102話 捜索
サフィール港といえば、世界に三つしかない港の一つである。
大陸最西端に位置しており、ここから産出される魚介類が様々な町へと運ばれているのだ。
ただ、鮮度が落ちやすく腐りやすいため、大陸中央部になるほど流通数が減ってしまい、食べる機会はあまりない。
俺もこの口で味わってみたいと思っていたけれど、まさか早々に魚食にありつける機会を得られ……おっと浮かれている場合じゃない。
どこか塩の臭いを感じつつ、フードを目深に被った俺は魔走輪から降り、草原の大地を踏みしめる。
「うげ……都みたいな賑わいだな」
夜だというのに、魔力灯で煌めく町並みは昼の如き明るさを保っていた。
「深海から良質な魔鉱がよく取れるから資源に困らないのだよ。それに夜は魚が獲りやすくなるから、夜間でも絶えず人が活動しているのさ」
「聞けば聞くほど、隠れるには向いてなさそうですが……」
「手配書だけの情報で君を君と正しく認識できる人間はそれほどいないよ、顔さえ隠していればバレやしない」
「なんでそう思うんです?」
「こんな子供が? って普通はなるじゃないか」
「なるほど……」
この身体の小ささがこんな形で役に立つ日が来るとは思わなかった。
歩幅が小さいわ長剣を振りにくいわ、それに高いものを取るのにジャンプしなきゃいけないわ……あと酒が飲めない。
基本的に悪いことばかりだと思っていたけれど、認識のズレは有利である。
「幸いにして私の爵位は男爵程度だから、別荘にいるくらいでは目立たないしね」
「貴族にランクがあるんです?」
「勿論あるとも。冒険者に例えるならば、君と同じFランクのようなものさ」
「Fランクは申請すりゃ誰でもなれますけど」
「細かい事を気にする奴だな君は、じゃあDランクくらいだよ」
「なるほど……貴族の中では大して凄くはない、ってことなんですね」
「言い方には気をつけたまえよ。その認識で正しいがね」
彼が指を鳴らせば、魔走輪から二人の使用人が降りてくる。
どちらも少女と呼べる年齢の……あ、一人は見たことある。
アレだ、地下に居た使用人の子。
彼女の方も俺の視線に気付いたのか、顔を綻ばせてぺこぺこと頭を下げてくる。
「おや、君はシエナの知り合いなのかね」
「地下室でちょっと……」
「ほう。詳しく聞こうじゃないか」
「え、いや、別に何かしたわけじゃないですからね?」
「そんな勘違いはしていないが……まァ仲良くしてやってくれ」
本当に大して気にせずに言って、彼は使用人へ指示を飛ばす。
どうやら魔走輪を指定の位置まで運んで欲しいとの内容で、指示を受けた二人は再び魔走輪へと戻り、町から外れた場所へと走り去っていった。
「全く、アレは港に置けないのが困り物だね」
「見るからに貴重そうですもんね……」
「はは、私の品を盗む間抜けはそう居ないよ。単に海沿いは錆びやすいんだ。そら、さっさと別荘へ入ってしまおう」
◇
別荘は本邸と比べるとかなりこじんまりとした外観の木造建築であった。
一般的な家と比べれば大きいが、一見しただけでは貴族が住まう家とは思わないだろう。
彼は慣れた手つきで門を開けると、ずんずん中へ入っていく。
別荘とは言うがそこそこ使っているのだろうか、内装は大分手入れがされているらしい。
使用人が定期的に清掃だけしているのかもしれないが。
「アルヴァディスさん、私は海へ行って来ても良いでしょうか?」
しかし別荘へ入るなり、ルルさんがこんな事を言いだした。
「うん? 別に構わないけれど、何故か聞いても?」
「いえちょっと海水を回収しておきたくて」
いきなり何を言い出すかと思ったが、ルルさんの瞳が煌めいているので俺は察した。
この人、海水で何の魔道具を作るつもりなんだろうか……。
「ついて行っても良いですか」
「二ーエも来るんですか? では一緒に行きましょう」
ニーエも同行を申し入れ、二人して外へ出ていく。
彼はルルさんとニーエの背を眺めつつ、溜め息を吐いた。
「フム、仕方ないが警戒されてしまっているね」
「そんなんじゃないですよ。今のルルさんは研究のことしか頭にないので」
二ーエはどうか知らないが、ルルさんはそういう人だ。
きっとこの調子だと、明日には研究に使うとか言って大量の魚を購入してくるだろう。
「そうなのかい? やはり変わった人だ」
「ちなみに料理はさせない方が良いですよ。ゲテモノも泣き叫んで逃げ出すようなものが皿に載ってくるので、間違ってもお貴族様の口に入れられるものじゃないです」
「君は何を言っているの?」
そう言われましても、事実なんだ。
これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない。
あれは……食べ物ではないのだから!
「さて――アーサー。ここからは真面目な話をしよう」
廊下の壁に背中を預け、彼は表情に影を落とす。
今までだってふざけた話をしていたつもりではないが――雑談は終わりということか。
俺は彼を見上げる。
「君を確保できたことは幸いだった。もう見つからないと思っていたからね」
「……それって。いつから俺を捜してたんです?」
「かなり経つよ。それに私は一度連絡を貰ったきり、直接彼女と会ったわけでもない。つまり、君は彼女が遺した最後の希望だ」
彼はそこまで話し終えると、疲れた様子で額を手の平で覆う。
今まで見せたことがない彼の表情で、本物の疲労が窺えるようだった。
「私が調べた限りの情報では、彼女は魔法都市フェイズラストで魔法塔の施設を破壊し逃走している――その後の消息は不明だよ」
魔法都市フェイズラスト――それは彼女が幽閉されている場所である。
それこそマグリッド達が救出するために向かったはずの場所。
……もしかして成功したのか?
一瞬そんな思考が頭を過ったが、次の台詞でその可能性は潰えることになった。
「どうやら赤毛の女と行動を共にしていたらしいのだが、そちらは追えていない」
代わりに脳裏によぎったのは、一緒に戦った二刀の魔法使いの姿だ。
だがそれは、あり得ない話だ。
リーズリースとサラに接点は……俺の知る限りない。
それに彼女は王都ガデリアの依頼へ行っているらしいし、そこから更に魔法都市フェイズラストまで向かったとは考えにくい。
「でも、サラの手配書なんて出てないですよね?」
「ああ――彼女の手配書はない。それどころか魔法塔が倒壊したのも事故ということになっているようだね」
「なるほど……隠蔽されてるんですね」
理由としては色々考えられるが、一番はサラの名すら出したくないといったところだろうか。
既にマグリッド達神聖騎士が謀反を起こしているし、立て続けにサラまで指名手配されれば人間界全体が混乱するだろう。
それに、公表してサラが幽閉状態だったことが知れ渡るのを危惧しているのやもしれない。
「で、その話をしたってことは、俺にサラを捜索して欲しいんですね? ……それも、町とかじゃなくて」
「話が早くて助かるね。その通り、君には迷宮探索で彼女の痕跡を探って欲しいんだ」
やはりそう来るか。
俺が表を出歩けない以上、探索箇所は町の外に限られる。
そしてサラが長い間身を隠すとなれば、通常の冒険者では入れない凶悪な迷宮の深部くらいなものである。
「――そんな回りくどいことしなくていいよ。私が見つけてあげる」
話を聞いていたアリヴェーラが鞄から飛び出し、俺達の間へ割り込んできた。
突然の登場に驚いたか、アルヴァディスは目を見開いたまま固まる。
「おっと、君の使い魔かな?」
「うん、私はアリヴェーラ。今までの会話はずっと聞いてたから説明はいらない。要はサラ・アルケミアの現在地さえ分かればいいってことでしょ」
ぶっきらぼうに言うと、アリヴェーラは腕を組む。
今までずっと出てこなかった彼女が表に出てきたのには俺も驚きだが……なんで不機嫌そうなんだろうか。
俺の視線に気付いたのか、アリヴェーラは俺を横目で睨み付けて来た。
え、なんで? もしかして俺の心読んでたりする?
そんな頭の中の独り言は無視されたが、多分読んでいるのだろう。
一体何が彼女の逆鱗に触れたかは分からないんだけど……本当に何だ?
ていうか勝手に心を覗かないで欲しい、そういうことするなら教えてもらうまで聞き続けるぞ俺は。
「奴隷の契約をしているのなら、パスを辿ってサラ・アルケミアの位置を探るだけ」
「そんなことが出来るのかい?」
「私なら出来る。その代わり、あなたの中身を見せて貰う必要があるけど」
片手をかざし、アリヴェーラは彼の胸元へと向ける。
彼はその手に魔力の輝きが収束する姿を収めると、逡巡することなく胸元を開いてみせた。
「――構わないさ! 存分に私の中身を見るがいい」
なんで半脱ぎしたの?
「え、きも……」
「アリヴェーラそれは失礼だぞ!」
「いやだって、ごめん」
きもいと言われた張本人はまるで気にしておらず、白い歯を見せつけてきている。
いや、いきなり胸筋を見せつけてくるのはちょっと俺も引くけど。
しかしこいつ、意外に筋肉質だな。普段から鍛えてないとこうはならないぞ。
「どうしたんだい? 魔法を体に通すなら皮膚を晒した方が効率が良いだろう?」
「まぁそうだけど……別に腕とかで良いんだけど」
「フム、体の中心部から接続した方が良いと思うのだがね」
「それはそうなんだけど……」
アリヴェーラが言葉で負けた……。
言い返せない辺り、彼の言に一理はあるみたいだ。
「じゃあ、やるけど。少し違和感とか不快感は生じるかもしれないけど我慢してね」
「これも彼女のためと思えば――遠慮は要らない」
「……」
一瞬何かを言いかけたものの、アリヴェーラは口を噤む。
これ以上何かを話せば失言に繋がると思ったのか、彼女はそのまま両手の輝きを解き放った。
無数の淡い魔力の束が手の平から伸び、彼の胸元へと入り込んでいく。
その瞬間、彼はやや苦しげに眉間に皺を作ったが、それ以上の反応は見せない。
やがて胸元から中空へと浮き上がる――複雑な黒い紋様。
それらはくるくると回転を続け、最後には彼の中へと戻っていく。
アリヴェーラは手の平を下げると、「もう終わった」と呟いた。
光の束は彼の胸元から解けていき、すぐに霧散し消えていく。
しかし終わったと口にしたその表情は悪く、彼女は俺をちらりと見てきた。
「……場所は分かったよ」
妙に歯切れの悪い言葉で濁し、アリヴェーラは沈黙してしまう。
まさか――。
「別に死んでるとかって話じゃないよ」
「じゃあ、サラはどこに居るんだ?」
直球で訊けば、やはり微妙な顔のまま。
しかし観念したのか、アリヴェーラはこう答えるのだった。
「サラ・アルケミアが魔界に居るって言ったら、アーサーは行くの?」




