
「いえそれは構いません。使い魔って眠りましたっけ? 純粋な疑問でした」
それは聞かれても俺が答えられない内容であった。
過去に勇者アルテが使役していた使い魔は火や風の精霊であったが、確かに眠っている姿は知らない。
というより戦闘時に力を借りていただけであり、使い魔と会話もしていない。それが普通なのであれば、アリヴェーラは異質に映るはずだ。
「……さぁ。俺は、使い魔はアリヴェーラが初めてですし」
「アリヴェーラ。聞いたことないですね。何の使い魔なんですか? 参考までに」
「んっんん……なんだったかなあ」
「――なんだったかなあ、ですか? 自分の使い魔をよく知りもしないのに使っているんですか?」
「うっ」
ずきりと胸に突き刺すような言葉である。
実際は答えられないだけではあるのだが、彼女の言葉はもっともだ。
彼女は適当な返事を返し続ける俺に詰め寄ってくると、ぐいと顔を近付けてくる。
深い青の両眼が、俺を見据えた。
無から一切変わらない、人形のような無機質さすら感じる表情の掴めない顔。
来店時に見せた笑顔と元気な挨拶、あれは一体どこに行ってしまったのかを聞きたい。
それほど抑揚のない静謐な声で、彼女は淡々と疑問を投げてくる。
「じー。あれ、本当に使い魔ですか?」
「……そうです」
――不味い、と思った。
極力変な反応はしないようにしていたはずだが、気付かれた可能性がある。
普通の人間が気付かなかったとしても、彼女は恐らく魔法に長けた人物。
自ら魔法道具を生み出しているような者であれば、或いはアリヴェーラの違和感に気付いてしまうのかもしれない。
「そですか。きちんと理解して上げた方がいいですよ。実用的な部分だけで使役しているといつか痛い目見ます」
と、思ったのだが。
苦し紛れに答えた俺に対し、彼女は小さく頷いた。
至近距離で俺を見たまま、続けてこう言ってくる。
「ともあれ、お疲れさまでした。夜までちゃんと居てくれただけで偉いです」
「……普通だと思いますけど」
「途中で帰る不届き者、お客様も来ていないのに私を呼ぶ者。そこそこ居ましたよ。そんなことをしていたら」
「ころしちゃいますか」
「あなたも分かってきたようですね」
もう何しても褒められるのではないかと言うほど、冒険者の質が悪いとしか言えなかった。
依頼としては最悪だが、給金が低いのは最初から分かって受けているはずだけど。
「お名前。教えてください」
「仕事する前に聞きませんかね。そういうの」
「初日の仕事を投げ出すような奴の名前を聞いても仕方がないので」
「……アーサーです。ていうか、顔、顔が近いです」
指摘すると、彼女はカウンターまで乗り上げていた身体を戻す。
果たして無意識なのかそうでないのか……。
胸元の豊かなものがカウンターに擦れるようにして揺れてしまう姿を目撃して、俺は反応に困り彼女から視線を外す。
こういう無遠慮な距離感のせいで、勘違いをする冒険者もいそうだった。
「アーサーですね。私はルル・エウルートと言います。夜も遅いので、ご飯食べていきますか? アーサー」
「えっ。いいんですか?」
「いいですよ。余り物ですし。食べないなら捨てます」
「――じゃあ食べます」
俺は深く頷いて、彼女の提案に乗る。
即決だった。
折角ご馳走してくれるというのに貰わない手はないだろう。
それに捨てるのは勿体ないし、ここで食べられるのなら給金以上に得ができるということである。
「はい。では地下へどうぞ」
彼女――ルル・エウルートはそう残すと、最初と同じように四角い穴の中へぴょんと飛び込んだ。
一瞬にして、彼女の姿が消失する。
「……はやっ。てか地下で食べるのか」
どっと疲れがやって来た。
彼女主導でどんどん進められていく話に、今日は翻弄されっ放しであった。
恐らく結構苦手なタイプなのだけれど……不思議と嫌な気持ちにはならない。
間違いなく彼女は変な人だが。
悪い人ではなさそうだし、しっかりと気遣いもしてくれる。
「おーいアリヴェーラ、起きろー!」
「……んんっ……なによ、アーサー……仕事終わったの?」
とりあえずアリヴェーラに声を掛け、彼女を眠りから起こすことに。
彼女は意外にもすぐに起床すると、身体を左右にふらつかせながら俺の前までやってきた。
目元を擦り、欠伸をするその姿に朗報を告げる。
「終わった。ルルさんがご飯ご馳走してくれるってさ」
「え、ほんと? やった! ……なに喜んでんの、アーサー」
「自分で喜んだ後に言う台詞じゃなくない? でもご飯だよ、ご飯。それとも要らない?」
「……いらないとは言ってないじゃん。いる」
ぶつくさ言いながらも、しっかり俺の肩に乗ってくる。
すっかり俺の肩はアリヴェーラの特等席にされているし、もう違和感もなくなってきたな。
俺はルルに続いて、アリヴェーラと共に穴の中へと飛び込んだ。
「やっと来ましたね。遅いですよ。もうできてます」
――落下するような、浮遊しているような感覚を味わって着地する。
ルルは俺達の目の前に立っていて、テーブルの上に既になにかを広げて待っていた。
俺は薬品の臭いで鼻を抑えつつ、テーブルへ目を向ける――。
「え」
思わず、上擦った声が出た。
アリヴェーラも全く同じ反応をしている。
そのあまりに異常な光景――いや惨状に、俺とアリヴェーラは顔を見合わせていた。
テーブルの上。
白い平皿の上に乗っているのは、明らかに食べ物と言いたくもないなにかであった。
というかここ、魔法道具作ってる場所のはず。
長方形に開いた空間に充満する薬品の臭い。様々な器具と作成された道具類が転がっていて、とても食事をする場所ではない。
ないはずなのに、ルルは何食わぬ顔でそれを口に運ぶ。
上品にフォークを使い、何やら青いぐねぐねとした触手のような塊にぶっ刺し、普通に口に運ぶ。
嫌な咀嚼音が静かに聞こえ、ごくりと呑み込む喉の動きが見えてくる。
生唾を飲んだ俺とアリヴェーラの方を不思議そうに見て、ルルは言った。
「食べないんですか?」
「……待って。それ、なに。なんですか?」
「ご飯ですよ。薬品調合で余った素材なので、口にしても問題ないです」
アリヴェーラは震える小声で言った。
「……この人、やばいよ……」
「……やばい……」
「アーサーの分は分けておきました。こっちのお皿がアーサーのです」
ことん。
ルルが取り分けた皿。そこに山盛りに乗せられた何らかの青い物体と、紫の物体とを凝視する。
……これ、何? 口から摂取していいの?
「食べないんですか?」
再度、そう聞かれる。
俺はどうしても動こうとしない足を無理矢理に前へ進ませ、テーブルの前に立った。
「うげ……ぇ……」
見れば見るほど食欲無くなる青と紫が混合した食べ物。
周囲の薬品臭で更に食欲が失せる。
おかしいな。朝から晩までずっと座っていたというのに、もうお腹が一杯だ。
「ルルさん……?」
「もぐもぐ。はい」
「……俺、その」
「もしかして足りないですか?」
「え、いや、あぁ! 全然足ります! 足りますよぉ?」
「そですか。んぐんぐ」
喋りながらも普通に食べ進める彼女を見るだけで吐きそうだったが、なんとか我慢した。
俺はどうにか息を整えて――こっそりと肩から俺の背中に退避しようとしたアリヴェーラを、掴んだ。
「いぎっ!」
「アリヴェーラの分もちゃんと取っておくからな。安心して欲しい」
「えっ、なんで、やだっ」
我儘を言う彼女の分を小さく更に取り分け、テーブルの上に置く。この世の全てを呪うような視線で俺を刺し貫いている気もしたが、それはそれとして。
捕まえたアリヴェーラもテーブルに置く。
「使い魔なのにご飯も食べるのですか」
「えぇ、まあ! そうなんですよーあはは」
その間にもぱくぱく食べ進める彼女を見て、俺はふと思う。
意外と美味いのではないか? きっと見た目が超絶に汚物なだけであって、ああして食べているのだから実は美味しかったりするのかもしれない。
そうだ、そうに違いない。
「……た、たた、食べます」
「はい。召し上がってください」
俺は一思いにフォークでぶっ刺し、口に放り込む。
薬品と粘土とぬめぬめした半固形物と鼻を貫通するミントのような味が瞬時に駆け巡り、俺の口内は壊滅した。
俺は滂沱の涙を流しながら、叫ぶ。
「ああああああああああぁああああああああああああ!」
「ひぇ……アーサー……?」
アリヴェーラが心配げに俺を見つめる中で、ぱくぱくと食べるルルが少しむっとした顔になった。
「食事は静かにするものですよ。うるさいです」
「すみ、ません……はぁ、はぁ……いえ、ちょっと……取り乱しただけです」
「そんなに美味しかったのですか?」
何をどう勘違いしてしまったか、ルルは純粋な表情で首を傾げる。
そんなわけがない。でも言えるはずがなかった。
こんなの、どう完食しろと……? 無理だ。
いくら魔王を倒せる力を持っていても……これは倒せない。
でも、自分から食べるといったのだ。食べないわけには、いかないだろう……!
「アリヴェーラ……食え」
「やだ……」
いやいやと首を振るアリヴェーラの皿に、問答無用でぴちぴち跳ねる触手を放り込んだ。
このまま拒絶すればするだけ自分の分が増えるだけであることを理解したアリヴェーラは、この世の終わりを迎えたような顔で、それを口にしたのだった。
「ああああああああああぁああああああああああああ!」




