106話 命の懸け所
太陽が天辺まで昇った頃。
神官の襲来により一度バラバラに離れていた面々は、時間を空けて再び別荘へと集まっていた。
俺とアリヴェーラは神官に悟られぬように動向を探ったのち、アルヴァディスとルルさんは偽装の買い物に行ってからの合流である。
ちなみに二ーエはその間、ずっと別荘の部屋から動いていない。
「それでは、今後はどうするのですか?」
まず第一声、ほくほく顔のルルさんが荷物一杯の商品を床に置きながらそんなことを言った。
俺は荷物に詰められた物を一瞥し、苦笑した後に返事を返す。
「ええと、質問なんですけど……買ったんですか?」
「一体アーサーは何を言っているのですか。買い物に行ったのですから当然でしょう」
「いや、その量……全部研究に使うつもりですか?」
「もちろんそうです」
「この後別荘から移動するんですよね?」
「いいえ、私は移動しません」
あっけらかんと言えば、彼女は床に置いた荷を解き始めてしまった。
どういうことかと疑問を口にするよりも前に、ルルさんが補足を付け加える。
「ずっと私が付いて回るのは邪魔でしょうし、今回ので私も目を付けられてしまいましたからね。こうなっては、いっそアルヴァディス・レーヴァンお抱えの研究者として振る舞って安全を得ようかと」
「無論、私も許可を出しているとも。別荘は好きに使ってくれて構わない、どうせほとんど使わないからね」
「どうもありがとうございます。まぁ、エールリのギルドには定期納品を済ませたばかりなので、しばらく閉めても支障ありませんよ」
どうやら、買い物中に二人の間では話が固まっていたのだろう。
素材はあっても研究機材が足りなそうだが、ルルさんならすぐに場くらい整えてしまいそうだ。
ともあれルルさんの意向は理解できた。
ならば、次はこちらの意思を伝える番だろう。
「分かりました。では、アルヴァディスさんにお願いがあります」
「突然改まって、なんだい?」
顎に手を当てた彼は、俺へ視線を移した。
彼には俺達の経緯を一部伏せ、騎士団絡みの話はしていなかった。
だが状況が状況である、これ以上伏せるわけにはいかない。
一度アリヴェーラに目配せをすれば、彼女はやれやれといった風に首を振った。
彼女に言われたことは、ちゃんと分かっている。
ずっと頭の片隅で考え続けて、俺はこう思ったのだ。
俺はきっと勇者の器じゃない。
考えれば考えるほど、俺は人間の傍に居るべき存在ではないのだと思わされる。
人間でも悪人は許せないし、魔物でも無条件に殺したりはできないから。
それは本来の勇者像からはズレた考えであり、感覚的にそのズレは正しい。
本来、そのズレは正さなければならないのだろう。
――だからアリヴェーラは俺に勇者になるなと言っている。
俺も全くの同意見だと思うけど、それでも自ら捨てることはできない。
完全に勇者の資格が無くなり、勝手にこの身から消失するのであればそれまでだが。
まだ、俺は勇者なのだ。
俺が勇者であるか否かを決めるのは、究極的には俺じゃなくて、人間という存在。
ならば俺は俺のまま、いつかその時が来るまで勇者でいるだけ。
勇者であろうと行動する必要なんかない。
俺は、ラウミガ・ラブラーシュを助けたい。
意思なく操られる人形のまま死ぬだなんて、そんなのは許せないから。
「広場に張り出されていた、ラウミガ・ラブラーシュの処刑を止めに行かせて下さい」
彼は俺の言葉を訊くと、眉間に深い皺を刻んだ。
明確に発生した怒りの感情と、そこに混ざる困惑とがない混ぜになった表情だ。
「彼は、アルヴァディスさんを手に掛けようとした重罪人です。俺がその救出に動くってことは、逃避行を台無しにしてあなたの協力を踏み躙ることも分かっています」
この選択を取ってしまえば逃避行もクソもなく、俺は晴れて大罪人になるだろう。
そりゃそうだ、大罪人を助けようというのだ。
そんな奴らを助けに行きたいと本人に宣言するなど、普通なら馬鹿げている。
けれど俺は本気だった。
そしてアルヴァディス・レーヴァンという男なら、話ができると思ったのだ。
「――フム、自分が何を言っているかは自覚しているらしいね。何故だい?」
「あの人は契約で操られているんです。間違いなく、今も操られたままで――人形のまま殺されるだなんて、俺は許せない」
「契約、か……なるほど。その話で彼らの首が並ばなかったことに合点が行ったよ。君、敢えて彼らを逃がしたんだな」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は言った。
「許可できないな」
疲労を隠しきれぬ様子で背後の壁へ背を預け、彼は視界を右手で覆う。
「私の私情はさておくとして……死ぬぞ。或いは奪還できるとして、その先に何がある? 破滅だ。君が言った契約とやらの真実は明るみにならない。不都合な真実ってのは揉み消されるものだからね」
「それは……」
「そして君が先を見据えているとは到底思えない」
数秒、思考が止まった。
彼の質問に答えられない。
「無論、強行されれば私に止める力はないよ。しかし――いくら命令されたって、自殺志願者まで止める義理は私にはないのだよ。それでも、行くのかね?」
次に額から手を離し、俺を見下す瞳は酷く、冷たいものだった。
――ぞくりと背筋が凍る。
「……すみません。ここで諦めたら、俺はきっとこの先、何者でもなくなってしまうので」
どうにか絞り出した言葉は、なんと細く、なんと頼りない言葉であったか。
どうすればいいのか分からない。
でも、俺はラウミガ・ラブラーシュを助けたい、あの迷宮の一幕だけで終わらせたくない。
アルヴァディスが言ってることは徹頭徹尾、正しい。
俺がやろうとしてることが間違っているとは思わないが、合理的な判断じゃないだろう。
それをアルヴァディスは冷静に、正しさで俺を諭そうとしてくれている。
ああ、そうだ。正しいんだ。
だって、俺が諦めれば済む話だ。
事実騎士団は罪を犯した、その罪自体は裁かれなければならない。
今裁きを受けたって、仕方のないことであろう。
――でもそれって今なのか?
それは今、処刑で贖うのが正しいのか?
絶対に、違うはずだ。
だから諦めたくない。
契約の事実を知って、大罪の真実を知って、それで見過ごすのはそれ以上の罪だろう。
腰元の剣を握り締め、俺は彼の視線に視線で返した。
「フム……困ったものだ。そちらの使い魔から言うことはあるかね?」
「馬鹿に付ける薬ってないんだよね」
中空へ浮かんだアリヴェーラは、呆れた風に首を傾げる。
「まぁでも、処刑は回避した方が良いかな。元を辿ると、離反した騎士団はサラ・アルケミアを助けるために契約元の貴族殺しを敢行してた。その契約は自分で仕込んだ策ってことを知らずに動いてたのが大問題だけど、目的が透けてるなら脅威じゃない」
「待ちたまえ――私が襲われたの、それが原因かい?」
「うん。一歩間違えたら死んでたんだから、馬鹿の神聖騎士団を恨むといいよ」
「今更恨んだりはしないが……貴族が主ってことまで情報を掴まれていたわけだ。私を狙ったのは、より多くの貴族を対象に取れるから……コリャ参ったね」
盲点だったとばかりに肩を竦め、アルヴァディスはため息を吐く。
「つまり、騎士団を助ければ味方にできる。勇者一行やら騎士団やらを契約で縛った背景を考えると、彼らを失うのは避けたい。あなたの言う通り汚名返上は困難だけど……あなたの立場でどうにかできる?」
「無理だ。私は貴族といっても最低位でね、彼らの行いをどうにかする権力はないよ」
「全て契約による強制力のせい、ってことにする手段もあると思うけど」
「命の危険に晒された貴族達が、そう簡単に納得すると思うかい?」
あの会場で殺されそうになった貴族からすれば、騎士団は魔物よりも身近な恐怖に映っただろう。
騎士団を庇い立てするには、実際に行われた行為が悪逆過ぎるのも事実ではある。
「いやそっちは良いよ。だってあなた達、後ろ暗いパーティ開いて奴隷売買してたんでしょ? 敵にするのはそっちで摘発するのはあなたの方」
「……フゥム、それなら一理はあるか」
涼し気な顔でいるが、彼の立ち位置は奴隷商人である。
それ自体に違法性はないが、あくまで奴隷契約を施された犯罪者の取り扱いが合法なのであって、身寄りのない子供、まして魔物の売買が許されるはずがない。
彼が表を出歩いている以上、処罰が重かったわけではなさそうだが……。
アリヴェーラの提案が上手く嵌まれば、名誉の回復に繋がるだろう。
「味方に付けるのは大衆。一部の貴族は敵に回すけど、そのまま罪を背負って潰れて貰う。そしてあなたは悪徳貴族から一転、貴族の闇を暴き勇者一行を救った英雄になれる……これで頑張る気になった?」
「はは、魅力的な提案ではあるよ……しかし不可能だ」
「断定する根拠は?」
「大衆は信じないよ、契約は秘匿されている情報なんだろう? 私も騎士団については露ほども知らなかったわけで、サラ・アルケミアの件を知っていなければ呑み込めない」
「だから信じないと?」
「一石投じることはできるが、向こうも情報を操作して私を狙い撃ちにするだろう。私には守らねばならない使用人達もいるのでね、そんなリスクは取れないのだよ」
――俺の脳裏に浮かぶのは、使用人シエナの顔だった。
アルヴァディス・レーヴァンは多くの使用人を抱えている。
あの会場で見かけた者以外にも、彼女のような使用人が他にも沢山いるのだろう。
もしも彼が諸悪の根源とされ断罪されたなら。
彼に仕えていた使用人がどうなるかなど、火を見るより明らかである。
「分かった、そっちは諦めるとして」
すると、アリヴェーラはあっさりと頷いてみせた。
今の策に無理があるのは分かっていたという顔をして、「なら」と切り出す。
「サラ・アルケミアが魔法塔を破壊して逃げたって噂を立てよう。それならできるでしょ?」
「ほう……他は必要ないのかね?」
「それ以外の情報は要らないよ。後は聞いた人が勝手に考えてくれるでしょ」
今度は悩む素振りさえなく、アルヴァディスは頷いた。
「その程度のリスクなら許容内だ」
「――ちょっと待って、何をするつもりなんです? サラ・アルケミアの情報は秘匿されてたんじゃ……それを公表したら」
「そう、彼女には悪者になって貰うの。私達の行動を全部、サラ・アルケミアに擦り付けるために」
俺の頭の中で、ようやく二人の会話が繋がった。
魔法塔の出来事はあくまで事故として扱われ、限られた人間しか事実を知りようがない。
そんな時にサラ・アルケミアの情報が流れ、直後に王都ガデリアが襲われでもすれば――大衆は彼女の仕業だと勘違いするはず。
「よく思い付くな……分かった」
「ふぅん、てっきり嫌がるかと思ったけど」
「手段なんか選んでられないだろ。本人だって、覚悟の上で脱走してるはずだ」
彼女が一体魔界で何をしているのかは分からない。
それもそれで不安だが、しばらく人間界には戻って来られないだろう。
何をやっても……は言い過ぎだけど、それなら今彼女には影響しない。
「じゃ、話はまとまったね」
「――いいやまだだ。そもそも君達、どうやって奪還する気だ?」
「どうやって? 勇者もその仲間も騎士団の半分も反旗を翻した今の人間界じゃ、私達は止められないよ」
アリヴェーラは俺の左肩に乗り、力強く言った。
「おっと、真正面から突破するつもりかい?」
「そんなことしないって。あなたの後処理に関わるんだから、被害は極力抑えるよ」
「フム……仕方あるまいね。協力をお願いされている以上、君達が望み、実現もできそうなら私は断らない。ただ、これ以上は望めなくなると、理解しているね?」
「うん。いいかな? アーサー」
アリヴェーラの声に、俺も頷いた。
元々降って湧いたような話。
俺達にない権力を振るえる彼の協力は有りがたかったが、これ以上の負担も強いられないだろう。
「感謝します。アルヴァディスさん」
俺は深く頭を下げた。
当初は彼とこのような間柄になるとは思わなかったが、随分良くしてくれた。
この借りはいつか必ず返しに来よう。
次の問題は――ラウミガの処刑に間に合うか。
相手の目論見がなんであれ、遅れてしまえば処刑は実行されるだろう。
とにかく急がねばならない。
「ではアリヴェーラ、良いですね?」
「うん、まぁ仕方ないよ。渡してあげて」
……?
何やら俺の知らないやり取りが行われ、ルルさんがその場に屈んだ。
床に手を当てて何事かを呟くと、現れたのは真四角で真っ暗な穴。
なんだが見覚えのある穴だけど、そこへ躊躇なく彼女が飛び込めば、数秒後には戻ってくる。
彼女が両手に抱えていたそれは、紛れもなく――聖剣だった。
「必要になるはずなので渡しておきます」
「は……え? 間違いなく、置いてきた気がするんですが……」
「私の工房は移動式ですよ。言ってませんでしたっけ?」
「聞いてませんね……」
言われてたら流石に覚えてるから、絶対に言ってない。
それってもしかして、あの部屋自体を持ち運んでるってこと?
「あ――念押しですが、普段は私が贈った魔法剣で我慢してください。使い所は考えるように」
「っ……はい」
ルルさんが聖剣を手渡してくる。
ずしりと重たい感触して、それは俺の手に収まった。
王都へ向かう前に聖剣をどうしようとは思っていたけど……そうかアリヴェーラめ、置いてだなんて言ってたのはいつでもルルさんが取り出せることを知っていたからなのか。
しかも、事前に話を付けていたようで。
「代わりに二ーエを借りますよ。一緒に研究をすると約束したので」
「え……それは」
二ーエも連れて行くつもりだった俺は、少し悩んだ。
それは本人から聞いてみないとと思ったが、二ーエの姿はここにない。
そもそも彼女は一度も顔を出していないが、まだ眠っているのだろうか。
だが、その方が良いかもしれない。
二ーエは戦えないわけじゃないが、戦力として換算したくない。
これから無茶な行動を取ることになるし、ルルさんと一緒の方が安心できる。
「少しの間、ニーエをよろしくお願いします」
「全部終わったら迎えに戻ってきてください」
「はい、必ず」
ルルさんにも深く頭を下げ、二ーエを預けることに決めた。
アルヴァディス――はまぁ、少し心配だが、ルルさんが一緒であればそう問題はないだろう。
顔を上げ、受け取った聖剣を背中の剣帯へ固定する。
手に持ってる分にはいいけど、めちゃくちゃデカくて取り回し最悪だった。
こんなんじゃ姿も隠せないが、要所でアリヴェーラに偽装して貰えれば何とかなるか。
さあ、準備は整った。
後は間に合うように祈りながら、最短距離を突っ走るだけ。
俺は改めて二人へ向き直る。
アルヴァディスは憮然とした面持ちで、ルルさんはいつも通りだった。
「――行ってきます」




