22話 発露
ひやりとした空気が、俺の首筋の裏を撫でた。
「――人間界に侵攻する、だと?」
彼の台詞を復唱するように言って、俺は冷えた箇所に右手を当てる。
嫌な寒気だ。絶凍期の空気ではない。
確実に何かが崩れ去ろうとしている、そんな感覚だ。
悪寒が背骨を駆け、気分が悪くなる。
そうか。戦争を起こそうと言うのだな。
「その様子……知らなかったか! ガハハ、引き篭もってばかりいるからそうなるのだア」
「――魔王抜きで始めようとしていたのか」
「おう! あー、誰だったかな……あぁ! 翼竜族のバラカタが言っておったわ。なんでも、勇者は死んだらしいぞってな」
「……」
「魔王がいなくたって、勇者もいなけりゃ関係ねぇのよ! ……ん、おい、どうした?」
弾むように口を開くスタークスは途中で眉をひそめ、首を傾げるように俺を睨んできた。
恐らく、変貌した俺の表情見てのことだろう。
「――何故死んだと分かる」
「いやぁ、俺は知らんがな! ガッハッハ!」
「笑い事ではないぞ」
スタークスの座る椅子に軽く蹴りを入れ、黙らせる。
なんだ、こいつは。
考えなしが過ぎる。
話の信憑性があるかも確認せずに、一言だけでそれを信じたというのか。そして、それを信じて集まる連中が――どれだけいる。
「仮に勇者が生きていた時、お前らはどうするつもりだった」
「……あぁ? そりゃあ良い! 勇者ってのも一度食ってみたかったんだ! 死ぬまでやり合」
「そうか」
言葉を吐き終える前に、俺はスタークスの額を殴り飛ばした。縄ごと拘束していた椅子ごと大男は後方まで投げ出され、壁を破壊する。
瓦礫と共に身体が床に打ち付けられ、その衝撃で椅子が弾け飛んだ。
解けた縄を振り払って、スタークスがゆっくりと立ち上がる。
俺を睨むその顔には、先ほどまでの大口を開け笑う表情はない。怒気と熱気で肌が赤く沸騰し、眉間に深い皺を刻んでいる。
「アルマ、様――」
「大丈夫だ」
前に出ようとしたステラを右手で静止し、俺はスタークスへ近付く。
「なに、しやがる?」
「勇者に勝てるわけがないだろう。お前も、その他もだ。全滅して無駄死にが関の山だ」
「やる前から分かるかよ! それに勇者はいねぇって話だろ」
「本当にいないと思うか? でたらめな話に踊らされているんじゃないだろうな」
「だったら貴様が蹂躙すりゃあいい! 魔王のテメェがいるんならよ」
「……俺が倒すだと? その話ってのは、俺がいない段階での話だろう」
秘めていた魔力を解放し、言葉に圧力を乗せ、俺は語り掛ける。
半ば力技だが、この男にはソレでいい。
こういう輩に話が通じないのは、最初の段階から知っていたことだ。
はっきり言って、戦争など勝手に起こされては困るのだ。
向こうには――俺の半身であるアーサーが渡っている。
万一でも殺されるなど、あってはならない。
「そのような無計画の侵攻に俺が付いていくだと? 抜かせ。スタークス、決起の場所に案内しろ」
「……貴様、何するつもりだ?」
「案内しろ」
怒気を孕んだ命令を下す。
徐々に彼の顔色から赤が失せ、やがてはがくりと膝を突く。
だがスタークスは歯を食い縛り、その意志だけで首だけを上げてきた。
「キサ、マ……散々引き篭もっておいて、いきなり、それかァ? ……おい」
「――はぁ、強情な男め。誰の前でその口を開いている」
魔力を言葉に乗せ、不可視の圧力で男を縛る魔王の特権ともいえる荒業。
連続して使用しているからか、俺に反抗を続けるスタークスの口から血が零れる。
その表情はどこか歪にひしゃげ、愉しげに笑っていたが。
「っは、はっは――魔王らしく、できるんじゃあねぇかよ! だがテメェ……俺が聞いてんだ、何するつもりだと」
「何をする、か? あぁ……勝手に動いたからって、皆殺しにするつもりなどないぞ」
俺は彼の眼前に立ち、その頭頂部に手を置いた。
肌よりも赤く、燃えるようなぼさぼさの髪は、俺の小さな手の平に押し潰されていいく。
お前の命は握っているぞ、とでも言わんばかりに撫でてやる。
その間、彼は暴れようとはせず、また動きもしなかった。
「誰の発案だ? その翼竜族のバラカタとかいう奴か」
「知らん、と言っている」
「そうか――俺は発案者の間抜けに、話を付けるだけだよ。場所を教えろ、スタークス」
「……何考えてんのか知らんが、いいだろう。連れて行ってやる。魔王アルマ」
スタークスはそう吐き捨ててから、力なく床へと倒れ伏した。
治療されたとはいえ、中身がぼろぼろのまま魔力の圧で強引に床へ縛り付けられていたのだ。
よほど身体に負荷が掛かっていたのだろう。
頭部を床に衝突させたスタークスは既に気絶し、頬を床に擦り付けたまま起き上がってくることはなかった。
そこで。
「アルマ、さ……まっ……」
がたり、と背後で音がした。
「――ステラ?」
背後へ視線をやると、ステラは両手で胸を押さえて苦しみにあえいでいた。
過呼吸気味に口をぱくぱくと開く姿を見て――先ほどの俺の魔力が、伝播していたと気付く。
背後に力を向けてはいなかったはずだったが、余波が影響を与えたのだ。
「ステラ! すまない……平気か」
「え、ええ……はい……なん、とか」
倒れ込む彼女を支えれば、耳元に荒い息遣いが。
しばらくそうしていると息は収まっていったが、彼女の顔からは血の気が失せていた。
「すまない。軽率だった」
「……私なら大丈夫、です。それより、大変なことに……なってしまいましたね」
「人間界侵攻か……そうだな」
両肩を支え、一度彼女を床に寝かした。
すると、震える細い腕が伸びてきて、俺の頬へ弱々しく触れてくる。
「アルマ様……どうされるおつもりですか」
「まだ良い案はない、が。侵攻は止めさせる」
「はい……分かりました。ですが、アルマ様、私のお願いを聞いてくれませんか」
「なんだ。言ってみろ」
「殺さないで……くださいね。そうやって止めては、いけません」
「ああ。分かった。お前の望みなら、そうしよう」
ぐ、と頬に触れる手に力が込められる。
「違います。私の望みではなく……そうではなく。アルマ様自身の思いで、しないでください」
「……あぁ、分かった。その手段は、取らない」
「はい。ありがとう、ございま……す」
頷くと、ステラも同じように意識を失ってしまった。
俺は彼女の背に手を回して倒れぬように抱き留め、ひとまず正常に眠っているだけであることを確認する。
ほっと安堵の息を洩らす傍ら、俺は己の間抜けな行いに憤慨していた。
――力など、全く制御できていないではないか。
暴発で大切な者の意識を奪うなど、俺は何をやっている。
「ステラ。なあ……さきほどの言葉の意味は、なんだ?」
強く、彼女を抱き締めながら、頭の中で反響し続ける台詞の意味を考える。
――アルマ様自身の思いで、しないでください。
そこには、言葉にはない別の想いが込められていた。
だが、俺にはそれが分からなかった。
ステラが今にも倒れそうなほど苦しくて、それでも意識を手放さぬように必死で伝えた台詞だというのに。
並々ならぬ想いが込められている、とだけは肌でひしひしと感じて、感じて――俺は奥歯を噛む。
「……とにかく、殺して止めるような真似はしない」
ぽつりと呟く。
ひとまずベッドへ、とステラの細い身体を抱き上げた。




