27話 侵攻を止めよ⑤
人間は基本的に排他的であり、魔物に対して一切の容赦がない。
魔物が人間界で活動していようものなら、たとえ人に危害を及ぼさない存在だったとしても、村を守る兵や冒険者から排除される。
今はまだ危害が現れていないだけであって、放置すれば将来必ず厄災を引き起こすとされているからだ。
だが、排除されない例外は二つある。
人が召喚し使い魔としている魔物か、奴隷として契約を交わした魔物かのどちらかである。
「人間の中には特定の特徴を持つ魔物をさらい、奴隷として飼う者がいます。それを利用して条件に合いそうな諜報員を派遣し、情報を得ているのです」
「……なるほどな」
どうやら俺が考えていたものより、随分と直接的な干渉を行っているようだった。
勇者時代にそのような話など聞けば、きっと目玉が飛び出ていただろう。
危険地帯に遠征に行くよりもまず先に、都市部の貴族を片っ端から縛り上げる方が先決だと考えたかもしれなかった。
確かに、魔物にも人間のように知性を持つ種は多い。
しかし大半の人間は、その事実に危機感を覚えていなかった。
それどころか、直接住処を奪われた者を除けば、自分が魔物に襲われるとは――襲われるまで考えていない者さえ多い。
何故なら、実際に戦っているのは一部の軍や兵士、冒険者だからだ。
安全圏で活動する者達からすれば、魔物の脅威は知っていても縁遠い存在でしかない。
精々が外を徘徊する魔物の恐ろしさを身近に知っているだけ。
――まさか魔物が諜報員を仕込んでいる、とは思うまい。
一部の者達に任せきりになっている状況を上手く突いていると言える。
そして……人間にそういった側面があることも、俺は知っていた。
人に似た亜人――それらを奴隷として扱う者がいることを。
その奴隷から情報が漏れているとは、露ほども考えていないはずだ。
「途中で殺されたりはしないのか?」
「運が悪ければ……いや、辿り着けずに死ぬ者が多いですが、上手く行った者は長く生きて情報を定期的に運んでくれます」
「ふむ。もう一つ気になるな。情報はどうやって運ぶんだ?」
「個体にも寄りますが、今活動する者はこちらと心を繋いで直接情勢を伝えてくれます。大きな話題しか持ち込めませんが――確かに、勇者は死んだのだと」
心を繋ぐ……か。魔法や特異な能力か、意思疎通の手段としては最上だ。
何も経由せずに共有できるのなら、偽の情報を流している可能性も限りなく少ない。
勇者が死んだと判断するには充分過ぎる。
事実、勇者は死んだ。
どう伝わったかはともかく、勇者アルテの死が方々に広まっているのは既定路線。
そういった情報筋なら俺も納得が行った。そして、出処が諜報であるのならば俺やアーサーに辿り着ける者はいないだろう。
「この俺が魔王として在る以上は勇者が存在しないわけはない。俺と同じように、新しい勇者が既に現れていると見るべきだな」
アーサーが人間界に辿り着いているのかは不明だが、そのうち名を上げるだろう。
「故に、此度の侵攻を止めに来たのだ。無駄死にと知って放置しているほど、俺は引き篭もりではないさ」
「魔王様……っは。感謝致します」
「良い、頭を上げろ。それに意見が残っているなら聞くぞ」
「い、いいえ。そのようなことは」
恐れ多いといった風に首を振る彼に焦りが窺えた。
動揺の中に、心を見透かされたという不安が内包されているのだ。
半ば俺の推測で言いはしたが、やはりあるだろう。
総合的な練度が高いとは言えないが、兵は数千。魔人も二人。人間界を大混乱に陥れるには充分な力を持っている。
にもかかわらず、俺が出撃するとは言っていないのだから。
これはスタークスにも言われたことだ。
ああ、そうだろう。
勇者がいて魔王もここにいるなら、魔王が相手をすればいいだけなのだから。
「何故俺が率いないのだろうと、疑問に思わないか?」
「……っ、それは、いえ――いえ、はい。何故、ですか」
レギアリーヴは否を告げようとして俺のさきほどの言葉が蘇ったか、やはりそう告げてきた。
やはりそうか。しかし意見そのものを黙らせてしまうと、見えぬ部分で俺への不信が溜まるだけ。
今の内に疑問は解消させておいた方が、後々には良い。
「侵攻の方法はいくらでもある。が、真正面から戦うだけが手段ではないと見る。前魔王が同じ事をして勝てなかったのならば、別の方策を狙った方が良い」
「別の方策、というのは……」
「悪いな。俺も魔王になってから日は浅いのだ。具体的な策まで練ったわけではないぞ」
「はっ……申し訳ありません!」
「頭など下げなくていい。全軍を下げる判断は俺が勝手に下したのだからな」
それに、もっともらしいことは口にしているが俺の目的は別にあるのだ。
魔物側の考えとして間違った事を言っているつもりもないが、具体案を掲示していない以上は問題を先送りにしているに過ぎない。
だから、俺はレギアリーヴに訊ねることにした。
いや、俺自身も知りたいのだ。
彼らが何故人間界を襲うのか、俺では分からなかったから。
「一つ聞こうか。お前は何故、人間界を攻める?」
レギアリーヴの答えが魔物の総意とはならないだろうが、それでも聞いておきたかったのだ。
彼は戸惑った様子で視線を上下へ揺らす。何故魔王である俺が一介の魔物に対してそんな質問を投げ掛けてきたのか、真意を探っているのかもしれない。
だが、今までの対応で嘘や取り入ろうとする行為に意味がないことは見せてきた。
自分が試されているわけではなく、純粋な疑問であるというのが彼にも伝わったのだろう。
彼は最後に俺の目を真っ直ぐに見据え「決まっています」と答えた。
「……娘が病弱でしてね、安全な暮らしをさせてやりたいんですよ。人間界ってのは肥沃で過ごしやすい土地でしょう? いつか家族揃って人間界に住むのが、俺の夢なんです」
――ああ。
すんなりと納得が行った。
俺が相手にしていたのは得体の知れぬ化物ではなく、やはり、同じ生きた存在だ。
やはりどこにでも例外はあるだろう。
前魔王は殺戮と破壊を強く好んでいた。それに、スタークスのように戦いを目的とする奴も居る。
目立つのはそういった連中だとしても……その強大な存在に隠れた多くの魔物はきっと、人間とさしたる違いはないのだろう。
「家族がいるのか。なら、大切にしなければな」
「――はい」
俺の返事に、彼はどこか喜ぶように頷いた。
聞きたいことの多くは彼から聞けた。
俺は会話を打ち切り、立ち尽くし俺の様子をじっと窺う魔物たちへ視線をやる。
……まぁスタークスは論外として。
バラカタの意識が戻らぬ以上、今回はレギアリーヴのように俺が直接言って聞かせるしかなさそうだ。
とはいえこの数を相手に一人ずつは不可能である。
彼に話したような内容を全員に向けて演説し、この場は納得して貰う他ないだろう。
バラカタを誰の目にも見える形で叩き伏せたことで、話を聞かせる土壌はもうできている。
俺は再び彼ら全てから見える位置まで浮かび、そして全員を見下ろした。
「――聞け。此度の侵攻は、この魔王アルマの命により中止とする!」




