29話 三人と一匹は火を囲む
魔物達の解散に関して、別段の問題は出なかった。
出なかったというか。なさ過ぎたという方がしっくり来るかもしれない。
俺の宣言に対し、疑問を投げて来た者達がただの一人もいなかったからである。
念の為全員の声が聞こえるように聴覚を強化していたのだが、少なくとも声に現れる形での不満は現れていなかったようだ。「まあ、なら止めとくか」くらいの気分の魔物が大半だったとは、逆に俺が驚きだ。
お陰でスムーズに事は運び、黒喰みの崖からは全ての魔物が撤退している。
残っているのは俺とスタークスとそのペット、そして伸びたままのバラカタである。
彼に関してはレギアリーヴに運んで連れて行かせることも考えたが、直接俺が話をしたいと言って残らせている状態だ。
ちなみにスタークスにだけは「何故撤退したのか」とは聞かれたが、不満があったわけではなかったらしい。仮に攻めるとしても別の方法を取った方がいいと伝えれば、「俺も連れてけ」と言ってそれだけで納得した。
戦いたい以外何も考えていないのだろう。
彼は基本的に好漢な部類だが、根本は戦闘狂なのである。
そして現在。
真夜中は肌が冷えるとのことで近くの森から薪を掻き集め、俺達は焚き木で暖を取っていた。
スタークスはペットに覆い被さって爆睡しており、半ば毛の中に半裸の身体を埋もれさせている。
「んあ……ぁ?」
ぱちぱちと薪が小気味良い音を鳴らす中、バラカタがゆっくりと起き出す。
彼は寝ぼけ眼でしばらく辺りを見回していたが、俺とスタークスとペットと順番に見ていき、そのまま表情が固まった。
呆けたまま一度だけ眼下の燃える火を眺めて、今度こそ俺と視線が合う。
そして、叫んだ。
「おいマジかよ……! 嘘だろう、誰もいねぇじゃねぇか!? つうかなんで魔王が座ってやがる!」
「やっと目覚めたな。兵を集めたのに悪いが、今日のところは解散とさせて貰ったぞ」
「マジかよ……いやマジかよ……なんてことしてくれたんだ……」
そのまま両手で頭を抱えてしまう。
何事か言葉にならない呟きを幾つか繰り返していたので、落ち着くまで待っていると。
「つうかなんだよこの状況! 仲良く火ぃ囲んでパーティって感じでもねぇだろ!?」
「お前の目が覚めるまで待っていたんだ」
「なんでだよ! お前が俺を気絶させたんだろうが!」
「あれで気絶したお前が悪い」
「なんで!?」
俺の全力を受けてスタークスが生きていたのだ。
手加減すれば大丈夫だと思うだろう。
実際彼の傷は大したこともなさそうだ。
俺の打撃も後を引いてはいないようだし、青緑の鱗と硬い外皮で落下時の傷も見えない。
「……いや、もういいわ……俺はお前に負けた。あれ真正面から受けて殴り返してくるような奴に、俺はなんにも言えねぇよ」
「そうか」
「で、何の用だよ。なんか話があるから生かしといたんだろ」
バラカタは一度座り直してから俺に向き直ってくる。
随分と殊勝になったものだな。
まぁ、戦う前だとチビと称されるほど、俺の姿が舐められることに問題はあるが……。
「話と言えるほどのものではないが。ひとまず、今回の侵攻を無理矢理止めたことについては謝っておこう」
「あぁうん、マジで全員帰しやがったよな、俺が死ぬ気で掻き集めたってのによ……なんで止めたんだ? お前、なんか戦う前色々言ってたよな。覚えてねぇけど」
「勇者の話だな。お前は居ないと言っていたが、それを否定しておきたかったんだ」
どう知ったのかを聞いておきたかったこともあるが、それについては既にレギアリーヴから充分な解答を得ている。
「……え、勇者生きてんの?」
「以前の勇者は死んでいる。しかし新しい勇者は常にいると考えておけ。少なくともいない前提で挑むのは得策ではない」
魔王無き時代に勇者は居ない。
逆に、魔王が存在するなら勇者も居る。
これまでの歴史から判断しているだけだが、間違いではないだろう。今回に関しては、俺が自分で生み出しているため例外だが。
「まぁそんなことはどうでもいいな」
「どうでもよくねぇんだけど!?」
「……お前は突っ込むのが好きなのか?」
「好きじゃねぇ! そう思うなら俺に突っ込ませんじゃねぇよ!」
彼は間髪入れずに大口を開け、言い返してくる。
なんだ。思ったより愉快な奴だな。
「さて、話というのはな。お前に一つ頼みがあるんだ」
「その頼み、さては拒否権ねータイプだろ」
「ああ。ない」
「……なんだよ」
断言すると、彼は嫌そうに眉根を寄せた。
頼みとはいってもバラカタに何をして欲しいとなどと考えているわけではない。
「気負うものではない。以後、人間界への侵攻は控えてくれというだけだ」
「……は? まさか突っ込み待ちじゃねぇよな?」
「俺は真面目に言っているぞ」
極論、俺は戦争を勝手に起こしてくれる分にはどうでもいいとさえ思っている。
勝手に戦う分には最早俺の知るところではないのだ。
何故なら俺は勇者ではない。同時に魔王としての猛威を振るうつもりもない。
だが――それが廻りに廻って俺にやってくると分かっているのに、放置はできないのだ。
限りなく低いとは思うが、仮にアーサーが殺されても困る。
ただ、そのまま話すわけにはいかないのがな……。
「人間界の領土を手に入れたいってんなら、俺がどうにかしてみよう」
「そういうこと言ってんじゃねぇけど。それ、何の意味があるんだ? 何がしたいんだ?」
「少なくともお前達の無駄死にはなくなるぞ」
「オイ負ける前提で考えてんのかてめぇ!」
「え? 俺に勝てないのに勇者に勝てんだろう」
「――ならお前が戦えやァ!」
彼は俺の言葉に喜々として地面に平手を打ち、威勢よく突っ込んでくる。
同じことをスタークスにも言われたな。
……そうだな。いや、魔物としてはもっともな疑問なのかもしれない。
俺はスタークスに関しては半ば強引に押さえ付けただけで、明確な解答はしていないのだ。
――彼らは恐らく、力があるなら当然のように戦うものだと考えている。
ならばいっそ答えてしまった方が良いのかもしれない。
日和見の魔王と罵られるくらいなら、別に構わん。
「俺は戦いが好きではない。できることなら戦いたくはないのだ」
「……あぁ? 今度こそ突っ込み待ちか」
「真面目に言ってるぞ」
「俺を張り倒した顔面でよぉく言えたなこの野郎!」
「お前達が侵攻して負けたら魔王がやったことになるだろう? 俺に皺寄せが来るではないか」
「……え、止めた理由マジでソレなの?」
「そう言っている」
「……………………突っ込んでいい?」
俺にはお前が突っ込みたい以外に何を言ってるのか分からないぞ。
だが先ほどから真面目に答える俺を、バラカタは奇妙な目で見つめていた。
「あんな戦い仕掛けてくる平和主義者がどこにいんだよ! 何だお前」
「仕掛けて来たのはお前だろ」
「じゃあ言い換えるよ! お前いきなり喧嘩売って来ただろうが」
「まぁ、それはそうだな」
「そこで言い返さねぇのかよ」
「お前、突っ込み好きすぎるだろう」
「好きじゃねぇってんだろ!」
地面をばんばん叩きながら連続で突っ込みを入れてくるバラカタ。
しかしいい加減に疲れたのか、溜息を吐いてから仰向けに転がった。
「……それマジに言ってるんなら、なんでお前が魔王なんだ?」
「さあな。魔王に聞いてくれ」
「お前が魔王なんだよォ!」
仰向けの状態で放たれたそんな言葉が、天へと抜けていく。
「俺を魔王に選んだやつがいるなら、だ。俺が聞いてみたいものだよ」
ぱちぱちと燃える火をじっと見つめ、俺は小さく零す。
今こうして俺が生きているのは、ほとんど奇跡みたいなものだ。
だが魔王に選ばれた理由は今をもって定かではない。
それでも生きていることに感謝はするが……。
「わぁーった。負けた俺に拒否権ねぇし、戦わないだけとか楽すぎんだろ」
「良いのか?」
「元々勝てない戦いはしねぇんだよ、俺は。そこの寝てる奴とは違ってな」
横たわる彼の視線が、スタークスへと向けられた。
あれだけ大声で話していたにも関わらず、彼は時折気味の悪い寝言を発しているだけで目覚めない。
バラカタはそれに舌打ちを鳴らし、溜息と共に呟いた。
「……魔王ってのは、毎度意味わかんねぇ」
「毎度?」
「一個前の〝ディエザリゴ〟は、魔物も人間も分け隔てなく蹂躙する狂った奴だったじゃねぇか。お前とはまるで正反対ってことだよ」
――魔王ディエザリゴ。俺が殺した魔王。
人間界を侵略する奴の姿は、正に災害と言って相応しいものだった。魔界での彼については詳しく知らないが……ステラの件がある。
「魔界も襲っていたのか?」
「なんで知らねぇんだよ! お前魔王になる前も引き篭もってたんじゃねぇだろうな!」
「……ああ。そうだな」
「イカれてやがんな……」
おっと、危ない。今のは自分で墓穴を掘ってしまった。
幸いにして納得はしてくれたが、今後の言動は注意しなければ。
「ディエザリゴはな、誰でも襲うし刃向かえば誰だって殺す。魔王になる前の親友でさえ、ディエザリゴは躊躇なくぶち殺しやがった」
「……それは」
「だからイカれてんのさ。魔界もずっとピリピリしてた。だからまぁ――同じイカれた奴っても、お前みてぇな奴の方がマシだわ」
彼は上体を起こして立ち上がる。
「話はそんだけだろ。なら、俺ぁ戻るぞ。お前にぶっ壊された後始末をしなきゃなんねぇ」
「悪かったよ。ああ、行っていいぞ」
「……じゃあな、魔王」
翼を大きく広げて飛翔すると、バラカタの姿はあっという間に彼方へと消えていった。
目的は果たした。
ドラゴンブレスを受けた時は流石にひやりとさせられたが、それもなんとかなった。
他にも似たケースが出てくるのが想定されるため、完全に安心とはいかないが……ひとまずの安寧は確保できている。
一つの物事が終わったのだ、と俺は安堵の溜息を洩らした。
さて、薪がそろそろ尽きそうだ。
まだ朝は迎えていないが、陽もそろそろ昇る頃だろう。
俺も帰るか。
「起きろスタークス。いつまで寝ている」
俺は眠りこけるスタークスを蹴り起こし、それから帰路につくのであった。




