34話 高級宿は至上の幸せ
その後の冒険者登録手続きは順調に進み、俺は冒険者証を獲得した。
ランクは付けはS~Fまでの六段階形式で、当然だが俺は一番下のFランクの証だ。
灰と黒が濁ったような色で、平たい長方形の機器を貰っている。
この中に俺の魔力波形や活動の実績を細部まで記録しているようだ。
それと、男達の方も無事に牢獄送りとなった。
どうやら外から訪れた女子供や新人冒険者を誘拐する常習犯であったらしく、別の町で指名手配が出されていたらしい。
彼らは小物であったが、後に賞金が送られた。
銀貨1枚である。
依頼で言えば、そこそこの魔物討伐や危険地帯の素材採集と同程度だろうか。
数日の宿とその間の食事を適当に行える程度の金銭、と考えると上々の滑り出しだ。
――なので。
「ふかふかの、ベッド……!」
俺達は身体の疲れを癒やすため、町の中ではそこそこに高めの宿を借りて満喫していた。
広い室内。上質な調度品、気品ある模様の刻まれた青絨毯、しかも靴は脱いでと入り口に書いてあった。清潔大事。
ベッドは羽毛が使われているのかとんでもなく柔らかく、きっと横になった瞬間に入眠間違いなし。
そしてここを選んだ最もな理由が、浴室があることだった。
天井に備え付けられた球体状の魔晶と魔法陣により、自分で魔力を消費せずとも湯水のように清潔で温かな湯を好き放題に流せる完全個室。
誰に襲われる心配さえなく、緩みきった心で湯を延々と浴び続けることができるのだ。
「アリヴェーラ……見て、ほら」
俺は入り口の壁に設置された魔法陣に、起動のため魔力を流す。
すると天井に走る幾何学模様が白く明るく輝き、人肌より少し熱を帯びる湯が滝の如く降り注ぐ。
水魔法と火魔法による合わせ技だ。
常に一定の水量と温度を保って天井から降り注がせるような高等な設備は、安宿にはないものである。
というか安宿に浴室なんてものはない。
ちなみに魔王城では全部ステラが手動で簡易設置してしまうので、城にそういった設備は存在しなかった。ステラが居なければあんなところ廃墟も同じである。
「すごいね」
「うん。すごい」
二人共語彙を失っていた。
何故なら、こんな無駄なことに魔力を消費すれば普通の人間は身体を洗う前に魔力欠乏でぶっ倒れるからだ。
だからアリヴェーラもこんな無謀な魔力の使い方はしないし、俺はそもそもこんな高等な魔法を構築できない。
流石、高級宿だ……!
「じゃ、先に俺入るから」
「……え? そんな……夢だけ私に見せびらかして、自分だけ先に満喫しようって言うの!」
「じゃあ一緒に入るの?」
「いやー! へんたーい! 変態がいまーす! 女の子の裸体を眺めて喜びに満ち溢れる変態がいまーす!」
「アリヴェーラ。犯罪者を捕まえたの、俺」
「でも私も拘束したじゃん。無功績じゃないじゃん」
「鞄の中から飛び出して『なんで私のこと呼んだの?』って言ったの俺忘れてないから」
「いや、それはさあ! 状況見えてないんだから仕方なくない?」
「……よし、分かった。なら勝負しよう。アリヴェーラ」
ごくりと唾を飲み込んで、俺は彼女に提案する。
「い、いいわよ? 公正な勝負なんだよね」
「ああ、公正な勝負だ。公正な勝負のためには一回浴室の外に出なければならない」
「分かった」
二人で一度、扉の外に出る。
そこで俺はぴんと指を立て、宣言した。
「先に浴室に入った方が先ね俺の勝ち」
バタン。
「――はああぁぁあああぁああああああああああ!?」
◇
羽毛布団に包まれる柔らかいベッドの中、俺は仰向けで伸び伸びと横になっていた。
着替えはないため、浴室で衣類も洗いつつその場で乾かして着用している。
しかし、格別だ。服の汚れを魔法で落とすくらいはするが、今までは隅々まで清潔になどできなかった。
そしてアリヴェーラは物凄く不貞腐れており、俺に恨み言を連発しながら今は浴室だ。
きっとしばらくは出てこないだろう。
無駄に湯を放出して苛立ちを解消するつもりに違いない。
「しかし、疲れたな」
町というものは別の疲れがあるらしい。
単純に体力的な疲れ以上に、新しい事を色々やった分だけの疲労が溜まっている。
俺は仰向けのまま冒険者証を天井の明かりに照らし、再度息を吐いた。
「最初は地道な依頼から始めないとな」
Fランク。
こなせる依頼としては、本当に簡単なものばかりだ。
雑用だったり、魔物も小さな鼠や虫退治程度のもの。
外の探索、魔物や賊退治など、死がつきまとう依頼は最低でもDランクまで上がらなければ受けられない。冒険者の命を考えての規定だ。
ジャックとしてはそのくらいは受けさせたいが、規定通り実績は積み上げて欲しいとのことである。
それはまあ、仕方ない。
特別扱いを一度してしまうとキリがないのだし。
とはいえ、下積みは大変そうだ……。
さて、今日は眠ってしまおう。
俺は冒険者証を懐に仕舞い込み、目を閉じる。
明日からは本番だ。ガンガン依頼を達成してランクを上げ、名声を広めていかなければならない。
最速でAランクまで上昇すれば、勇者を自称しても戯言だとは言われなくなるはずだ。
過度な心配しているわけではないけれど。
正常な引き継ぎの勇者ではない以上、知らぬ誰かに顕現してしまわぬようには頑張ないと。
徐々に目蓋が落ちていく。
棚の上に置いてある細剣を見つめ、俺は眠りに――。
「……サー! アーサー! アーサーぁぁ! 開けてー! とびら、開けてよぉー……! 私、開けられないの! 重いよぉ……! アーサー……ぁぁあ」
思わず目覚める。
すっかり忘れていた。
アリヴェーラの腕力では浴室の扉を自力で開閉できないのだ。
「アリヴェーラめ……俺が寝る前で良かったな……」
柔らかな羽毛布団からのそのそと出て、眠い目を擦りながら浴室まで向かう。
彼女は浴室の扉をバンバン叩いて俺に気付いて貰おうと必死になっていた。
はぁ、と溜息一つ。
「ほら、開けるよ。服着てないなら今すぐ着直して」
「えっあ……うん、待って、ちょっとまってて、まって! 開けないでね、でもそこにいてね、絶対だからね」
「開けない。眠いから早く」
こうして、初日の宿生活は無事に終了した。
しかしこの時の俺達はまだ、失ったものの大きさに気付いていなかったのだ。
――翌日。
宿から出る時、主人が不思議そうに眉をしかめつつ値段を口にした。
「銀貨……1枚分でいいですよ。もしかして浴室の湯起動したままにしちゃいました? 異常に使われているようでしたが」
「「え゛」」
その日、俺達は数日暮らすはずの財産を失った。




