32話 初めての町、エールリ
――町は賑わいを見せていた。
町の入口から門番の人間に「なんだこの子供」「あとなんだこの変なちっこいの」と言われた時はまさか町に入れない可能性があるかもと焦ったりもしたが、別段そんなことはなく。
入り口からこっち、大通りは様々な商店と客とで盛んにやり取りが交わされている。
今までは世界から弾かれたように遠くから眺めていた気分だった。
どこか傍観者のような、来たことがあるはずなのに来たことがないような、そんな微妙な感覚だった。
自分は何もかもを知っているのに、何もかもを知らない虚無感があった。
けれど今は、楽しい。
果物を売っているおばさんと、それを事ある毎に値切ろうとする意地の悪そうなおばさん同士の元気なやり取りは新鮮だ。
獣の肉を吊るし切りしている場面を眺める人達を、更に後ろから眺めて楽しんだりもした。
本当に些細なことでも、自分で見るだけで楽しいものである。
一方、
「食べたい。あれ食べたい、ねぇアーサー、あれ!」
アリヴェーラは見る食べ物全てに心奪わていた。
分かってる。そんなの分かってる。
美味しいものに目を奪われるのはアリヴェーラだけではない。
「俺も食べたいよ……我慢してんの」
「むう……ちょっとだけ、ほら、お金は後で腕っぷしで稼ご? ねっ?」
「ええ……アリヴェーラ、服いらないの?」
「なんでそうなるの!」
「服の特注ってお金掛かると思うんだよなぁー」
「うっ」
「まあでもアリヴェーラが裸でいいって言うんなら、俺も何か食べちゃおっかなー」
「うう……ごめんなざい……我慢じまずう……」
ちょろい奴め。
そんなこんなで、俺達は町を練り歩いた。
歩いているとたまに俺達のことをジロジロ見てくる奴もいるが、まあ気にはしない。
そりゃ気になるのは分からなくもないからだ。
向こうが俺達を観察するように、こちらからも歩く人達を見ていたが、俺ぐらいの大きさの子供が旅装して一人で歩いている姿は一人も見ない。
それだけではなく、肩に乗って喋る珍妙な生物まで一緒なのだ。
注目度は相応に高いだろう。
「それに、ちょっと嫌な感じあるんだけど……アリヴェーラ、気付いてる?」
俺は小声でそうアリヴェーラに訊いた。
「え?」
彼女はまるで気付いていない様子であったが、俺は勘のいいガキなので分かってしまうのだ。
……付けられている。あまり良くはない視線だ。
多分、ごろつきの類だと思うけど。
果たして、俺のどこに金を取れる要素があると踏んだのだろうか。
みすぼらしい格好ではないと思うが……金がありそうな荷物は持ってない。
もしかすると、この細剣? それとも……アリヴェーラ?
確かに珍しい生き物ではあると思うけど、使い魔狙うとは思えない。
真実は使い魔じゃないから、本当に奪われたら危険だけど。
「まあ、いいか。アリヴェーラ、裏路地行こう」
「え、裏路地ってなんでよ」
「ちょっと襲われようかなって思って。人が居ないほうがやりやすいでしょ」
「なに……変態なの?」
「はい、アリヴェーラ置いていきます」
「ああ待って待ってなんで掴むの! 待って!」
俺は本来行こうとしたルートを逸れ、手頃な裏路地へと足を運ぶ。
できる限り狭苦しい路地が望ましい。
逃げ道がないような、俺を追い詰められそうな、それでいて人が誰もいないような絶好の場所。
ようやく目的地につく。
目の前が高い壁になっていて、どこにも逃げ場がない所だ。
そこで後ろへ振り返ると、小さな足音が徐々に近付いてくるのが分かった。
「さ、来るぞ……」
「え? なに? なんなの?」
「――俺達を狙う賊。鞄に入って」
俺はアリヴェーラを引っ掴んで鞄の紐を緩め、その中に突っ込む。
中でぎゃーぎゃー騒ぐかと思いきやすぐに事態を理解したらしく、内側から声は聞こえてこない。
そして少し待つ。
足音がぴたりと止まり、ソイツらは俺の前に現れた。
「おいおい。こんな所に逃げてきちまってまあ、運の悪いこって」
「上手く撒けたと思ったかな? 坊やぁ……残念、行き止まりでしたあ!」
現れたのは、大人の男の二人組だ。
一人は大柄で筋肉質な男。低くて威圧感のある声が特徴的。
もう一人は小柄で細く、短剣の腹で手の平をぺしぺし叩いている男。こっちは女の子みたいな声の高さだ。
……いやそれよりも口悪っ。
どうして勝てる前提で圧倒的有利から喋ってくるのかはもう謎だけど、そういう人種なのだろう。
記録の中にも、そういった柄の悪い人間はいくらでもいた。
相手が勇者パーティとかいう最上級の面子だったから、喧嘩を売られたことはなかっただけ。
こうして吹っ掛けられるのが分かっていると、逆に楽しくなってくる。
このごろつき……指名手配とかされているなら嬉しいんだけど。
俺は剣の柄に手を当てようとして……それを止める。
妙に警戒させるより、一芝居打って油断をさせた方が良いか。
特に誤って重傷を負わせてしまったり、万が一殺してしまうのは絶対に駄目だ。
「……あ、あの。なんで、僕を狙うんですか。何も持ってないですよ!」
「オイ、叫んだって誰もこねぇぜぇ? 坊やぁ……どうして坊やが狙われたか、知りてぇか?」
小男がねっとりした声でそう良い、目を見開く。
俺が身体を震わせてぶんぶん頭を縦に振ると、気分良さそうに歯並びの悪い口を横に開いた。
「兄貴ィ……喋っちまってくだせぇ!」
いやお前が言わねぇのかよ。
小男の背後から溜息一つ、ずんと足音を鳴らしてソイツが前に立った。
「っは。おいガキ。お前、外から来たろ」
「え、そうですが……もしかして、最初から」
「そんな面倒な事はしねぇ。が、姿を見りゃ分かる……で、聞きてぇんだが」
大男は眉間に皺を寄せると、俺を強く睨む。
「――肩に使い魔乗っけてたろ。どこやった?」
「……っ」
そこに気付くとは。
いやそれは馬鹿にし過ぎか……。
「不意打ちのために隠したか? 潜ませてても無駄だぜ」
「……僕を、どうするつもりですか」
「どうするだって? あぁそうだな、抵抗しなけりゃ悪いようにはしねぇよ。おっと、先にその剣捨てな」
俺は言われた通りに細剣をホルダーから外し、その場に落とす。
別に使う必要もなかったからだ。
「で、使い魔どこだ?」
再度聞いてくる。
今のやり取りで大方分かったが……恐らく、売り物は俺そのもの、だ。
ついでに荷物やアリヴェーラも可能なら売るつもりだろう。
まず最初に外から来たのか聞いた。
これは俺に仲間や家族がいるかを知りたかったからだ。
……なるほど、子供は男でも売れちゃうのかもな。
こういう奴は魔物に食われてしまえばいいのに、と思ったけどやっぱなし。
そういう事は勇者は考えないはずだし。
俺はそこまで分析して、もう充分だと判断した。
捕まえて冒険者ギルドにでも運ぼう。
「アリヴェーラ、今だ!」
俺は大男の斜め上後方へ目線を向けながらそう叫んだ。
小男が「なにィ!」と叫び目線の方向へ首を向けるが、大男は俺をじっと見たまま動かない。
大男はしっかりと警戒している。
だが、片方の目を逸らせたなら充分だ。小男がビビって逃げるような隙は与えない。
「ブラフだろ? 知ってるぜ」
「――ああうん、だろうね。でも関係ないよ」
大男がにやりと勝ち誇った瞬間、俺は回し蹴りを顎に叩き込んだ。
笑みを浮かべたまま大男が何の反応もできずに倒れた音を聞いて――小男が呆けた声を上げる。
「へ?」
「お前はこっちの男に頼り過ぎ。自分で戦いなよ」
一歩踏み込んで小男の前に移動し、同じく顎に左手の腹を打ち込んで吹き飛ばす。
上方向にかちあがった小男は既に意識を失っており、そのまま地面に崩れ落ちた。
「いいよ、アリヴェーラ。出てきて」
鞄の中へ向け、そう告げる。
アリヴェーラは中からぴょこりと出てきて宙に浮かび、きょろきょろと周囲を見回す。
そして俺を見て、首を傾げてこう言った。
「さっきなんで私のこと呼んだの?」
「……」
俺は彼女を無視し、地面に置いていた細剣を拾うことにした。




