26話 侵攻を止めよ④
極大の魔力を内包した銀色が、俺の身体を丸ごと呑み込む。
――ドラゴンブレス。
かつて俺が勇者アルテであった頃、一度だけ防いだことがある技だ。
あれは確か、単騎で現れた銀竜が町を襲った時。
当時の仲間と共に応戦し、その竜を町から撃退した戦いの直後だ。
銀竜は傷つき撤退する間際、町の中心地に向けドラゴンブレスを落としてきたのだ。
直撃すれば町全土が更地と化す極大の魔力流。
故に避けるわけにはいかず、真正面からその一撃を受け切るしかなかった。
ただ、その時は騎士マグリッドが大盾でブレスの直撃を受け止め――、
魔法使いサラが大盾を四属性重ね掛けの障壁で破壊されないよう強化し――、
神官ルナーリエが上位回復魔法で衝撃による傷を癒やし続け――、
勇者アルテが全魔力を使い、ブレスの威力を余波ごと相殺し続けた。
それでようやく止められた一撃。
俺はその銀の奔流を全身に浴び、身体が根本から崩壊する激痛を耐え忍んでいた。
これは、間違いなく、あの一撃よりも――強い!
「流石に、強力だ、な……」
外套に付与されている何らかの補助効果により、ブレスの威力は減衰されている。
俺が纏う魔力でも威力をある程度打ち消せており、どうにか人の形を維持できている。
だが着実に肌は灼け付き、刻一刻と身体に軋みが現れているのもまた確か。
「だからこそ――」
このまま受けているつもりはない。
――何故ならば。
ブレスを相殺するだけの魔力が、ようやく右腕に溜まり切ったのだから。
「真正面から潰す!」
銀の奔流の中、中心へ拳を叩き込む――刹那。
銀色を、漆黒の波濤で抑え込んだ。
――俺を灼く銀世界が、消える。
はらはらと舞う雪のような残滓を、禍々しい闇の魔力が食らい尽くしていく。
突き出した拳の直線上にて、驚嘆するバラカタの顔が映し出された。
「そら、防ぎきったぞ」
「な……お前、マジかよ!」
俺の右手にはまだ、込めた魔力が残っている。
残ったものはそのまま攻撃へと転用するための力だが、まぁ安心しておけ。
内臓をぶち壊さない程度には手加減してやるさ。
足元に障壁を展開。
大きく踏み込んで、俺はバラカタの懐へと突っ込む。
彼はというと、極大のドラゴンブレスに全霊を費やしたせいか反動で動けずにいた。
「では、俺の番だな」
「が、あっ、ま、まて――」
ブレスを消したその拳を大きく振りかぶり、バラカタの胴体へ打ち込んだ。
◇
俺は空中で傷の状態を確認していた。
全身が焼け爛れてはいるが、徐々に自然治癒で治っている。
どうやら魔王は高い治癒力も持っているようだ。
傷の部分……つまるところ全身に痒みがある。この痒みは回復魔法の治癒に近いものであり、傷が高速で瘉えている証拠だ。流石に自然治癒のため魔法には劣るが、火傷は放置していても問題ないだろう。
それと、魔王の外套だが……消失した部分が俺の傷と同じように再生していた。
大量に魔力を流し込んでいたからか?
傷が付ないように服を労っていたのだが、杞憂だったらしい。
しかし、流石に……ドラゴンブレスを馬鹿正直に受けたのは良くなかったな。
結構体力を消耗した気がするぞ。
魔力を失った、と感じたのもこれが初めてだ。
「ふぅ。終わったな」
一息吐き、豚族集団の真上へと落下したバラカタを見下ろす。
彼は拳の直撃を腹部に受けて気絶し、円状に掃けた豚族達に見守られる形で伸びていた。
仰向けになって痙攣しているが、無事に生きているようだ。
……スタークスがどれほど頑丈だったのかが窺えるな。
あの時は確実に俺の全力だったが、奴は死にかけながら大笑いしていたぞ。
「さて……いや、どうしようか」
翼竜族バラカタを真正面から叩き伏せたことで、周囲で騒いでいた魔物が静まり返っていた。
彼らは一様に俺を見上げるが、全員同じような顔で固まっている。
……スタークスを除いては。
「おお! 魔王ぉ! アレを馬鹿正直に受け止めるとは貴様、さては馬鹿だな! だが貴様が負けるとは思っていなかったぞ!」
「……お前は一体、何の味方なんだ」
「味方ァ!? 何を言っとるんだ貴様は! がっはっは!」
「台詞に一貫性を持て。まぁ、良い」
俺が威圧した時に見せた仲間意識は何だったというんだ。
スタークスと会話していると、どこか疲れるのだ……。
ここまで突き抜けていると、いっそ清々しいとも言える。
まあ享楽的の極地のような思考は、今に始まったことではないか。
俺はひとまず倒れたバラカタの前まで降り立ち、飛行状態を解除する。
魔力消費量としては未だ問題ではなくとも、若干の疲労は見えている。無駄に浪費し続ける理由はない。
「しかし、俺には治療できんからな……」
意識を失ったままのバラカタを見下ろしつつ、俺は頭を悩ませた。
話は聞いておきたかったのだがな。魔物を集めたのがこの男で、勇者の件もこの男と来た。
纏め役が存在しない数千の集団など、逆に制御しにくいぞ。
「なぁ。そこのお前」
「っは……はい」
適当に周囲の中から指を差し、呼びつける。
その中から返事があったものは――ん?
返事があったのは、新緑のフードを被った金髪の青年であった。
隠れていて耳がどうかまで判別できないが、整った顔の造形と長身を見るに他の種族とは考えられないだろう。ということは、見た目通りの青年ではなさそうだ。
しかし、俺が見渡した時に長命族の姿は見えなかったはずだ。
この男以外に、周囲には豚族しか見えない。
「お前、長命族か」
「はい……あの、ま、魔王、様……お許しください!」
呼び掛けると、男はフードを脱いでその場に頭を擦り付けた。
流れる金色の長髪と、長い耳が露わになる。
ああ、と俺は魔力を内へと仕舞い込んだ。
俺に抗う気概のある連中ばかりで、通常は畏怖するという認識が遅れていたな。
「何故急に謝る。お前は別に何も悪いことはしていないだろう」
……少し遅かったようだ。
頭を垂れたまま、震えている彼とまともな話ができるとは思えん。
他の連中――豚族も俺と目が合うと、誰も彼もが怯えるか一歩後退するかで同じく話にならない。
「直接探すか」
他に話のできる魔人でも、と一帯の気配を探る。
……駄目だ、スタークスとペットの魔力がやかましすぎて他の有象無象を認識しにくい。
「――魔王様。無礼を承知で、お聞き下さい」
「ん?」
気配探査にも困難を極めていると、背後から俺に接触する者があった。
意識を向けると、そこに見える姿は大きな翼と鱗で覆われる竜の体躯だ。翼竜族か。
バラカタのような強力な気配ではないため、魔人ではなさそうだが。
「バラカタ様を殺すのは、ご容赦を!」
翼竜族は片膝を付くと、ゆっくりと頭を垂れた。
「その怒りは隊長を務める私めの首で……どうにか、お収め下さい」
「何か勘違いしているな。首は取らん、俺は怒ってもいない。顔を上げろ」
「――はっ……は……え?」
周りの者からは俺がそう見えるわけか。
まぁ、言われてみれば……そうだな。
突如現れ、場を仕切っていた魔人を打ち倒して君臨したのだとすれば、おかしい話ではない。
「お前、名は」
「……レギアリーヴと申します」
「そうか。よく俺に自ら声を掛けた、その気概を見込んでお前に聞こう。今回の侵攻に意味はあると思うか? バラカタの意を汲む必要はない、お前の意見が知りたいのだ」
「――それ、は」
ごくりと、喉の鳴る音が聞こえた。
「……人間界から勇者が失せた今であれば、意味はあるかと。前魔王ディエザリゴの爪痕が残る内なら、果ての山脈を越え境界の大森林を越えた土地まで確保可能でしょう。前線基地や転移陣の設置さえ完了すれば、都へ攻め入る準備も進められます」
レギアリーヴには幾らかの逡巡が見えたが、それでも最後まで言い切った。
なるほど。人間界の視点で言えばぞっとしない話である。
世界と世界を隔てる果ての山脈。
その麓から続く境界の大森林――樹海という天然の防壁があればこそ、互いに手出しが容易ではないのだ。その条件を突破できれば、こちらが優位に立てるだろう。
それと。どうでもいいが、初めて前魔王の名を知ったな。
魔王としてしか認識していなかったし、知ることに意味はないが……。
「良い作戦だな。しかし、勇者は残っているぞ。一体バラカタが情報をどう得たのか、お前は分かるか?」
「な……勇者が? そんなはずは、しかし」
「ふむ」
そこで狼狽えるということは、この男に聞くのが良いだろう。
バラカタというよりは翼竜族に人間界の動向を知る網があって、信頼度の高い情報を得ている可能性が高そうだ。
ここで侵攻を引かせるのとは別に、それは知っておかねばなるまい。
「レギアリーヴ。知っているなら俺に教えてくれないか」




